十月になっても残暑がきつい。相変わらずの日差しにうんざりする。
けれど夕方になると日の陰りが早くなっていて秋が近づいているのをわずかに感じる。放課後の教室がやや過ごしやすくなっている。
「あっち。なぁ藤沢、秋は何処行ったんだ」
「それな。小田、秋限定お菓子ゲットしたぞ。モナリザとベートーベン用のチーズ味も」
何か反応がないかと期待を込めて背面黒板を見つめるが、今日も背面黒板は黒板のまま。
「ダメかぁ。やっぱ藤沢が聞いた声の奴の仕業かな」
「授業中は見えるのにな。向こうが」
背面黒板を向いたまま、僕はグっと身体を伸ばした。
美術室での怖い声が聞こえてから、放課後に小田がいる教室が出現しなくなった。
呼びかけても、静かに待っても、教室は現れない。
これまで放課後は小田に会っていたから、会えなくなると不安になる。怪異との関りが楽しくなっていたから喪失感が大きい。
向こうが興味を持つことが無いかと考えて、櫻井のケータイに入っているモナリザとベートーベンの写メを印刷してみたが無理だった。
背面黒板前に置いておけば、差し入れはいつの間にか受け取ってくれるが、直接の接触ができない。
「ま、本来はこれが普通なんだけどな。お化けの世界なんて関わらなくていいんだけど。でも、こうなると、小田はどうなるんだ?」
「授業は受けているから、小田が生きているのは分かるけどな。やっぱ急に会えないとモヤる。俺らとの関係が良くないって判断されたか」
櫻井は背面黒板から視線を外さない。黒板を睨んでいるようにも見える。
「分からん。あ、モナリザの恋を成就させたから、かもしれないな」
「もしかしたら、怖い声のヤツは、モナリザとベートーベンとの三角関係だった、とか?」
目を見開いて櫻井と見合った。
「……モナリザ、モテるんだ」
「ブハハ!」
声を上げて二人で笑った。だけど、すぐに笑いが治まる。一つため息をついて背面黒板を眺めた。
「小田、大丈夫かな」
「それな」
教室を風が抜ける。熱風じゃないのが嬉しい。
「小田があっちの教室に行ってしまった理由って何だろう。秘密の恋心がバレたから、だけじゃない気がする」
僕はコクリと頷いた。
「加藤を好きってバレた事が要因なら、僕を避けたいはずだけど、小田はそんな素振りは見せないし」
始めの頃は、秘密の想いに僕が触れたことが原因かと思った。けれど、小田の様子を見て確信している。原因はそこじゃない。きっと他の何かがある。
「だよな。藤沢が聞いた声って、男性? どんな感じ?」
「男。櫻井には言えなかったけど、実は、あの声を二回聞いてるんだ」
「え? どういうことだ?」
「一回目は、音楽室で。僕がちょっと昔の嫌な気持ちになったとき。櫻井が音楽室から連れ出してくれたけど、その時に、こっちに来れば楽なんだって声がした」
櫻井は考え込むように黙ってしまった。
「小田と藤沢に聞こえて、俺に聞こえない。何が違うんだろ?」
言われてみて、どんなときに声が聞こえたかを振り返ってみた。
音楽室では、昔の嫌な記憶が蘇って気持ちが落ち込んで、追い打ちを掛けるように櫻井にイラついた。気分的には大きく沈んだ瞬間だった。
あの時に聞いた男の声は優しいのに冷たい奇妙な感覚がした。
二回目の声。
美術室での男の声は明らかな怒りが込められていた。怒りの矛先は、あっちの世界に関わった僕と櫻井二人に対してだろう。だけど、僕にしか男の声は聞こえなかった。
「櫻井は、気配も感じなかった?」
「うん。全然。うしろの教室は見えるのにな」
櫻井が机の上に置いたスナック菓子を手に取って口に入れる。カリカリと軽快な音がする。つられて僕もポイっと口に入れる。
「ちょっと書いてみようぜ」
ガサゴソとノートを取り出して、今起きている事を図にしてみようと取りかかった。
四角い枠に「現実の教室」とかいて、そのなかに丸を三つ。それぞれに加藤・櫻井・藤沢と記入した。
そしてもう一つの四角枠に「あっちの教室」と書く。その中に小田・モナリザ・ベートーベン・怖い奴、と書き込む。
「お、藤沢ナイスアイデア。わかりやすいわ」
言いながら櫻井がシャープペンで色々書き足す。小田には『行方不明中』、その真横に『なぜいなくなったのか不明』、モナリザとベートーベンはハートで囲む。小田から加藤に向けてのハートマーク。ついでに僕と櫻井が線で繋がって『友達』、さらに加藤のところには『クラスメイト・サッカー部』。
櫻井は僕との関係を迷うことなく友達と書いた。そんな小さなことに、照れくさいような温かさが生まれる。
変な顔になっていそうで、僕は慌てて口元を手で隠した。櫻井は書くことに夢中で僕の様子に気が付いていない。少しほっとした。
「互いに知ってる情報、書いてみよう」
そうしてしばらくはシャーペンの音がリズミカルに教室に流れた。
「こんなもんか。藤沢、いい?」
「おお。結構書けたな」
ペンをカタンと置きノートを眺める。
「では赤ペンで、重要なことをマークしましょう」
「あはは! 急に教師風かよ」
僕の声に櫻井が乗り気になる。にやっと口角が上がり、黒い瞳がいたずらっぽく輝いた。
「はい、では藤沢くん。重要な項目を読み上げてください」
完全に教師になりきるから僕も生徒役に徹する。
「はぁい、櫻井先生。僕は、小田があっちの世界に行ってしまった原因が気になります。そもそも、小田はどんな奴なのか、書いてみてもサッパリ分からなかったです」
「はい、イイ意見です。先生も小田くんがどんな性格か、何が得意か、まったく知らないことに気が付きました」
「あはは! ダメ教師じゃん」
「だな! 先生ごっこ、やめやめ」
小田の丸の近くに赤ペンで星マークが描かれる。
「小田の事は一番の最重要だよな。で、結構疑問なのは、背面黒板の向こうに教室が見えているのが僕と櫻井だけって事。怖い奴の事もそうだけど、見える限定がある気がする」
「向こうの教室が見えている俺たちの共通点、か」
もともと僕と櫻井と小田は仲良くない。ただクラスが同じなだけ。その接点は……。
「小田が加藤に好意を寄せているという事実を知っていること、か?」
櫻井が小田から加藤に向かう線を赤くなぞる。僕が小田の気持ちを指摘してしまったのは、小田がいなくなる前日の放課後だった。その場に居合わせたのは、僕と櫻井だ。
「うん。多分それは合ってるはず。それ以外に知っている小田のことは?」
「本が好き。今読んでるのは、けしからん不倫モノ」
「あはは! それな。でも、性格も交友関係もいまいち分からないよな。もちろん悩みも分からん」
スナック菓子を咀嚼しながら背面黒板を見上げた。そこにあるのはただの黒板。
「よし! 藤沢、ここで黒板見つめてても仕方が無い。小田の調査しに行こうぜ」
「は? 小田の調査?」
「そ。小田が仲良かった交友関係や家の様子とか。こっちから語り掛けて、もし小田が興味持ってくれたら、また教室が繋がるかもしれないだろ?」
それもそうかと思う。じっと待つより動いた方が良い。
「櫻井、僕は小田が家に帰りたいとか言わないのが気になっている」
「家族仲、よくないのかな。その辺も知ってる奴いるかもだし、聞いてみよ」
「じゃ、美術室にいくか。小田、また明日」
「小田、またな」
見えなくても声が届くといい。僕たちは返事がない背面黒板に小さく手を振った。
やることが決まり、久しぶりに晴れやかな気持ちで教室を後にした。
けれど夕方になると日の陰りが早くなっていて秋が近づいているのをわずかに感じる。放課後の教室がやや過ごしやすくなっている。
「あっち。なぁ藤沢、秋は何処行ったんだ」
「それな。小田、秋限定お菓子ゲットしたぞ。モナリザとベートーベン用のチーズ味も」
何か反応がないかと期待を込めて背面黒板を見つめるが、今日も背面黒板は黒板のまま。
「ダメかぁ。やっぱ藤沢が聞いた声の奴の仕業かな」
「授業中は見えるのにな。向こうが」
背面黒板を向いたまま、僕はグっと身体を伸ばした。
美術室での怖い声が聞こえてから、放課後に小田がいる教室が出現しなくなった。
呼びかけても、静かに待っても、教室は現れない。
これまで放課後は小田に会っていたから、会えなくなると不安になる。怪異との関りが楽しくなっていたから喪失感が大きい。
向こうが興味を持つことが無いかと考えて、櫻井のケータイに入っているモナリザとベートーベンの写メを印刷してみたが無理だった。
背面黒板前に置いておけば、差し入れはいつの間にか受け取ってくれるが、直接の接触ができない。
「ま、本来はこれが普通なんだけどな。お化けの世界なんて関わらなくていいんだけど。でも、こうなると、小田はどうなるんだ?」
「授業は受けているから、小田が生きているのは分かるけどな。やっぱ急に会えないとモヤる。俺らとの関係が良くないって判断されたか」
櫻井は背面黒板から視線を外さない。黒板を睨んでいるようにも見える。
「分からん。あ、モナリザの恋を成就させたから、かもしれないな」
「もしかしたら、怖い声のヤツは、モナリザとベートーベンとの三角関係だった、とか?」
目を見開いて櫻井と見合った。
「……モナリザ、モテるんだ」
「ブハハ!」
声を上げて二人で笑った。だけど、すぐに笑いが治まる。一つため息をついて背面黒板を眺めた。
「小田、大丈夫かな」
「それな」
教室を風が抜ける。熱風じゃないのが嬉しい。
「小田があっちの教室に行ってしまった理由って何だろう。秘密の恋心がバレたから、だけじゃない気がする」
僕はコクリと頷いた。
「加藤を好きってバレた事が要因なら、僕を避けたいはずだけど、小田はそんな素振りは見せないし」
始めの頃は、秘密の想いに僕が触れたことが原因かと思った。けれど、小田の様子を見て確信している。原因はそこじゃない。きっと他の何かがある。
「だよな。藤沢が聞いた声って、男性? どんな感じ?」
「男。櫻井には言えなかったけど、実は、あの声を二回聞いてるんだ」
「え? どういうことだ?」
「一回目は、音楽室で。僕がちょっと昔の嫌な気持ちになったとき。櫻井が音楽室から連れ出してくれたけど、その時に、こっちに来れば楽なんだって声がした」
櫻井は考え込むように黙ってしまった。
「小田と藤沢に聞こえて、俺に聞こえない。何が違うんだろ?」
言われてみて、どんなときに声が聞こえたかを振り返ってみた。
音楽室では、昔の嫌な記憶が蘇って気持ちが落ち込んで、追い打ちを掛けるように櫻井にイラついた。気分的には大きく沈んだ瞬間だった。
あの時に聞いた男の声は優しいのに冷たい奇妙な感覚がした。
二回目の声。
美術室での男の声は明らかな怒りが込められていた。怒りの矛先は、あっちの世界に関わった僕と櫻井二人に対してだろう。だけど、僕にしか男の声は聞こえなかった。
「櫻井は、気配も感じなかった?」
「うん。全然。うしろの教室は見えるのにな」
櫻井が机の上に置いたスナック菓子を手に取って口に入れる。カリカリと軽快な音がする。つられて僕もポイっと口に入れる。
「ちょっと書いてみようぜ」
ガサゴソとノートを取り出して、今起きている事を図にしてみようと取りかかった。
四角い枠に「現実の教室」とかいて、そのなかに丸を三つ。それぞれに加藤・櫻井・藤沢と記入した。
そしてもう一つの四角枠に「あっちの教室」と書く。その中に小田・モナリザ・ベートーベン・怖い奴、と書き込む。
「お、藤沢ナイスアイデア。わかりやすいわ」
言いながら櫻井がシャープペンで色々書き足す。小田には『行方不明中』、その真横に『なぜいなくなったのか不明』、モナリザとベートーベンはハートで囲む。小田から加藤に向けてのハートマーク。ついでに僕と櫻井が線で繋がって『友達』、さらに加藤のところには『クラスメイト・サッカー部』。
櫻井は僕との関係を迷うことなく友達と書いた。そんな小さなことに、照れくさいような温かさが生まれる。
変な顔になっていそうで、僕は慌てて口元を手で隠した。櫻井は書くことに夢中で僕の様子に気が付いていない。少しほっとした。
「互いに知ってる情報、書いてみよう」
そうしてしばらくはシャーペンの音がリズミカルに教室に流れた。
「こんなもんか。藤沢、いい?」
「おお。結構書けたな」
ペンをカタンと置きノートを眺める。
「では赤ペンで、重要なことをマークしましょう」
「あはは! 急に教師風かよ」
僕の声に櫻井が乗り気になる。にやっと口角が上がり、黒い瞳がいたずらっぽく輝いた。
「はい、では藤沢くん。重要な項目を読み上げてください」
完全に教師になりきるから僕も生徒役に徹する。
「はぁい、櫻井先生。僕は、小田があっちの世界に行ってしまった原因が気になります。そもそも、小田はどんな奴なのか、書いてみてもサッパリ分からなかったです」
「はい、イイ意見です。先生も小田くんがどんな性格か、何が得意か、まったく知らないことに気が付きました」
「あはは! ダメ教師じゃん」
「だな! 先生ごっこ、やめやめ」
小田の丸の近くに赤ペンで星マークが描かれる。
「小田の事は一番の最重要だよな。で、結構疑問なのは、背面黒板の向こうに教室が見えているのが僕と櫻井だけって事。怖い奴の事もそうだけど、見える限定がある気がする」
「向こうの教室が見えている俺たちの共通点、か」
もともと僕と櫻井と小田は仲良くない。ただクラスが同じなだけ。その接点は……。
「小田が加藤に好意を寄せているという事実を知っていること、か?」
櫻井が小田から加藤に向かう線を赤くなぞる。僕が小田の気持ちを指摘してしまったのは、小田がいなくなる前日の放課後だった。その場に居合わせたのは、僕と櫻井だ。
「うん。多分それは合ってるはず。それ以外に知っている小田のことは?」
「本が好き。今読んでるのは、けしからん不倫モノ」
「あはは! それな。でも、性格も交友関係もいまいち分からないよな。もちろん悩みも分からん」
スナック菓子を咀嚼しながら背面黒板を見上げた。そこにあるのはただの黒板。
「よし! 藤沢、ここで黒板見つめてても仕方が無い。小田の調査しに行こうぜ」
「は? 小田の調査?」
「そ。小田が仲良かった交友関係や家の様子とか。こっちから語り掛けて、もし小田が興味持ってくれたら、また教室が繋がるかもしれないだろ?」
それもそうかと思う。じっと待つより動いた方が良い。
「櫻井、僕は小田が家に帰りたいとか言わないのが気になっている」
「家族仲、よくないのかな。その辺も知ってる奴いるかもだし、聞いてみよ」
「じゃ、美術室にいくか。小田、また明日」
「小田、またな」
見えなくても声が届くといい。僕たちは返事がない背面黒板に小さく手を振った。
やることが決まり、久しぶりに晴れやかな気持ちで教室を後にした。


