神様って本当に意地悪だ。
「先生」
「結城、どうした?」
「ここなんですけど……」
教卓の実験道具を片付ける物理の先生のもとへ。今日の実験についてのことや、自宅で勉強していて分からなかったことをここで消費していく。
「あれ、誰かノート忘れてるよ」
「本当だ、この席座ってたの誰だっけ?」
物理室に残った数人のクラスメイトが机の下から一冊の緑色のノートを取り出した。出来心か、彼らは中のページをパラパラとめくる。
「うわー……なにこれ……おもろ」
「え、なになに?」
「ちょっと待って、最初から読もうぜ」
ノートの中身を見ながら、彼らは物理室でゲラゲラ大声で笑い始めた。教室にノートの持ち主がいないことを確認した彼らが教室へと戻っていく。きっと次は教室で持ち主を探すのだろう。
「結城、聞いてるか?」
「あ、すいません」
質問しておいて聞いていないなど失礼だ。「物理のノートがそんなに面白いのか」と少し気になりつつも俺は先生の話に集中する。
「なるほど、ありがとうございました」
最後まで質問に答えてくれた先生にお礼を告げる。説明の時に書いてくれた黒板の文字を消しながら「問題ないよ。いつでも聞いて」と優しく答えてくれた。ノートにメモしてからシャーペンの芯を中に指で押してしまう。
「あの……、先生。ちょっといいですか」
「どうした?」
先生が黒板消しを右手に俺の方に振り向く。
「……先生って、どうして物理の先生になったんですか?」
「え、俺?」
「はい」
最近、この質問をいろんな人にしている気がする。特に進路を本気で考え始めてから今まで、普段の生活でも働く人たちを見かけると、分かるはずもないのに「なぜこの仕事をしたいと思ったのか」とその人の気持ちを考えるようになった。
「俺はね……」
先生の返事を聞こうとしたその時、教室の外から走ってくる足音が徐々に近くなり聞こえてくる。そしてその足跡は何者かが走って物理室に戻ってきた。
相馬だ。
「あれ、相馬どうしたの?」
「え、あ、いや……ちょっと忘れ物……」
迷わずズンズンと奥の席に行く彼を目線で追いかけていると、放送がかかり先生が「今すぐ教員室へ来てください」と呼び出された。どうやら、先生に電話がかかってきたらしい。
「え、今すぐって……」
俺を見ながら優先すべき状況を選択しようとしている。進路に迷う教え子か、教員室で待たせている電話の相手か。俺はただ参考にしたい程度のことなのに、その質問が先生を引き留めてしまっている。一緒に教員室に行ってもいいが、先生は少しでも早く電話に対応したいだろうし、お昼ご飯も食べたいはず。つまり、聞くタイミングは今ではなかった。
「あ、俺のことはいいので、早く行ってください」
「悪いな……。でも、後日その質問にはきちんと答えるから、待っててくれ」
「あ、はい。ありがとうございます」
申し訳なさそうにまとめた荷物を持って先生は、忘れ物を探す相馬のことを考え物理室の鍵を俺たちに預けて物理室を出ていった。鍵を生徒に預けることは、信頼されている証拠だと俺は捉え、答えを聞けなかった寂しさを埋める。
「忘れ物は見つかった?」
「いや……ない……」
「何探してるの?手伝おうか?」
相馬はまだ忘れ物を探しているようだった。見るからに焦っている彼を見て、相当大切なものを失くしたのだろう。物理室で失くす大切なものって一体何なんだろう。
(あれ。そういえば、ここの席ってノートがあった席か)
ふと思い出したあの緑色のノート。しかし、仮に物理のノートを失くした場合、ここまで焦るだろうか。
「ただのノートだから、多分すぐ見つかると思うし」
「ノート……?」
聞こうとしていたことを本人から言ってくれた。探していたのはやはり、あのノートだった。
「ノートって言えば、さっき誰かが持って行ってたけど?」
「え⁉嘘⁉いつ⁉」
慌てて顔を上げる相馬に「お前が来る前」と答えると、相馬が物理室を走って出ていった。
(そんなに大事なノートなのか?)
ノートならここまで焦らないと思ったが、よく考えるとテスト勉強するには必要かもしれない。それなら慌てるのも頷ける。
(なんか、いつもより騒がしいな……)
教室に戻る途中、まずそう思った。教室に戻る廊下を歩いていても聞こえる喧騒が俺のクラスだと知った時、騒ぎについてその場にいたクラスメイトに尋ねた。
「ノートの持ち主探してるんだって」
「え……、ノート?」
俺は一瞬で答えにたどり着いた。今このタイミングで「ノート」と聞いたらその持ち主は彼しかいないのではないか。案の定目が合った瞬間に焦った顔をしながら視線を外す彼を見て彼が探しているものだと確信した。
(でも、何で名乗り出ないんだ?)
教室がノートの話題で盛り上がる。どうやら、書かれている内容はポエムめいた文章らしい。「そういうことか」と相馬の心境を察した。しかし何も知らない人が集まるこの教室。ある生徒は書かれている内容を音読し始め、ある生徒は日直から日誌を受け取り日誌の字とノートの字を照らし合わせ始める。こうなると、持ち主が特定されるのも時間の問題だ。そう気づいた頃にはもうすでに、教卓の上に広げられたノートは俺の手にあった。
「悪いけど、これ俺のだから」
何も考えず、俺はノートを回収する。真偽を聞かれるも、俺はその場の思いつきで適当に茶を濁す。
「うるせーな。いいだろ別に。作詞に役立つかなって日頃からいろいろ書き溜めてたんだよ。悪いかよ」
それっぽいのに、全くの嘘。俺の発言を聞いた生徒たちは「なんだ、そっかー」と俺の言い訳に納得してくれたようで諦め始めた。
俺を見つめる、ただ一人を除いて。
さすがに教室で過ごすのは気まずいのでノートとお弁当を持ってここに戻ってきた。ガチャっと音をさせながら、鍵を開ける
「鍵まだ持っててよかったー……」
教室に教科書や筆記用具を置いてから鍵を返そうと鍵の返却を後回しにしたことが、まさかの形で俺を救った。物理室付近は授業はない限り人は来ないと聞くが、実際本当に静かだ。非常に過ごしやすいが、十二月の室内だ。人の気配もしないここはより寒気を感じる。しかし、あの戦場から慌てて逃げてきた俺の体温は冬の寒さを求め、窓を開ける。
「あー……涼しい……」
冬の陽は救いだ。優しく世界を包み込むように空気を温める。そこに吹き込む冬の風は寒すぎずちょうどいい。窓を開けたまま持ってきたお弁当を広げスマホを見ながら食べる。たびたび俺の視界に「俺のものと偽って回収したノート」が入ってくる。
(いやいや、さすがに……)
俺は自分からノートを遠ざける。「持ち主はノートを回収してくれたお礼に見せてくれてもいいはずだ」と思いながらも、他人のノートを勝手に開くのは少し勇気がいるものだ。遠ざけたノートを手に取ろうと手を伸ばすも、引っ込める。この繰り返し。そんな葛藤を察したように物理室に少し強い風が入ってきた。なびくカーテンとともにそのノートは風に乗せてページを開く。
「あ、ノート……」
書かれた文字を見てしまったら、読まない方が無理だ。ノートを手に取り俺は書かれている文章を読み始める。読んで思ったのはこれは、彼の心の中を言語化するノート。確かにポエムっぽいけど、ポエムというより小説を読んでいるようだ。彼は確か文芸部。常に文章を書く環境に身を置いている。感情をこのように言葉にできるのは能力だ。俺はこんな風に書くことはできない。彼の能力に関心しながらノートを少しずつ読み進めていくと、俺は徐々に気づき始めていく。相馬がこのノートをなぜあんなに必死に探していたのかを。
きっかけは一つの文章。
『「作詞興味ないか」とキラキラした王子様から言われた。興味がないわけではない。でも、あの王子様の前では「いいよ」と意地でも言いたくなかった。あの意地悪王子の前では』
「あれ……、これって……?」
何だか、聞き覚えのある言葉。明確に俺だと名指しされているわけではないのに、妙な胸騒ぎがする。
(俺、前に相馬に作詞お願いしたことあったよな……?)
どう考えても、ここに書かれている内容に自覚がある。提案した時は「やらない」と言われたけど、こういうことだったのか。「いいよ」と言いたくなかったのか。
「てか、もしかして、今までの内容もやっぱり俺のことか……?」
これまでこのノートに書かれた文章を読んでいて、全く気付かなかったわけではない。「自販機で告白」とか「告白された」というような文字をどこかで見かけた。だが、これだけではその相手が必ずしも「俺」とは限らない。だから最初は「俺と似たようなことしてるやつがいるな」程度しか気にかけていなかった。具体的の名前が書かれていなかったこともあり、完全にスルーしていたが、やはりこのノートの登場人物が俺と相馬という前提で読むと、怖くなるほど当てはまっている。
(間違いない。これは俺だ)
ノートを勝手に見て、そしてがっかりして。俺は何がしたかったのだろう。感情の起伏が激しくコントロールしようがない。ガラッと扉の開く音に反応し、顔を上げた先に相馬がいた。
「相馬……」
「結城……何でここに……」
(やっぱり来た)
このノートを俺が回収すれば、相馬は俺を追いかけてくると思った。そうすれば、相馬と話すタイミングを作れる。そう思ったのに、このノートで全てが狂った。俺が何か言えば、相馬を困らせるかもしれない。今さら、ノートを回収したことに後悔し始める。相馬は俺からノートをかっさらい、その勢いで物理室を後にしようとする相馬に俺は今までの事を謝った。
「俺のせいで、相馬の生活壊しちゃったんだね」
「いや……」
あれが相馬の本音なんだと感じている。「いいよ」と言っていたがその優しさが無理をさせていたかもしれない。俺のために時間を割いてくれた相馬に、俺は甘えすぎていた。だから俺は、俺の謝罪に思い切って開き直る相馬にそれがどこまで通用するのか、試したくなった。
「相馬は余裕だな。こっちの気も知らないで。その気楽な感じ羨ましいよ」
「え、何それ……」
「相馬は俺のこと全然分かってない。てか、……理解しようと思ってないでしょ」
そんなことないと分かっている。俺の抱えているものを受け入れ、それを分かってくれる彼が、「理解」を放棄するなどありえない。だから彼なら、「そんなことない」と否定してくるだろう。その言葉を待ちながら俺はお弁当を食べる。いつも通りを装って食べるお弁当も、緊張で味がしない。そんな俺の目の前に相馬は再び戻ってきた。
(さあ、何て答える……?)
相馬の身体を視線でなぞりながら俺は相馬を見上げる。
「……ああ。そうだよ、その通りだよ。知るかよ結城のことなんか。だって当たり前だろ。俺はお前じゃないんだから。だからお前が考えてることなんか知るわけねーだろ」
(……そう来たか)
想定外の答えだった。まさか、俺の言葉を肯定するような答えが返ってくるとは思っていなかった。「ごめん、今の嘘」とすぐさま言いたくても、その隙を与えない相馬の行動。「好きにしろよ」と俺にノートを押し付ける彼に俺は謝ることすらできなかった。
「最悪だ……」
こんな展開になるなら、きちんと伝えておけばよかった。欲張って余計なことして、そして嫌われて。俺が招いた、最悪の展開。これ以上はもう、距離を置くしかない。味のしないお弁当を食べ終えた俺は、物理室の鍵を職員室に返し騒がしい教室に戻る。そして視線を向けた先では顔を近づけながら相馬の頬に触れている大神と目が合ったのだった。
「先生」
「結城、どうした?」
「ここなんですけど……」
教卓の実験道具を片付ける物理の先生のもとへ。今日の実験についてのことや、自宅で勉強していて分からなかったことをここで消費していく。
「あれ、誰かノート忘れてるよ」
「本当だ、この席座ってたの誰だっけ?」
物理室に残った数人のクラスメイトが机の下から一冊の緑色のノートを取り出した。出来心か、彼らは中のページをパラパラとめくる。
「うわー……なにこれ……おもろ」
「え、なになに?」
「ちょっと待って、最初から読もうぜ」
ノートの中身を見ながら、彼らは物理室でゲラゲラ大声で笑い始めた。教室にノートの持ち主がいないことを確認した彼らが教室へと戻っていく。きっと次は教室で持ち主を探すのだろう。
「結城、聞いてるか?」
「あ、すいません」
質問しておいて聞いていないなど失礼だ。「物理のノートがそんなに面白いのか」と少し気になりつつも俺は先生の話に集中する。
「なるほど、ありがとうございました」
最後まで質問に答えてくれた先生にお礼を告げる。説明の時に書いてくれた黒板の文字を消しながら「問題ないよ。いつでも聞いて」と優しく答えてくれた。ノートにメモしてからシャーペンの芯を中に指で押してしまう。
「あの……、先生。ちょっといいですか」
「どうした?」
先生が黒板消しを右手に俺の方に振り向く。
「……先生って、どうして物理の先生になったんですか?」
「え、俺?」
「はい」
最近、この質問をいろんな人にしている気がする。特に進路を本気で考え始めてから今まで、普段の生活でも働く人たちを見かけると、分かるはずもないのに「なぜこの仕事をしたいと思ったのか」とその人の気持ちを考えるようになった。
「俺はね……」
先生の返事を聞こうとしたその時、教室の外から走ってくる足音が徐々に近くなり聞こえてくる。そしてその足跡は何者かが走って物理室に戻ってきた。
相馬だ。
「あれ、相馬どうしたの?」
「え、あ、いや……ちょっと忘れ物……」
迷わずズンズンと奥の席に行く彼を目線で追いかけていると、放送がかかり先生が「今すぐ教員室へ来てください」と呼び出された。どうやら、先生に電話がかかってきたらしい。
「え、今すぐって……」
俺を見ながら優先すべき状況を選択しようとしている。進路に迷う教え子か、教員室で待たせている電話の相手か。俺はただ参考にしたい程度のことなのに、その質問が先生を引き留めてしまっている。一緒に教員室に行ってもいいが、先生は少しでも早く電話に対応したいだろうし、お昼ご飯も食べたいはず。つまり、聞くタイミングは今ではなかった。
「あ、俺のことはいいので、早く行ってください」
「悪いな……。でも、後日その質問にはきちんと答えるから、待っててくれ」
「あ、はい。ありがとうございます」
申し訳なさそうにまとめた荷物を持って先生は、忘れ物を探す相馬のことを考え物理室の鍵を俺たちに預けて物理室を出ていった。鍵を生徒に預けることは、信頼されている証拠だと俺は捉え、答えを聞けなかった寂しさを埋める。
「忘れ物は見つかった?」
「いや……ない……」
「何探してるの?手伝おうか?」
相馬はまだ忘れ物を探しているようだった。見るからに焦っている彼を見て、相当大切なものを失くしたのだろう。物理室で失くす大切なものって一体何なんだろう。
(あれ。そういえば、ここの席ってノートがあった席か)
ふと思い出したあの緑色のノート。しかし、仮に物理のノートを失くした場合、ここまで焦るだろうか。
「ただのノートだから、多分すぐ見つかると思うし」
「ノート……?」
聞こうとしていたことを本人から言ってくれた。探していたのはやはり、あのノートだった。
「ノートって言えば、さっき誰かが持って行ってたけど?」
「え⁉嘘⁉いつ⁉」
慌てて顔を上げる相馬に「お前が来る前」と答えると、相馬が物理室を走って出ていった。
(そんなに大事なノートなのか?)
ノートならここまで焦らないと思ったが、よく考えるとテスト勉強するには必要かもしれない。それなら慌てるのも頷ける。
(なんか、いつもより騒がしいな……)
教室に戻る途中、まずそう思った。教室に戻る廊下を歩いていても聞こえる喧騒が俺のクラスだと知った時、騒ぎについてその場にいたクラスメイトに尋ねた。
「ノートの持ち主探してるんだって」
「え……、ノート?」
俺は一瞬で答えにたどり着いた。今このタイミングで「ノート」と聞いたらその持ち主は彼しかいないのではないか。案の定目が合った瞬間に焦った顔をしながら視線を外す彼を見て彼が探しているものだと確信した。
(でも、何で名乗り出ないんだ?)
教室がノートの話題で盛り上がる。どうやら、書かれている内容はポエムめいた文章らしい。「そういうことか」と相馬の心境を察した。しかし何も知らない人が集まるこの教室。ある生徒は書かれている内容を音読し始め、ある生徒は日直から日誌を受け取り日誌の字とノートの字を照らし合わせ始める。こうなると、持ち主が特定されるのも時間の問題だ。そう気づいた頃にはもうすでに、教卓の上に広げられたノートは俺の手にあった。
「悪いけど、これ俺のだから」
何も考えず、俺はノートを回収する。真偽を聞かれるも、俺はその場の思いつきで適当に茶を濁す。
「うるせーな。いいだろ別に。作詞に役立つかなって日頃からいろいろ書き溜めてたんだよ。悪いかよ」
それっぽいのに、全くの嘘。俺の発言を聞いた生徒たちは「なんだ、そっかー」と俺の言い訳に納得してくれたようで諦め始めた。
俺を見つめる、ただ一人を除いて。
さすがに教室で過ごすのは気まずいのでノートとお弁当を持ってここに戻ってきた。ガチャっと音をさせながら、鍵を開ける
「鍵まだ持っててよかったー……」
教室に教科書や筆記用具を置いてから鍵を返そうと鍵の返却を後回しにしたことが、まさかの形で俺を救った。物理室付近は授業はない限り人は来ないと聞くが、実際本当に静かだ。非常に過ごしやすいが、十二月の室内だ。人の気配もしないここはより寒気を感じる。しかし、あの戦場から慌てて逃げてきた俺の体温は冬の寒さを求め、窓を開ける。
「あー……涼しい……」
冬の陽は救いだ。優しく世界を包み込むように空気を温める。そこに吹き込む冬の風は寒すぎずちょうどいい。窓を開けたまま持ってきたお弁当を広げスマホを見ながら食べる。たびたび俺の視界に「俺のものと偽って回収したノート」が入ってくる。
(いやいや、さすがに……)
俺は自分からノートを遠ざける。「持ち主はノートを回収してくれたお礼に見せてくれてもいいはずだ」と思いながらも、他人のノートを勝手に開くのは少し勇気がいるものだ。遠ざけたノートを手に取ろうと手を伸ばすも、引っ込める。この繰り返し。そんな葛藤を察したように物理室に少し強い風が入ってきた。なびくカーテンとともにそのノートは風に乗せてページを開く。
「あ、ノート……」
書かれた文字を見てしまったら、読まない方が無理だ。ノートを手に取り俺は書かれている文章を読み始める。読んで思ったのはこれは、彼の心の中を言語化するノート。確かにポエムっぽいけど、ポエムというより小説を読んでいるようだ。彼は確か文芸部。常に文章を書く環境に身を置いている。感情をこのように言葉にできるのは能力だ。俺はこんな風に書くことはできない。彼の能力に関心しながらノートを少しずつ読み進めていくと、俺は徐々に気づき始めていく。相馬がこのノートをなぜあんなに必死に探していたのかを。
きっかけは一つの文章。
『「作詞興味ないか」とキラキラした王子様から言われた。興味がないわけではない。でも、あの王子様の前では「いいよ」と意地でも言いたくなかった。あの意地悪王子の前では』
「あれ……、これって……?」
何だか、聞き覚えのある言葉。明確に俺だと名指しされているわけではないのに、妙な胸騒ぎがする。
(俺、前に相馬に作詞お願いしたことあったよな……?)
どう考えても、ここに書かれている内容に自覚がある。提案した時は「やらない」と言われたけど、こういうことだったのか。「いいよ」と言いたくなかったのか。
「てか、もしかして、今までの内容もやっぱり俺のことか……?」
これまでこのノートに書かれた文章を読んでいて、全く気付かなかったわけではない。「自販機で告白」とか「告白された」というような文字をどこかで見かけた。だが、これだけではその相手が必ずしも「俺」とは限らない。だから最初は「俺と似たようなことしてるやつがいるな」程度しか気にかけていなかった。具体的の名前が書かれていなかったこともあり、完全にスルーしていたが、やはりこのノートの登場人物が俺と相馬という前提で読むと、怖くなるほど当てはまっている。
(間違いない。これは俺だ)
ノートを勝手に見て、そしてがっかりして。俺は何がしたかったのだろう。感情の起伏が激しくコントロールしようがない。ガラッと扉の開く音に反応し、顔を上げた先に相馬がいた。
「相馬……」
「結城……何でここに……」
(やっぱり来た)
このノートを俺が回収すれば、相馬は俺を追いかけてくると思った。そうすれば、相馬と話すタイミングを作れる。そう思ったのに、このノートで全てが狂った。俺が何か言えば、相馬を困らせるかもしれない。今さら、ノートを回収したことに後悔し始める。相馬は俺からノートをかっさらい、その勢いで物理室を後にしようとする相馬に俺は今までの事を謝った。
「俺のせいで、相馬の生活壊しちゃったんだね」
「いや……」
あれが相馬の本音なんだと感じている。「いいよ」と言っていたがその優しさが無理をさせていたかもしれない。俺のために時間を割いてくれた相馬に、俺は甘えすぎていた。だから俺は、俺の謝罪に思い切って開き直る相馬にそれがどこまで通用するのか、試したくなった。
「相馬は余裕だな。こっちの気も知らないで。その気楽な感じ羨ましいよ」
「え、何それ……」
「相馬は俺のこと全然分かってない。てか、……理解しようと思ってないでしょ」
そんなことないと分かっている。俺の抱えているものを受け入れ、それを分かってくれる彼が、「理解」を放棄するなどありえない。だから彼なら、「そんなことない」と否定してくるだろう。その言葉を待ちながら俺はお弁当を食べる。いつも通りを装って食べるお弁当も、緊張で味がしない。そんな俺の目の前に相馬は再び戻ってきた。
(さあ、何て答える……?)
相馬の身体を視線でなぞりながら俺は相馬を見上げる。
「……ああ。そうだよ、その通りだよ。知るかよ結城のことなんか。だって当たり前だろ。俺はお前じゃないんだから。だからお前が考えてることなんか知るわけねーだろ」
(……そう来たか)
想定外の答えだった。まさか、俺の言葉を肯定するような答えが返ってくるとは思っていなかった。「ごめん、今の嘘」とすぐさま言いたくても、その隙を与えない相馬の行動。「好きにしろよ」と俺にノートを押し付ける彼に俺は謝ることすらできなかった。
「最悪だ……」
こんな展開になるなら、きちんと伝えておけばよかった。欲張って余計なことして、そして嫌われて。俺が招いた、最悪の展開。これ以上はもう、距離を置くしかない。味のしないお弁当を食べ終えた俺は、物理室の鍵を職員室に返し騒がしい教室に戻る。そして視線を向けた先では顔を近づけながら相馬の頬に触れている大神と目が合ったのだった。
