冷遇された花巫女姫は、火の皇子に溺愛される

 紅蓮(ぐれん)が顔をのぞき込んでくる。
 まるで咲久耶(さくや)のわずかな感情の揺れを一つも見逃すまいとするようだ。

「おまえにそばにいてほしい。二度と手放すことはしない。俺に償いの機会を与えてくれ」

 大国の皇太子とは思えない切実な言葉だった。

「私……」

 咲久耶は戸惑って紅蓮を見た。

(紅蓮様は沙羅には率直で優しかった。きっと今の気持ちも本当。でも……)

 離れでのつらい日々が蘇る。

 世界でただ一人になってしまったようなあの絶望感を忘れることはないだろう。
 自分がいかに無力か思い知らされた。

「咲久耶、俺はどうずればいい」

 紅蓮が地面に膝をついた。

「ぐ、紅蓮様!」

 慌てる咲久耶の手を紅蓮が両手で包む。
 紅蓮がじっと見上げてきた。

「言ってくれ。何でも。俺は許しを請うしかない」
「……っ」

 紅蓮のせいでひどい目に遭った。だが、同時にあの東屋(あずまや)で過ごした時間は信じられないほどの幸福感を与えてくれた。

(私、紅蓮様が好きなんだ……)

 この手を振り払い故郷に帰ることはできない。
 咲久耶はすうっと大きく息を吸い込んだ。

「もう絶対に一人にしないと約束してください」

 紅蓮の目が大きく見開かれた。
 次の瞬間、咲久耶は紅蓮に抱きすくめられていた。

「あのっ……」
「何にでも誓う。ずっとそばにいると」

 紅蓮の言葉に咲久耶はそっと力を抜いた。
 しばらくしてようやく紅蓮が体を離した。

母屋(おもや)におまえの部屋を用意する」

 紅蓮の目に獰猛な光が宿った。

「俺の失態や未熟さはこれから償うとして……おまえを追い詰めた者には相応の処置をする」
「紅蓮様、あの……」

「すぐに調べさせる。とりあえず母屋に行くぞ」

 有無を言わせない口調だった。



 咲久耶は母屋のゆったりした部屋に通された。
 侍女たちがてきぱきと咲久耶を美しい着物に着替えさせ、お茶や食事もすぐに運ばれた。

「あの、紅蓮様は……」

 侍女の一人に声をかけると笑顔を向けられた。

「今、離れの調査に立ち会っています。急用でしたらお呼びいたしますが」
「いえ、いいの」

「何かあればすぐに声をかけるよう申しつかっておりますので。あ、離れの部屋のお荷物は新しい部屋にお運びしておりますのでもう少々お待ちくださいね」

 丁寧に一礼すると侍女が下がっていった。
 離れの侍女たちとはまったく違う丁重な対応だった。

 だが、本来ならそれが当たり前なのだ。第一皇子の正室なのだから。

(まるで夢の中ににいるみたい……)

 咲久耶はふかふかの座布団に座り、床の間に飾られた花や掛け軸を見つめた。
 殺風景だった離れの部屋とは大違いだ。

 何よりいつでも紅蓮に会えるのだという安心感が大きい。
 無聊(ぶりょう)を慰めるためにと置かれた本を手に取る。

 飛天(ひてん)国の歴史が書かれた本を夢中で読んでいると、廊下から声がかかった。

「咲久耶! 入るぞ」

 障子が開いて中に入ってきたのは紅蓮だった。

「待たせたな。離れの者を集めた。おまえも来てくれ」
「は、はい」

 紅蓮のあとについていくと、大広間に離れの侍女たちが集められていた。
 皆、一様に怯えた表情をしている。

(あ……!)

 その傍らにいるのは側室の真璃枝(まりえ)だった。
 怒りを隠そうともせず咲久耶を睨んでくる。

(真璃枝様まで!)

 紅蓮は徹底的に離れの状況を調べたようだ。

「紅蓮様、これはいったいどういうことですの!? なぜ私がこんな場所に呼ばれなくてはならないのですか!」

 真璃枝が憤懣(ふんまん)やるかたないというように叫ぶ。
 屈辱に顔をひきつらせている真璃枝に紅蓮が冷ややかな眼差しを注いだ。

「真璃枝、おまえは俺の屋敷に足を踏み入れることを禁ずる」
「えっ……」
「おまえを側室から外す」
「そんな……!」

 まさか側室をクビになると思わなかったのだろう。
 真璃枝がわなわなと震えだした。

「侍女頭、おまえもだ。二度と顔を見せるな。今すぐ出て行け」

 視線を向けられた須美(すみ)が絶句する。

「おまえたちふたりが結託し、侍女たちを買収、扇動して咲久耶に嫌がらせをした裏は取れている」

 紅蓮は無表情だったが、込められた怒りがビリビリと伝わってくる。

「わ、私は高原(たかはら)家の令嬢ですのよ!? そんな勝手が許されるとでも? そもそも、あなたが咲久耶姫を離れに放置したのでは?」

 立ち上がった真璃枝に向けた紅蓮の酷薄な表情に、その場にいた者が全員凍りついた。

「ああ、すべて俺が悪い。悔やんでも悔やみきれない愚かしい真似をしてしまった。だからおまえたちはこれで済んでいるんだ」

 紅蓮が腰の帯に差した刀にちらりと目をやる。

「わかるな? これ以上俺を怒らせるな。二人とも今すぐ出て行け」

 咲久耶はごくっと唾を飲み込んだ。
 紅蓮は暗に「本当はこの場で切り捨ててやりたい」と言ったも同然だ。

「嫌がらせに加担した者も全員出て行け」

 紅蓮の言葉に侍女たちが慌てたように立ち上がる。中には恐ろしさに半泣きになっている者もいた。

 バタバタと侍女たちが逃げ出していくのに反し、真璃枝だけがキッと紅蓮を見つめていた。

「私をないがしろにしたこと、後悔なさいますな」
「後悔は充分している。押しに負けておまえを側室にしてしまったことをな」

 ぎりっと真璃枝が歯を食いしばった。
 その目は爛々と輝き、まるで紅蓮を食らおうとしているかのような迫力があった。

 だが、紅蓮も一歩も引かず冷ややかに見返す。

「報いを受けるがいいわ」

 真璃枝はそう言うとふいっと顔をそらせ、悠然と部屋を出て行った。
 緊張がとけ、咲久耶はほうっと息を吐いた。

「あ、あの、瀬奈(せな)は!? 彼女はずっと私を助けてくれていて、瀬奈がいなかったら私はどうなっていたか……!」

 集められていた侍女の中に瀬奈の姿はなかった。
 すがりつくように言う咲久耶に、紅蓮がようやく笑みを見せた。

「妖魔に襲われていた侍女だな。今、母屋で寝かせている。怪我はたいしたことはないがショックが大きかったようなのでな」

 瀬奈が無事とわかり、咲久耶はほっと息を吐いた。

「おまえが気に入っているのなら、おまえ付きの侍女にしてもいいぞ」

 紅蓮の言葉に咲久耶は首を振った。

「瀬奈は私の恩人です。もし私に償いたいのなら、彼女の希望を叶えてください」

 あの苦境でかろうじて命をつなげていたのは瀬奈のおかげだ。
 いわば命の恩人である瀬奈を都合よく使うつもりなどなかった。

 紅蓮が少し驚いたように目を見張る。

「わかった……。気立てのいい娘のようだし、厚遇しよう」
「お願いします」

 咲久耶はそっと頭を下げた。