多分、彼は僕が同じクラスなんてこと、知らないんだ。
「今日、鮭弁なんだ。俺好きなんだよねー、西京焼き。久々じゃない?」
「そうなんです、久々に良い鮭が手に入ったみたいで。こちらお釣り250円です」
お弁当を受け取った会社帰りのくたびれスーツのお客さんは、食べるのを楽しみにしているのがにじみ出ている。
「ありがとうございました。美味しく食べてください」
その後姿を見送りつつも、僕は店に入ってきたお客さんに目をやった。
黒髪が映える白い肌、切れ長の目に形のいい唇、広くて薄い肩に長い手足。入れ違いになったさっきのお客さんも、思わず振り返ったようだ。
「いらっしゃいませ」
僕は知らないふりして形だけの笑みを向けた。
週に2度、お弁当を買いにくる彼、藤森斗亜君。
彼は僕と同じクラスだ。と言っても、彼はきっと僕を知らない。
入り口から直進、藤森君はレジの横においてあるメニュー表で、日替わりの鮭弁当とレギュラーの海苔弁当を真剣な表情で見比べている。少しうつむいているからか、レジに立つ僕から藤森君のシルバーのピアスがよく見える。いったいいくつ付いているのか。1,2,…5と数えていると、ふっと視線を上げた藤森君と目が合った。人の耳で勝手に遊んでいたと気まず過ぎて、サッと目をそらしたけど、藤森君はそんなこと気にしていないんだろう。美しい彼は、見られることに慣れている。と自分に言い訳。
「日替わりの、鮭弁ください」
淡々とした藤森君の注文に、何もなかったように僕も返す。
「白米にしますか?玄米にしますか?」
「んー、どっちがおすすめですか?」
「僕は、白米かな」
藤森君は、ちらりと僕を見上げた。
「そ?じゃ、白米で」
「少々お待ちください」
僕は店の奥に行って、白米のお弁当を用意した。
「前食べた時、鮭にクリームかかってたけど、今日は違うんだ」
「はい。おば、店長がいろいろ作るの好きで。クリームの方がお好きですか?」
「どうだろ?西京焼きって食べたことないし」
「じゃあまた感想教えてください」
「ん」
お弁当を受け取った藤森君は、少しだけ口角が上がってる。
週に2回、藤森君と僕はレジを挟んで、このやりとりをする。
「ありがとうございました。」
店を出た藤森君は、店の前に停めてあったクロスバイクの横に立ち、そこから店内に目を向けている、気がする。店内を見ているのか、目が合っているのかわからない。とりあえずペコリと会釈すると、藤森君も返してくれた。勘違いじゃなくて、ちょっと安心。
そのまま軽やかに、藤森君は駅方面へと帰っていく。今日はグレーのパーカーにジーンズ姿の藤森君は、制服で来たことはない。僕ですら何度目かの来店で藤森君だと分かったくらいだから、クラスで影が薄い僕を彼が分からないのも納得しかない。
「光君、お弁当残り3つだから、売り切り次第今日は終わりにしよっか」
「はーい」
僕が深く頷いていると、店奥にいたおばさんがレジに顔を出し、そのまま入口に向かった。無造作に伸びた髪をくくり直し、黒のエプロンを取ってふーっと大きく息を吐く。一面ガラス張りの店頭の、隅に置かれた椅子に座ったおばさんからは、商店街の様子がよく見えるだろう。過行く人を眺めながら、おばさんは「そういえば」と目だけで僕を見た。
「あの顔のきれいな子、よく買いに来てくれるね。ついおまけしたくなるわ~。光君より少し上くらいかな?」
「同じクラスだよ」
そう答えると、おばさんは「えーっ!?」と目を丸くした。
藤森君が大人びて見えるというより160センチと背も低く、いまだに親戚から"かわいい"と言われる僕が幼く見えるだけだろう。
「同じクラスなのに、弁当の話しかしないんだね」
大きく目を開いたおばさんの顔はヘビっぽくて、キリリとしている。僕もこういう顔だったら男顔っぽくてよかったのに。
「あっちは僕が同じクラスにいることも知らないよ」
「あんた存在感薄いもんねぇ」
ケラケラと笑うおばさんに、思わずあごにしわができる。
「おばさん、オブラートって知ってる?」
「あたしそういうの苦手だから」
あっけらかんと悪気ないおばさんの言葉はぐさりと刺さる。
「もう僕片づけ始めちゃうからね!」
「よろしく~」
わざと足音を大きく立て、僕は店奥に向かった。
週に2回、僕はおばさんのお弁当屋さんでバイトをしている。
「今日もありがとね。また木曜日に」
「うん、おやすみなさい」
店を出て、商店街を抜けてから自転車で家へと向かう。夏が過ぎたばかりの涼しさを帯びた夜の空気は、とても気持ちいい。
おばさんのお弁当屋さんは、駅を出てすぐにある小さな商店街の入口にある。もともと小さな洋菓子店だったところをそのまま使っている。お客さんが3人も入れば満杯な小さなお店だ。
たいていの人は駅の反対側の商業施設に行くだろうけど、おばさんのお弁当を求めて買いに来る人は少なくない。
月曜日から金曜日まで、だいたい日替わりと海苔弁当。中身はおばさんの気分によって変わる。たまに中華弁当やフレンチ弁当の時もある。元料理人としての腕がうずくのだろう。「気ままな個人店だから好きにしてんの」とおばさんは言う。たまのイレギュラーメニューのとき、SNSでお知らせをするとわざわざ遠くから買いに来る人もいる。おばさんの料理ファンだろう。
僕もおばさんのように、自分の好きな料理で人を楽しませるようになりたい。誰にも言えないけど。
「ただいまー」
「えっ、兄ちゃん?もう帰って来たん?今日早ない?バイト休みやったん?」
自転車を10分漕ぎ家に帰ると、ドタバタと玄関まで来た達也がおかえりよりも早く、矢継ぎ早に質問してくる。
「バイトはちゃんと行ったよ。今日、お弁当売れんの早かってん。だから上がりも早うなって」
「それなら連絡してぇや。俺、メシ食うてしもたわ。兄ちゃん帰ってくるんやったら待ってたのに」
甘えたような、駄々こねる顔をされた。
「ええよ、部活終わりで腹減ってたやろ?今日も投げ飛ばしてきたん?」
「投げ飛ばしてきたけど、言い方悪いわ。柔道はやからのスポーツやないで」
パーカーのポケットに手を突っ込んだ達也の角刈りの頭に、「ごめんごめん」と手を伸ばすと、達也は前かがみになった。
「屈んでもらわんと頭も撫でれんなんて、達也はよう成長したな」
「兄ちゃんがちびすぎんねん」
「腕伸ばしたらギリ届くで」
「はいはい、メシ温めとくから手ぇ洗って着替えて来たら?今日の生姜焼き、めっちゃうまかった」
「ありがとー」
甘えて自分の部屋で荷物を置いて、部屋着に着替えた。
今のところ、僕の料理を一番楽しんでくれるのは、弟の達也だ。だから達也においしいと言ってもらえるように作るのを目標にしている。両親とも共働きだから、自然と家事をするようになった。料理は僕、洗濯は達也。掃除は週末に家族で分担。
「達也」
「なに?」
生姜焼きを口に運びながら話しかけても、達也は漫画から目をそらさない。
「明日のお弁当、何がいい?」
「あー……、食虫植物のドリア」
適当にも程がある。今読んでる漫画に出てきているとしか思えない。
「はいはい、野菜弁当ね」
「えっ、マジで?ごめん兄ちゃん。そんなん部活まで持たへんわ。なんかどっしりしたもん入れといてー」
焦った達也は顔を上げてあわあわ手を合わせた。
「わかった。唐揚げ入れとくわ」
「ありがとー。兄ちゃん大好き」
かわいい弟が部活を頑張れるよう、晩ご飯の後に僕は鶏肉を生姜の入ったたれに付けた。
「光ー、おっすー」
「おはよー、山ちゃん」
鞄を机に乗せたところで、教室の後ろからドタバタと山ちゃんが僕の席まで走って来た。山ちゃんは陸上部の練習があるから、朝来るのが早い。
「宿題やってきた?見せてー!」
「えー、自分でやりなよー」
そう言いながらも、僕は山ちゃんにノートを渡した。
教室の窓側一番前の僕の席でノートを写す山ちゃんと喋っていると、後ろの方から大きな笑い声が上がった。座ったまま窓側の壁にもたれて、ちらりとそちらに目を向けると、藤森君を中心に、クラスでも目立つ男女がふざけ合っていた。
「ほんとだって、なぁ藤森」
「いや、知らねーって」
おばさんの店で見る藤森君は静かな感じだけど、教室で見る彼はクールだ。友達に話を振られても、ダルそうにスマホを触っている。
「なに、どしたん?あー、藤森?」
すっかり上の空になっていたら、山ちゃんにシャーペンでつつかれてしまった。
「男の俺が見ても今日も顔がえぐいわ」
「えぐいって言い方」
「だってさぁ、入学式からすごい騒ぎだっただろ?顔もよければ身長も高い。180はあるだろ?今でも他校からも告りに来る女子が絶えないらしいし」
「へー、すごいね……」
本当は、学校帰りに何度か見かけたことがある。女子に告白されてる藤森君。
「うらやましすぎんよなぁって、お前ら仲よかったりする?」
「全然。僕の存在すら知らないと思うよ」
「言いすぎだろ、それは」
たはっと山ちゃんは笑ったけど、自虐ではなくて本当にそう思ってる。
住む世界が違う。そんな感じ。通り過ぎて行く芸能人とそれを見ている一般人の感覚。僕が一方的に知ってるだけ。
だから僕が目をそらしたあと、藤森君が僕を見ていたなんて、思いもしなかった。
「光君、今日もう上がってー。売り切れた!」
「わー、おめでとうございます!」
バンザイをしてからおばさんと2人、レジの前で拍手した。今日はイレギュラーで揚げ春巻き、卵のゴーヤ炒め、野菜カレー、パクチーのサラダ、ライスのタイ料理弁当で、昨日SNSで宣伝もしてたから早々と18時半には売り切れた。僕も余り物の春巻きの端っこを味見したけど、サクサクな上に香ばしくて美味しかった。
「タイ料理、いいね。たまにしようかな。ちょっと強気な価格にしたけど、売り切れたし」
拳を握りながら、おばさんは目を輝かせた。
おばさんは色んなものを食べては、それを弁当にしている。自分が吸収したものを試し見て、それを売りに出す。見ている僕も、楽しくなる。
「僕にもまた、作り方教えてくださいね?」
「いーよー!今度光君の家に遊びに行くから、教えるわ」
しかも惜しみなく教えてくれるから、ありがたい。僕のレパートリーも、増えていく。
「あっ!」
「え?なに、どしたの?」
不意の僕の大声に、メニューを持って奥に戻ろうとしたおばさんが肩を振るわせた。
「今日、まだ来てないですよね?あの──」
顔のきれいな子、と僕が言おうとしたところで扉のベルが鳴った。
目を向けると、珍しく制服姿の藤森君が立っていた。
「あー、ごめんなさいね。今日、売り切れちゃって」
「え、あー。そうすか」
藤森君は明らかに落胆して、残念そうに頭を垂れている。参ったなというように首の後ろに手を回した彼と、ちらりと目が合った。
「あの、ちょっと、15分くらい、待てたりしますか?」
気づけば僕は、そう言っていた。
「え、うん」
「おばさん、ちょっと」
困ったような藤森君に店にある椅子を進めてから、僕はおばさんと店の奥に戻った。
「あの、これ、即席なんですけど……」
結局、15分以上かかってしまったけど、藤森君は店頭の椅子に座って待っていてくれた。
余っていたサラダと春巻きと、茹でたジャガイモにカレー粉をまぶせたものと、急いで作った卵焼きや野菜炒めとテイスト無視の弁当を藤森君に見せた。
いつもクールな藤森君は、きょとーんと目を丸くしてから、はにかんで笑った。
「ありがと。これ、いただきます」
そうすると八重歯が見えて、ほんの少しだけ幼い藤森君に、僕はドキッとさせられた。
お弁当を受け取り、そのまま店を出た彼は、店の前からひらひらと手を振ってくれた。いつもはそんなことしないのに。
僕もペコリと軽くお辞儀してから、おずおずと手を振り返すと、藤森君は花が咲くような笑みを浮かべた。遠くから見てるだけだから知らなかったけど、もしかすると彼は本当は人懐っこい人なのかもしれない。そう思ってしまうほどの笑顔だ。
颯爽とクロスバイクで帰っていく藤森君の姿を、僕はレジの中からずっと見つめていた。
そして、次の日。
「光君、一緒にご飯食べよ?」
藤森君は、突如として僕の前に現れた。
「今日、鮭弁なんだ。俺好きなんだよねー、西京焼き。久々じゃない?」
「そうなんです、久々に良い鮭が手に入ったみたいで。こちらお釣り250円です」
お弁当を受け取った会社帰りのくたびれスーツのお客さんは、食べるのを楽しみにしているのがにじみ出ている。
「ありがとうございました。美味しく食べてください」
その後姿を見送りつつも、僕は店に入ってきたお客さんに目をやった。
黒髪が映える白い肌、切れ長の目に形のいい唇、広くて薄い肩に長い手足。入れ違いになったさっきのお客さんも、思わず振り返ったようだ。
「いらっしゃいませ」
僕は知らないふりして形だけの笑みを向けた。
週に2度、お弁当を買いにくる彼、藤森斗亜君。
彼は僕と同じクラスだ。と言っても、彼はきっと僕を知らない。
入り口から直進、藤森君はレジの横においてあるメニュー表で、日替わりの鮭弁当とレギュラーの海苔弁当を真剣な表情で見比べている。少しうつむいているからか、レジに立つ僕から藤森君のシルバーのピアスがよく見える。いったいいくつ付いているのか。1,2,…5と数えていると、ふっと視線を上げた藤森君と目が合った。人の耳で勝手に遊んでいたと気まず過ぎて、サッと目をそらしたけど、藤森君はそんなこと気にしていないんだろう。美しい彼は、見られることに慣れている。と自分に言い訳。
「日替わりの、鮭弁ください」
淡々とした藤森君の注文に、何もなかったように僕も返す。
「白米にしますか?玄米にしますか?」
「んー、どっちがおすすめですか?」
「僕は、白米かな」
藤森君は、ちらりと僕を見上げた。
「そ?じゃ、白米で」
「少々お待ちください」
僕は店の奥に行って、白米のお弁当を用意した。
「前食べた時、鮭にクリームかかってたけど、今日は違うんだ」
「はい。おば、店長がいろいろ作るの好きで。クリームの方がお好きですか?」
「どうだろ?西京焼きって食べたことないし」
「じゃあまた感想教えてください」
「ん」
お弁当を受け取った藤森君は、少しだけ口角が上がってる。
週に2回、藤森君と僕はレジを挟んで、このやりとりをする。
「ありがとうございました。」
店を出た藤森君は、店の前に停めてあったクロスバイクの横に立ち、そこから店内に目を向けている、気がする。店内を見ているのか、目が合っているのかわからない。とりあえずペコリと会釈すると、藤森君も返してくれた。勘違いじゃなくて、ちょっと安心。
そのまま軽やかに、藤森君は駅方面へと帰っていく。今日はグレーのパーカーにジーンズ姿の藤森君は、制服で来たことはない。僕ですら何度目かの来店で藤森君だと分かったくらいだから、クラスで影が薄い僕を彼が分からないのも納得しかない。
「光君、お弁当残り3つだから、売り切り次第今日は終わりにしよっか」
「はーい」
僕が深く頷いていると、店奥にいたおばさんがレジに顔を出し、そのまま入口に向かった。無造作に伸びた髪をくくり直し、黒のエプロンを取ってふーっと大きく息を吐く。一面ガラス張りの店頭の、隅に置かれた椅子に座ったおばさんからは、商店街の様子がよく見えるだろう。過行く人を眺めながら、おばさんは「そういえば」と目だけで僕を見た。
「あの顔のきれいな子、よく買いに来てくれるね。ついおまけしたくなるわ~。光君より少し上くらいかな?」
「同じクラスだよ」
そう答えると、おばさんは「えーっ!?」と目を丸くした。
藤森君が大人びて見えるというより160センチと背も低く、いまだに親戚から"かわいい"と言われる僕が幼く見えるだけだろう。
「同じクラスなのに、弁当の話しかしないんだね」
大きく目を開いたおばさんの顔はヘビっぽくて、キリリとしている。僕もこういう顔だったら男顔っぽくてよかったのに。
「あっちは僕が同じクラスにいることも知らないよ」
「あんた存在感薄いもんねぇ」
ケラケラと笑うおばさんに、思わずあごにしわができる。
「おばさん、オブラートって知ってる?」
「あたしそういうの苦手だから」
あっけらかんと悪気ないおばさんの言葉はぐさりと刺さる。
「もう僕片づけ始めちゃうからね!」
「よろしく~」
わざと足音を大きく立て、僕は店奥に向かった。
週に2回、僕はおばさんのお弁当屋さんでバイトをしている。
「今日もありがとね。また木曜日に」
「うん、おやすみなさい」
店を出て、商店街を抜けてから自転車で家へと向かう。夏が過ぎたばかりの涼しさを帯びた夜の空気は、とても気持ちいい。
おばさんのお弁当屋さんは、駅を出てすぐにある小さな商店街の入口にある。もともと小さな洋菓子店だったところをそのまま使っている。お客さんが3人も入れば満杯な小さなお店だ。
たいていの人は駅の反対側の商業施設に行くだろうけど、おばさんのお弁当を求めて買いに来る人は少なくない。
月曜日から金曜日まで、だいたい日替わりと海苔弁当。中身はおばさんの気分によって変わる。たまに中華弁当やフレンチ弁当の時もある。元料理人としての腕がうずくのだろう。「気ままな個人店だから好きにしてんの」とおばさんは言う。たまのイレギュラーメニューのとき、SNSでお知らせをするとわざわざ遠くから買いに来る人もいる。おばさんの料理ファンだろう。
僕もおばさんのように、自分の好きな料理で人を楽しませるようになりたい。誰にも言えないけど。
「ただいまー」
「えっ、兄ちゃん?もう帰って来たん?今日早ない?バイト休みやったん?」
自転車を10分漕ぎ家に帰ると、ドタバタと玄関まで来た達也がおかえりよりも早く、矢継ぎ早に質問してくる。
「バイトはちゃんと行ったよ。今日、お弁当売れんの早かってん。だから上がりも早うなって」
「それなら連絡してぇや。俺、メシ食うてしもたわ。兄ちゃん帰ってくるんやったら待ってたのに」
甘えたような、駄々こねる顔をされた。
「ええよ、部活終わりで腹減ってたやろ?今日も投げ飛ばしてきたん?」
「投げ飛ばしてきたけど、言い方悪いわ。柔道はやからのスポーツやないで」
パーカーのポケットに手を突っ込んだ達也の角刈りの頭に、「ごめんごめん」と手を伸ばすと、達也は前かがみになった。
「屈んでもらわんと頭も撫でれんなんて、達也はよう成長したな」
「兄ちゃんがちびすぎんねん」
「腕伸ばしたらギリ届くで」
「はいはい、メシ温めとくから手ぇ洗って着替えて来たら?今日の生姜焼き、めっちゃうまかった」
「ありがとー」
甘えて自分の部屋で荷物を置いて、部屋着に着替えた。
今のところ、僕の料理を一番楽しんでくれるのは、弟の達也だ。だから達也においしいと言ってもらえるように作るのを目標にしている。両親とも共働きだから、自然と家事をするようになった。料理は僕、洗濯は達也。掃除は週末に家族で分担。
「達也」
「なに?」
生姜焼きを口に運びながら話しかけても、達也は漫画から目をそらさない。
「明日のお弁当、何がいい?」
「あー……、食虫植物のドリア」
適当にも程がある。今読んでる漫画に出てきているとしか思えない。
「はいはい、野菜弁当ね」
「えっ、マジで?ごめん兄ちゃん。そんなん部活まで持たへんわ。なんかどっしりしたもん入れといてー」
焦った達也は顔を上げてあわあわ手を合わせた。
「わかった。唐揚げ入れとくわ」
「ありがとー。兄ちゃん大好き」
かわいい弟が部活を頑張れるよう、晩ご飯の後に僕は鶏肉を生姜の入ったたれに付けた。
「光ー、おっすー」
「おはよー、山ちゃん」
鞄を机に乗せたところで、教室の後ろからドタバタと山ちゃんが僕の席まで走って来た。山ちゃんは陸上部の練習があるから、朝来るのが早い。
「宿題やってきた?見せてー!」
「えー、自分でやりなよー」
そう言いながらも、僕は山ちゃんにノートを渡した。
教室の窓側一番前の僕の席でノートを写す山ちゃんと喋っていると、後ろの方から大きな笑い声が上がった。座ったまま窓側の壁にもたれて、ちらりとそちらに目を向けると、藤森君を中心に、クラスでも目立つ男女がふざけ合っていた。
「ほんとだって、なぁ藤森」
「いや、知らねーって」
おばさんの店で見る藤森君は静かな感じだけど、教室で見る彼はクールだ。友達に話を振られても、ダルそうにスマホを触っている。
「なに、どしたん?あー、藤森?」
すっかり上の空になっていたら、山ちゃんにシャーペンでつつかれてしまった。
「男の俺が見ても今日も顔がえぐいわ」
「えぐいって言い方」
「だってさぁ、入学式からすごい騒ぎだっただろ?顔もよければ身長も高い。180はあるだろ?今でも他校からも告りに来る女子が絶えないらしいし」
「へー、すごいね……」
本当は、学校帰りに何度か見かけたことがある。女子に告白されてる藤森君。
「うらやましすぎんよなぁって、お前ら仲よかったりする?」
「全然。僕の存在すら知らないと思うよ」
「言いすぎだろ、それは」
たはっと山ちゃんは笑ったけど、自虐ではなくて本当にそう思ってる。
住む世界が違う。そんな感じ。通り過ぎて行く芸能人とそれを見ている一般人の感覚。僕が一方的に知ってるだけ。
だから僕が目をそらしたあと、藤森君が僕を見ていたなんて、思いもしなかった。
「光君、今日もう上がってー。売り切れた!」
「わー、おめでとうございます!」
バンザイをしてからおばさんと2人、レジの前で拍手した。今日はイレギュラーで揚げ春巻き、卵のゴーヤ炒め、野菜カレー、パクチーのサラダ、ライスのタイ料理弁当で、昨日SNSで宣伝もしてたから早々と18時半には売り切れた。僕も余り物の春巻きの端っこを味見したけど、サクサクな上に香ばしくて美味しかった。
「タイ料理、いいね。たまにしようかな。ちょっと強気な価格にしたけど、売り切れたし」
拳を握りながら、おばさんは目を輝かせた。
おばさんは色んなものを食べては、それを弁当にしている。自分が吸収したものを試し見て、それを売りに出す。見ている僕も、楽しくなる。
「僕にもまた、作り方教えてくださいね?」
「いーよー!今度光君の家に遊びに行くから、教えるわ」
しかも惜しみなく教えてくれるから、ありがたい。僕のレパートリーも、増えていく。
「あっ!」
「え?なに、どしたの?」
不意の僕の大声に、メニューを持って奥に戻ろうとしたおばさんが肩を振るわせた。
「今日、まだ来てないですよね?あの──」
顔のきれいな子、と僕が言おうとしたところで扉のベルが鳴った。
目を向けると、珍しく制服姿の藤森君が立っていた。
「あー、ごめんなさいね。今日、売り切れちゃって」
「え、あー。そうすか」
藤森君は明らかに落胆して、残念そうに頭を垂れている。参ったなというように首の後ろに手を回した彼と、ちらりと目が合った。
「あの、ちょっと、15分くらい、待てたりしますか?」
気づけば僕は、そう言っていた。
「え、うん」
「おばさん、ちょっと」
困ったような藤森君に店にある椅子を進めてから、僕はおばさんと店の奥に戻った。
「あの、これ、即席なんですけど……」
結局、15分以上かかってしまったけど、藤森君は店頭の椅子に座って待っていてくれた。
余っていたサラダと春巻きと、茹でたジャガイモにカレー粉をまぶせたものと、急いで作った卵焼きや野菜炒めとテイスト無視の弁当を藤森君に見せた。
いつもクールな藤森君は、きょとーんと目を丸くしてから、はにかんで笑った。
「ありがと。これ、いただきます」
そうすると八重歯が見えて、ほんの少しだけ幼い藤森君に、僕はドキッとさせられた。
お弁当を受け取り、そのまま店を出た彼は、店の前からひらひらと手を振ってくれた。いつもはそんなことしないのに。
僕もペコリと軽くお辞儀してから、おずおずと手を振り返すと、藤森君は花が咲くような笑みを浮かべた。遠くから見てるだけだから知らなかったけど、もしかすると彼は本当は人懐っこい人なのかもしれない。そう思ってしまうほどの笑顔だ。
颯爽とクロスバイクで帰っていく藤森君の姿を、僕はレジの中からずっと見つめていた。
そして、次の日。
「光君、一緒にご飯食べよ?」
藤森君は、突如として僕の前に現れた。



