扉の鍵を開けてくれたのは



 その日の夕食時にも貴也は帰って来なかった。
 どうも、貴也はあっちの家にも顔を出しているようで、夕食はそこで食べているらしいと玲子が言った。

「あの子、何を考えているのかしら」

 玲子が夕食時、ぼやいた。

「ごめんね、せっかく貴也の分まで作ってくれているのに」
「いいですよ。残ったらお弁当に入れるし、それか、朝食で僕が食べるから」
「翠はいい子だなあ」

 父が笑う。
 夕食後、先にお風呂に入らせてもらい、その後、貴也にスマホで連絡を入れてみた。

『今日、帰ってくる?』

 既読もつかない。
 完全に怒らせたのかもしれなかった。
 どうしていいか分からなくなる。

『ごめんね』

 と入れてからすぐに消した。貴也からしたら、ごめんねなんて送られたら、いじめたみたいになってしまう。これ以上、嫌われたくないと思った。
 次に何を入れたらいいか迷っていると既読が付いた。

「あっ」

 急いで返事を見た。

『晩飯いらない』

 そっけない一言だったが、それでもホッとした。

『分かった』

 それだけ入れてスマホを切った。
 望んでいた通りになっただけだ。最初から深入りしないようにって、好きになっちゃいけないって自分に言い聞かせていた。
 これでよかったんだ。

 スマホの画面を見ながら、翠は指でタカヤの部分を「削除」しようとして指を乗せた。ぐっと力を入れようとしたが、どうしてもそれ以上はできなかった。
 貴也はすごく優しくて、自分を兄弟と思って接してくれたのに。自分はどうしてこんなひどいことをしてしまったんだろう。

 本当は自分も普通の兄弟みたいに接したかった。笑って受け入れるだけでよかったのに。そんな簡単なことが自分の性癖を理由に拒み続けた。結果、貴也を傷つけた。

 貴也の連絡先を消すなんて絶対にできない。
 翠は、スマホの画面を見つめてから、昂生に連絡をした。

『夜遅くにごめんね。前に言っていた女の子と会う話。友だちでよかったら会ってみたい。お願いします』

 昂生は寝てしまったのかもしれなかったが、会いたいと言ってくれた女の子に会ってみようと思いなおした。
 傷つきたくないからっていう自分の気持ちからずっと逃げ続けていた。
 友だちでもいいのなら、会ってみるのもいいかもしれない。
 万が一、告白されたら、その気持ちに一度、向き合ってみる。

 そして、次に貴也に会ったら自分の気持ちを伝えて謝ろうと思った。決してプレゼントが欲しくなかったわけじゃないって。


 朝、スマホを確かめると昂生から返信があった。

『よきよき』

 スタンプが一つだけ入っている。翠はくすっと笑った。
 夕べ、貴也は帰って来たのだろうか。

 制服に着替えて朝食の準備をしていると、台所に貴也が入ってきた。ドキンと心臓が大きく跳ねた。ドキドキし始める。このドキドキは好きとかそんなんじゃない。もっと切実で必死な気持ちだった。

「貴也っ、おはよう」
「おはよう、翠」
「あのっ、貴也ごめんっ」

 朝から謝られても困るかもしれない。けれど翠は言いたかった。

「誕生日プレゼント、貴也からもらいたくなかったわけじゃないんだ。ただ、僕なんかのためにたくさんお金を使わせたくなかった。いろいろ考えていたら頭がぐしゃぐしゃになって。傷つけるつもりはなかった。ごめんなさいっ」

 お金のことを言われて怒るかもしれない。ストレートすぎるかもしれないけど、これ以上、嘘をつきたくなかった。
 貴也の方を見ると、彼は笑っていた。

「いいよ。俺もごめん。翠と仲良くなりたいって思っただけで、そんなに悩ませるつもりはなかったんだ」
「うん……」
「でもさ、誕生日をお祝いしてあげたいって気持ちは本当だから。だから、その日は一緒にどこか行こうよ」
「……え?」
「翠と一日遊びたいなって気持ちになっていたから、母さんやおじさんと一緒にご飯って聞いてちょっとショックだった」

 初めて会った日の翌日、二人で映画を観に行った。
 あの日、すごくドキドキして楽しかった。思い出に残る一日だった。誕生日の日、貴也と一緒に思い出を作れるのなら。それはすごく嬉しい。

「うん。僕も貴也とどこかに出かけてみたい」

 素直に答えると貴也がホッとした顔になった。

「弁当、いつもありがと。母さんは作ってくれないから、毎日、弁当を開けるのがすごく楽しみなんだ。それなのに昨日さ、晩飯いらないなんて、ごめん」
「気にしてないよ」

 昨日の残りは自分のお弁当に詰めて、貴也には玉子焼きを多めに入れた。ちょうど詰め終わったので、お弁当をランチクロスで包んで渡した。

「はいこれ」
「ありがとう。あのさ、翠の友だちって名前なんて言うの?」
「え?」
「いつも一緒にいる奴」
「ああ、昂生のことか。西岡だよ。西岡昂生。小学校からずっと一緒なんだ。昂生がいないと学校行けないし」
「は? それどういう事?」
「あ……」

 余計なことを言ってしまったと気づく。

「あの、僕のお母さんが有名人だったせいもあるんだけど、変な人につきまとわれたことがあって。それが一回とか二回じゃなかったから、それで登下校はいつも昂生がいてくれるんだ」
「……それマジな話?」
「うん」

 情けない話だが、本当に一人で歩くのは怖い。でも、これも高校までだと思う。十代はまだ、ちょっと気を付けた方がいいと父からも言われていた。
 翠の話を聞いた貴也は、何だか深刻そうな顔付きになって下を向いてしまった。

「あ、あの……。貴也は気にすることないよ。僕、慣れているし昂生がいるから大丈夫だし」
「ふうん……」

 余計な心配をさせてしまっただろうか。
 言わなきゃよかったと翠は思った。

「朝食食べようよ」

 気を取り直すように話しかけると、貴也は少し上の空でうん、と答えた。