背面黒板の向こう側に、もう一つ教室があることは、僕と彼しか知らない

 小田の出身中学は青第二中だ。その中学出身の生徒は同学年に十名いる。そのうちの七人は女子だ。
 僕は女子と会話するのが苦手。だから櫻井に任せてしまおうと思ったのに。
「藤沢、女子に聞き込みにいけ」
 櫻井に押しつける前に僕に振られてしまった。
「ふざけんな。コミュ障の僕には無理だって。ここは僕より五センチ背の高い櫻井がやるべきだ」
 慌てて櫻井になすりつける。
「は? 身長関係ないだろ。藤沢だって百七十越えてんだ。五センチをグチグチ言うな。それよりハーフ系アイドル顔って言われてる藤沢が行くべきだ。女子ウケ抜群だ」
 女子が苦手な文化部男子としては女子に声を掛けるハードルが高い。絶対に櫻井にやらせなくては。そう意気込んで櫻井を見るが、櫻井も同じ目つきで僕を見ている。
 たがいに半目になって睨み合った、そのとき。
「おお、ケンカはよくないぞぉ」
 野太い声が僕たちの間に割って入る。はっと見上げると、そこには加藤が立っていた。
「加藤! いいとこに来た。お前、小田のこと心配だよな!」
 櫻井が嬉々として加藤の腕を掴んだ。
「そりゃもちろん。クラスメイトだしな」
 僕はまさか、と思った。けれど、櫻井はその『まさか』を実行した。
「小田のことを知ろうと思うんだ。クラスメイトとして放っておくのも冷たいだろう。だから、加藤。小田と同じ出身中の女子に聞いてくれ」
 櫻井は勇気がありすぎる。小田の片思い相手に小田のことを聞き込みさせるなんて。
 けど、これはチャンスかも知れない。加藤を巻き込んだら、きっと小田は心中穏やかではいられないはずだ。
「お前ら、良いとこあるなぁ! 俺は感動した! よし、何聞けばいいんだ?」
 思ったよりすんなり加藤が話題に乗ってくれる。正直、ホッとした。櫻井も僕と同じ顔をしている。
「加藤、青木さんに小田の中学の頃のこととか、仲が良い奴知っているか、家庭の事とか聞いてみたいと思うんだけど」
「おう! そうか。じゃ、行くか。おい、青木~」
 加藤は二つ返事で承諾したかと思うと、すぐさま青木に声を掛けた。
 陽キャでクラスの人気者である加藤は凄い。その行動力に拍手を送りたいと心から思った。
 僕と櫻井じゃ緊張してしまって、こんなにフランクに話しかけられないだろう。
「加藤君、なに?」
 女子バレーボール部に入っている青木はハキハキ喋る。彼女は明るくて誰とも仲が良いタイプだ。
 ショートボブの茶髪がさらりと揺れる。
「小田の事、聞きたいんだけど」
「え? 加藤君って小田君と仲良かったの?」
「まぁな。いなくなって一か月だし、気になるからさ。青木って同じ中学じゃん」
 加藤の言葉に驚く。すでに教室では小田がいないことが普通になっていたけれど、加藤は失踪して一か月と覚えていた。
「うん。同中だけど、あたしは仲良くなくて。中学でもずっと一人だったよ。別にいじめとか無かったけど。コミュ障だよ、あれ。あ、明日香なら何か知ってるかな? 明日香、ちょっと来て」
 明日香と呼ばれた小田と同じ出身中学の渡辺が近くに来る。
「え、何このめずらしいメンバー。すご。藤沢君と櫻井君が揃ってる。萌えだ」
 瞳をキラキラさせて見つめられると目を逸らしたくなる。僕がフイっと横を向くと櫻井と目が合う。櫻井も困った顔をしている。
「おい、俺もいるって。俺だってアイドル系の顔だろうが!」
 加藤がドヤ顔で青木と渡辺に迫るから女子二人がキャハハと明るい声を上げた。それにつられて、女子がパラパラ集まる。
「なになに~?」
 女子の声が増えてくると急に萎縮してしまう。そんな自分がちょっと情けない。
 加藤が女子たちに声を掛ける。
「俺ら、小田の事が心配でさ。ほら、いなくなって長いじゃんか。小田ってどんな奴だったかって話になって。意外と知らんくてさぁ」
 女子が数名首を傾げる。
「あ、うちらも知らないかも。話しないしね」
「人といること、無いよね~。部活も入ってないし。明日香、中学の時の和田君ってどんな?」
 渡辺が考える素振りを見せる。
「和田君は、普通の大人しい男子だったよ。文化部だったと思うけど、何部か覚えてないや。中学もボッチだったよ。青木ちゃんに聞いても同じ答えじゃないかな。でもね、学校にはちゃんと来ていたよ。こんな風に居なくなるなんて考えられないかな」
「おお、そっか。小田はイイ奴なんだぞ。俺が試合に負けてスッゲへこんだ時、励ましてくれてさ。小声でめっちゃ緊張しながら、真っ赤になって話しかけてくれたんだ。もう、キュンとなるだろぉ」
 加藤が上体をくねらせる。せっかく良いことを言ったのに笑いに持っていくのが加藤らしい。百八十センチのデカい男がとる態度に女子の笑いが溢れる。
「もう! 加藤、キモいって」
「やめてぇ~」
 女子の楽しそうな雰囲気にちょっと緊張が緩んだ。
「あのさ、僕は小田が何か悩んでいたのか知りたくて。だって、特に問題の無い小田が急に消えるなんておかしいだろ?」
 勇気を出して声をかけると、女子の目が一斉に僕を見る。
 その迫力に少しビビるが、モナリザとベートーベンの背面黒板いっぱいの顔面を経験しているから、これくらいの女子の圧は何てことない。
 去年のように目を逸らして逃げるだけじゃ無い。うん、僕は確実に度胸がついている。
「確かに。警察からは誘拐ではなさそうって話しだし。自主的に失踪だと、相当悩んでたかもだよね」
「でも、学校ではトラブルなかったね。家庭かな。進路かなぁ」
 女子の言葉にそうか、と思い当たる。進路の可能性だってあるのだ。
「小田は将来の夢とか、あるのかな」
 櫻井が呟いた。
「あぁ、スポーツドクターとかやりたい、みたいだけどな。ハードルは高いらしいけど」
 加藤の低い声が答える。加藤が小田の夢を知っていることに驚きが隠せない。
 僕が加藤の顔を見つめると、櫻井も真剣な目を向けていた。
「加藤、そんなの知ってるなんて仲いいじゃん」
「いや、さっき言った、励ましてもらったときにさ。そんな話になって。なぁんか、小田って色々と考えてんなぁって思ってさ。目立たないけどなぁ」
 僕はチラリと背面黒板に目を向けた。
 昼休みだから向こうの教室は見えない。けれど、小田が聞いているといい。
 もし聞いていたら、顔を真っ赤にして下を向くだろうか。恥ずかしそうにモナリザに隠れるだろうか。
 そんな想像をするとクスッと笑みが漏れた。それとなく口元を手で隠せば、視線を泳がせている櫻井が見えてしまった。
 きっと同じ事を考えているだろう。僕と目が合うと櫻井の目尻が優しく下がる。
「最近、櫻井君と藤沢君、仲いいよね。小田君の事があってから?」
 急に女子に話題を振られた。仲が良いと指摘されると照れくさい気持ちが湧き上がる。
「まぁね。俺らクラスメイトだし。藤沢とはダチだし」
「俺も、ダチだし~、小田もダチだしぃ」
 櫻井と加藤がふざけて肩を組んでくるから声に出して笑った。笑いながら、背面黒板を気にした。
 ――小田も、こっちにいればいいのに。
「小田君、何処に行ったのかなぁ。去年、先輩が一人亡くなったし、うちの学校、呪われてるのかなぁ」
 女子の言葉に身体が固まった。
 ――亡くなった?
 そう言われれば去年、卒業間近の三年生が登校中に交通事故で亡くなった。男子生徒だったはず。
 これは、何か関係がある?
 笑いは止まって櫻井と頷き合う。櫻井もピンと来る何かがあったようだ。顔を見れば直ぐに分かる。
「おっと、時間ヤバいか。いや、皆ありがとな!」
 加藤が上手く締めくくってくれる。
「全然、つか、加藤君グッジョブだし」
「うん、ナイスだよ。萌えをありがとう」
「いつでも声かけてね」
 女子の視線がこちらに向かっている。何となくデカい加藤の後ろに隠れて、小田がモナリザに隠れる気持ちが分かった気がした。

「藤沢は、女子苦手か」
 放課後に教室に残った櫻井と背面黒板を向いている。櫻井の含みのある声に少しムッとする。
「櫻井もだろ! 僕は吹奏楽が女子ばっかで、そんときの事もあって、ちょっと苦手なんだよ」
 もともと女子と言うだけで緊張するほうではない。けれど、去年の部活で責めてくるような女子の不機嫌をぶつけられてから、女子そのものに対しての意識が変わった。
 言いたくない事を口にして、フイっと窓のほうを見た。放課後の日差しに秋が混じっている。
「そっか。悪かった。俺は単純に女子苦手だから同じかと思って。ごめん」
 素直な言葉に心がホワリとする。櫻井は本当に直球だ。
「櫻井はモテそうなのに、勿体ないな。な、小田もそう思うだろ?」
 自然と小田に話題を振っていた。返事が来ることなど無いのに。けれど。
 コツン。
 背面黒板からノックするような音が聞こえた。ハッとして櫻井と視線を交わす。
 小田が返事をした。
 これは絶対小田だ! 久しぶりの反応に心が躍り上がるほど嬉しくなる。
「小田! お前、元気か! なぁ、今日聞いてたか? 加藤がお前のこと話してたぞ!」
 立ち上がって背面黒板に駆け寄った。
 コツコツ。
 向こうから音が聞こえる。
 やっぱり、小田だ! 返事が聞こえたことに涙が滲みそうになる。
 もう接触できなかったらどうしようかと思っていた。
 小田を失うかもしれない。そんな不安が心の底に渦巻いていた。
 何とか繋がりが持てたことに目の奥が熱くなる。
「小田、戻って来いよ。こっちで、一緒に楽しくやろうぜ」
 櫻井が優しく声を掛けた。少し沈黙。
 コツン。
 小さくノックの音が響く。
 小田の悲しい悲鳴が聞こえそうなノックの音だ。直感でそう感じた。
 僕の瞳から涙がポロっと零れた。