帰宅してじっくり考えた。あれは小田に罪悪感を持った自分が見た幻覚かもしれない。そもそも小田は休んでいるのだ。学校にいるはずがない。
――そうだ。見間違いだ。
そう思い込んだ翌日。
意を決して、授業中に後ろを見てみた。その瞬間に僕は息をのんだ。昨日と同じ光景。小田が授業を受けている。背面黒板の後ろに広がる教室で。
どうなっているのだろう。落とした消しゴムを上手く拾えずに、何度も消しゴムが手から逃げる。
「ねぇ、大丈夫?」
後ろの席の三倉が声を掛けてくれたが、あまりの混乱に返事が出来ない。汗がたらりと頬を伝った。
「先生、藤沢君、調子悪そうです」
急に三倉が声を上げた。
「本当か? おい、藤沢? あ、顔色悪いな。どうかしたか?」
教壇から声が飛んだ。先生と後ろの三倉、交互に視線を向けた。大丈夫です、と言わなくてはいけない。けれど。
僕に出来たのは震えた息を大きく吐くことだけだった。
「俺、付き添います。藤沢君を保健室連れて行きます」
すぐに加藤が立ち上がり側に来た。それを見つめてから、後方に視線を投げた。小田は加藤を凝視している。その表情は、絶望に似た、悲しいものだった。次の瞬間、目眩がして僕は倒れた。
とても学校に行こうと思えず、僕は翌日休んだ。
あの時、後ろの席の女子も加藤も先生も、誰も背面黒板を気にしていなかった。つまり、小田がいるもう一つの教室は、僕にしか見えないのかもしれない。または、本格的に僕がおかしくなったのか。
頭痛がするほど考えて、それでも頭から抜けてくれない光景に苦しんだ。
ネットでオカルト現象、異世界空間などをできる限り検索した。そして、世の中には不思議な事が起こるのだと自己納得をした。
ネットの情報では、霊に遭遇することや異世界への入り口を見つけても、むやみに触れてはいけないそうだ。知らないふりをして、見えないフリをしなくては巻きこまれてしまう。
その通りだと思う。きっと小田は引き込まれてしまったのだ。あちらの世界に。
加藤を目で追う小田の顔が頭の奥に焼き付いている。
僕にはどうして良いのか分からない。このことを人に話して良いのかも分からない。だから知らないふりをする。
そう決めたのに。
小田が学校を休んで一週間が経過した日。先生が小田のことを「失踪」と言った。
それに反応した櫻井。櫻井も気がついていたのだ。小田が背面黒板の向こうにいると。
だれか秘密を、恐怖を共有できる人がいたらと願っていた。けれど、まさか避けていた櫻井だなんて。
その昼休み。
「藤沢。ちょっといいか?」
きっと櫻井が来るだろうと思っていた。僕はコクリと頷いた。だけど緊張する。苦手意識を持った櫻井だ。
小田のことを僕が追い詰めたと思っているかも知れない。
心の中に、櫻井と一緒に居たくない気持ちと、この不思議体験を話したい気持ちが共存してせめぎ合う。
櫻井は何を知っているのだろう。小田があっちに居ることをいつから気が付いていたのだろう。疑問はいくつも湧いて出る。だからこそ僕は話してみたい気持ちに従っている。
だけどこれが加藤だったら良かったのに。
そんな思いをかかえて櫻井とともに教室を離れた。
櫻井に連れられて美術室に到着した。櫻井は美術部だから慣れた手つきで入室する。
「昼に出入りするのは俺だけだから」
「そっか。じゃ、おかしな話も出来るわけだ」
鎌を掛けてみると、櫻井は顔を険しくした。
「そう。藤沢はいつから気がついていた? 小田が、あっちにいる」
「いつからって、僕は数日前。っていうか、やっぱり背面黒板の後ろには教室があるよな! もう、もう、なんていったら良いんだ? それが、あんな、異世界だよ! あっちの世界だ!」
小田があちらにいることを伝えれば良いのか、あんな世界があることを知った興奮を伝えれば良いのか、頭の中が混乱した。それくらい有り得ない状況なのだ。つい、相手が櫻井であることを忘れて興奮のままに喋っていた。
「俺も、こんなの初めてなんだ。俺にも分からないって。小田は、自分からあっちに行ったのかな」
そう言われるとチクリと胸が痛い。興奮していた心が静まる。
「何だよ。僕のせいだって言いたいのかよ」
「じゃ、関係ないのか?」
櫻井は意地悪だ。普通だったら絶対に仲良くなれないタイプ。やはり、秘密を共有するならこいつじゃなければ良かった。
「僕だって、気にしてるんだ」
それだけ伝えるのが精一杯。
「俺も。あの時、教室に居合わせてしまって、関係ないと言い切れない。小田が傷ついたのなら、俺も原因のひとつだから」
もっと責められるのかと思っていたのに、意外な言葉に肩透かしを食らう。
「え?」
「それに、モナリザがいる。あれはどうしてだろう」
「はい? モナリザ?」
全く予想していなかった言葉だ。
「え? 見ていない?」
「僕には小田しか見えない」
無言で櫻井と見つめ合った。
「こっち来て。美術室に呼んだのは、モナリザの絵を見て欲しいから。俺が見えているモナリザは、この絵のはずなんだ。あの教室が現れてから、色が薄くなった」
櫻井の見上げる壁に掛けられたモナリザ絵画のレプリカ絵。これの色が薄くなったと言われても、これまで注意して見ていなかった僕にはこれまでとの違いが分からない。
「このモナリザが、いるのか? 小田のいるところに?」
「ああ。小田の横の席にいる」
僕は小田に気をとられすぎて、あのクラスのことをよく見ていなかった。そう言えば小田以外にも存在を感じた。黒い靄のような塊がいくつかあった。
「午後、それとなく後ろ見る。モナリザが僕にも見えるのかな」
「分からない。同じ景色が見えているワケじゃないかもだし。ちょと意外だ」
「小田がいることは確かだよな」
「それは確かだ」
「あとさ、何でか、授業中しか見えないんだよ。櫻井もそう?」
「それは一緒。終礼で見えなくなる」
モナリザの絵を見て無言になる。櫻井と僕の見ている光景が違うかもしれない。僕にモナリザが見えなかったら? そう思うと違うドキドキが生まれる。一体何が起きているのだろう。はっきり分かるのは、小田が現実世界から消えたこと。
これが櫻井と僕が立ち向かうことになる不思議体験の幕開けだった。
――そうだ。見間違いだ。
そう思い込んだ翌日。
意を決して、授業中に後ろを見てみた。その瞬間に僕は息をのんだ。昨日と同じ光景。小田が授業を受けている。背面黒板の後ろに広がる教室で。
どうなっているのだろう。落とした消しゴムを上手く拾えずに、何度も消しゴムが手から逃げる。
「ねぇ、大丈夫?」
後ろの席の三倉が声を掛けてくれたが、あまりの混乱に返事が出来ない。汗がたらりと頬を伝った。
「先生、藤沢君、調子悪そうです」
急に三倉が声を上げた。
「本当か? おい、藤沢? あ、顔色悪いな。どうかしたか?」
教壇から声が飛んだ。先生と後ろの三倉、交互に視線を向けた。大丈夫です、と言わなくてはいけない。けれど。
僕に出来たのは震えた息を大きく吐くことだけだった。
「俺、付き添います。藤沢君を保健室連れて行きます」
すぐに加藤が立ち上がり側に来た。それを見つめてから、後方に視線を投げた。小田は加藤を凝視している。その表情は、絶望に似た、悲しいものだった。次の瞬間、目眩がして僕は倒れた。
とても学校に行こうと思えず、僕は翌日休んだ。
あの時、後ろの席の女子も加藤も先生も、誰も背面黒板を気にしていなかった。つまり、小田がいるもう一つの教室は、僕にしか見えないのかもしれない。または、本格的に僕がおかしくなったのか。
頭痛がするほど考えて、それでも頭から抜けてくれない光景に苦しんだ。
ネットでオカルト現象、異世界空間などをできる限り検索した。そして、世の中には不思議な事が起こるのだと自己納得をした。
ネットの情報では、霊に遭遇することや異世界への入り口を見つけても、むやみに触れてはいけないそうだ。知らないふりをして、見えないフリをしなくては巻きこまれてしまう。
その通りだと思う。きっと小田は引き込まれてしまったのだ。あちらの世界に。
加藤を目で追う小田の顔が頭の奥に焼き付いている。
僕にはどうして良いのか分からない。このことを人に話して良いのかも分からない。だから知らないふりをする。
そう決めたのに。
小田が学校を休んで一週間が経過した日。先生が小田のことを「失踪」と言った。
それに反応した櫻井。櫻井も気がついていたのだ。小田が背面黒板の向こうにいると。
だれか秘密を、恐怖を共有できる人がいたらと願っていた。けれど、まさか避けていた櫻井だなんて。
その昼休み。
「藤沢。ちょっといいか?」
きっと櫻井が来るだろうと思っていた。僕はコクリと頷いた。だけど緊張する。苦手意識を持った櫻井だ。
小田のことを僕が追い詰めたと思っているかも知れない。
心の中に、櫻井と一緒に居たくない気持ちと、この不思議体験を話したい気持ちが共存してせめぎ合う。
櫻井は何を知っているのだろう。小田があっちに居ることをいつから気が付いていたのだろう。疑問はいくつも湧いて出る。だからこそ僕は話してみたい気持ちに従っている。
だけどこれが加藤だったら良かったのに。
そんな思いをかかえて櫻井とともに教室を離れた。
櫻井に連れられて美術室に到着した。櫻井は美術部だから慣れた手つきで入室する。
「昼に出入りするのは俺だけだから」
「そっか。じゃ、おかしな話も出来るわけだ」
鎌を掛けてみると、櫻井は顔を険しくした。
「そう。藤沢はいつから気がついていた? 小田が、あっちにいる」
「いつからって、僕は数日前。っていうか、やっぱり背面黒板の後ろには教室があるよな! もう、もう、なんていったら良いんだ? それが、あんな、異世界だよ! あっちの世界だ!」
小田があちらにいることを伝えれば良いのか、あんな世界があることを知った興奮を伝えれば良いのか、頭の中が混乱した。それくらい有り得ない状況なのだ。つい、相手が櫻井であることを忘れて興奮のままに喋っていた。
「俺も、こんなの初めてなんだ。俺にも分からないって。小田は、自分からあっちに行ったのかな」
そう言われるとチクリと胸が痛い。興奮していた心が静まる。
「何だよ。僕のせいだって言いたいのかよ」
「じゃ、関係ないのか?」
櫻井は意地悪だ。普通だったら絶対に仲良くなれないタイプ。やはり、秘密を共有するならこいつじゃなければ良かった。
「僕だって、気にしてるんだ」
それだけ伝えるのが精一杯。
「俺も。あの時、教室に居合わせてしまって、関係ないと言い切れない。小田が傷ついたのなら、俺も原因のひとつだから」
もっと責められるのかと思っていたのに、意外な言葉に肩透かしを食らう。
「え?」
「それに、モナリザがいる。あれはどうしてだろう」
「はい? モナリザ?」
全く予想していなかった言葉だ。
「え? 見ていない?」
「僕には小田しか見えない」
無言で櫻井と見つめ合った。
「こっち来て。美術室に呼んだのは、モナリザの絵を見て欲しいから。俺が見えているモナリザは、この絵のはずなんだ。あの教室が現れてから、色が薄くなった」
櫻井の見上げる壁に掛けられたモナリザ絵画のレプリカ絵。これの色が薄くなったと言われても、これまで注意して見ていなかった僕にはこれまでとの違いが分からない。
「このモナリザが、いるのか? 小田のいるところに?」
「ああ。小田の横の席にいる」
僕は小田に気をとられすぎて、あのクラスのことをよく見ていなかった。そう言えば小田以外にも存在を感じた。黒い靄のような塊がいくつかあった。
「午後、それとなく後ろ見る。モナリザが僕にも見えるのかな」
「分からない。同じ景色が見えているワケじゃないかもだし。ちょと意外だ」
「小田がいることは確かだよな」
「それは確かだ」
「あとさ、何でか、授業中しか見えないんだよ。櫻井もそう?」
「それは一緒。終礼で見えなくなる」
モナリザの絵を見て無言になる。櫻井と僕の見ている光景が違うかもしれない。僕にモナリザが見えなかったら? そう思うと違うドキドキが生まれる。一体何が起きているのだろう。はっきり分かるのは、小田が現実世界から消えたこと。
これが櫻井と僕が立ち向かうことになる不思議体験の幕開けだった。


