夕食の後片付けしていると、貴也が声をかけてきた。
「翠、ちょっといい?」
「えっ」
どきりとして手を止める。
「あ、何?」
「明日、暇?」
「明日?」
「よかったら映画に行かないか? 本当は父さんたちと出かける約束していたんだけど、こっちに来たからキャンセルしたんだ。翠と行きたいなと思って」
「あ……」
貴也はぽりぽりと頭を掻きながらダメかな、と言った。翠は首を振って、大丈夫と答えていた。
「行く」
「ああ、よかった。俺から誘っといて悪いんだけど、観たいアニメがあって。それでもいい?」
「うん」
アニメ好きなんだ。翠は小説を読むのが好きなので、あんまり漫画やアニメには詳しくなかった。けれど、貴也が誘ってくれるなら何でもいい気がした。
「上映時間、調べとくから後で俺の部屋に来て」
「うん……」
部屋に来て、と誘われる。一人っ子だったので新鮮な感じがして別の意味でドキドキした。
貴也が台所を出て行き、翠は流し台を綺麗に拭き終えると、一度部屋に戻った。
自分を落ち着かせようと息をつく。
普通に、自然な感じで話しかけたらいい。あれ、自然な感じって、どうやるんだっけ? などとごちゃごちゃ考えてしまい、深呼吸をしてから和室へ向かった。
「貴也くん……? 入ってもいい?」
「いいよ」
中から声がして翠はそっと襖を開けた。貴也は布団の上に寝転がってスマホを見ていた。
「明日の映画、午後からでいいよな」
「うん」
貴也は真剣な顔で時間をチェックすると起き上がってこちらを見た。翠に、上映時間を伝えると映画の話を始めた。
全巻、漫画本を持っているんだ、という話から簡単に内容を説明してくれた。
「そういやさっき、俺の事、貴也くんって言ったよな」
「え? あ、うん」
「呼び捨てでいいよ。貴也くんなんて言われたら、他人行儀みたいでもやっとするからさ」
「……え?」
「兄弟になるんだから、貴也でいいよ」
「うん」
兄弟になるんだ。兄弟という言葉が不思議でたまらない。
「翠の誕生日はいつ?」
「あ、今月の六月二十七日」
「えっ! マジで? 俺は十月。十月三日。誕生日とかお祝いすんの?」
「へ?」
翠は何を言われたのだろうと、目を瞬かせた。
母が亡くなってから、誕生日を祝ってもらったことはない。
父は仕事が忙しかったのだろう、翠の誕生日まで頭が回ってなかったのだと思う。
どう答えていいか迷った。
父は悪気があって忘れているわけではないし、誕生日を祝ってほしいと思ったこともなかった。
「た、貴也はお祝いとかしてもらってたの?」
「俺? ああ、ご飯食べに連れてってもらうんだ。母さん、料理しないからさ、一年に一回くらいはいいもん食べさせてくれって、俺から頼むの」
貴也がへへっと笑う。素直で屈託のない笑顔だ。
「じゃあさ、今年は俺が翠の誕生日を祝ってやるよ」
「ええっ、いいよ」
「せっかく一緒に暮らすようになったんだからさ、遠慮しなくていいよ」
遠慮なんかじゃないんだけど。
翠は本気で困った顔をした。貴也はキョトンとして首を傾げた。
「なんで? 嫌なの?」
「嫌ってわけじゃないけど……」
「翠って遠慮してばっかだな」
貴也が笑う。翠はその笑顔を見て思わず見惚れてしまった。
貴也の顔はどこから見てもかっこよくって、玲子とはあまり似ていない気がした。
「貴也はお父さん似なの?」
「いきなり何?」
貴也がプッと吹き出す。
「まあ、よく言われるよ。そう、俺、父さん似なの。まわりが言うには、父さんはイケオジなんだと。普通のおじさんなんだけどね」
貴也の瞳は綺麗な二重ですっきりとした顎に、そして清潔そうな唇と鼻筋が通ったイケメンだ。同じ一年生とはとても思えない。
翠が今までに出会った男の子の中でも一番かっこよかった。
だからこそ困るのだ。
フッと目を逸らしてから翠は床を見つめた。
「翠?」
「あ、えっとじゃあ、その日は空けておきます」
「はは、また敬語」
翠をからかうと、貴也は壁に張ったばかりのカレンダーに印をつけた。
「土曜日だな。何が欲しいか考えておけよ」
「う、うん……」
貴也と話していると自分は頷いてばかりいる気がする。そう思いつつも、心が浮き浮きしていることに気づいた。
やばい、めちゃくちゃ嬉しいんだけど。思わず微笑むと、貴也が少し驚いた顔をした。
「その顔、めっちゃ可愛い」
「はあっ?」
可愛いと言われて嬉しい男がいるだろうか。
「僕、男だからね」
「翠はお母さん似だろ?」
貴也は母のことを知っているのだろうか。知らないはずがないよな、と思う。
翠の母もまた、貴也の母と同じで女優だった。
貴也の母はエキストラ女優で脇役が多い人だったが、翠の母は子役から芸能界で働いていた。
母は、翠が十歳の時に白血病で亡くなった。
三十代の母はとても綺麗な人で、仕事が多忙すぎて家に帰らない日も多く、翠の面倒を見てくれたのは祖母だった。祖母も母が他界して、四年後に亡くなっている。
母は生前、翠のためにいろいろしてくれた。お祝い事が好きで、誕生日やクリスマス、バレンタインなどのイベントの日には必ず贈り物を送ってくれた。
本人がいなくても朝起きるとサンタさんからのプレゼントのように、枕元にはメッセージとプレゼントが用意されていた。
優しい母でいつもにこにこしていたのを覚えている。
色が白くてほっそりしていて、そして、体はいつもひんやりとしていた。体が悪いんじゃないだろうかと思っていたが、自分がわがままを言うと迷惑をかけると思って何も言えなかった。
「翠のお母さん、写真でしか見たことないけど、すごい美人だよな。あの人の子どもって、どんな顔なんだろうって思ってたけど、納得だわ」
自分の顔を褒められるとすごく恥ずかしい。ありがとう、と言うべきなのだろうけど曖昧に笑ってごまかした。
「じゃあ、明日、昼ご飯食べたら出かけようか」
「うん」
「うわー、めっちゃ楽しみ」
僕も、すごく楽しみ。
そう素直に言えたらいいのに、うん、とだけ言って翠は部屋を出た。
貴也のように気持ちを素直に言える人ってうらやましいと思う。
部屋に戻った翠はベッドに寝転んだ。
貴也の笑顔が張り付いて離れない。
翠は首を小さく横に振った。
ダメだ。一番、好きになっちゃいけない相手だから。そのことだけは胸に刻んでおく。
大丈夫、いつもやっていることだからできる。
翠はぎゅっと目を閉じてから、息を吐いた。
