背面黒板の向こう側に、もう一つ教室があることは、僕と彼しか知らない

 十八時半を過ぎるとすっかり暗い。気温も肌寒くなる。僕と櫻井は靴箱に急いだ。
 幽霊やお化けの存在をリアルに知っているから暗い校舎は怖い。早く学校を出たい。
 いつもより櫻井に近づいて、腕が触れるくらいの距離を歩いた。
「ブッハ! 子どもか」
「こんな暗いのは怖いだろうが!」
「ブハハ! なぁ、藤沢。お前、良い奴だなぁ」
「は? 櫻井のが良い奴だ。今日は、マジありがとう。なんか、すっごいスッキリだ。櫻井のおかげだ」
 互いに褒め合う微妙な空気に半目になった。
「アホらしいだろうが!」
「お前がな!」
 本当に感謝しているのだけれど。照れくさいから笑い飛ばしていたい。
「真由先輩の話聞いて思ったけど、怖い奴は本当に亡くなった先輩か?」
 笑いが止まる。
「僕もそれ感じた。亡くなった先輩は前向きで一直線な人に思う。小田や加藤を引き込むようなことするかな」
 互いに首を傾げて学校を後にした。

 帰りに寄ったドラックストアで櫻井に見つからないようにカロリーメイトのチーズ味を五箱買った。本当は机の上に山盛りにしたいくらい感謝しているのだけれど、僕のお財布事情だ。
 明日の朝、五箱をピラミッドにして櫻井にあげよう。
 櫻井は「こんなにいらん!」と笑うだろうか。それとも、はにかみながら「サンキュ」と言うだろうか。
 そんな事を考えると顔がにやけてしまう。周りの人に変に思われないか気になって、わざとらしく咳をして顔を整えた。
 加藤が戻って来るし、明日が楽しみだ!

 翌朝、色々と気になって早めに登校した。さすがにモナリザや標本お化けの時のようには早くないけれど。まばらに生徒が登校している時間だ。
 教室に近づくとバタバタと騒々しい。先生が数人、僕の教室に出入りしている。
「おはよ。なに?」
 恐る恐る教室に入ると、人だかりが出来ていた。その中心には……。
「加藤!」
 つい叫んでしまった。そのまま加藤に駆け寄る。
「おはよ、藤沢。なぁ、これ、なんの騒ぎ?」
 訳が分からん、と言う顔で加藤は周囲を見ている。
「つか、加藤! お前、いつこっちに来たんだよ!」
「は? いつって、朝登校したら、皆が騒ぐから。何なんだ。俺は有名人か! はっ、まさか知らん内に人気者になったってことか」
 ドヤ顔をする加藤に抱き着いた。
「加藤~! よく無事だった! よく……」
 話し途中でベリっと加藤から引き離される。
 誰だ、と振り返れば櫻井が僕を引っ掴んでいた。そのままトスンと櫻井の胸に閉じ込められる。
「ばか、それ以上は言うな」
 櫻井が耳元で囁く。低い声が耳に入り、その独特な感覚に首筋がゾゾっとする。
 ついでに櫻井の息が耳にかかって心臓がドドっと走った。
 何を言おうとしていたのかすっかり忘れてしまう。
「なな、なんだよ! 離せ!」
 必死に抵抗して櫻井から離れ、耳を手で覆った。変な事をしないでほしい! 
 櫻井を睨めば、口の動きだけで『アホ』と言われる。
 我に返って周囲を見れば、クラスメイトがポカンと僕たちを見つめていた。
 やってしまった!
 加藤が向こうの教室にいたことは、櫻井と僕しか知らないのに。
 この様子だと加藤自身にお化けの教室にいた記憶が無いのだ。
 僕の勢いを止めてくれた櫻井には感謝しかない。
 けれど耳元で喋るのはもう勘弁だ。
「ゴホン、ああ、あの、久しぶりに加藤見てパニくった。ごめん。加藤、しばらく休んでたからさ」
 取り繕うように加藤に話しかけた。
 加藤は数日間休んでいるが、小田と違って体調不良の欠席となっている。
「わはは! 藤沢は冗談うまいなぁ! 休んだ? 俺が? いつ? こうして普通に学校来てるだろ?」
 加藤は大口を開けて笑う。
 周りにいるクラスメイトは「大病かと思ったけど、元気そうじゃん」と離れていく。
 慌てているのは先生たちだ。
 そりゃ、先生たちは驚くだろう。行方不明の加藤が急に学校に来たのだから。
「加藤、元気そうで何より」
 櫻井が微笑んで声を掛けた。
 僕は櫻井と顔を見合わせて背面黒板を見た。
 次は、小田だ。絶対にこっちに取り戻す。
「ちょっと、席に着いて! 加藤は保健室にすぐに行くぞ。先生が付き添う。今日は家の人が迎えに来るから、すぐに帰るんだ! どこか体調悪いとかは無いか?」
 担任の先生が青い顔で駆けこんでくる。
 クラスメイトは「何?」「どうしたの?」と加藤を気にしている。
 当の本人は「なんで親が来るんだ。俺は小学生か!」と騒いだ。それを見ると、いつもの加藤だと安心する。
 何だかんだ言いながら先生に連れていかれる加藤を見送った。

 教室に朝の静けさが戻る。
「藤沢、加藤は元気そうで良かったな」
 櫻井の呟きにコクリと頷く。
「いや、加藤はああでなきゃ。人形のように静かな加藤なんて、加藤じゃないよな」
「確かに。でも、あの加藤だって、向こうに引き込まれるくらい悩んでるんだよな」
「まぁな」
 何となくクラスを見渡した。会話している女子、スマホ画面をみている男子。それぞれにきっと抱えるモノがある。
「なぁ藤沢。加藤ってどうやって戻ったのかな? 俺はその瞬間が気になる」
 櫻井らしい興味の持ち方だ。
「少なくとも自販機ではないと思う」
「ブハハ! 覚えていたか!」
 加藤が戻ったことで櫻井のテンションが上がっている。僕もだけれど。
「櫻井、放課後に教室が繋がったら、谷先輩を呼んでみよう」
「マジかよ?」
「あっちには黒いモヤみたいのがまだいる。これは予想だけど、相手の事を意識しないと見えないのかも。僕は始めのころ小田しか認識できなかった。けど、櫻井に言われてモナリザを意識したら見えた」
 櫻井が少し考える。
「そうか。そう言われれば、俺もベートーベンが見えたのは藤沢に言われてからだ。標本の神様たちも小田に紹介されて、だな」
「おお。一か八か、やってみるか。そんで姿を見せたら、当たりだ」
 櫻井は真剣な顔になる。
「急に攻撃してきたらどうする? 向こうから飛び出してきたり、とか」
 想像してみた。
 モナリザやベートーベンでさえ急にデカくなる怖い要素を持っている。小さい標本の蛙たちは可愛いけれどグロさが怖い。
 すでに存在自体が怖い奴は、何をしてくるだろう。
 向こうの教室から飛び出してきたりして。
 そう考えて心臓が凍える思いがした。
 こっちの世界でリアルな幽霊に会うのは、さすがに嫌だ。
「なぁ、櫻井はお化けとか幽霊って見たことあるか?」
「今見てんじゃん」
「あれは教室が隔たれているだろ? こっちのリアル世界で、だよ」
「無いな」
 即答に安心する。変なのが視えるタイプなのかと思った。
「良かった。櫻井が霊感あり少年だったら、僕はこの先ずっとお化けから解放されないところだ」
 櫻井はポカンと口を開けた。その表情が理解できず、僕は首を傾げる。
「コレが解決したあと、か」
 言いながら櫻井は頬を染めた。肘をついた手で口元を隠してしまう。
 その動きを目で追って、僕は半目になった。
「まさか、小田が戻ったら、ガラガラ閉店サヨウナラじゃないだろうな」
「違うって! 何言ってんだ。いや、この先は、幽霊とか、お化けとか無しに、一緒なら楽しいだろうな、って」
 口を隠したまま話すからモゴモゴと聞き取りにくい。いつもはハキハキ分かりやすく喋るくせに。
 乙女かよ、とツッコミを入れたくなった。でも、からかうのは可哀そうな気がして、櫻井の真似をして僕も頬杖をついた。
 机を挟んで向かい合って、同じ姿勢。
 ふふっと笑えば櫻井の目元が優しく下がる。
「青春、楽しもうぜ」
「ブッハ! 青春! まさに俺らだ」
 櫻井は頬を染めたまま満面の笑みを浮かべた。

 放課後。
「いやいやいや、それは、無理だって!」
 僕と櫻井は全く同じ姿勢になっている。
 背面黒板に向けて、両手を思いっきり突き出してフルフルさせてギブアップをアピールしている。
『どうしても、ダメかなぁ。あの、せっかく友達になれたんだ』
 小田の切ない声に、こればかりは完全拒否だ、と汗が垂れる。
「小田、女子トイレは勘弁してくれよぉ!」
 僕と櫻井の悲鳴が重なる。
 小田の隣にはおかっぱ頭の女の子。少女はゆっくり顔を上げる。
 その黒い空洞のような瞳を見ただけで僕の寿命が三年は縮んだ。それくらい、怖い! 
 赤い口がニタリと歪む。櫻井の「ひぃっ」という小さな悲鳴が聞こえた。
『ねぇ、だぁめ?』
 直接聞こえてくる幼い声。全身が氷水をかぶったように冷たくなる。歯がカチカチと鳴り出す。
 これは絶対にラスボス級だ。間違いない。

 だって、超有名お化けである『トイレの花子さん』だから!