冷遇された花巫女姫は、火の皇子に溺愛される

 翌日、朝餉(あさげ)を食べた咲久耶(さくや)は庭に出た。

「問題は花よね」

 離れの庭をいくら歩いてみても花がない。
 咲久耶は母屋(おもや)へと続く戸口の前に立った。

(きっと、母屋の庭なら花があるわ)

 咲久耶はそびえたつ塀を見上げた。

「いいわ、やってやろうじゃないの」

 島では木に登ったり、山を登ったりしていた。
 この程度の塀を乗り越えるくらいたやすいものだ。

 しかも着ているのは作業用の作務衣(さむえ)
 咲久耶は助走をつけて塀に足をかけ、てっぺんに手をかけた。

「よっと」

 そのまま体を持ち上げ塀を乗り越える。

「わあ……」

 離れとは全然違う花が咲き乱れた美しい庭が目の前に広がる。
 辺りを見回したが幸い誰もいない。

「いただいていこう。そうよ、私は正室なんだから! 花を摘むくらいいいわよ」

 自分を奮い立たせ、花に手を伸ばす。

「綺麗……私に力をちょうだい」

 黄色、桃色、白、紫――様々な色の花を摘んでいく。

(懐かしいな。毎日花を摘みに行ったっけ)

 花を見ていると故郷が浮かぶ。家族の笑顔も。
 涙がぽたぽたと落ちていったとき、花からぽわぽわと光の塊が浮かんできた。

(霊気が!)

 故郷ではすべてのものには霊気、つまり魂が宿っていると考えられている。

 それを引き出したり、逆に霊気を込めたりできるのは一部の人間だけで『巫力(ふりょく)』と呼ばれる能力だ。
 女性の場合は『巫女(みこ)』、男性なら『巫覡(ふげき)』と言われる。

 王族でも滅多に現れない希有な力だったが、平和な島では神事の時くらいしか出番がない。
 だが、今はこの能力に感謝している。

「慰めてくれているの?」

 ふわふわと花の霊気が咲久耶の周囲を舞う。

(綺麗……)

 咲久耶はぐいっと涙を拭った。
 霊気の花が消えると咲久耶は立ち上がった。

(元気を出さないと! そうよ、生きて故郷に帰るんだから!)
(お金が貯まれば屋敷を抜け出してやる!)

 決意を新たにし、離れの庭へと戻ろうときびすを返したときだった。

「おまえ、今のはなんだ?」
「え?」

 振り返った咲久耶は息を呑んだ。
 庭に立っていたのは紅蓮(ぐれん)だった。夜の海のような漆黒の目が自分を射貫く。

(な、なんで紅蓮様が庭に!!)

「おまえ、どこの侍女だ?」

 その言葉に咲久耶はハッとした。

(私に気づいていない!?)

 言われてみれば、会ったのは念入りに化粧を施し飾り立てた婚儀の時だけ。
 しかも目が合ったのは一瞬。

 今の自分はすっぴんで櫛も通していない髪をした作務衣姿の侍女だ。

(名乗る?)

 咲久耶はドキドキしながら紅蓮を見た。

(いいえ、ダメ。万一、花を摘むことすら禁じられたら終わり!)

「わ、私は母屋の……侍女です」

 咲久耶はとっさに嘘をついた。
 紅蓮がじっと見つめてくる。

「見慣れない顔だな。新入りか」
「はい!」
「名前は」
「……さ」

 思わず本名を名乗りそうになり慌てて口をつぐむ。

「さ、沙羅(さら)です!」

 思わず口をついて出たのは妹の名前だった。

「花の名前だな。いい名だ」

 思わぬ優しい言葉に咲久耶は驚いた。

「俺の名は紅蓮。名の通り火の性質を持っている。だから木の性質の者とは相性がいい」

五行(ごぎょう)思想ね)

 嫁ぎ先なので少しは勉強している。飛天(ひてん)国では一般的な自然哲学の思想だ。

 万物は『木・火・水・土・金』の五つの要素からなり、互いに影響し合っているという考え方だ。

(確か、木は火を助けて育てるという相性らしい)

「さっき、おまえの周囲で花の霊気が舞っていた気がしたが……」
「え? し、知りません! 見間違いじゃないでしょうか!」

 紅蓮に能力を知られるわけにはいかない。咲久耶は慌てて否定した。

「だが――」

 紅蓮が言いかけたとき、ぐうううううっと咲久耶の腹が空腹を知らせた。
 呆気にとられた紅蓮がくっと笑う。

「腹がすいているのか」

 咲久耶は顔が真っ赤になるのを感じた。お腹はいつもすいている。
 紅蓮がくっと首を傾げた。

東屋(あずまや)でのんびりしようと思っていたところだ。おまえも来い。茶菓子がある」
「えっ、でも、私……」
「さっさと来い」

 この屋敷の主人である紅蓮の誘いを断るわけにいはいかない。 
 咲久耶はびくびくしながらついていった。