文化祭の舞台上で王子様から突然告白されたが、どうやら本気らしい

相馬が俺にノートを渡した。この場合、俺が奪ったと言う方がいいのだろうか。あんなこと言われたらもう仕方ない。大人しくかばんの中にしまい、家に持ち帰る。
「俺への愚痴が書かれているから必死だったのかな……」
最初はポエムが恥ずかしかったからだと思っていたが、物理室でノートを読みながら思った。ポエムめいた文章の中に俺にらしき人物が登場していると。読んでいる途中で物理室に駆け込んできた相馬に回収されたためそれ以降の内容は分からないが、その書き込みから察するに相馬は明らかにその人物を嫌っているということは分かった。つまり、俺は相馬に嫌われている可能性があるわけだ。もともと俺は、相馬との関係に関して最初から嫌われること覚悟の上でのものだった。こうなることは想定内だが、実際にそうだと「もっと違う方法があったのではないか」と思えてくる。
「俺のこと、他になんて書いてるんだろ……」
いくらでも傷つく準備はできている。そう心に決め俺はノートに書かれた文章を一通り読んでいく。すると現れた一つの文章が俺の目に止まった。

『本当の優しさを俺ははじめて見た気がする。でも王子様はプリンセスに尽くさなければならないと誰かが決めたのか。それが当たり前の環境で生きる彼は、優しさを与えるだけの人間なのか。強さを求められなければならないのか。その優しさが少しでも結城自身に届いてほしい。もっと弱くていいんだよと伝えたい。』

「何これ……」
明らかに今までの文章とはテイストの違うものが出てきた。今まで、俺の名前が出てくることは一切なかったのに。「結城」とはっきり文字で書かれている。この間に「何があったんだ?」と心配になるレベルの温度差だ。そしてこの文字たちが、俺に昔を思い出させた。

高校一年の春。

新学期の期待とともにやってきた一本の電話。夕飯の途中でかかってきた電話に、時が止まったようにその場に立ち尽くす母さんの姿を見て俺は全てを悟った。そしてその予想は見事に的中する。
「……浬。今すぐ出れる準備して。……早く」
「……うん」
受話器を置いて電話を終えた母さんが声を震わせ俺に促す。炊けてまもない白米で温められた茶碗を置き、階段を上り自分の部屋へ。
(さすがに病院でパジャマはまずいよな……)
帰ってきてからお風呂に入ったため今の俺の服装は薄いパジャマ。ファッションに興味はあるが、今はそんなことを気にしている暇などない。タンスから服を引っ張り出し、とにかく清潔感が出ればいいとズボンに足を通す。母さんの「行くよ」という声にクローゼットから適当に羽織れるものを出す。
「あれ、スマホどこ行った……?」
母さんの催促に次第にテンパり始める俺は、ベッドに置かれているスマホを数秒間探し回りながらなんとか発見し、準備を終えた。ダイニングの電気をつけたまま俺たちは病院へ向かう。
「浬、真帆におやつ食べさせてあげて。あと浬もパン食べな」
助手席のボストンバッグから取り出した袋を後ろの席に座る俺に渡す。その袋には、生まれてまもなく一年になる妹の真帆と俺が車内で空腹を避けられるよう母さんが緊急で詰め込んだおやつやパンが入っていた。
「真帆、お腹空いてない?」
そう言葉をかけながら、俺は幼児用のせんべいを一枚袋から出し真帆に渡す。小さな手がそのせんべいを受け取る。きっとこの子は何が起きているのか分かっていないはず。いつもなら明るいはずの空が世界を支配するように墨で塗りつぶされているみたいだ。閉ざされた空間で一人せんべいをもぐもぐ食べている彼女に、なんだか安心する。一歳になっていないのに車内に漂うただならぬ空気に真帆も何かを感じたのか周りをきょろきょろ見渡し始めた。
「母さん、食べなくて平気?」
「今はいいよ。落ち着いてから食べるから。心配してくれてありがとう」
「そっか……」
(本当は母さんが一番不安だろうに……)
俺たちを連れている以上、一番強くなければならないとハンドルを握りながら自分に呪いをかけている。いや、そう思うことで気持ちを紛らわせているのかもしれない。俺は袋からパンを一つ取り食べる。夜に菓子パンを食べる背徳感を初めて知った。総菜パンだったら、味わうことはなかった罪悪感。しかし、総菜パンだったら、今ごろ車内には甘い匂いではなく茶色い匂いでこもっていただろう。

駐車場に車を止めてから、後ろの扉を開けた母さんがチャイルドシートから真帆を抱き上げる。気持ちよさそうに寝ていた彼女が目を開けたがそのすぐに瞼を下ろす。
「俺がおんぶするよ。抱っこ紐どこ」
仕事や運転という肉体的疲労と焦りや不安という精神的疲労の両方を抱える母さんが少しでも楽になるならと、抱っこ紐を受け取り俺は眠りに落ちた真帆をおんぶする。
「よいっしょ……っと」
おんぶして分かったが、人間って小さくてもかなり重い。寝ていることで真帆の全体重が俺にのしかかっているわけだから当たり前っちゃ当たり前だが。こうやって経験することで初めて気づくこともあるのだ。
「遅くなりました。結城洋介(ゆうき ようすけ)の妻です」
「お待ちしておりました。こちらです」
医者に案内され父の病室に向かう。歩く速さがいつもより早くなる。俺の背中で吐息をさせながら眠る真帆が起きないか心配だ。

病室のベッドで横になっている父さん。暗くてよく見えないが、静かに寝ているようにも見える。だけど、ベッドに声を殺して身体を細かく震わせる母さんの様子をこれ以上、見ていられない。それに、静かなこの場所で、真帆が起きたら病院全体に迷惑をかけることになる。母さんのそばにいてあげたい、だけどマナーを捨てるわけにはいかない。病室から一歩離れると父の担当医が病室を出ていくのが見えた
「あの、父さんは、大丈夫なんでしょうか……」
「そうですねー……。正直なんとも言えない状態です。がんの進行もかなり早いので、いつ何があってもおかしくありません」
「……そうですか」
何となく覚悟していたこの事態。人は生があれば必ず死は来る。父さんはそのタイミングが早かっただけ。じいちゃんとばあちゃんを置いて、この世を去るかもしれない。生きるって残酷だ。
「浬‼」
「……ばあちゃん」
病室の外で待っていると、ばあちゃんがじいちゃんとやってきた。ばあちゃんが俺の名前を呼びながらこちらにやってくる。
「来てくれてありがと……」
「遅くなってごめんね。不安だったよね。怖かったよね。もう大丈夫だから」
俺の言葉を遮り、二人が抱きしめてくれた。真帆をおんぶしていなかったら今ごろ泣き崩れていたかもしれない。兄としてのプライドが俺をどこまでも強くする。

ばあちゃんたちと一緒に病室に戻ると、母さんは持ってきた荷物を整理していた。ばあちゃんとじいちゃん、つまり俺の母さんの両親が到着したことに気付くと、母さんは荷物整理を中断し、二人のもとへ駆けつける。
「来てくれてありがとう」
「こちらこそ、連絡くれてありがとう。洋介くんの容体は?」
ばあちゃんの質問に母さんが説明している。聞いた感じ、俺の聞いたことと同じ内容だった。やはり、現状ではなんともいえないというのが最適解のようだ。
「浬、慌てて病院に連れてきてごめんね」
「いや、いいよ別に」
「明日も学校あるから、今日はばあちゃんと先に帰りなさい」
「え……」
確かに、明日も学校はある。新たに高校一年生という時代を始めたばかり。だけど、俺は危篤の家族を見捨てるのか。明らかに顔の引きつっている母さんをこの病室に一人置いて学校へ行くのか。新学期を祝うのか。満開の桜の下で笑って写真を撮るのか。明るい未来より、俺は暗い現実にいたい。母さんのそばにいたい。
「浬、一緒に帰ろう」
「いや、ちょっと、待ってよ……」
「お願い、浬。今、お母さんは浬にいつも通りでいてほしいの。苦しいのは分かるけど、浬の決められた時間はきちんと自分のために使いなさい」
俺の時間は何のためにあるんだよ。俺は今日何のために病院まで来たんだよ。俺は何で真帆をおんぶしているんだよ。それは全部俺だけの理由じゃない。俺の時間は日々を送るため。誰と。大切な人と。大切な誰かを喜ばせるため、幸せにするため、救うためなら、俺は時間だって捧げる。学校だって休んでやる。どうせ新学期。まだ友達もいない。父さんと母さんが寂しい思いをしないのならこっちを優先するに決まってる。
「お願い、浬……」
「……分かった」
自宅の鍵を渡す母さん。冷たく少し震えていた母さんの手が俺の手を握ってきて、このまま言い合っていても仕方ないと思い始めた。俺が折れなければ、母さんが無理するのではないかと思ったから。

「浬、夕飯は食べた?」
ばあちゃんの車から深く黒い空を眺める俺は、窓に映る自分と目が合う。
「あんまり食べてない。夕飯食べようとしたタイミングで電話かかってきたから」
「じゃあ、どっか食べに行こうか。何食べたい?」
「いや、いらない。来るときパン食べたし食欲無いし……」
病院の匂いが鼻に残る。匂いと父の姿が俺の脳裏にこびりついて離れない。
「ダメだ。成長期なんだから、ちゃんと食べなさい」
「そうよ、浬」
「……じゃあ、どこでもいいよ、もう」
質問に対して、「どこでもいい」とか「なんでもいい」という返事が一番良くないことくらい知っている。だけど、正しい答えを考えることがめんどくさくなり禁じ手を使う。俺がどう答えようが、きっと同じ結末になるだろう。じいちゃんが近くに見えたコンビニの駐車場に入った。
「俺、真帆と待ってるから」
「分かった」
ばあちゃんとじいちゃんがコンビニへ行く中、俺は暗い車内にそっと一息をつく。月が出ていても、街灯が点いていても、夜の孤独を埋めることはできない。
「やっべ……さすがに眠くなってきた……」
時刻はまもなく午後十一時。俺はご飯を食べるとかより、普通に眠りたい。隣でスヤスヤと移動したチャイルドシートに守られながら眠る真帆が、羨ましい。

車の外から声が聞こえた直後、扉が開き車内に明かりが点く。閃光に襲われ手のひらで覆うも、次第にその視界が整っていく。どうやら俺は眠っていたらしい。
「はい、浬。せめておにぎりは食べなさい」
「あ……ありがとう」
帰ってきたばあちゃんから袋を受け取り、手を突っ込む。中の具など何でもいい。取ったおにぎりを開封し口へ運ぶ。コンビニのおにぎり特有のパリパリとした海苔を味わいながらも意識は睡眠へと持っていかれる。舌に感じる米の甘味と鮭の優しい食感が俺の胃を満たす。
「浬、今日の夜、どうする?」
「どうするって?」
「浬が良ければだけど、このままばあちゃんの家に帰ろうかと思って。今夜家に泊まる?」
この時母さんがばあちゃんに連絡したのは、父さんの緊急見舞いもあるが、多分俺と真帆を迎えに行くためでもあったと思った。母さんがボストンバッグを持っていったのも、病院に泊まるため。そうすると親としては、自分の子供たちを家に残すことはしたくないと考えるはずだ。小さい子供がいるならなおさらだ。
「母さんはなんて言ってたの?」
「真帆のことを見て欲しいとは言ってたけど、浬を優先してあげてって」
「俺かよ……」
翌日が休日なら迷わず泊まりを選択しただろう。結局、俺は泊まることは選ばなかった。だが、真帆を一時的にばあちゃんたちへ預けることにした。
「じゃあ、浬おやすみ。困ったらいつでも電話してね」
「うん。ありがとう。真帆のことよろしく」
自宅まで送ってくれた車を見送ってから、俺は鍵を開ける。
「ただいま……」
誰も答えてくれないと分かっていながら、いつも通りの帰宅で靴を脱ぐ。ダイニングテーブルに残る夕飯の匂いが玄関まで届く。
(そうだった。夕飯食べてなかったんだ)
行きにパン、帰りにおにぎりを食べたので、もう何かを口にする気にはならない。温かかったはずの味噌汁やお米も冷たくなっていることだろう。洗面所で手を洗いながら、お風呂に視線を向ける。一度入ったとは言え、病院に行ったのならもう一度入るべきかとしばらく考える。
(さすがに髪の毛は洗い直すか……)
自分の部屋に脱ぎ捨てたパジャマを持ってきて俺は服を脱ぎ再び入浴をした。最初は髪だけのつもりが、身体も洗い直し全身さっぱりしてパジャマを着る。ドライヤーと歯磨きを済ませ、あとは寝るだけだ。スマホを見ると、もう日付をまたいでいる。
「もう、寝よ……」
こんなに慌ただしい深夜を過ごしたことはない。棒になった身体をベッドに投げた瞬間から俺の記憶はない。