「あなたの秘密を、皆に渡します」
エカチェリーナの言葉を思い出すたびに、喉のあたりが妙に詰まる。
僕は案内役の事務員に連れられて学生寮の廊下を歩いていた。荷を抱えた使用人が後ろに続く。返事を考える間もなく、行き先だけが決められていく。
「ジャスパー様は、第二寮の貴賓室をご利用ください」
事務員の声がやけに小さく、謝っているみたいに聞こえる。
「ええと、第二寮ですか?」
貴族寮と呼ばれる第一寮は、満室だった。今は王族のエカチェリーナが滞在している。王族とその家臣を迎え入れた結果、空きが消えた。
第二寮。通称、平民寮。
建前では平等でも、生活の場は分けられている。貴族と平民とでは食事も言葉遣いも違いすぎて、同じ寮に押し込めば揉める。そこへ貴族の僕が入れば、なおさらだ。
〈その平民寮にジャスパーくんは入れられちゃうんだ。ひどすぎない?〉
瑠璃さんが文句を言うのも当然だ。でも、良い解決案がないのも事実だった。
僕が第一寮に入るなら、子爵家以下の誰かを押し出すことになる。押し出された者は、さらに下の身分を押し出す。その連鎖のどこかで、恨みは必ず僕に向く。学院中に敵を作る羽目になる。
入学初日から、それは避けたかった。
〈フォルテのせいよね〉
(碌なことをしないよね、あいつ)
そこまで考えて、僕は自分の本音に気づいてしまった。
(エカチェリーナ殿下と同じ寮になるよりは、ましかもしれない)
つい先ほどの脅しが、頭の奥にこびりついている。
『黙っていてほしいなら、私の言う通りにして』
あの人の近くにいるくらいなら、平民寮の方がまだましだ。
第二寮の奥。貴賓室の扉の前で、事務員が鍵を差し込む手を微妙に震わせた。
「……こちらでございます」
扉が開いた瞬間、思わず足が止まった。広い。
寝台と机だけでも十分なのに、応接の椅子まである。奥には工房と使用人部屋まで付いていた。一人で使うには、立派すぎる。
〈部屋は立派だけど、ジャスパーくんごと隔離されてない?〉
瑠璃さんが余計な一言を漏らす。
廊下の突き当たりで、隣室もない。人の気配が遠い。
使用人が荷物を下ろし始めた、そのとき。
鐘がなった。
休む間もなく、午後の講義が始まる。
〈ジャスパーくん、初めての魔法! 楽しみだね〉
(瑠璃さんは、気楽だなぁ)
僕は肩をすくめた。
悩みはたくさんある。紋が三つあることも、エカチェリーナの脅しも。
考えても仕方ない。ここで立ち止まっても、何も変わらない。
せめて魔法のことを考えている間だけは、あの言葉を忘れていたかった。
そうして僕は、貴賓室を後にし、土魔法の演習場へと向かった。
***
土魔法の演習場。そう呼ぶにはあまりに戦場の匂いがした。
踏み固められた土の広場は白っぽく乾き、足音が硬い。端には投石器と石弾砲、奥には不自然な小山と溝。最初から攻城戦のための造りだった。
〈それにしても、男の子ばかりね〉
見渡せば男子生徒ばかりだった。だれもが腰に小袋を下げている。中身は香、金粉、そして宝石。軽いはずの袋が、やけに重そうに揺れていた。
鎧の鳴る音がした。
白銀の甲冑に金の縁。巨大な盾と剣。人が歩いているのに、砦が移動しているみたいだった。
ジークムント・エルデンシルト。現役軍人でもある土属性の教官その人だった。
「整列」
低い声が轟き、広場の空気が締め付けられた。
ジークムントは盾を持ち上げると――
どん、と地面に突き刺した。腹の奥に響く。盾の縁が土に沈み、小さな震えが足元を走る。
「戦場における土魔法の役割は城攻めだ。城壁に魔法使いが辿り着けば、城は落ちる」
言い切った瞬間、誰かが息を呑んだ。
その気配が列に広がり、空気が一段、戦場へ寄った。
ただし、瑠璃さんを除く。
〈戦争に使うだなんて、ありきたりね。夢がなくってつまんない〉
(いま、それを言う? 聞こえたら本当に殺されそうなんですけど)
〈宝石の色を変える魔法の方が、よほど素敵なのに〉
(瑠璃さんらしいね)
気づけば、ジークムントの右手がもう地面の上にあった。指を開き、土に触れる。次の瞬間、声色が鋼みたいに硬くなる。
「我を加護する大地の神ラトビウスに請願す。地の骨を呼び起こし、敵意を阻む壁となしたまえ。フェルゼンヴァント」
地面がうねり、土が盛り上がった。まるで、地中の骨が体ごと起き上がったみたいに。
人の背丈をゆうに超える土塁が、瞬く間に立ち上がる。横幅は、十人が肩を並べてもまだ余るほど。城の一部を切り取って運んできたみたいに長い。
同時に、土塁の手前の地面が落ちた。深くて広い堀が穿たれている。
(土塁にした分だけ、こっちが削れたんだ)
土は増えない。動かしただけ。なのに、この迫力。削れた溝も、盛り上がった壁も、無駄なく一つにつながっている。
生徒たちから「おお……」と声が漏れる。僕も息を呑んだ。
そして、見落としかけたものがあった。
ジークムントの左手が触れていた紫色の宝石・アメジストが、淡く光った。次の瞬間、細いヒビが走って、かけらが落ち、香の気配にまぎれて、ふっと消える。
〈欠けた。どこに消えたのかな。ほんと不思議よね〉
(あれを自分でやるんだよね。懐が先に干上がりそう)
そんな心配は、僕だけらしい。みんな土塁に目を奪われている。
ジークムントは生徒の驚きを遮るように、言葉を紡ぐ。
「時間をかければ、平民でも城壁は作れる。魔法を使う意味はない」
そして、作ったばかりの土塁に歩み寄った。
「だがな、戦争は時間との戦いだ。一瞬で破壊する土魔法が、いちばん役立つ」
ジークムントは作ったばかりの土塁に掌を当て、先ほどと同じ呪文を低く繰り返した。
次の瞬間、土塁の一部がざらりと崩れ、人が抜けられる幅の裂け目が開いた。
「これが、土魔法の城攻めの基本だ」
百の説明より、一つの穴の方が説得力がある。
土魔法の使い手が城壁に辿り着けば勝ち――その意味が、ようやく腑に落ちた。
生徒の一人が、おそるおそる手を挙げた。
「教官。なぜ土塁を作る呪文と、破壊する呪文が同じなのですか」
ジークムントは即答した。
「教会は言う。神は作ることを好み、壊すことは好まない、とな。信じるかどうかは勝手にしろ。だが現場ではこれで十分だ」
質問はそれ以上続かなかった。
ジークムントの目が「終わり」と告げていた。口より先に手を動かせ、と。
「では実習だ。全員に、この土塁を作ってもらう。香と金粉、そして捧げ物の宝石は持ってきているな」
生徒たちは腰の袋に触れ、頷いた。
列の前の方で、フォルテが袋を軽く指で弾く。中身の重みが音でわかる。
反射的に、自分の袋の薄さを指先で確かめた。
(あいつ、いくら持ってきたんだ)
ジークムントが続ける。
「もう一度だけ、ゆっくりやる。これが最後だ。目で盗め」
香油。金粉。供物の宝石。必要な順に、迷いなく手が動く。
アメジストが淡く光り、ひび割れ、縁がまたひと欠けする。
「フェルゼンヴァント」
さっきと同じ土塁が、もう一度たった。説明はいらない、と言わんばかりに。
ジークムントは振り返った。
「次は貴様らだ」
――その視線が、前列のフォルテで止まった。
フォルテの後に立つことになる。その事実だけで、喉が乾いた。
***
次話:黒い艶
「土塁は土属性だけで作る。そのはずだった。だが、縁に走った黒い艶は……」
