夕食の時も貴也はいなかった。
玲子が食事をしながら、いつも遅くまで何をしているのかしら、一度注意するわ、と少しだけ憤っていた。それを見た父は、まあまあと宥める。
いつもと同じ日常だ。
食事を終えて翠は部屋に戻ると読みかけの小説を読んでいるうちにまた眠っていた。スマホの音で目が覚めた。
「……ん?」
目をこすって起き上がる。窓の外から雨の音が聞こえていた。
スマホを見ると貴也からの着信で、翠は一気に目が覚めた。急いで電話を取った。
「もしもし」
『あ、翠っ、ごめん。今から帰るから。ご飯いらない。あと、玄関開けといて』
時計を見ると午後九時を回っていた。
「分かった」
『ありがとー』
今から帰ると言っていたが、どこにいるのだろう。何分後に帰って来るのかすらも分からないが、とりあえず鍵を開けに行こう。
翠はまだお風呂に入っていなかった。着替えのパジャマを手に持って玄関の方へ行く。施錠してあったので鍵を開けておいた。
リビングでは父と玲子の話し声がしていた。
「お父さん?」
中に入るとテレビを見ていた二人がこちらを向いた。
「あ、翠、玲子さんが出ているサスペンスドラマやってるよー」
脇役が多い玲子はよく殺害されたり、家政婦の役をやったりとセリフはほぼないが多彩な役が多い。強烈なインパクトがない分、使われやすいのだと母の元マネージャーをしていた父が前に言っていた。
「僕、お風呂入って来るね」
「はーい」
玲子が返事をして再び二人はドラマを見始めた。
あの二人は貴也が締め出されていても気づかないかもしれない。そう思って翠はお風呂場へ行った。
お湯を溜めている間に頭と体をしっかりと洗う。
湯船に浸かろうとすると、ばたばたと駆けてくる足音にギョッとした。慌てて浴槽に入る。
「翠ー、入ってる? ごめん、俺びっしょり濡れちゃってさ、入ってもいい?」
えええええー。
翠は首まで浸かってから、無言で首を振った。しかし、六月といえど濡れた体はきっと寒いはず。入って来ないでなんて言えるわけもなく、いいよーと答える。
「うえー、パンツまでぐっしょりだよ」
脱衣所から声がしたかと思うと、盛大に風呂場のドアを開けて貴也が入ってきた。翠はサッと顔を背けた。貴也は洗面器でお湯をすくうと体にかけた。
「あったけー、ちょうど翠が入っててよかったー」
当然の反応かもしれない。男同士なんだから貴也にとっては銭湯やプールに入る時と同じだ。翠は体の緊張を解いた。
「もうすぐ出るから」
「入ったばっかじゃないの?」
貴也はがっしがっしと頭を洗い、体をきれいに洗い始めた。鼻歌を歌っているところを見るとかなり上機嫌に見えた。
「あ、そうだ。誕生日、何が欲しいか決めた?」
「え? あ、まだ」
「どっか行く? ケーキとか食べたい?」
誕生日のことをすっかり忘れていた。別に欲しい物は何もなかったが、いいよ、と断るのは貴也に失礼な気がした。
それに貴也がしてくれることだったら、なんでも嬉しいと思った。
しかし、全然考えていなかったので、すぐに答えられなかった。
「なんだよー、もしかして何にも考えていなかったのか?」
体を洗い終えた貴也が浴槽に入ってくる。お湯があふれ出し翠は体をよけながら、うんと小さく頷いた。
正面に座る貴也が自分を見た。髪が濡れていて、いつもと違う雰囲気だった。
「あったかいなー」
貴也がふうっと息を吐き出す。
「なんか変な感じ」
「変?」
「俺も一人っ子だったから、兄弟がいるってこんな感じなんだって。いろいろ話ができるのもいいな」
「うん、そうだね」
この浴槽の中によく二人も入ることができたなと思う。
想像するとおかしく思えてきた。翠が笑うと貴也が不思議そうな顔をした。
「何?」
「いや、普通男兄弟でも一緒にお風呂には入らないんじゃない?」
「確かにな。でも、普通って何だよ」
「え?」
「あー、いや、何でもない。それより、翠、ちゃんと当日までに考えとけよ」
貴也の方が後から入って来たのに、彼はサッとお湯を顔にかけると出て行ってしまった。
翠はお湯に浸かったまま誕生日、どうしようと頭を悩ませた。

