その首飾り、僕にください――のはずが求婚になった伯爵庶子は、魔法学院で秘密を隠す

「順番は身分順だ。呼ばれた者から前へ出ろ」

 教官のジークムントが、ゆっくりと全員を見渡した。

 そして、当然のように最初の名が呼ばれる。

「フォルテ・フライブルク」

 〈一番って大変だね。みんなに見られながらやるんでしょ?〉

 瑠璃さんの声が、頭の奥でひっそりと響いた。

(まあ、あいつはこういうの好きそうだけどね)

 実際、フォルテは一歩もためらわずに前へ出た。
 見られて当然だと思っている歩き方だった。

「俺には魔力紋が二つある。何か気をつけることはあるか」

 ジークムントは気圧されずに答える。

「土の祈り道だけに金粉を落とせ。神への祈りも一柱に絞れ。だが魔力は共通だ。火の紋に宿る力も、土の道に注いでかまわない。それが二属性の強さだ」

「わかった」

 返事は短く、動作に迷いはなかった。

 香油。金粉。供物。
 左手には、大粒のエメラルド。僕の碧玉(ジャスパー)とは比べものにならない輝きだった。

「大地の神に請願す」

 フォルテが右手を地につけ、祈りの句を口にする。

「地の骨を呼び起こし、敵意を阻む壁となしたまえ。フェルゼンヴァント」

 次の瞬間、地面がうなった。

 土が板のようにめくれ上がり、砂埃が一気に噴き上がる。
 生徒の何人かが思わず後ずさった。

 晴れた先にあったのは、見本の倍はある土塁だった。

「……でけぇ」

「さすが二属性だ」

「フォルテ様、すご……」

 ざわめきが広がる。

 〈エメラルドが、消えちゃった……〉

 本当に消えていた。
 欠けた、ではない。左手にあったはずの大粒の石が、丸ごと魔法に飲まれている。

 大きい。派手だ。誰の目にも分かりやすい。
 首席はフォルテで決まりだと、そう思わせるには十分だった。

 ジークムントが口を開いた。

「でかいな」

「二属性なら当然だろう」

「俺は褒めていない」

 ジークムントがぴしゃりと遮った。

 ざわめきが止まる。

 ジークムントは土塁から目を離さないまま言った。

「戦場で宝石が切れた時、お前はどうする。石が尽きれば魔法は使えぬ。供物なしでは神は動かぬ。それが魔法の(ことわり)だ」

 だが、フォルテは動じない。

「首席になるため、惜しむつもりはない」

 周囲がどよめいた。
 宝石を燃やせることまで、力の証に見えている。

 ジークムントはフォルテではなく、生徒全員へ向けて声を放つ。

「いいか、紋は大きな魔法一発で育つものではない。小さくとも、積み重ねた回数が紋を太くする。若いうちの節約は、将来の力に変わる。それを忘れるな」

 それから、ようやくフォルテに視線を戻した。

「貴殿の意思は聞いた。だが切り札は、本当に必要な一瞬のために残しておけ。それが生き延びる秘訣だ」

 フォルテは肩をすくめただけで、土塁の前から戻ってきた。
 忠告を受け入れた顔ではなかった。

 大きく、派手に、誰の目にも強いと分かる形で勝つ。
 あれがフォルテのやり方だ。

 ジークムントはそれ以上、何も言わなかった。ただ、少しだけ苦い顔をして、視線を僕へと動かした。

「ジャスパー・フライブルク、前へ」

 〈ジャスパーくん、がんばれー!〉

(……まぁ、がんばるよ)

 正直なところ足が重い。

 あれだけ派手にやらかしたフォルテの後に続く、というのは、どう考えてもやりにくい。

「異母弟か。顔は似てないな」
「きっと張り合って、宝石を溶かすんだろな」

 嘲りと好奇の混ざった視線が痛かった。

 腰に下げている袋に入っているのは、碧玉(ジャスパー)だけ。自分の名前と同じ、赤みを帯びた褐色の石。宝石としての価値は高くない。フォルテのエメラルドと並べたら、笑われるだろう。

 それでいい。
 そう思えたら、どれだけ楽だっただろう。

 目立てば気づかれるかもしれない。左手の紋。胸元の紋。土以外の、隠しておきたいものを。

 だから小さく作るしかない。
 小さく、地味に、誰の記憶にも残らないように。

 〈ねえ、ジャスパーくん。小さくしか作れないなら、形を綺麗にするのはどう? せっかくだし、さ〉

 不意に、霧が払われた気がした。

(……それ、いいね)

 節約して、回数を稼げ――ジークムントの言葉が、瑠璃さんの声と重なる。

 意図的に小さく作る。
 それなら、小さいなりに誇りを持てる工夫をすればいい。

 僕は地面に右手をつけた。指先に、乾いた土の冷たさが触れる。

 香油を垂らし、金粉を落とす。祈りの道に沿って、光が細く走った。
 左手には碧玉(ジャスパー)。小さい。けれど、今の僕にはこれしかない。


 小さく、形よく。
 無駄を削り、角を綺麗に。

「大地の神に請願す。地の骨を呼び起こし、敵意を阻む壁となしたまえ。フェルゼンヴァント」

 土が盛り上がる。同時に、横の地面がへこみ、浅い堀になる。

 大きくはない。
 けれど辺はまっすぐで、角は崩れず、形はきれいな直方体だった。まるで定規で引いたみたいに整っている。

 〈……きれい〉

 そのとき、風が吹いた。

 袖口に残っていた金粉がふわりと浮き、胸元へ流れる。
 そして、闇の祈り道に、触れた。

 次の瞬間、土塁の縁に黒い艶が一筋走った。

 一瞬だった。黒、と言い切るには短すぎる。
 光の加減だったかもしれないし、見間違いだったかもしれない。
 でも、ただの土の色ではなかった。

(まずいっ)

 ジークムントが、黙って近づいてくる。

 土塁をひと撫でする。それから、拳で叩いた。

 乾いた、硬い音がした。

 ジークムントの眉が、わずかに上がった。
 土塁の違和感に気づいたのは、どうやら彼だけだった。

「小さっ」
「土塁っていうより盛り土だな」

 周りの生徒は笑っている。

 フォルテの声が、低く、鋭く届いた。

「みっともない。一族の恥をさらすなよ」

 その声には軽蔑が混じっていた。
 あいつには、小さい時点で失敗なのだろう。大きく、派手で、誰の目にも強いと分かるものだけが価値になる。

 僕は何も答えなかった。
 言い返しても、たぶん噛み合わない。

 小さいのは分かっている。
 宝石を無駄にしない、欲張らないことが僕の戦い方だ。

 だからこそ、形と仕上げにこだわった。
 それが僕の選択だった。

「紋を見せろ」

 ジークムントが僕の右手を取った。
 有無を言わせぬ手つきだった。

「……ずいぶんと小さいな。手の甲まで模様が届いていない。普通はもう少し伸びているものだが」

 右手の土の紋だけが、極端に小さい。
 左手の金と、胸元の闇。そちらは十分すぎるほどあるのに、土だけが足りない。
 呪いのような皮肉だと、何度思ったかわからない。

 ジークムントはしばらく黙っていた。
 それから、ゆっくりと手を離す。

「ジャスパー、貴殿は声変わりも来ていないだろう。成長期がこれからやってくる。その前に、できる範囲で魔法を使え。回数を重ねるほど、お前の紋は育つだろう」

 ぽん、と肩を叩かれた。

「はい。努力します」

 そう答えるしかなかった。

 努力すれば右手の紋は育つ。それはたぶん、本当だ。

 でも、本当の問題はそこじゃない。

 右手の土の紋だけなら、僕はフォルテに勝てない。
 けれど、左手の紋も胸元の紋も、土の祈り道に流し込めば話は別だった。

 三つの紋に宿る全魔力を、土の祈り道一本に注ぎ込む。
 それができれば、フォルテの土塁なんて軽く超えられる。

 〈でも大きく作ったら、宝石がもっと消えちゃうもんね〉

(……そうなんだよ)

 勝てるのに、勝てない。理由は、才能じゃない。右手の紋の小ささだけでもない。

 宝石だ。

 僕に足りないのは、工夫じゃない。覚悟でもない。
 ただ、使える宝石の量だけが足りなかった。

 ジークムントが去り際に、もう一度だけ土塁の縁へ目を落とした。
 その視線が何を意味するのか、僕にはまだ分からない。

 でも、小ささだけを見ている目ではない気がした。

 ***

 次話:上級神の空席

「フォルテに勝て」
 その脅しが、ただの意地悪ではなくなる。前大公危篤。上級神の席が、空く