冷遇された花巫女姫は、火の皇子に溺愛される

咲久耶(さくや)様?」

 瀬奈(せな)の心配そうな顔に咲久耶はハッとした。

「ごめんなさい、ぼうっとしていて」
「いえ。あの持っていく組紐はこれで全部ですか?」
「ええお願い」

 今日は護符ではなく花の組紐を預けた。
 予想以上の売れ行きらしく、たくさんほしいと言われて喜んで作ったものだ。

「では、咲久耶様行ってきます!」

 部屋を出る瀬奈に手を振り、咲久耶は飾り紐を取り出した。

「たくさん作らなくっちゃ!」

 お金も少しずつ貯まっている。

(どれくらいあったら故郷まで帰れるかしら……)

 ふっと紅蓮(ぐれん)の顔が浮かぶ。

(お金が貯まったら私は家に帰る)

 紅蓮の求婚はひとまず考えないことにした。

(そうよ、だって侍女の振りをしているのに側室なんてなれるわけがない)

 紅蓮を騙しているのだという事実に胸が痛い。

(あんなによくしてくれたのに、私は身分も名も(たばか)っている……)
(ううん。元はといえば紅蓮様が私を放置するから――)

 だが、紅蓮から事情を聞いた今、彼が警戒するのも無理はないとわかっていた。

(どうやったら嫌疑を晴らせるのかしら)

 そのとき、組紐を編んでいる手がぴりっとした。

「何……?」

 胸騒ぎがすると同時に、遠くで悲鳴のような声が聞こえた。

「外から!?」

 しばらくしてドタバタと廊下を走る侍女たちの騒ぎが届いた。

「妖魔が出たんですって!」
「家から出ちゃダメよ! 扉を閉めて!」

 緊迫した声に、咲久耶はハッとした。

(まさか――瀬奈が!)

 ついさっき瀬奈は屋敷を出たばかりだ。
 嫌なタイミングに体温が下がった気がした。

 気づけば咲久耶は庭へと駆け出していた。

 ひときわ大きい悲鳴が上がった。
 さっきより近い。はっきりと若い女性のものだとわかる。

 咲久耶は屋敷の塀によじ登った。

「ああっ!」

 道に倒れている着物姿の女性が見えた。
 その近くで腰を抜かしているのは瀬奈だった。

 そして、その前に白い大きな獣がいた。

(あれが――妖魔!?)

 見たことのない大型の獣だ。狼にも狐にも見える。
 普通の獣ではないのが、長い尻尾が三つに分かれていることからも明らかだ。

 妖魔とは邪悪な霊体が受肉することによって作られると言われている。
 そのため、この世のものならざる異形だ。

 獣の妖魔が瀬奈に近づく。
 瀬奈は怯えて声も上げられず震えていた。

「ダメ!!」

 咲久耶は塀を跳び越え道に降り立った。
 懐に隠し持っていた花の護符を取り出す。

(効きますように!)

 護符を妖魔に向かって投げる。
 妖魔の体に触れる瞬間、護符が弾け飛んだ。

(はじかれた!?)

 咲久耶は手首に巻いた組紐を外した。
 妖魔に向かって投げつける。

「ギャッ」

 妖魔が顔を激しく振り、嫌がるそぶりを見せた。だがそれだけだった。
 牙を剥いた妖魔の顔が咲久耶の方を向く。

「瀬奈! 逃げて!」

 自分が囮になるしかない。
 だが、足が震えて動けない。

(ああ、ここまでか……)

 絶望で心が黒く染め上げられた時だった。

「沙羅!」

 自分の名を呼ぶ声に、咲久耶はハッと振り向いた。
 刀を手にした紅蓮が駆けてくるのが見えた。

「紅蓮様!」

 紅蓮が手にした刀が炎を(まと)う。
 思い切り踏み込んだ紅蓮の刀が妖魔を真っ二つにした。

 気づけば妖魔の姿はかき消えていた。

「沙羅、大丈夫か!?」

 紅蓮に腕をつかまれ、咲久耶は震えながらうなずいた。

「私は大丈夫です。瀬奈!」

 座り込んでしまっている瀬奈に駆け寄る。

「瀬奈! 怪我は?」
「大丈夫です……」

 瀬奈がぶるぶる震えながら涙ぐむ。

「ありがとうございました、咲久耶様。咲久耶様が助けてくださらなかったら私――」
「咲久耶だと?」

 鋭い声に咲久耶はびくっとした。

「どういうことだ? なぜおまえが咲久耶と呼ばれるのだ」

 怪訝そうだった紅蓮が、咲久耶の表情を見て顔色を変えた。

「まさかおまえ……」
「私は沙羅ではありません。侍女でもありません」

 咲久耶は静かに紅蓮を見つめた。

「私はあなたの妻の咲久耶です」