その首飾り、僕にください――のはずが求婚になった伯爵庶子は、魔法学院で秘密を隠す

「これより懇親会を行う。二年間を共にする学友だ。今のうちに挨拶を交わしておきなさい」

 その言葉を合図に、僕たち新入生は大聖堂の側扉から中庭へと誘導された。香の匂いは薄れ、代わりに湿った土と苔の匂いが(ただよ)っている。

 暗い大聖堂とは違い、中庭はまぶしい。けれど僕は、この光が怖かった。胸元を照らす太陽が、布の下に隠した秘密まで暴きそうで――。

 貴族は回廊の奥へ、平民は泉の近くに散り、あちこちで家名と名を告げ合う声が飛び交っている。

 ここからが学友を作る時間。授業でも演習でも、味方がいるのといないのとでは雲泥の差になる。分かっているのに、僕は輪の中に踏み出せない。


 〈息、浅いよ。大丈夫?〉

 僕は深呼吸して、襟元を整えるふりをした。布が鎖骨の下をかすめ、心臓が跳ねる。

(ありがと。でも落ち着くのは無理。胸まで光ったばかりだから)

 僕と繋がった祈りの道は三本ある。

 右手、左手、そして胸。

 胸は女の領域で、そこだけは言い訳がきかない。

 そう考えただけで、体がこわばる。

 息を吐いて、僕はようやく視線を上げた。

 知っている顔は、少ない。異母兄フォルテ、男爵令嬢ピアノ・ソナタ、そしてオニキス商会の娘リーゼロッテ。

 その中で、貴族が集まる一団の中心に、フォルテの金色の髪だけがやけに目立って揺れていた。

 遠目にも分かる。刺繍の糸が中庭の光を拾い、宝石の留め具がきらりと輝く。裕福な貴族の子弟が、男女かまわず集まっていた。

「さすがはフライブルク伯爵家の嫡流だな。火と土、二つの光が同時に立っていた」

「同学年で二属性は、フォルテ様だけですって」

「首席なら、卒業の祈願で中級神の加護が付く。二属性なら、ほぼ決まりだろう」

「……それだけじゃないわ。もし本当に空席が出るなら――」

「しっ。ここで言う話じゃない」

「でも、次は若い世代から、って……」

 (ささや)きが囁きを呼び、人だかりが少しずつ膨らんでいく。

 その先は、ざわめきにまぎれて聞き取れなかった。
 けれど、あれは首席候補を持ち上げるだけの空気じゃなかった。

 輪の中心で、フォルテは袖口を整えた。人差し指の火と、中指の土。二つの魔力紋を隠すでもなく、見せるように。

(有能だったんだな)

 顕紋の儀で、後継は俺だと言い切ったときの目を思い出す。口だけじゃなかった。

 輪の内側には、ピアノもいた。

 ウルムへ来る道中ではあれほど距離を取っていたのに、今日はフォルテのそばにいる。けれど視線はフォルテではなく、彼に集まる熱を追っていた。

(何かあったのかな)

 〈ねえ、ジャスパーくん。あれ、羨ましい?〉

(そりゃね)

 〈女の子に囲まれているから?〉

(違う)

 あまりに即答してしまって、苦笑が浮かんだ。

(公表できるのが、羨ましいんだ。二属性だって堂々と言えて、皆がそれを認めてる)

 僕は手袋で隠した左手をぎゅっと握った。胸元には触れない。

 〈理不尽だよね〉

(うん、本当に)

 紋の数でいったら、フォルテよりも僕の方が多い。けれど公表すれば、異端審問の可能性がある。

 だから僕は、遠くから眺めるしかない。

 そのとき、輪の向こうで人の流れが、ふっと割れた。

 貴族の肩が、無意識に道を作っていく。誰がきたのか、見なくても分かる。あの場で、人を押しのけずに通れるのは一人しかいない。

 赤を基調とした華やかな衣装が、昼の光を弾き返す。長い金髪が揺れ、背筋がまっすぐ伸びている。エカチェリーナ・リプシェ・プシェミスル。学年序列一位の王族。

「あなたが、フライブルク伯爵家のフォルテ?」

「はい。フライブルク伯爵家のフォルテにございます。殿下にお目通かなう栄誉、身に余ります」

 フォルテの言葉は丁寧だが、目の奥は輝いている。持ち上げられ慣れた者の笑みだった。

「先ほど壇上から火と土、ふたつの光が見えました」

 一方のエカチェリーナの魅力的な笑みは、フォルテの器量を推し量るかのような目に相殺され、いっそ冷たいと感じられる。

「首席候補の筆頭、と見てよいのかしら」

「当然です。他人に首席を譲るつもりはありません」

 即答したフォルテに、エカチェリーナはほんの少し顎を上げた。

「わたくしが、ここへ来た理由はご存知でしょう」

 誰かが答えを言いかけて飲み込む。

「留学という形ではありますが、目的は一つ。学年の中から、わたくしに相応(ふさわ)しい方を見定めるためです」

 フォルテの目が、鋭さを増す。

「ふさわしい、とは?」

「魔力よ」

 エカチェリーナは簡潔に言った。

「強い魔力を持つ者。できれば、将来の大物。そういう方がいれば、父はわたくしと縁付けるでしょう」

 輪の内側で、息を呑む音がいくつも重なる。

 フォルテは一瞬だけ、笑った。勝ちを確信した笑いだ。

「でしたら、候補は決まっているのでは? 二属性は私だけです」

 言葉の端に、野心が滲む。周囲の貴族が、さっと彼に同調する空気を作る。

 けれどエカチェリーナの表情は、わずかに硬くなった。ほんの一瞬、口元が嫌悪で歪むのが見えた。

「大公国に嫁げば良い、という話ではありませんの」

 エカチェリーナは微笑んだまま言った。

「相手が誰でも同じなら、わたくしが学院へ来た意味がありません。条件を満たす方が現れなければ、わたくしは帰国します。その点はお忘れなく」

 それでもフォルテの口元には、勝ちを疑わない笑みが残っていた。視線が、エカチェリーナの肢体をゆっくりとなぞる。あまりに露骨だった。

 〈欲が顔に出すぎ〉

(殿下の前で、あれはないよね)

 フォルテは強い。血筋も、魔力も、立ち姿も。
 けれど、王族に向けるべき視線じゃない。あれでは、欲より先に品のなさが見える。

 エカチェリーナの表情が、一瞬だけ凍りついた。けれど次の瞬間には、完璧な微笑みに戻っていた。

 ただ、腕を組み直し、胸元をかばうように重ねた動きだけは、拒絶をはっきり示していた。王族の矜持が、嫌悪を飲み込んでいる。

 その横で、ピアノの顔から血の気が引いていた。白いショールの端を、爪が食い込むほど握りしめている。さっきまでの柔らかさが、嘘みたいに消えている。

(やっぱり、何かある)

 僕がそう思った瞬間、背後から明るい声が割り込んできた。

「ジャスパーくん!」

 振り向くと、リーゼロッテが満面の笑みで手を振っていた。明るすぎる声は、今朝の出来事をなかったことにしたいみたいだ。

「無事に入学できたね。これからもよろしく!」

「う、うん。よろしく」

 リーゼロッテの向こうから、平民の女子たちがぞろぞろと覗き込んでくる。

「ねえ、リーゼロッテの知り合い?」
「小柄で、顔が整ってる」
「……かわいい」

 〈近い。近すぎ〉

(わかってる。胸元に視線が集まるのが、いちばん怖い)

 僕は一歩下がろうとした。
 けれど、その瞬間にはもう輪が閉じていた。逃げ場がない。

「この子、男の子よ」リーゼロッテが慌てて言う。
「えー、ほんと?」
「声が高いから、信じられない」

 笑い声が弾む中、僕はつられて笑ったふりをした。胸元に視線が向かないよう、肩をすくめて顎を引く。

 そのとき、輪の向こうから、背の高い影が静かに近づいてきた。

 笑い声がふっと途切れ、女の子たちが一斉にそちらを見る。

 赤を基調とした衣装。長い金髪。
 エカチェリーナ・リプシェ・プシェミスル。

「皆さん、楽しそうですのね。わたくしも混ぜてくださらない?」

 空気が固まるが、断れるわけもない。

 リーゼロッテが慌てて一歩前に出た。
「もちろんです。学院長も言ってました。ここでは貴族も平民も、同じ学友です」

「ええ。その建前は、守りましょう」

 エカチェリーナは口元をゆるめ、輪の中の顔を順に見た。笑みは柔らかいのに、目だけが採点するみたいに冷たかった。

 〈魔力の強い子を探してる?〉

(多分ね)

「まずは名を教えてくださらない?」

 リーゼロッテが名乗り、周りの子たちも続く。
 最後に、視線が僕に来た。

「あなたは?」

「ジャスパー・フライブルクと申します。フライブルク伯爵の子です」

「まあ。では、フォルテの妹?」

(またそれか……)

「違います。異母弟です」

 エカチェリーナは目を(またた)かせ、すぐに言い直した。
「失礼しました。声と背丈と……顔立ちで、つい」

 謝りながら、視線が一瞬だけ僕の襟元に落ちて、すぐ戻った。
 少し不自然で、何かを確かめるような動きだった。

 〈……今の、気づいた?〉

(うん。襟元、見たよね)

 女の子たちは笑っている。リーゼロッテも場を明るく保とうとしている。

 僕は笑ったふりのまま、回廊へ視線を走らせた。逃げ出せそうには――ない。

 誰かがエカチェリーナを呼びに来てくれれば。
 そう願ったとき——


「エカチェリーナ様」

 輪の外から、男の声が割って入った。異母兄のフォルテだった。嫌な予感がひしひしとする。

「我が家の妾の子が、何か粗相をしていませんか」

 口調は丁寧でも、僕を名指しで(おとし)める。リーゼロッテたちの顔色が変わった。

 エカチェリーナは微笑みを崩さない。

「粗相などありませんわ。少しお話をしていただけです」

 フォルテは僕を見て、わざとらしく息をついた。

「昨晩も屋敷に帰らず、朝に姿を見せたと聞きました。夜更けに外で誰と何を話していたのやら」

 礼儀正しい言い回しほど、冷たく刺さる。視線が僕に集まり、喉の奥が乾いた。

「殿下の名を借りて外で妙な噂を流したりでもしたら、取り返しがつきません。ご不快が及ぶ前に、とご忠告を」

 ここで曖昧に受け流せば、噂が本当だと思われる。

(やま)しいことはありません」

 きっぱり言い切った。

「懇意の商会に保護されていました。証人も立てられます」

 それで終わらせるつもりだった。これ以上を口にすれば、フライブルク家の内情を(さら)すことになる。それは、避けたい。

 フォルテが鼻で笑う。

「証人、ね。随分と用意がいい」

 余裕のある言い方が、周囲の視線を僕へ寄せる。

「殿下の名を借りて妙な噂を流す、などあり得ません。言いがかりです」

「言いがかり、か」

 フォルテが小さく肩をすくめた。

「伯爵家の名を背負うものに、外泊の噂は不要だ。家名に泥を塗らせぬためにも、監視のきく場所に移すべきだろう」

 こんなのフォルテの嫌がらせでしかない。
 それでも家の理屈を持ち出されると、正面からは跳ね返しにくい。

 反論の糸口を探しているうちに、フォルテがさらりと宣言した。

「今日から学院寮だ。これで噂の種も尽きるだろう」

 反論も不満も、飲み込むしかなかった。
 ここで渋れば、噂を育ててしまう。

「承知しました」

 僕の返事が早すぎたのか、周りが驚きで固まった。
 フォルテも、次の嫌味を差し込む間を失い、口を閉じた。

 引越しは痛い。寮費もいるし、身の回りのことも自分で回さなきゃいけない。暮らしは一気に不便になる。
 それでも、フォルテの目が届く範囲が減るのは救いでもあった。

「ただし、父上と義母上に顛末(てんまつ)を報告いたします」

 フォルテの眉がわずかに跳ねる。誤算の顔だ。

「……好きにしろ」

 それで話を終わらせるつもりだったのだろう。けれど、場の空気は戻らない。

 エカチェリーナは微笑みを保ったまま、視線だけをフォルテに向けた。

「弟君のことを、そんなふうに皆の前で語るのですね」

 たった一言なのに、鋭く刺さる釘だった。

「秘密を振り回すのは、品がありませんわ」

 フォルテの頬が引きつる。だが言い返せば、品がないことを肯定するだけだ。

「なるほど。では、これ以上は差し控えましょう。失礼いたします、殿下」

 殿下にだけ一礼し、背を伸ばしたまま輪の外へと退いた。

 それを合図に人だかりがほどけた。皆がそれぞれ散っていき、話題は別の方へと流れていく。

 僕も息をつき、輪を抜けようと歩き出した。
 ――その横に、気配が並ぶ。

 エカチェリーナが、いつの間にか僕と並んでいた。

「壇上で見えました。あなた、手だけじゃなかったわね」

 (ささや)きが耳に届いた途端、呼吸が止まった。喉元の布が急に窮屈になった。

「胸が光ったの、見逃すと思いまして?」

 否定も言い訳も許さない言い切りだった。

「黙っていてほしいなら、私の言う通りにして」

 それは条件で、お願いじゃない。
 品の良い手だけで済ませる気は、最初からない。そんな目をしていた。

「わたくしの縁談は、わたくし一人の好き嫌いで止まるものではありません」

 それでも、とエカチェリーナは僕をまっすぐ見た。

「フォルテにだけは負けないで。首席でも次席でもいい。あの男の上に立ちなさい」

 そこで初めて、声の奥にむき出しの感情がのぞいた。

「私は、あの男だけは嫌です」

 次の瞬間、王族の声音に戻った。

「勝ちなさい。……できなければ――」

 彼女は半歩だけ先に出て、去り際に最後の刃を置いた。

「あなたの秘密を、教会に渡します」

 ***

 次話:攻城の鍵

「攻城の鍵は土魔法が握っている。城壁に魔法使いが辿り着けば、城は落ちる」