冷遇された花巫女姫は、火の皇子に溺愛される

 夫に放置された異国の姫――咲久耶(さくや)の状況はすぐさま屋敷中に広まったようだ。

 異変は嫁いできて十日を過ぎた頃に起こった。

「あの、朝餉(あさげ)をお持ちしました」

 お膳を持つ瀬奈(せな)の手がかすかに震えている。

「……?」

 その理由はお膳を見ればすぐにわかった。

「これだけ?」

 咲久耶は息を呑んだ。

 薄いお粥、申し訳程度の漬物の端切れ。具の入っていない味噌汁が置かれていた。
 豪勢だった初日の食事とはまるで違う。

(これでは使用人以下だわ)

 咲久耶はハッとした。

(いえ、まさにそうよ。ただ離れの部屋にいるだけの役立たずなんだわ、私)

 自分の危うい立ち位置に咲久耶はぞっとした。
 異国の姫をないがしろにしても、誰も罰しないどころか気にも留めないということだ。

「あ、あの、これ」

 瀬奈がこそっと着物の袖から紙に包まれたものを出してくる。

「おにぎりです。粗末なもので申し訳ないですが……」
「あ、ありがとう!」

 おそらくは他の侍女たちの目を盗んで持ってきてくれたのだろう。
 咲久耶はありがたくおにぎりをもらった。

「あの、紅蓮(ぐれん)様は……」

 無駄だと思いつつ、聞くしかなかった。
 瀬奈が悲しそうに目を伏せる。

「離れにはいらっしゃらなくて……。あまり母屋(おもや)のことはわからないんです。申し訳ございません」

 瀬奈が出て行くと、咲久耶は大きくため息をついた。
 震える手で箸を持つ。

 咲久耶はもそもそと味のしない粥をすすった。
 勝手に涙がこぼれ落ちていく。

(こんなことになるなんて……)

 大国の皇子に嫁ぎ、どんなにすごい世界が広がるのだろうと夢見ていた。
 夫となる人と、どうやって絆を深めていくのか楽しみにしていた。

 だが、待っていたのは離れという牢獄に囚われた罪人のような状況だ。

(なんとかして紅蓮様とお話ししないと……)

 なぜ避けられているのかまったくわからない。
 理由がわからなければ対処しようがないし、心の置き場もない。

 咲久耶は部屋を出て離れの玄関に向かった。

「どちらに行かれるのですか!?」

 鋭い声がかかり、咲久耶はびくっとした。
 玄関のそばの部屋から出てきたのは、肩口で髪をばっさりと切った侍女だった。

 年の頃は二十代半ばくらいか。
 他の侍女とは違う色の着物を着ており、明らかに格上だとわかる。

「あの、あなたは?」
「離れの侍女頭の須美(すみ)でございます」

 須美は頭を下げながらも、油断ならない目を向けてきた。

「恐れながら、許可なく離れから出ないでください。離れのお庭でしたら好きに見ていただいて結構です」
「私、紅蓮様にお会いしてくて……。紅蓮様は母屋にいらっしゃるのよね?」
「用事があれば、紅蓮様が離れにいらっしゃいます。来ないというのはそういうことです」

 須美は嘲るような口調を隠さなかった。

「私からは会いにいけないということ?」
「そのように申しつかっております」

 須美がつん、と顎をそらす。どうやら交渉の余地はないようだ。

(離れから出られないってこと? 本当に囚人じゃない)

 咲久耶はとぼとぼと部屋へと戻った。背後からくすくす笑う侍女たちの声がする。

「哀れね」
「王族っていってもあんな僻地の姫じゃね」

 咲久耶はぐっと拳を握った。

 確かに自分の出自が隣国の姫だったり、飛天国の貴族の令嬢だったらこんな目には遭わされていないだろう。

 有力な実家が嫁いだ娘に目を光らせているからだ。

(実家は遠方。力のない小国出身だから軽んじられているんだわ)

 悔しさがこみ上げる。
 だが、実際どうしようもないのは事実だ。

 部屋にいては気詰まりだったので庭を散策したが気は晴れなかった。
 剪定された松の木や池などを見て回る。

 歩いていると、母屋の庭との境目に設置された塀にたどり着いた。
 塀には木戸が備え付けられていたが、しっかり施錠されていてびくともしない。

(すぐそこに紅蓮様がいるかもしれないのに遠い……)

 肩を落として部屋に戻った咲久耶はハッとした。

「着物が……!」

 衣桁(いこう)にかけてあった色打ち掛けが消えていた。

 慌てて桐箪笥を開けると、実家から持ってきた振り袖など着物がすべてなくなっている。

(ひどい……!)

 今来ている着物しかない。
 侍女たちの仕業に違いなかった。

 さすがに抗議しようと立ち上がりかけた時だった。

「あなたが咲久耶姫?」

 障子が開けられ、豪奢な着物を着た女性が立っていた。
 扇を手にした派手な目鼻立ちをした美女だ。咲久耶より少し年上だろう。

「あの、あなたは?」
「気安く声をかけるでない!」

 美女の隣にいる須美に叱咤され、咲久耶はびくっとした。

「いいのよ」

 美女が鷹揚に手を振る。

「私は高原(たかはら)真璃枝(まりえ)。紅蓮様の側室よ」
「えっ」
「正室のあなたにご挨拶に来たのよ」
「あ、ありがとうございます」

 咲久耶はいきなりの側室の登場に戸惑った。

(側室がいたなんて知らなかったわ……)

 いかに自分が蚊帳の外が思い知らされる。

 須美のあの態度からすると、真璃枝はかなり高位の出自の令嬢なのだろう。

「はるばる遠い島国から来られたそうね。飛天国のことなど何も知らないでしょう?」

 真璃枝がパチン、と扇を閉じる。

「須美」
「はい、真璃枝様」

 須美が紙包みを差し出す。

「これは私からあなたへの贈り物よ」
「えっ……ありがとうございます」

 思わぬ申し出に驚きながらも、咲久耶は包みを受け取った。

「開けてみて」
「……っ」

 咲久耶は息を呑んで中身を見つめた。

 包みの中身は侍女の着る作務衣だった。侍女の中でも一番の下働き用だ。
 しかも使い古されたものらしく、あちこちすり切れたり染みがある。

「あなたにふさわしいかと思って」

 真璃枝がくすくす笑う。

「……っ」

 あまりの仕打ちに声も出ない。

 すっと真璃枝の顔から笑みが消えた。
 冴え冴えする目で咲久耶を見下ろす。

「紅蓮様があなたに会いにいらっしゃることはないわよ」

 障子がぴしゃりと閉じられた。
 一人残された咲久耶はただ立ち尽くした。