その首飾り、僕にください――のはずが求婚になった伯爵庶子は、魔法学院で秘密を隠す

 扉が、こんこんと軽く叩かれた。

「お母さん、おはよう。って、あ、起きてる!」

 明るい声と一緒に執務室へ飛び込んできたのは、僕と同じくらいの年頃の女の子だった。紫の上着を羽織り、ワインレッドのポニーテールが背中で揺れている。

「よかったぁ。連れてきたとき、ほんとに死んじゃうかもって思ってたんだから。もう動ける? ふらふらしない?」

 勢いに押されていたら、アーデルハイトが助け舟を出してくれた。

「娘のリーゼロッテよ。昨夜、あなたをここまで運んでくれたの」

「リーゼロッテさん、助けてくれて、ありがとうございます」

 言い終わる前に、リーゼロッテがぶんぶんと手を振った。

「いいのいいの。それより、名前は?」

「ジャスパーです」

「ジャスパー……」

 口の中で一度転がしてから、リーゼロッテはぱっと顔を明るくした。

「宝石と同じだなんて、いい名前ね!」

 また名前を褒められて、口元が緩みそうになる。

 背後で、アーデルハイトが小さく咳払いした。

「リーゼロッテ。相手は貴族籍の方よ。もう少し言葉に気をつけなさい」

「はーい。……でも学院なら身分ってそこまで関係ないんでしょ?」

 そう言って僕をみた。

「ジャスパーさんも、そのほうが楽だよね」

 肩の力が、すっと抜けた。昨夜のことが、少しだけ遠のいた気がした。

 アーデルハイトがリーゼロッテと僕を見比べ、ひとつ息を吐いて小さく頷いた。

「朝食を持ってくるわ。二人とも、ここで待っていて」

 そう言って部屋を出ていく。扉が閉まった音が、妙に大きく感じられる。

 しばらくの無言のあと、リーゼロッテの視線が僕の胸元を向いた。

「あのね、ジャスパーさん。その……」

 ためらいがちな声。こういう切り出し方は、だいたいろくな話じゃない。

「先に謝っておくね。ほんと不可抗力だったんだけど……胸元がはだけてて、ちょっと見えちゃったの」

 僕は反射で襟元へ手をやりかけて、途中で止めた。

(闇の模様、リーゼロッテにも気づかれてた?)

「やっぱり、気にしてるよね?」

「何を?」

「そこ。小さいの」

「は?」

「私もなの。周りの友達、大きい子ばっかりでさ。ほんと、嫌になっちゃう」

 思考が止まった。闇の紋の話じゃなかった。

 リーゼロッテは真剣な顔で、僕の手をぎゅっと握る。

「大丈夫。胸はね、成長する。……たぶん!」

「た、たぶん!?」

「でも、魔力紋の方も見えたよ。私も闇の紋持ちだから。見てみる?」

 僕は首がもげそうな勢いで横に振った。

「め、滅相もない!」

 心臓が止まる。いろんな意味で。

「だよね。見せ合うものじゃないし」

 リーゼロッテはすぐにけろっと笑う。

「あ、そうだ。今日、入学なの。あなたも一年生?」

「うん。僕も」

「やったー!」

 両手で包まれる。顔が近くて、逃げ場がない。

「友達げっと! 初日って緊張するじゃない。知り合いが一人いるだけでも心強いのに、それが男装仲間だなんて最高!」

「だ、男装仲間……?」

「うん。運命ってあるんだね」

 突っ込む隙がない。リーゼロッテの言葉が洪水みたいに押し寄せてくる。

「それにさ、魔法学院って、狩り場でもあるでしょ?」

「狩り場?」

 聞き返した僕に、リーゼロッテは得意げにうなずいた。

「だって紋持ち同士じゃないと、子どもに紋が出にくいって言うじゃない。だからみんな、学院で相手を探すの」

 にやっと笑って、ぐいっと顔を寄せてくる。

「つまり、いい男がいっぱいいるってこと!」

(いい男……)

「だからね、ジャスパーさん。あなたとは友達だけど、同時にライバルでもあるの」

「ライバル?」

「うん。でも――」

 リーゼロッテは僕の手をまた握り直した。

「一緒に、いい男を見つけようね!」

 その瞬間、扉が開いた。アーデルハイトが盆を持ったまま立ち尽くす。

「ちょ、リーゼロッテ!」

 さっきより高い声だった。

「ジャスパーくんは、男の子よ!」

 執務室の空気がぴたりと止まった。

「え?」

 リーゼロッテが僕とアーデルハイトを見比べる。

「だって、闇の紋が胸にあるのに?」

「本来の紋は右手よ。中指に男性紋があるの」

 僕はゆっくりと右手を差し出した。中指の紋が見えるように。

 リーゼロッテの視線が、僕の指に吸い寄せられる。それから、ぼんっと音がしそうなくらい顔が赤くなった。

「きゃーーーーっ!!」

 悲鳴というより、魂が飛び出る音だった。

 彼女は上着を翻して扉の向こうに駆け出す。廊下の奥へ叫び声が遠ざかっていった。

「うそぉぉぉぉ! 私、何しゃべっちゃったのぉぉぉ!」

 僕は右手を出したまま、しばらく動けなかった。

 アーデルハイトがお盆を机に置き、小さく息を吐く。

「あの子、恥ずかしくなると走って逃げるの。追わなくてもいいわ。すぐ戻ってくるから」

 それから、少しだけ声をやわらげた。

「迷惑をかけたわね、ジャスパーくん。よかったら、学院でもあの子と友達でいてあげて」

 友達、か。

 さっきの会話を思い出すと、まだ頬が熱い。

「……はい。もう十分、友達です」

 アーデルハイトさんが、くすっと笑った。

 入学初日の朝から、頭が痛い。

 でも、不思議と悪くない。
 それが一番困った。


 ***

 次話:第十三話「祈りの道」

「――奇跡は無料じゃない。祈りは、香と金と宝石で払え」

 入学式で、学院長はそう言い放った。


【あとがき】

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