冷遇された花巫女姫は、火の皇子に溺愛される

 庭から戻った咲久耶(さくや)は心を落ち着かせようと本を開いた。
 ちり紙に包んだ花を丁寧に本に挟んでいく。

 このまま一週間くらい置くと押し花ができる。
 コツコツと作業をしていくと、少しずつ冷静になってきた。

(まさか、紅蓮(ぐれん)様にお会いするなんて……!)
(あんなに気さくで優しい方だったなんて!)

 微笑む紅蓮の顔が焼き付いて離れない。

(婚儀の時と全然違う)

 心が浮き立つと同時に恐怖もこみあげる。

(もし沙羅(さら)が咲久耶だとわかったら?)

 あの優しい眼差(まなざ)しが冷ややかな拒否に変わったら耐えられない。

(バレたくない……)
(私だと知ったら、きっとあの顔は見られない)

 そもそも、花の護符を作っているのがバレたらどうなるのだろう。

(きっと取り上げられるわ)

 紅蓮の言葉に心が揺れたが、あれは何のしがらみもない侍女に対する言葉だ。
 託宣で選ばれた正室が逃げようとしているのならば話は変わる。

 秘密にしなければいけない。
 だが、また会いたい。

 二つの相反する気持ちを抱え、咲久耶はそっと本を閉じた。

*

「来たな、沙羅」

翌日、再び東屋(あずまや)に現れた咲久耶を見た紅蓮が微笑んだ。

(なんて嬉しそうな顔をするのかしら)

 結局、花を摘むついでにと顔を出してしまった。
 紅蓮の輝く目で見つめられるだけで胸が高鳴る。

「さあ、早く来い。茶菓子をたくさん用意しているぞ」

 手招きする紅蓮があまりに楽しそうで、咲久耶は驚いた。

(待っていてくれたのかしら)
(こんな風に歓待されるなんて信じられない)

 紅蓮が咲久耶の抱えた花をちらりと見る。

「また花を摘んできたのか」
「はい」
「まるで花の精のようだな。やはりおまえの性質は『木』だな。よく馴染んでいる」

 紅蓮の言葉がなぜか腑(ふ)に落ちた。

(昔から私は花が大好きだった。野山にいると落ち着いた。それは私の性質が『木』だからなのかしら)

「よし、今日は新しい茶を。お菓子もあるぞ」

 咲久耶は勧められるまま、東屋に置かれている椅子に座った。
 そっと茶器に口をつける。

「……ほのかに甘い香りがしますね」
「ああ。花のお茶なんだ! 茉莉花(ジャスミン)というらしい」

 紅蓮が茶色の菓子が載った皿を持ってくる。

「お菓子はアップルパイというものだ。リンゴを甘く煮て焼いた生地に載せたお菓子だな」

 一口食べた咲久耶は目を見開いた。

「甘酸っぱくて美味しい! こんなの初めてです!」

 咲久耶の反応を楽しむように紅蓮が目を細める。

「東の大陸から入ってきたものだ。まだ王都でも扱っている店は少ない」
「すごい……」

 こんな風に皇子の屋敷では最先端のものを扱っているのだろう。
 ここに来て一ヶ月、咲久耶が触れられなかったものだ。

 咲久耶はせっせと大きなアップルパイを口に運んだ。

「そんなに焦って食べるな。喉に詰まるぞ」

 咲久耶は夢中で勧められるまま次々とお菓子を食べた。

「すごい……全部見たことのないお菓子です」

「俺は新しい文化をどんどん取り入れていくつもりだ。衣食住だけじゃない。医療、交通、軍備――あらゆる分野で遅れをとるわけにはいかない」

 咲久耶がハッとするほど、紅蓮の口調には熱があった。

「だから東の大陸の国と本格的に交易を始める」

 咲久耶はどきりとした。
 その話は咲久耶も父たちから聞いていた。

 東の大陸と交易するのならば、必然的に飛天国の東に位置する真波国は航路となる。
 船が経由することになるので、真波国では港の整備が始まっている。

 これまで地政学的にあまり重要でなかった真波国に焦点が当たると父たちが騒いでいた。
 紅蓮の言葉どおりなら、真波国は大きな転換期を迎えるだろう。

(私は今、そのまっただ中にいるはずなのに……)

 まるで孤島のように、ぽつんと取り残されている。

「おまえは本当に美味そうに食べるな」

 咲久耶は顔を赤らめた。
 ろくに食べられていない臓腑に、上等な菓子が染みる。

「果物も食え。新しく栽培を始めたブドウだ」
「ブドウ……」

 初めて見る果物だ。紫色の粒が集まって房になっている。

「ちぎって食べるんだ」

 言われたとおり食べると甘い果汁が口に広がった。

「わ、甘い! 美味しいです!」
「だろう?」

 自慢げな紅蓮の顔にくすっと笑ってしまう。
 楽しくて楽しくて、ずっとこの場にいたいと思うほどだ。

(こんな風に夫婦として話せたらよかったのに)

 自分の現状を思うとつらくなる。
 謂(いわ)れのない疑いをかけられてしまっている今、それは望めない。

(誤解を解きたいけど……)

 自分の正体を口にする勇気は出なかった。