背面黒板をじっと見つめて数分。
僕と櫻井は半目になって小田を睨んでいる。
『えっと、いや、だからね。本当に、一回でも良いんだって、花子さんが言っていて、ね』
小田は完全に困り果てた顔をしているが、今回ばかりは簡単にイエスと言えない。
僕らにも男としてのプライドがある!
「断固拒否をする! 小田は、僕らが変態のレッテルを貼られて後ろ指をさされても構わないのか⁉」
「藤沢に同意見だ! 俺は残りの青春を、女子トイレ侵入男として過ごしたくない!」
僕と櫻井は前に腕を組んで、仁王立ちをしている。まるで教科書に載っているストライキ中の労働者のようだ。
『でも、花子さんも女子トイレにこだわりがあるんだって言っていて……』
「そんなの知るかぁ! 百歩譲って男子トイレでならやるって言ってんだろうが!」
必至に言い返せば、モナリザの後ろからニュルリと空洞の瞳を持つ少女が顔を出した。すると一気に周囲の気温が下がったように鳥肌が立つ。
『アタシの……ネガイだけ、かなえてクレナイの……。クヤシぃ、カぁナぁしぃイ!』
花子さんがグワッと赤い口を開けて巨大化した。
「うおおお!」
「ぎゃああ!」
僕と櫻井はガタンと派手な音を立てて腰を抜かした。花子さんの画面いっぱい怒り顔は心臓に悪い!
『は、花子さん。ダメだよ。藤沢君たちが怪我しちゃうよ』
小田が花子さんをなだめてくれて、花子さんは三十センチほどのヌイグルミ姿になった。
テテテと小田のもとに駆け寄ると両手を伸ばして抱っこをせがんでいる。
花子さんは小田の腕に抱き留められて、『エ~ン』と泣き出した。
おい、さっきまでの恐怖姿とギャップありすぎだろう、と心でツッコミを入れる。
小田によしよしされて、まるで幼子だ。
「いや、だからね、女子トイレは男子には立ち入れない場所なんだよ。禁域というか、社会のルールなんだ。ね、分かってくれるかな?」
花子さんをこれ以上刺激しないように優しい声で訴えてみた。まさかお化けに人間社会のことを伝える日が来るとは。
『アタシ……、男子トイレにハ、行きタくナイ!』
小さなヌイグルミ姿の花子さんは小田の腕からピョンと飛び出てモナリザの後ろに隠れてしまった。
いやもう、何だよこのワガママお嬢様は! とは言えず、ははは、と苦笑いを返した。
「お、そうだ。花子さん、提案がある。小田をこっちに返してくれたら、小田がやってくれるぞ」
ナイスアイデアだ。
『えええ⁉ 僕⁉ ちょっと、それは……』
小田が背をのけ反らせて逃げの姿勢を取った。
「小田! お前、イヤだって思ったな」
「俺も小田の本心が聞こえたぞ」
僕と櫻井はゆっくり立ち上がり、再びストライキ姿勢をとった。小田は眉尻を下げてアワアワしている。
いつもはモナリザに隠れる小田だが、今日はモナリザの後ろに花子さんがいる。
そんな小田の前を標本のお化けたちがスイ~っと泳ぐ。
この小さいお化けたちは相変わらず空気を読まない。
不気味な白さの魚たちを目で追うと、櫻井が大きく息を吐いた。
「はぁ、堂々巡りだ。まさかのジェンダー問題に衝突するとは」
櫻井に心から賛同する。
トイレの花子さんの要求は、女子トイレ個室の奥から二番目で「はーなこさん」と呼んで欲しい、ということ。
最近全く呼ばれなくて寂しいそうだ。昔は「はーなこさん」「はぁい」の掛け合いが多くて楽しかった、と。
いや、男子トイレ個室でならやるけども、僕たちにとって女子トイレというのが難題なのだ。
『空襲が、怖クテ、トイレに隠れタのにィ。誰も助けに来ナカッタ! 下級生ハ、上級生が助けナサイって先生が言ってたのニィ! 男子トイレじゃナイのォォ!』
モナリザの背後から聞こえる叫び声にハッとした。櫻井と顔を見合わせる。
これは、ジェンダーとか社会のルールとかの問題ではない。
「花子さん、出てこれる?」
呼びかけるが返答はない。
「藤沢、俺らが覚悟を決めるか。ま、そう言う事情なら仕方ない。俺ら、花子さんより上級生だからな」
花子さんの見た目は小学一年生か、もっと幼い。空襲被害で亡くなった子なら、お化けではなく幽霊だから力が強いはずだ。
そして死に場所が女子トイレなら、そこにこだわるのは当然だろう。
「はーなこさん」
トイレで花子さんを呼ぶときのように呼んでみた。
『なぁ~ァ~にィィ……』
条件反射なのか花子さんの返事が聞こえる。ちゃんと聞いているじゃないか。それが分かってホッとする。
櫻井がニカっと笑った。
「花子さん、朝でもいい? さすがに他の生徒がいるとこで女子トイレは無理があるんだ」
「それだけはお願いするよ!」
モナリザの後ろから『イ~ィ~よ』と声が返ってきた。かくれんぼの掛け声のようだ。
花子さんは子どもなのだなぁと実感する。
『あの、藤沢君、櫻井君、本当にありがとう。僕が出来なくて、ゴメンなさい』
小田が申し訳なさそうに肩を落としている。
「あわよくば小田をこっちに戻してもらう作戦は失敗だな」
「ま、正攻法でいくか!」
『ええ? 正攻法? 何の事?』
僕は後方に目を向けた。
櫻井にも見えているはずだ。
向こうの教室の一番後ろの席に、机に突っ伏して寝ている男子生徒がいる。
きっとあれは谷先輩だ。
これで向こうの教室でうごめいていた黒いモヤは無くなった。お化けはこれで全部だ。
つまり、谷先輩と直接対峙することが最後の砦になる。
「わざわざ呼ばなくても、見えたな」
「ああ」
櫻井の小さな声に、僕も櫻井にだけ聞こえるように返事をした。
『あの、藤沢君、櫻井君。僕が役に立たなくて本当にごめんね。えっと、戻ったら、ジュース、奢るから』
「お、言ったな。小田、忘れるなよ」
『もちろんだよ。僕、友達に奢る約束なんて初めてだ』
小田は幸せそうに頬を赤くした。
「日本で一番高いジュースをネット検索しとくからな!」
櫻井の言葉に三人で笑った。
ふと横目で見れば、モナリザの肩から花子さんがこちらを見ていた。
僕と櫻井は半目になって小田を睨んでいる。
『えっと、いや、だからね。本当に、一回でも良いんだって、花子さんが言っていて、ね』
小田は完全に困り果てた顔をしているが、今回ばかりは簡単にイエスと言えない。
僕らにも男としてのプライドがある!
「断固拒否をする! 小田は、僕らが変態のレッテルを貼られて後ろ指をさされても構わないのか⁉」
「藤沢に同意見だ! 俺は残りの青春を、女子トイレ侵入男として過ごしたくない!」
僕と櫻井は前に腕を組んで、仁王立ちをしている。まるで教科書に載っているストライキ中の労働者のようだ。
『でも、花子さんも女子トイレにこだわりがあるんだって言っていて……』
「そんなの知るかぁ! 百歩譲って男子トイレでならやるって言ってんだろうが!」
必至に言い返せば、モナリザの後ろからニュルリと空洞の瞳を持つ少女が顔を出した。すると一気に周囲の気温が下がったように鳥肌が立つ。
『アタシの……ネガイだけ、かなえてクレナイの……。クヤシぃ、カぁナぁしぃイ!』
花子さんがグワッと赤い口を開けて巨大化した。
「うおおお!」
「ぎゃああ!」
僕と櫻井はガタンと派手な音を立てて腰を抜かした。花子さんの画面いっぱい怒り顔は心臓に悪い!
『は、花子さん。ダメだよ。藤沢君たちが怪我しちゃうよ』
小田が花子さんをなだめてくれて、花子さんは三十センチほどのヌイグルミ姿になった。
テテテと小田のもとに駆け寄ると両手を伸ばして抱っこをせがんでいる。
花子さんは小田の腕に抱き留められて、『エ~ン』と泣き出した。
おい、さっきまでの恐怖姿とギャップありすぎだろう、と心でツッコミを入れる。
小田によしよしされて、まるで幼子だ。
「いや、だからね、女子トイレは男子には立ち入れない場所なんだよ。禁域というか、社会のルールなんだ。ね、分かってくれるかな?」
花子さんをこれ以上刺激しないように優しい声で訴えてみた。まさかお化けに人間社会のことを伝える日が来るとは。
『アタシ……、男子トイレにハ、行きタくナイ!』
小さなヌイグルミ姿の花子さんは小田の腕からピョンと飛び出てモナリザの後ろに隠れてしまった。
いやもう、何だよこのワガママお嬢様は! とは言えず、ははは、と苦笑いを返した。
「お、そうだ。花子さん、提案がある。小田をこっちに返してくれたら、小田がやってくれるぞ」
ナイスアイデアだ。
『えええ⁉ 僕⁉ ちょっと、それは……』
小田が背をのけ反らせて逃げの姿勢を取った。
「小田! お前、イヤだって思ったな」
「俺も小田の本心が聞こえたぞ」
僕と櫻井はゆっくり立ち上がり、再びストライキ姿勢をとった。小田は眉尻を下げてアワアワしている。
いつもはモナリザに隠れる小田だが、今日はモナリザの後ろに花子さんがいる。
そんな小田の前を標本のお化けたちがスイ~っと泳ぐ。
この小さいお化けたちは相変わらず空気を読まない。
不気味な白さの魚たちを目で追うと、櫻井が大きく息を吐いた。
「はぁ、堂々巡りだ。まさかのジェンダー問題に衝突するとは」
櫻井に心から賛同する。
トイレの花子さんの要求は、女子トイレ個室の奥から二番目で「はーなこさん」と呼んで欲しい、ということ。
最近全く呼ばれなくて寂しいそうだ。昔は「はーなこさん」「はぁい」の掛け合いが多くて楽しかった、と。
いや、男子トイレ個室でならやるけども、僕たちにとって女子トイレというのが難題なのだ。
『空襲が、怖クテ、トイレに隠れタのにィ。誰も助けに来ナカッタ! 下級生ハ、上級生が助けナサイって先生が言ってたのニィ! 男子トイレじゃナイのォォ!』
モナリザの背後から聞こえる叫び声にハッとした。櫻井と顔を見合わせる。
これは、ジェンダーとか社会のルールとかの問題ではない。
「花子さん、出てこれる?」
呼びかけるが返答はない。
「藤沢、俺らが覚悟を決めるか。ま、そう言う事情なら仕方ない。俺ら、花子さんより上級生だからな」
花子さんの見た目は小学一年生か、もっと幼い。空襲被害で亡くなった子なら、お化けではなく幽霊だから力が強いはずだ。
そして死に場所が女子トイレなら、そこにこだわるのは当然だろう。
「はーなこさん」
トイレで花子さんを呼ぶときのように呼んでみた。
『なぁ~ァ~にィィ……』
条件反射なのか花子さんの返事が聞こえる。ちゃんと聞いているじゃないか。それが分かってホッとする。
櫻井がニカっと笑った。
「花子さん、朝でもいい? さすがに他の生徒がいるとこで女子トイレは無理があるんだ」
「それだけはお願いするよ!」
モナリザの後ろから『イ~ィ~よ』と声が返ってきた。かくれんぼの掛け声のようだ。
花子さんは子どもなのだなぁと実感する。
『あの、藤沢君、櫻井君、本当にありがとう。僕が出来なくて、ゴメンなさい』
小田が申し訳なさそうに肩を落としている。
「あわよくば小田をこっちに戻してもらう作戦は失敗だな」
「ま、正攻法でいくか!」
『ええ? 正攻法? 何の事?』
僕は後方に目を向けた。
櫻井にも見えているはずだ。
向こうの教室の一番後ろの席に、机に突っ伏して寝ている男子生徒がいる。
きっとあれは谷先輩だ。
これで向こうの教室でうごめいていた黒いモヤは無くなった。お化けはこれで全部だ。
つまり、谷先輩と直接対峙することが最後の砦になる。
「わざわざ呼ばなくても、見えたな」
「ああ」
櫻井の小さな声に、僕も櫻井にだけ聞こえるように返事をした。
『あの、藤沢君、櫻井君。僕が役に立たなくて本当にごめんね。えっと、戻ったら、ジュース、奢るから』
「お、言ったな。小田、忘れるなよ」
『もちろんだよ。僕、友達に奢る約束なんて初めてだ』
小田は幸せそうに頬を赤くした。
「日本で一番高いジュースをネット検索しとくからな!」
櫻井の言葉に三人で笑った。
ふと横目で見れば、モナリザの肩から花子さんがこちらを見ていた。


