『何で君が興奮するのかな?』
谷先輩の冷たい目が僕を捕らえている。
僕の右手は櫻井と繋がったままだ。心臓が張り裂けそうにドッドッと動いている。
走った後のような息切れが続いている。腹に力を入れていないと膝が崩れ落ちそうだ。
僕の手にギュッと力がかかる。
――そうだ。櫻井がいる。僕一人じゃない。
その思いだけが僕の身体を支えている。
「小田が、僕らの友人だからだ!」
震えを堪えて言葉にした。もう、必死だった。
『何が友人だ。小田君がそっちの世界で思い悩む時には寄り添うこともしなかっただろう。彼の声を、悲しい叫びを聞いたのか? 何か助けの手を差し伸べたのか? 全てが遅いんだよ。今更、だ』
冷徹な声が僕の心に突き刺さる。
谷先輩のいう通りだ。
小田がいなくなるまで、僕と櫻井は小田と仲良くもなかった。この特別な関係が出来るまでは話もしなかった。
痛いところを突かれて何も言えない。目線を下げると、櫻井と繋いだ右手に力が込められる。
「藤沢、言いくるめられるな」
小さな櫻井の声が耳に届く。
「谷先輩。俺らが小田の苦悩を知ったのは、小田がそっちに行ってからです。でも、これからも付き合っていける良い奴だって思っています。小田を、こっちに返してください」
谷先輩は凍えるような視線を櫻井に向ける。
『嫌だ、と言ったら?』
「言わないと思います。谷先輩は小田の叫びに気が付いていた。きっと繊細な人だ。だからこそ、小田の今の望みに気が付いているはずです。小田は、こっちに戻りたいんです」
櫻井の肝の座った態度に呆気にとられた。幽霊相手にこの度胸は凄い。
『君は、オレの声が届かないだけある。芯が強いなぁ。だが、その強さは孤独を呼ぶだろう。寂しい強さだ』
「話を逸らさないでください。今は、小田を返してくれるか、のやりとりです」
間髪入れずに言葉を返す櫻井にハラハラした。谷先輩は怒ってしまわないだろうか。
隣の櫻井は睨むように谷先輩を見ている。繋いだ手から櫻井の緊張が伝わってくる。
僕は櫻井の手を優しく包んだ。
櫻井には、僕がいる。何が起きようと、僕がついている。櫻井は孤独じゃない。
そう伝わるように願った。
――分かってるよ。
櫻井の手から返事が聞こえたようだった。
「真由先輩は、谷先輩なら天国の門を目指して走っているだろうって言ってました。真由先輩は、まだ悲しみを抱えています! それでも、あなたの姿を思い描いて前を向いています! それなのに、なんで谷先輩は学校にいるんだよ!」
僕の口から悲鳴のように言葉が出ていた。肩で息をしながら涙が落ちそうになる。
『真由が辛いのは分かっているよ。それでも真由には現実世界に生きる希望がある。でも、小田君は違う。この子は生きる希望が消えたんだ。小田くんを戻すのは彼のためにならない』
「それだけが理由じゃないはずだ。きっと、あなたが小田をそちらに引き込んだ理由があるはずだ」
櫻井の揺るがない声をただ凄いと思った。僕らが小田の事に必死になるのは、純粋に小田を助けたいから。
けれど、谷先輩が小田に執着するのは何故だろう。生前から小田を知っていたわけじゃないはずだ。とすると、小田を引き込む谷先輩のメリットは何だ?
感情の見えない谷先輩の無表情と、眉間にしわを寄せて必死になっている櫻井の横顔を見比べる。
――僕は櫻井を全力で支えたい。守りたい。
胸の中で強い気持ちが奮い立った。
「小田を返せ! 小田は生きているんだ! こっちの現実世界に存在すべきなんだ!」
僕の叫びに無表情の谷先輩が不気味に微笑んだ。口元が笑っているのに、少しも優しさが無い。背筋がゾワリとした。
『オレが学校に留まっているのは、ゴール出来ていないから。分かるか? これから大学に行って自分の将来に期待していた矢先に死んだんだぞ? 納得できるかよ。自分の人生のゴールが出来ていないんだ! ならさ、オレが誰かの代わりに人生歩んでやろうって思ってさ』
谷先輩の言葉に開いた口が塞がらなくなる。
つまり、谷先輩は狙っていたのか。自分が乗っとれる人物を。
そして狙われたのは、小田なのか。谷先輩は小田になるつもりだろうか。
想像していなかった事に言葉が出ない。戻ってきた小田は、小田であるとは限らないのだ。
――櫻井、櫻井! どうしたらいいんだ⁉
僕は右手に力を込めた。
「小田になって、満足のいく人生になるんですかね? 小田の人生を歩んでも、谷先輩として評価されることは、一つも無いでしょうね」
ハッとする。櫻井、それ以上は、言うな! そう思ったけれど。
「谷先輩は、もう、死んでいるんですよ。誰の人生を歩もうとも、それは、あんたの人生じゃない」
ズバリと言い切る櫻井にハラハラする。谷先輩の逆鱗に触れたらどうするのだ。僕はどうしたらいいんだよ!
『うるさい! オレの邪魔をするな!』
雷のような大声が聞えて僕はギュッと目を閉じた。
恐怖から身を守るように背を丸めていた。目を閉じていたのはほんの一瞬だけ。
そろそろと目を開ければ、背面黒板はただの黒板に戻っていた。
右手の温かさに一息をついて僕は隣に意識を向けた。櫻井は青ざめて僕を見ている。
「藤沢、どうしよ。言い過ぎた……」
自信無げな櫻井の声に、僕もそう思うよ、と心の中で返事をした。
帰り道にファーストフード店に立ち寄っている。
櫻井と二人で隅っこのテーブルに座ってノートを広げる。
さすがに美術室で話す気にはならなかった。学校では谷先輩がどこで聞いているか、見ているか分からないから。
「ちょっと、驚いた。谷先輩の目的が小田の人生乗っ取りだとは」
テーブルの上のポテトに手を付けず、櫻井がノートに『谷先輩』と書き込む。
「小田は人生に絶望していたし、谷先輩にとって格好の餌食だったんだろうな」
櫻井はノートを見たまま固まっている。櫻井の気持ちはよくわかる。
真由先輩に聞いていた爽やかな前向き青年のイメージとは違った。いや、夢半ばの人生だったからこそ、悔しかったのかもしれない。
「なぁ、藤沢。谷先輩にはいくつか道があったと思うんだ」
急に語り出す櫻井の意図が分からない。けれど、こんな時は櫻井の言葉をしっかり聞いた方が良い。
櫻井はどんな状況でも冷静に分析をしているから。
「いくつかって?」
櫻井の考えを邪魔しないように言葉を返す。
「だから、亡くなった後の道だ。真由先輩が言うように天国目指して進む、が一つ。そして、現状の高校に留まる、が一つ。他にも事故を起こした相手を恨む、とか、さ」
言われて気が付く。谷先輩は自宅でも事故現場でもなく高校に留まっている。
「高校で谷先輩が思い残してることって、何だろうな」
僕には見当がつかない。高校に残っているのは、誰かの人生を乗っ取って自分のモノにするためじゃないだろうか。他に理由があるだろうか。
「もし、小田と入れ替わるだけなら、直ぐにそうできたハズだ。けど、小田に授業受けさせたり、俺らと交流もたせたり。挙句に加藤を小田のためにあっちに引き入れてる」
言われてみれば、谷先輩の行動はつじつまが合わない。
「入れ変わるのは簡単じゃない、とか? 当初の目的じゃないとか、かな?」
「当初の目的じゃない、か……。本当に谷先輩が心残りな事、か」
ポテトをカリカリと口に入れて考えた。谷先輩は向こうの教室で花子さんに兄のような顔を向けていた。本当は優しい存在なのかもしれない。
「なぁ、櫻井。僕も谷先輩から『君もこっちに来れば楽なんだよ』って声かけられたけどさ。もし、小田の人生乗っ取りだけが目的なら、僕まで誘う必要は無いんだ」
櫻井は目を見開いた。
「そりゃそうだ。二人も必要ないからな。けど、藤沢を呼んだ」
「人を自分のところに呼びたいときって、どんな時だ?」
「寂しいとか、一緒にいたい、とか」
「孤独を感じたのかな」
谷先輩の同級生は卒業して高校にいない。
知った顔が減っていく高校を眺めているのは辛い事だろう。このまま自分だけ高校に取り残される恐怖を、孤独を感じたのかもしれない。
「谷先輩は花子さんが女子トイレに居たみたいに動けないのかな。高校から、出れないとか?」
「高校から、出たくても出れない、か」
テーブルの上のポテトはなかなか減らない。いつもは食慾旺盛なのに、櫻井は考える事に集中している。
ふと思いついて、スマホで幽霊成仏・学校などと検索をかけてみると、ある大学寮での幽霊騒ぎが引っかかった。
これは、もしかしたら良い案かもしれない。
「櫻井、これ見てみろよ」
スマホ画面をテーブルに置けば櫻井も興味を持つ。
「これって……」
「同じは出来ないけどさ。ゴールって、ヒントじゃね?」
「なるほどね。やる価値はあるかもな!」
ニカっと歯を見せる顔はやっぱりいい。櫻井の笑顔につられて僕も顔が綻んだ。
谷先輩の冷たい目が僕を捕らえている。
僕の右手は櫻井と繋がったままだ。心臓が張り裂けそうにドッドッと動いている。
走った後のような息切れが続いている。腹に力を入れていないと膝が崩れ落ちそうだ。
僕の手にギュッと力がかかる。
――そうだ。櫻井がいる。僕一人じゃない。
その思いだけが僕の身体を支えている。
「小田が、僕らの友人だからだ!」
震えを堪えて言葉にした。もう、必死だった。
『何が友人だ。小田君がそっちの世界で思い悩む時には寄り添うこともしなかっただろう。彼の声を、悲しい叫びを聞いたのか? 何か助けの手を差し伸べたのか? 全てが遅いんだよ。今更、だ』
冷徹な声が僕の心に突き刺さる。
谷先輩のいう通りだ。
小田がいなくなるまで、僕と櫻井は小田と仲良くもなかった。この特別な関係が出来るまでは話もしなかった。
痛いところを突かれて何も言えない。目線を下げると、櫻井と繋いだ右手に力が込められる。
「藤沢、言いくるめられるな」
小さな櫻井の声が耳に届く。
「谷先輩。俺らが小田の苦悩を知ったのは、小田がそっちに行ってからです。でも、これからも付き合っていける良い奴だって思っています。小田を、こっちに返してください」
谷先輩は凍えるような視線を櫻井に向ける。
『嫌だ、と言ったら?』
「言わないと思います。谷先輩は小田の叫びに気が付いていた。きっと繊細な人だ。だからこそ、小田の今の望みに気が付いているはずです。小田は、こっちに戻りたいんです」
櫻井の肝の座った態度に呆気にとられた。幽霊相手にこの度胸は凄い。
『君は、オレの声が届かないだけある。芯が強いなぁ。だが、その強さは孤独を呼ぶだろう。寂しい強さだ』
「話を逸らさないでください。今は、小田を返してくれるか、のやりとりです」
間髪入れずに言葉を返す櫻井にハラハラした。谷先輩は怒ってしまわないだろうか。
隣の櫻井は睨むように谷先輩を見ている。繋いだ手から櫻井の緊張が伝わってくる。
僕は櫻井の手を優しく包んだ。
櫻井には、僕がいる。何が起きようと、僕がついている。櫻井は孤独じゃない。
そう伝わるように願った。
――分かってるよ。
櫻井の手から返事が聞こえたようだった。
「真由先輩は、谷先輩なら天国の門を目指して走っているだろうって言ってました。真由先輩は、まだ悲しみを抱えています! それでも、あなたの姿を思い描いて前を向いています! それなのに、なんで谷先輩は学校にいるんだよ!」
僕の口から悲鳴のように言葉が出ていた。肩で息をしながら涙が落ちそうになる。
『真由が辛いのは分かっているよ。それでも真由には現実世界に生きる希望がある。でも、小田君は違う。この子は生きる希望が消えたんだ。小田くんを戻すのは彼のためにならない』
「それだけが理由じゃないはずだ。きっと、あなたが小田をそちらに引き込んだ理由があるはずだ」
櫻井の揺るがない声をただ凄いと思った。僕らが小田の事に必死になるのは、純粋に小田を助けたいから。
けれど、谷先輩が小田に執着するのは何故だろう。生前から小田を知っていたわけじゃないはずだ。とすると、小田を引き込む谷先輩のメリットは何だ?
感情の見えない谷先輩の無表情と、眉間にしわを寄せて必死になっている櫻井の横顔を見比べる。
――僕は櫻井を全力で支えたい。守りたい。
胸の中で強い気持ちが奮い立った。
「小田を返せ! 小田は生きているんだ! こっちの現実世界に存在すべきなんだ!」
僕の叫びに無表情の谷先輩が不気味に微笑んだ。口元が笑っているのに、少しも優しさが無い。背筋がゾワリとした。
『オレが学校に留まっているのは、ゴール出来ていないから。分かるか? これから大学に行って自分の将来に期待していた矢先に死んだんだぞ? 納得できるかよ。自分の人生のゴールが出来ていないんだ! ならさ、オレが誰かの代わりに人生歩んでやろうって思ってさ』
谷先輩の言葉に開いた口が塞がらなくなる。
つまり、谷先輩は狙っていたのか。自分が乗っとれる人物を。
そして狙われたのは、小田なのか。谷先輩は小田になるつもりだろうか。
想像していなかった事に言葉が出ない。戻ってきた小田は、小田であるとは限らないのだ。
――櫻井、櫻井! どうしたらいいんだ⁉
僕は右手に力を込めた。
「小田になって、満足のいく人生になるんですかね? 小田の人生を歩んでも、谷先輩として評価されることは、一つも無いでしょうね」
ハッとする。櫻井、それ以上は、言うな! そう思ったけれど。
「谷先輩は、もう、死んでいるんですよ。誰の人生を歩もうとも、それは、あんたの人生じゃない」
ズバリと言い切る櫻井にハラハラする。谷先輩の逆鱗に触れたらどうするのだ。僕はどうしたらいいんだよ!
『うるさい! オレの邪魔をするな!』
雷のような大声が聞えて僕はギュッと目を閉じた。
恐怖から身を守るように背を丸めていた。目を閉じていたのはほんの一瞬だけ。
そろそろと目を開ければ、背面黒板はただの黒板に戻っていた。
右手の温かさに一息をついて僕は隣に意識を向けた。櫻井は青ざめて僕を見ている。
「藤沢、どうしよ。言い過ぎた……」
自信無げな櫻井の声に、僕もそう思うよ、と心の中で返事をした。
帰り道にファーストフード店に立ち寄っている。
櫻井と二人で隅っこのテーブルに座ってノートを広げる。
さすがに美術室で話す気にはならなかった。学校では谷先輩がどこで聞いているか、見ているか分からないから。
「ちょっと、驚いた。谷先輩の目的が小田の人生乗っ取りだとは」
テーブルの上のポテトに手を付けず、櫻井がノートに『谷先輩』と書き込む。
「小田は人生に絶望していたし、谷先輩にとって格好の餌食だったんだろうな」
櫻井はノートを見たまま固まっている。櫻井の気持ちはよくわかる。
真由先輩に聞いていた爽やかな前向き青年のイメージとは違った。いや、夢半ばの人生だったからこそ、悔しかったのかもしれない。
「なぁ、藤沢。谷先輩にはいくつか道があったと思うんだ」
急に語り出す櫻井の意図が分からない。けれど、こんな時は櫻井の言葉をしっかり聞いた方が良い。
櫻井はどんな状況でも冷静に分析をしているから。
「いくつかって?」
櫻井の考えを邪魔しないように言葉を返す。
「だから、亡くなった後の道だ。真由先輩が言うように天国目指して進む、が一つ。そして、現状の高校に留まる、が一つ。他にも事故を起こした相手を恨む、とか、さ」
言われて気が付く。谷先輩は自宅でも事故現場でもなく高校に留まっている。
「高校で谷先輩が思い残してることって、何だろうな」
僕には見当がつかない。高校に残っているのは、誰かの人生を乗っ取って自分のモノにするためじゃないだろうか。他に理由があるだろうか。
「もし、小田と入れ替わるだけなら、直ぐにそうできたハズだ。けど、小田に授業受けさせたり、俺らと交流もたせたり。挙句に加藤を小田のためにあっちに引き入れてる」
言われてみれば、谷先輩の行動はつじつまが合わない。
「入れ変わるのは簡単じゃない、とか? 当初の目的じゃないとか、かな?」
「当初の目的じゃない、か……。本当に谷先輩が心残りな事、か」
ポテトをカリカリと口に入れて考えた。谷先輩は向こうの教室で花子さんに兄のような顔を向けていた。本当は優しい存在なのかもしれない。
「なぁ、櫻井。僕も谷先輩から『君もこっちに来れば楽なんだよ』って声かけられたけどさ。もし、小田の人生乗っ取りだけが目的なら、僕まで誘う必要は無いんだ」
櫻井は目を見開いた。
「そりゃそうだ。二人も必要ないからな。けど、藤沢を呼んだ」
「人を自分のところに呼びたいときって、どんな時だ?」
「寂しいとか、一緒にいたい、とか」
「孤独を感じたのかな」
谷先輩の同級生は卒業して高校にいない。
知った顔が減っていく高校を眺めているのは辛い事だろう。このまま自分だけ高校に取り残される恐怖を、孤独を感じたのかもしれない。
「谷先輩は花子さんが女子トイレに居たみたいに動けないのかな。高校から、出れないとか?」
「高校から、出たくても出れない、か」
テーブルの上のポテトはなかなか減らない。いつもは食慾旺盛なのに、櫻井は考える事に集中している。
ふと思いついて、スマホで幽霊成仏・学校などと検索をかけてみると、ある大学寮での幽霊騒ぎが引っかかった。
これは、もしかしたら良い案かもしれない。
「櫻井、これ見てみろよ」
スマホ画面をテーブルに置けば櫻井も興味を持つ。
「これって……」
「同じは出来ないけどさ。ゴールって、ヒントじゃね?」
「なるほどね。やる価値はあるかもな!」
ニカっと歯を見せる顔はやっぱりいい。櫻井の笑顔につられて僕も顔が綻んだ。


