扉の鍵を開けてくれたのは



 貴也がパジャマを着ている姿を見たことはなかった。
 玲子の方は、パジャマを着て歩いているのを何度か見かけた。

 パジャマのお金は父が出してくれた。貴也の分もそうだ。でも、貴也と玲子のパジャマは翠が選んだ。
 すぐには決められず何日かかかったけど、喜んでくれたらいいなと思って、レビューが多い綿100%なら着心地はいいかな、とか想像したりもした。

 祖母から家のことを教わったので、中学の頃、昂生からよく言われた。
 翠って普通の中学生じゃないよねって。でも、いろんなことを知っているから、得してると思う。

 みんなは普段、学校が終わったら何をするんだろう。
 夕食の心配をする学生はそんなにいないかもしれない。

 翠は、昂生に頼んで、スーパーに寄って野菜やお肉を買って帰る。一週間に二回はスーパーへ行く。その時は一人で行ってはいけない。
 ずっと前に一人で行った帰り道、男の人に声をかけられたことがあったから、それから一人で行くのが怖くなった。

 週末も昂生といつものスーパーに寄って、野菜とお肉をカートに入れていた。

「前にハンバーガー食べに行っただろ?」
「うん」
「あの時の女の子から連絡があってさ」
「うん……」
「翠の事、気になるんだって」
「……え?」

 豚のこま切れを取る手が止まる。顔を上げて昂生を見た。

「断ってくれたんだよね」
「断ったけど、友だちでいいからもう一度会いたいって」

 友だちでいいから。

「あんまり断っていたらおかしいかな」
「は?」
「僕、女の子と全然関わらないから」
「別に気にしなくていいと思うけど」

 二人はレジへ並んだ。セルフレジで精算を済ませてスーパーを出る。二つある買い物袋の一つを昂生が持って歩いた。

「昂生は家に帰ったら何をしてる?」
「そうだな、ゲームだろ、サブスクでアニメ見たりお菓子食べて寝る」

 淡々としているので翠は思わず吹き出した。

「みんなそんなもんだろ。翠は本を読むんだろ?」
「うん」

 そう言えば、借りた本がまだ読み終えていなかった。

「宿題はしないの?」
「してるよ。で、どうする? また会う? もう会わない?」

 正直言うと興味はなかった。こうやって会いたいと言ってくれる人を拒んで断っていたら、この先、ずっと一人なんだろうか。
 自分は相手の気持ちが分からない冷たい奴なんだろうか。

「昨日、ちょっと貴也を怒らせちゃった」
「へえ、なんで?」
「前に、貴也が僕の誕生日をお祝いしてくれるって言ってくれたんだけど、物を買ってもらうのが申し訳なかったから、家族でご飯食べに行こうって言ったんだ。そしたら、不機嫌になって」
「へえー」

 昂生はふんふんと相槌を打って、意味ありげにニヤッとした。

「普通はラッキーって思うよな」
「そうだよね。僕、何か間違ったかな」
「貴也はラッキーって思わなかったんだ」
「僕だったらたぶん、良かったって思う気がするんだけど。昂生は?」
「俺?」

 昂生の答えを聞く前に翠の家についてしまった。

「うちに寄る?」

 珍しく翠の方から昂生を家に招いた。

「そうだな。宿題するか」

 玄関を開けるとちょうど貴也が靴を履いている所に遭遇した。

「あ、貴也」
「……お帰り」

 貴也は靴を履くと、じろじろと昂生を見た。ぺこりと軽く頭を下げるとそのまま出て行った。
 ドアがしまって昂生が尋ねた。

「仲良くなれた?」
「だから、昨日、不機嫌にさせちゃったって言ったろ」
「そうだったな。お邪魔します」

 昂生に先に入ってもらい、翠は後から入った。

「部屋に行ってて、お菓子持って行くから」
「うん。コーヒーがいい」
「分かった」

 昂生とは長い付き合いだから、生前の翠の母とも何度も会っている。言ってみると昂生の方が兄弟に近いかもしれない。
 塩せんべいとクッキーがあったので、コーヒーを二人分淹れて部屋に入った。昂生は翠の椅子に腰かけていた。

 昂生が来た時は折り畳み机を出して、小さいけれどそこで宿題をした。
 リビングだとテレビを点けたり誰かが入って来たりして集中できなくなるので、翠の部屋で過ごした。
 もくもくと二人で宿題をすませてから、昂生が帰る時に、女の子と会うのはやっぱりやめると伝えた。

「いつもごめん」
「気にしなくていいよ」

 昂生はポンポンと翠の肩を軽く叩いてから、また明日、と帰って行った。
 一人になった翠はいつものように台所へ向かった。

 貴也を不機嫌にさせてしまったことが気持ちを重くさせていた。
 こんな気持ちで料理をしたら、不味い料理ができてしまう。
 祖母がよく言っていた。料理は愛情をこめないと美味しくないよ。
 翠は気持ちを切り替えようと顔を上げた。

 ちゃんと声に出して貴也に謝ろうと思った。
 この間、貴也は喜んでパジャマを受け取ってくれた。それなのに自分は、貴也からのプレゼントをいらないと断った。それが貴也には悲しかったんだと思う。

 自分は人の好意を踏みにじったんだ。
 貴也がパジャマを着てくれないのは、そのせいかもしれなかった。