「ねえ、なぎさおにいちゃん。おえかきしたい」
「いいよ。お絵かきしよっか」
結城の家に来て一時間ほどが経った。俺は一人っ子なので小さい子の面倒を見たことはなかったが、思っていたよりも楽しい。真帆ちゃんに手を引かれ俺は椅子に座った。
「何描くの?」
「ひみつ」
「えー、教えてくれないの?」
「うん」
一枚の白紙とクレヨン、色鉛筆を持ってきて真帆ちゃんはお絵かきを始めた。俺は次第に鮮やかになるその紙を見ながら真帆ちゃんのお絵かきを見守る。
「できた」
「お、これはなんだろうー?」
「……なぎさおにいちゃん」
「え……俺……?」
真帆ちゃんは声をこもらせながら俺に紙を渡してくれた。恥ずかしいのか俺と目を合わせないよう下を向いている。
「すごく嬉しい!!ありがとう」
「ほんと……?」
「うん。ほんとだよ」
これは人間の本能だ。考えるよりも先に俺の手が真帆ちゃんを撫でていた。真帆ちゃんも「やったー」と嬉しそうに笑う。その笑顔は俺の心を浄化してくれる。
「もっと かみ もってくるー!!」
足のつかない椅子からゆっくり下りる真帆ちゃんはお絵かきの紙を取りに走っていった。その後ろ姿が心から愛おしい。そんな真帆ちゃんが離れた途端今までの疲労を一気に感じる。
(幼児って大変だな……)
「相馬、今日はマジでありがとう。本当に助かった」
エプロンを着けた結城がリビングにやってきた。
「全然いいよ。てか、こんな大変なことをずっとやってるんだね。知らなかった」
「こればかりは仕方ないよね。母さんが元気になるまでは俺が母さんの分もできるだけ繋いでおかないと」
(いや、そういうことじゃなくて……)
一人っ子の俺には分かるはずの無い苦労、両親が共に健康で元気に働いている今の俺には必要の無い苦労。料理を作ったり、洗濯物を取り込んだり、畳んだり、家の掃除をしたり。俺はやったことあるだろうか。ご飯を炊くだけ、洗濯物は親に頼まれたときだけ、畳むことはしない。掃除はかろうじて自分の部屋。自立には程遠い。
(同じ高校生なのに、なんだこの差は……)
「相馬、昼飯って食べた?」
「あ、そういえばまだだ」
「これからお昼にしようと思ってるんだけど、もしよかったら一緒に食べない?無理ならいいんだけど」
結城の提案に俺はすぐに返事は出来なかった。テスト期間最終日だったので帰りにどこかで食べてから帰ろうとは思っていたが、成り行きとはいえお昼ごはんを食べるなどここまで甘えていいのだろうか。しかし雨も降っているこの状況、ここで食べないと夕飯まで何も食べないかもしれない。
「じゃあ、……お言葉に甘えて」
「了解」
結城の頼みとは言え、ただ遊びに来て、ご飯を食べる。結城と自分を比較したときの申し訳なさは尋常じゃない。そして恥ずかしさも、等しく。
「真帆ー!!ご飯食べるよ」
「俺、呼んでくる」
「悪いな」
俺は真帆ちゃんを呼びに椅子から離れた。家をうろうろしながら真帆ちゃんを探す。俺の声に反応した返事をする彼女の声の方へ向かう。その時たまたま入った部屋には仏壇があった。そこには男性の遺影と何通もの手紙やレターセットも置かれている。遺影の写真もかなり新しい。もしかすると、この男性はここ最近亡くなったのか。そう考えると思いつくのが、電車で言っていた結城の父親だ。
(確かに、結城に似てるな……)
あくまでもこれは俺の予想。断言するのは良くない。もしかしたら年の離れたお兄さんかもしれないじゃないか。
(いや、そんなことより、今は真帆ちゃんを探さないと……)
俺は真帆ちゃんを探しに仏壇に手を合わせてからその部屋を離れる。そして床に座り紙をばらまきながら選んでいた彼女を発見した。
「真帆ちゃん、お昼ごはん食べるって」
「はーい」
手をついて立ち上がると彼女が俺の足に抱きついた。そして俺は彼女を抱き上げ結城の待つダイニングへ連れていく。
「いただきます」
結城の用意してくれた昼食を結城と真帆ちゃんと一緒に食べる。二歳児はもう一人で食べられるらしく、真帆ちゃんはスプーンも器用に使いながらごはんを食べている。ときどきこぼしているが隣に座っている結城が拭いている。
「真帆ちゃんのごはんも結城が作ったの?」
「今回はばーちゃんが作ってくれた。大人の分量だとダメだから」
「そうなんだ」
結城は自分の食事をしながら真帆ちゃんのことを見ている。
――お前、将来は絶対パートナーを束縛するタイプだろ
突然岬先輩の言葉を思い出した。これは、結城のことを何も知らない人が抱くイメージ。今の俺は結城がこんな人間になるとは思えない。むしろ、将来はいい父親になるのではないかと思う。
「ごちそうさまでした。美味しかった」
俺は空になった食器をキッチンへ運ぶ。真帆ちゃんの食事に付き合っている結城も完食していた。
「結城の皿、持っていっていい?」
「あ、ごめん。後で洗うから流しに置いておいていいよ」
「いや、俺やっておくからお前は少し休んでな」
「いいの?」
「うん」
「悪いな、助かる」
椅子に座りながら真帆ちゃんの面倒を見ている結城を見ながら洗い物をしていく俺。お皿、箸、フライパン、コップと洗い物を進めていく。俺にはこれぐらいしか出来ないから。いつも学校で見ている結城の笑顔と同じはずなのに、今日の笑顔は一段とイケメンだ。
「真帆、『ごちそうさま』は?」
「ごちそうさまでした」
「はい、よく出来ました」
結城の手が真帆ちゃんの頭を触る。そしてその手は真帆ちゃんの食器を俺のところへ持ってくる。
「ごめんね、相馬。洗い物任せちゃって」
「いいよ。てか……」
「おにいちゃーん!!」
「はいはい、ちょっと待って。今行く」
真帆ちゃんに呼ばれた結城は俺のもとから去っていった。
洗い物を終え、水道を止める。手のひらに付いた水滴を振り払ってからタオルで拭き取る。
(これって、ギターの音……?)
水の流れる音が消えたことで、新たな音が聞こえる。おそらく、結城が弾いているのだろう。俺は音色のする方へ行くと案の定結城がギターを弾いていた。
「ギター弾いてるの?」
「うん、バンドの練習には参加出来ないけど、弾かないと腕が鈍るから」
真帆ちゃんがお絵かきしている隣で結城はギターと向き合う。リビングの机には真帆ちゃんの絵が描かれている紙、そして結城がメモしているギターのコードが書かれた紙が置いてある。
「結城の両親のこと、AQUAのみんなは知らないの?」
「知らないんじゃない?少なくとも、俺は伝えてない」
「なんで?伝えた方がいいんじゃない?」
「あいつらには心配かけたくないから。バンドのことに集中してて欲しい」
結城の返答に俺は「すでに迷惑かけているだろ」と返したくなったがやめた。何がどうあれ、きっと結城は俺にも言うつもりはなかっただろう。それでも結城が俺に打ち明けたのは勇気のいることだと思った。
「それに俺、『仲間』とか『チーム』っていう綺麗事みたいな言葉、あんまり信用してないから」
(え……?)
突如発覚した彼の闇深い部分。これはAQUAを嫌いと言っているわけではないと思うが、間接的に考えればそうとも捉えられる。それに、こんなことを彼に話させている時点でまずいのではないだろうか。
「じゃあ、今のも俺が強引に話させたってことだよね。ごめん」
「いや、そういうことじゃない。誤解させてるならごめん。相馬にあんなこと言われたから話したのは間違いないけど、今は相馬を頼ってよかったって思ってる」
結城の言葉が俺の無力さをより感じさせる。
「ねえ、結城。聞きたいことがあるんだけど……」
「何?」
ギターから俺に視線を向けると言葉が喉に引っかかる。これは本当に聞いてもいいことなのかと脳がストップをかけてしまう。数秒後、ズボンを握りしめ「答えたくなければ答えなくていい」と前置きをしてから失礼にならないよう慎重に言葉を選び、何とか彼に質問する。
「遺影の男性……って、もしかして……」
「あー、父さんのこと?」
「う、うん……」
やはり、遺影の男性は結城の父親だった。そして彼は俺が重くした空気を一瞬で晴らすかのように話し始める。
「父さん、去年死んだんだよね。病気で」
「病気……」
「そう。手続きとかもいろいろあって、母さん苦しそうだった。真帆もまだ一歳の頃だし」
ギターの弦を弾き音を一つ一つ出しながら話を進める。このような話を聞くと、結城の母親が倒れたのも頷ける。結城の母親は多忙な中、旦那さんを亡くし心身ともに追い込まれたのだろう。しかし、それは結城も同じはず。
(去年ということは、結城は高一か)
「結城、前に医学部目指してるって言ってたよね」
「そう。ちょうど進路どうしようか考えてた時だから。でも医学部ってマジ学費高いじゃん?だから、難しいかなって……」
(きっと、真帆ちゃんのことも考えてるんだろうな)
学費や家庭事情で進路を諦める。大学進学率九割を超えるこの日本。それでも大学に進学しないという選択をする人もいる。いや、その選択をせざるを得ない。その大半がきっと学費が高いからと言うだろう。結城もその一人だ。国の将来を変えるかもしれない光をこの国は学費という壁で容赦なく遮る。こんな状況だから、国が変わらないのだ。
「奨学金は?」
「うん、進学するなら奨学金は貰わないとだよね」
奨学金とかっこよく銘打っているが、いわば借金。勉強するために国に借金をしなければならない。国は本当に学生の味方なのか。
晴れた黄昏時、外の電灯が点き始めた。俺はどうやら寝ていたらしい。隣では真帆ちゃんも寝ている。
「あ、起きた?」
「ごめん、俺寝てた……」
「うん、ぐっすり」
時計を見るとあと数分で十九時。そろそろ帰らなければと真帆ちゃんを起こさないよう静かに立ち上がり俺は荷物をまとめる。
「結城、俺そろそろ帰るね。服は洗濯して今度返すから」
「駅まで送ろっか……?」
「大丈夫、真帆ちゃん寝てるし」
「そう……、ごめん」
靴を履きながら後ろから聞こえる「ごめん」という謝罪に俺は言わずにはいられなかった。
「お前さ、『ごめん』って言いすぎ。なんでそんなに謝るの?別にお前は悪いことしてないよ?」
「え……」
「今の俺は『ごめん』より『ありがとう』って言われたい」
結城の顔を見ながら俺はそう伝える。そして俺は結城に四つ折にした一枚の紙を渡した。紙を受け取った結城はそれを開く。
「何これ……?」
「俺の連絡先。もしまた困ったら連絡してよ。出来るだけ駆けつけるから」
「相馬……」
「一人で抱えるなよ。俺がいる。辛かったら『辛い』って言え。俺で良ければいくらでも聞いてやるし、俺はお前の力になりたい」
結城の手を握る俺の手に一粒の雫が落ちてきた。結城を見るとその美しい瞳に涙を溜めていた。
「ごめん……、泣くつもり無かったんだけど……」
「だから、ごめんって言うなよ……」
結城は俺を抱きしめ涙を流していた。その結城を俺は拒むことはせず静かに背中をさすった。
「相馬、好きだよ……」
「はいはい……、それはどうも」
文化祭の時と同じく抱きしめられながら「好きだよ」と言われた。俺は「ありがとう」と言われたいのに、こいつは言ってくれない。今回も「ありがとう」よりも先に「好きだよ」を言われた。
(それでも、いっか)
この時の結城を無性に彼を抱きしめたくなった。下ろしていた俺の両手が結城の背中にゆっくりと手を回す。なんだか、ホッとした。今回の告白は多分、心が乱れてるから。俺のこの気持ちもそうだ。だから簡単に流せる。そしてそれを受け入れることが出来る。もう、それでいいと思えた。乱れる結城の鼓動と伝わる身体の熱さを受け入れようとする自分が、俺たちの間に小さな友情が生まれていると感じさせるのだった。
「いいよ。お絵かきしよっか」
結城の家に来て一時間ほどが経った。俺は一人っ子なので小さい子の面倒を見たことはなかったが、思っていたよりも楽しい。真帆ちゃんに手を引かれ俺は椅子に座った。
「何描くの?」
「ひみつ」
「えー、教えてくれないの?」
「うん」
一枚の白紙とクレヨン、色鉛筆を持ってきて真帆ちゃんはお絵かきを始めた。俺は次第に鮮やかになるその紙を見ながら真帆ちゃんのお絵かきを見守る。
「できた」
「お、これはなんだろうー?」
「……なぎさおにいちゃん」
「え……俺……?」
真帆ちゃんは声をこもらせながら俺に紙を渡してくれた。恥ずかしいのか俺と目を合わせないよう下を向いている。
「すごく嬉しい!!ありがとう」
「ほんと……?」
「うん。ほんとだよ」
これは人間の本能だ。考えるよりも先に俺の手が真帆ちゃんを撫でていた。真帆ちゃんも「やったー」と嬉しそうに笑う。その笑顔は俺の心を浄化してくれる。
「もっと かみ もってくるー!!」
足のつかない椅子からゆっくり下りる真帆ちゃんはお絵かきの紙を取りに走っていった。その後ろ姿が心から愛おしい。そんな真帆ちゃんが離れた途端今までの疲労を一気に感じる。
(幼児って大変だな……)
「相馬、今日はマジでありがとう。本当に助かった」
エプロンを着けた結城がリビングにやってきた。
「全然いいよ。てか、こんな大変なことをずっとやってるんだね。知らなかった」
「こればかりは仕方ないよね。母さんが元気になるまでは俺が母さんの分もできるだけ繋いでおかないと」
(いや、そういうことじゃなくて……)
一人っ子の俺には分かるはずの無い苦労、両親が共に健康で元気に働いている今の俺には必要の無い苦労。料理を作ったり、洗濯物を取り込んだり、畳んだり、家の掃除をしたり。俺はやったことあるだろうか。ご飯を炊くだけ、洗濯物は親に頼まれたときだけ、畳むことはしない。掃除はかろうじて自分の部屋。自立には程遠い。
(同じ高校生なのに、なんだこの差は……)
「相馬、昼飯って食べた?」
「あ、そういえばまだだ」
「これからお昼にしようと思ってるんだけど、もしよかったら一緒に食べない?無理ならいいんだけど」
結城の提案に俺はすぐに返事は出来なかった。テスト期間最終日だったので帰りにどこかで食べてから帰ろうとは思っていたが、成り行きとはいえお昼ごはんを食べるなどここまで甘えていいのだろうか。しかし雨も降っているこの状況、ここで食べないと夕飯まで何も食べないかもしれない。
「じゃあ、……お言葉に甘えて」
「了解」
結城の頼みとは言え、ただ遊びに来て、ご飯を食べる。結城と自分を比較したときの申し訳なさは尋常じゃない。そして恥ずかしさも、等しく。
「真帆ー!!ご飯食べるよ」
「俺、呼んでくる」
「悪いな」
俺は真帆ちゃんを呼びに椅子から離れた。家をうろうろしながら真帆ちゃんを探す。俺の声に反応した返事をする彼女の声の方へ向かう。その時たまたま入った部屋には仏壇があった。そこには男性の遺影と何通もの手紙やレターセットも置かれている。遺影の写真もかなり新しい。もしかすると、この男性はここ最近亡くなったのか。そう考えると思いつくのが、電車で言っていた結城の父親だ。
(確かに、結城に似てるな……)
あくまでもこれは俺の予想。断言するのは良くない。もしかしたら年の離れたお兄さんかもしれないじゃないか。
(いや、そんなことより、今は真帆ちゃんを探さないと……)
俺は真帆ちゃんを探しに仏壇に手を合わせてからその部屋を離れる。そして床に座り紙をばらまきながら選んでいた彼女を発見した。
「真帆ちゃん、お昼ごはん食べるって」
「はーい」
手をついて立ち上がると彼女が俺の足に抱きついた。そして俺は彼女を抱き上げ結城の待つダイニングへ連れていく。
「いただきます」
結城の用意してくれた昼食を結城と真帆ちゃんと一緒に食べる。二歳児はもう一人で食べられるらしく、真帆ちゃんはスプーンも器用に使いながらごはんを食べている。ときどきこぼしているが隣に座っている結城が拭いている。
「真帆ちゃんのごはんも結城が作ったの?」
「今回はばーちゃんが作ってくれた。大人の分量だとダメだから」
「そうなんだ」
結城は自分の食事をしながら真帆ちゃんのことを見ている。
――お前、将来は絶対パートナーを束縛するタイプだろ
突然岬先輩の言葉を思い出した。これは、結城のことを何も知らない人が抱くイメージ。今の俺は結城がこんな人間になるとは思えない。むしろ、将来はいい父親になるのではないかと思う。
「ごちそうさまでした。美味しかった」
俺は空になった食器をキッチンへ運ぶ。真帆ちゃんの食事に付き合っている結城も完食していた。
「結城の皿、持っていっていい?」
「あ、ごめん。後で洗うから流しに置いておいていいよ」
「いや、俺やっておくからお前は少し休んでな」
「いいの?」
「うん」
「悪いな、助かる」
椅子に座りながら真帆ちゃんの面倒を見ている結城を見ながら洗い物をしていく俺。お皿、箸、フライパン、コップと洗い物を進めていく。俺にはこれぐらいしか出来ないから。いつも学校で見ている結城の笑顔と同じはずなのに、今日の笑顔は一段とイケメンだ。
「真帆、『ごちそうさま』は?」
「ごちそうさまでした」
「はい、よく出来ました」
結城の手が真帆ちゃんの頭を触る。そしてその手は真帆ちゃんの食器を俺のところへ持ってくる。
「ごめんね、相馬。洗い物任せちゃって」
「いいよ。てか……」
「おにいちゃーん!!」
「はいはい、ちょっと待って。今行く」
真帆ちゃんに呼ばれた結城は俺のもとから去っていった。
洗い物を終え、水道を止める。手のひらに付いた水滴を振り払ってからタオルで拭き取る。
(これって、ギターの音……?)
水の流れる音が消えたことで、新たな音が聞こえる。おそらく、結城が弾いているのだろう。俺は音色のする方へ行くと案の定結城がギターを弾いていた。
「ギター弾いてるの?」
「うん、バンドの練習には参加出来ないけど、弾かないと腕が鈍るから」
真帆ちゃんがお絵かきしている隣で結城はギターと向き合う。リビングの机には真帆ちゃんの絵が描かれている紙、そして結城がメモしているギターのコードが書かれた紙が置いてある。
「結城の両親のこと、AQUAのみんなは知らないの?」
「知らないんじゃない?少なくとも、俺は伝えてない」
「なんで?伝えた方がいいんじゃない?」
「あいつらには心配かけたくないから。バンドのことに集中してて欲しい」
結城の返答に俺は「すでに迷惑かけているだろ」と返したくなったがやめた。何がどうあれ、きっと結城は俺にも言うつもりはなかっただろう。それでも結城が俺に打ち明けたのは勇気のいることだと思った。
「それに俺、『仲間』とか『チーム』っていう綺麗事みたいな言葉、あんまり信用してないから」
(え……?)
突如発覚した彼の闇深い部分。これはAQUAを嫌いと言っているわけではないと思うが、間接的に考えればそうとも捉えられる。それに、こんなことを彼に話させている時点でまずいのではないだろうか。
「じゃあ、今のも俺が強引に話させたってことだよね。ごめん」
「いや、そういうことじゃない。誤解させてるならごめん。相馬にあんなこと言われたから話したのは間違いないけど、今は相馬を頼ってよかったって思ってる」
結城の言葉が俺の無力さをより感じさせる。
「ねえ、結城。聞きたいことがあるんだけど……」
「何?」
ギターから俺に視線を向けると言葉が喉に引っかかる。これは本当に聞いてもいいことなのかと脳がストップをかけてしまう。数秒後、ズボンを握りしめ「答えたくなければ答えなくていい」と前置きをしてから失礼にならないよう慎重に言葉を選び、何とか彼に質問する。
「遺影の男性……って、もしかして……」
「あー、父さんのこと?」
「う、うん……」
やはり、遺影の男性は結城の父親だった。そして彼は俺が重くした空気を一瞬で晴らすかのように話し始める。
「父さん、去年死んだんだよね。病気で」
「病気……」
「そう。手続きとかもいろいろあって、母さん苦しそうだった。真帆もまだ一歳の頃だし」
ギターの弦を弾き音を一つ一つ出しながら話を進める。このような話を聞くと、結城の母親が倒れたのも頷ける。結城の母親は多忙な中、旦那さんを亡くし心身ともに追い込まれたのだろう。しかし、それは結城も同じはず。
(去年ということは、結城は高一か)
「結城、前に医学部目指してるって言ってたよね」
「そう。ちょうど進路どうしようか考えてた時だから。でも医学部ってマジ学費高いじゃん?だから、難しいかなって……」
(きっと、真帆ちゃんのことも考えてるんだろうな)
学費や家庭事情で進路を諦める。大学進学率九割を超えるこの日本。それでも大学に進学しないという選択をする人もいる。いや、その選択をせざるを得ない。その大半がきっと学費が高いからと言うだろう。結城もその一人だ。国の将来を変えるかもしれない光をこの国は学費という壁で容赦なく遮る。こんな状況だから、国が変わらないのだ。
「奨学金は?」
「うん、進学するなら奨学金は貰わないとだよね」
奨学金とかっこよく銘打っているが、いわば借金。勉強するために国に借金をしなければならない。国は本当に学生の味方なのか。
晴れた黄昏時、外の電灯が点き始めた。俺はどうやら寝ていたらしい。隣では真帆ちゃんも寝ている。
「あ、起きた?」
「ごめん、俺寝てた……」
「うん、ぐっすり」
時計を見るとあと数分で十九時。そろそろ帰らなければと真帆ちゃんを起こさないよう静かに立ち上がり俺は荷物をまとめる。
「結城、俺そろそろ帰るね。服は洗濯して今度返すから」
「駅まで送ろっか……?」
「大丈夫、真帆ちゃん寝てるし」
「そう……、ごめん」
靴を履きながら後ろから聞こえる「ごめん」という謝罪に俺は言わずにはいられなかった。
「お前さ、『ごめん』って言いすぎ。なんでそんなに謝るの?別にお前は悪いことしてないよ?」
「え……」
「今の俺は『ごめん』より『ありがとう』って言われたい」
結城の顔を見ながら俺はそう伝える。そして俺は結城に四つ折にした一枚の紙を渡した。紙を受け取った結城はそれを開く。
「何これ……?」
「俺の連絡先。もしまた困ったら連絡してよ。出来るだけ駆けつけるから」
「相馬……」
「一人で抱えるなよ。俺がいる。辛かったら『辛い』って言え。俺で良ければいくらでも聞いてやるし、俺はお前の力になりたい」
結城の手を握る俺の手に一粒の雫が落ちてきた。結城を見るとその美しい瞳に涙を溜めていた。
「ごめん……、泣くつもり無かったんだけど……」
「だから、ごめんって言うなよ……」
結城は俺を抱きしめ涙を流していた。その結城を俺は拒むことはせず静かに背中をさすった。
「相馬、好きだよ……」
「はいはい……、それはどうも」
文化祭の時と同じく抱きしめられながら「好きだよ」と言われた。俺は「ありがとう」と言われたいのに、こいつは言ってくれない。今回も「ありがとう」よりも先に「好きだよ」を言われた。
(それでも、いっか)
この時の結城を無性に彼を抱きしめたくなった。下ろしていた俺の両手が結城の背中にゆっくりと手を回す。なんだか、ホッとした。今回の告白は多分、心が乱れてるから。俺のこの気持ちもそうだ。だから簡単に流せる。そしてそれを受け入れることが出来る。もう、それでいいと思えた。乱れる結城の鼓動と伝わる身体の熱さを受け入れようとする自分が、俺たちの間に小さな友情が生まれていると感じさせるのだった。
