文化祭の舞台上で王子様から突然告白されたが、どうやら本気らしい

『底のない沼。ひたすら足を取られ、歩くことすら困難な場所にポツンと取り残される。寒さに耐え、光のない将来に明るい未来を期待して、苦しんで、何を求めればよいのだろう。微かに光る愛しい炎を消えないように守る。そのために自ら犠牲になる。過去を美しく縛りながら、環境にコントロールされる彼を、俺は何をしてあげるのが正解だったのだろうか。』

いつもなら、机の上を片付けてからやるのに。今日に限ってどうして片付けなかったのだろう。机にテキストとノートが置かれている中、俺の迷いの現れた文字が書かれたノート。日常がちょっと狂うだけで未来というものは大きく変わる。この小さな過ちが、翌日大きな事件へと発展していくことをこの日の俺は知らない。

翌日の四時間目。
(おいおい、嘘だろ……)
昨日の俺よ、なんてことしてくれたんだ。物理の授業で、それも移動教室で、その事実に気付く。
「どうした?」
自由席で隣に座る大神が俺の異変に気付く。もはや第六感でもある彼の異変察知アンテナはさすがとしか言えない。
「持ってくるノート間違えた……」
「え、それでそんなに落ち込んでるの?」
これが、現代文とか古文とか、何かしらの勉強系のノートならよかった。いやよく考えたら多分それはない。このノートは緑色だ。しかし、俺がそれらで使っているノートは緑色ではない。だから、荷物からノートを取り出した時点で気づくはず。しかし、物理は緑のノート。ここにきて、感情言語化ノートが「精神が安定しそう」とよく分からない理由から緑色を選んだことが仇になった。
「それ、何のノートなの?」
「それは、聞かないでほしいかも……。ある意味黒歴史なんで……」
「えー、逆に気になるんですけど」
笑いながら大神は教科書を開き始めた。最近思い切って髪を切ったという大神の横顔は、横顔でも凛々しさを感じる。俺の思った通り、大神はイメチェンでかなりイケメンと化した。それでも、大神の性格は変わることなく、寄ってくる人を受け入れない。大神らしさは健在だ。爽やかイケメンで誰にでも優しいのが結城ならば、ミステリアスな孤独のイケメンが大神だろう。そんな大神が俺だけにこの笑顔を見せる。きっと周りに俺は、「孤独のイケメンに懐かれている男」という風に映っているに違いない。

(何でこうなったのか、俺でも不思議なんだけどね……)

ノートの表紙を眺めながら俺は自分の今までを振り返る。このノートには俺の気持ちがだらだらと綴られている。見たくない。読むのも恥ずかしい。しかし、この日は実験するだけで、ノートの登場回数はほぼなかった。助かった。本当に。授業中は机の中でおとなしく教室に戻ることを待つことになった。不幸中の幸いとはまさにこのことだと思った矢先、その油断が引き金となり事件発生。

それは、授業後のお昼休みのことだ。

(やばい……ノートがない……)

物理室に持って行ってしまったあのノートが教室に帰ってきた今、手元から消えている。焦っているあまり、あるはずがないと分かっていながら、リュックの中や机の中をひたすら漁る。もちろん、見つかるはずがない。
(やっぱり、物理室か……)
俺は急いで物理室に行くと、そこには先生と話す結城がいた。授業のことで質問でもしていたのだろう。
「あれ、相馬どうしたの?」
「え、あ、いや……ちょっと忘れ物……」
詳しいことは言わず、数分前まで自分が座っていた席へ向かう。机の中までしっかり確認するも、ノートは見当たらない。この時味わった焦りと絶望感はこの先一生忘れることはないと思う。
「忘れ物は見つかった?」
「いや……ない……」
「何探してるの?手伝おうか?」
筆記用具をしまい紺色の筆箱のチャックを締めながら、結城が俺に聞いてくる。先ほど校内放送で呼ばれた先生は急いで荷物を片付け「帰るときに鍵を閉めておいて」と謝り頼む。結城は「了解っす……」と少し後味の苦い返事をしながら俺のところへ荷物を持ってやってきた。
「鍵……、俺がやっておくから戻ってていいよ」
「いやいや、手伝うよ。なんかその様子じゃ、失くしたやつ相当大事なものみたいだし」
「あ、まあ……」
大事なものといえばそうだが、もし結城に見つけられでもしたらどうしようか。想像しただけで鳥肌が立つ。もはや恐怖体験だ。
「ただのノートだから、多分すぐ見つかると思うし」
「ノート……?」
いろいろ考えたとき、やはり結城と一緒に探すのはまずいと判断した俺は結城に忘れたものの正体を明かす。
「ノートって言えば、さっき誰かが持って行ってたけど?」
「え⁉嘘⁉いつ⁉」
視線を低くしていた俺は結城の言葉に勢いよく顔を上げる。結城の「お前が来る前」という言葉に俺は物理室を走って出て行った。ここに来る間にすれ違った人たちの中にノートを持っていた人たちがいたのかもしれない。焦りがエンジンになり、足が速くなった気がする。今なら校庭トラックを一周してみたらいい結果が出そうだ。

お昼休みは学校中の生徒が校内を移動する時間帯。「廊下を走るな」というよくある学校のルールをガン無視し、うまい具合に人を避けていく。走った結果の汗なのか、それともノートの冷や汗か。流した汗にひやひやしながら教室に戻ると、その時はもう遅かった。

「おい、このノート誰の?物理室に忘れてっただろ」

教卓の前で一人のクラスメイトがノートを上に上げている。
(あ、俺の……‼)
予想は的中していた。
「それ何のノート?」
「そりゃ、物理じゃねーの?」
「って思うじゃん?それが違うみたいでさー」
そういいながら、彼らはノートの中身を容赦なく暴いていく。他のクラスメイトもぞろぞろと教卓に集まってくる。
「え、なにこれ、日記?」
「いや、日記っていうよりポエムじゃね?」
適当にページを開き音読し始める人たち。「気持ち悪い」と騒ぎ出す人たちにつられ、多くの人たちが反応し始めた。
(やばい……どうやって、回収しよう……)
騒ぎを聞きつけ、他のクラスの人たちもやってきた。おかげでこの日の教室はいつも以上に騒がしい。この状態の中、俺は自分の席にいったん戻り、ノートの回収方法を必死に考える。
「ねえ、この教室(クラス)なんでこんなに盛り上がってんの?」
結城は物理室から帰って来るや否や、自分の席の方へ歩きながらこのカオスな状況に困惑している様子だった。
「ノートの持ち主探してるんだって」
「え……、ノート?」
その瞬間、結城がこちらを見た。俺は瞬時に目を逸らす。
「……」
多分結城は気づいてる。ノートの持ち主を。だけどそのことを言わない。それは、自分のだと分かっているのに俺が名乗り出ないから。
「ねえ今日、日誌誰だっけ?ちょっと貸してくんない?」
この状況を楽しんでいるクラスメイトたち。ついに、ノートと日誌を照らし合わせながら持ち主を特定しようとし始めた。こうなってしまったら、地獄の展開を待つしかなくなってしまう。
(どうしよう……)
焦りから呼吸が浅くなる。何も知らない大神が「大丈夫?」と声をかけてきた。
「うん、大丈夫……」
大丈夫なわけがない。だけど、ノートのことは誰にも話したくないので、申し訳ないが大神にもこう伝えるしかない。
(地獄まで、あと数分か……?)
ノートの筆跡から、ノートの持ち主が「相馬渚」と特定された瞬間、きっと俺はクラスメイトから嫌な目で見られること間違いなし。俺の平和な高校生活は終わりだ。あんなノート、書かなければよかった。絶望に沈む俺に救いの手を差し伸べたのは、あの人だった。

「悪いけど、これ俺のだから」

笑い声に溢れるこの教室に凛とした声が響き渡る。教卓に広げられていたノートは結城の手にあった。
「え、これ結城の?マジ?」
「マジだよ。いいから返せ」
「いやいや嘘つくなって。結城がこんなの書くわけないって」
「うるせーな。いいだろ別に。作詞に役立つかなって日頃からいろいろ書き溜めてたんだよ。悪いかよ」
珍しく結城の怒りを見た気がする。結城の態度にクラスの温度が一気に下がった。砂漠から北極に移り変わったみたいな温度差。クラスの中心の人物が顔色一つ変えるだけで、緩んでいたクラスの糸がピンと張る。みんなの視線を集めながらノートを強制的に回収し、いつの間にか手にしていたお弁当を持って教室を出て行った。この騒動はノートの持ち主が結城だったという意外な結末が、むしろ余韻となり荒れることなく収拾した。

しかし、収まったのはあくまでもクラスの騒動であって、事件はまだ終わっていない。ノートはまだ俺のもとへ帰ってきていない。あのまま結城のところにノートを放置していたら最悪の結末になりかねない。
(急がなければ……‼)
しかし、回収したいと言っても結城はどこにいるのだろう。このまま広い校舎をやみくもに探し回っても意味がないに等しい。体力だけが削れていく一方。
(今日の放送は結城じゃないから放送室ではないとして……)
軽音部の部室や図書室など結城の行きそうな場所を手当たり次第に探し回る俺。そろそろお昼も食べなければ時間が無くなってしまう。一旦諦めようと思ったその時、ふと思いついた場所があった。
「もしかして、物理室……とか?」
結城は確か、物理室の鍵を持っていたはず。職員室に返してしまったかもしれないが、結城が教室に戻ってきたタイミングからしていくら運動能力のある結城とはいえ四階のクラスから一階の職員室までをあの速さで戻って来れるわけがない。と考えると、教室に戻ってきた段階で結城は先生から預かった物理室の鍵を持っていた可能性が高い。
(よし、ここに賭けよう……)
物理室の扉が閉まっていた。やはり、鍵が閉まっていたかと扉に手をかけてみるとふわっと浮くかのように扉が横へと動いた。
(嘘……開いてる……?)
ガラリと最後まで扉を開けると、そこには結城がいた。予想していたはずなのに、結城がいることに驚きを隠せない。
「相馬……」
「結城……何でここに……」
息を整え、結城の座るところへ行くと、俺は気づいてしまった。お弁当を食べながら、結城があいつらから回収してくれたノートを開いていた。
「ちょっと……‼」
あの騒ぎから救ってくれたことに対してお礼を言わず、トンビが人間から食べ物をかっさらう場面のごとく、勢いよく結城からノートを奪う。それでも、結城は俺の様子に何も言い返してこなかった。俺は救われた人間なのに。付け足したように「ありがとう」と謝る俺だが、そこに気持ちはこもっていない。たとえ同級生でも失礼だと思うのに、今の俺はこれが精いっぱい。
「じゃあ、俺教室戻るから……」
もう、耐えられない。このまま無言の時間が続く空間にこれ以上いるなんて。
(もう、無理だ)
教室に出ていこうとしたとき、俺の頭に結城の声が届く。結城に名前を呼ばれた気がした。幻聴かもしれないと思いながら結城に「呼んだ?」と尋ねる。
「……ごめんな」
「え?」
(今、「ごめん」って言われた……?)
「俺のせいで、相馬の生活壊しちゃったんだね」
「いや……」
これは、ノートの感想だ。結城はこのノート、どこまで読んだのだろう。気になるけど、聞くのが怖い。俺のこのノートは結城のこともかなり書いている。かつての俺のストレス要因は、結城だったから。結城のことをしっかりした人間だと認識し始めたのはここ最近のこと。ノートで言うと、かなり後半の方だ。律儀に最初のページから読んでいたらきっと見られることのないページ。
(いや、読んでほしいとかそういうわけじゃないのに……)
読まれたくないのか、読まれたいのか、もうわけ分からない。
「遠慮しなくていいよ。このノートが相馬の本音なんだろ?」
「結城……」
「ノートに書いてある『あいつ』とか『王子様』とか。……あれって俺のことだよね」
結城はノートをしっかり読んでいた。ちゃんと最初のページから。あの時の「王子様」は完全に結城への皮肉。「王子様とヒロインだから」とか意味不明な口実を作って、俺のことを好き勝手扱う結城への皮肉。それがあの頃の俺の気持ちだった。でも今は違う。今の俺ならそんなことは絶対書かない。結城を理解しているからと言うより、強くたくましく生きている結城への憧れと、彼の境遇への理解。彼を傷つけるようなことは絶対に書かない。
「ごめんな。迷惑かけて」
「いや、迷惑なんかじゃ……‼」
「もう、お前には迷惑かけないから。安心して」
普通の状況なら、こんなのは「そんなのいいから」と言えば何とかなるのに。結城の放つ言葉が、俺には冷たく聞こえる。

――今の俺は『ごめん』より『ありがとう』って言われたい

何が「ありがとう」だ。彼に「ありがとう」と言わせていないのは、俺の方だった。
「そうすれば結城が自分を優先できるようになるなら、そうしろ」
「え?」
「俺のことなんか心配しなくていい。俺のことを気にする暇があるなら、自分自身のことを気にしろよ」
結城の世話焼きな性格が、逆に俺を縛り付ける。優しさだと分かっていても、結城の本音を覆い隠してしまう。それはいやだ。
「相馬は余裕だな。こっちの気も知らないで。その気楽な感じ羨ましいよ」
「え、何それ……」
「相馬は俺のこと全然分かってない。てか、……理解しようと思ってないでしょ」
突然俺を否定してきたと思ったら、もくもくとお弁当を食べ進める結城。彼は一体何がしたいのか分からない。俺を気にかけてくれているのか、俺を突き飛ばしたいのか。余計なことを考えながら、再び結城のもとへ。俺の深刻そうな表情に何かを感じ取ったのか、目の前に立ちははだかる俺を撫でるようにゆっくり顔を上げた。
「……ああ。そうだよ、その通りだよ。知るかよ結城のことなんか。だって当たり前だろ。俺はお前じゃないんだから。だからお前が考えてることなんか知るわけねーだろ」
感情に任せ、結城の胸にノートを押し付ける。当たり前のことだが、意外とこんな風にぶつからなければ気づかないことというのはたくさんある。俺は「相馬渚」であって「結城浬」ではない。結城を前にして初めて気づいた感情的な俺。センチメンタルだと思いたくないのに今にも落涙しそうで、とにかく堪えることに神経を注ぐ。
「……そのノートお前のなんだろ。もう、お前の好きにしろよ……。俺には関係ないから」
音を立てて物理室の扉を閉めた。かなり響いたように感じたが、物理室は旧校舎。授業時間以外に基本人は来ない。教員もお昼は職員室で過ごすことが多いと聞く。実際、今お昼休みに旧校舎にいても、人の気配はしない。

結城への怒り、悲しみ、いろんな感情が湧き出てくる。お昼休みだというのにお弁当を一口も口にしていない俺の腹時計はもう限界を迎えていた。