君だけが知っている、僕の「大丈夫」の居場所

 梅雨の合間にふらっと訪れる晴れの日。
 廊下から、空を見上げると雲の合間から覗く青空がきらきらと光って見える。
 寝不足なんて忘れちゃうくらい、きれいな青空がそこにはある。
 季節は着実に夏に向かっていて、ベタベタと汗ばんでいる。
 この暑さに慣れる日が来るのだろうか。

 今日も授業の合間に、島津先生に呼び出されて職員室に向かっているところだ。
 勉強したいのに、と思わなくもないが、頼られるのはやっぱり嬉しい。
 ガラガラっと職員室のドアを開ける。
 
「失礼します。3年1組の白藤透です。島津先生いらっしゃいますか」
 
 職員室に来ることも、入室時の挨拶も慣れたけど、テスト期間中の職員室のピリッと感には慣れない。
 テスト期間に入ったばかりだけど、先生たちはバタバタと忙しそうだ。
 誰かがめくる問題用紙の乾いた音が、心臓をチクチクと急かした。
 僕は今、ここにいていいんだっけ。
 本当は一分でも惜しくて、英単語の一つでも頭に叩き込みたいのに。
 
 入り口近くにいた先生が、「島津せんせーい」と呼んでくれた。
「はーい」と奥の方から声がする。
 
「おう、白藤。ありがとなー。今行くから廊下で待ってて」
「はーい」
 島津先生のやけに通る声に少し圧倒される。
 というか、先生は声が元気すぎる。
 数学の先生には、ちょっと似つかわしくないくらいに。

「これとこれ、教室に持ってって」
 島津先生は片手でプリントの束を僕に差し出す。
 差し出されたプリントの束は、僕の学習時間を奪う「丁寧な嫌がらせ」のようにも見えてしまった。
 僕は両腕を出して、落とさないように慎重に受け取る。
 そんなに重くはないけど、島津先生の勢いで重い。
「あとこれも補充しておいてほしい」
 チョークとペンをプリントの上に置かれた。
「わかりました」
 笑って返事をした。
  
「いつも、ありがとなー」
「いえ、大丈夫です」
 いつも通りの返事をして、頼まれたものを落とさないように歩き出す。
 廊下は次の授業の準備で、バタバタと人が行き交っている。

そろそろ次の授業が始まる。
 少し急ぎ足で、教室に戻った。
「透、おかえりー」
 教室では大樹が出迎えてくれた。
「ただいま〜暑い〜」
「うん、俺動きたくないもん……」
「野球部のくせに何言ってんだよ」
 笑いながらどつきたかったけど、そのまま先生の机に向かった。
 僕だって動きたくないよ、という言葉は飲み込んだ。
  
「次、数学? また島津先生に頼まれたの?」
「そうそう持っていってって。
 ってことは次数学か」
 持ってきたものを先生の机に置く。
 軽くなった腕を動かし、プリントがバラバラにならないように、出席簿を上に乗せた。
「ふぅーっ」と心の中で呟いた。
 ふと、前を向くと後ろの席に座る律と目が合った。
 ……気がした。
 見られてたのか、戸惑って目を逸らしてしまった。
 自分の席に着くと、身体の力が抜けた。
 

 チャイムがなって昼休みになった。
 両手をあげて、授業で凝り固まった身体を伸ばす。 
「白藤、これもお願い。確認しておいて」
 島津先生が隣のクラスの授業終わりにやってきた。
 1枚のプリントをひらりと渡された。
 夏休み前にある、説明会の資料だ。
「はーい、わかりました」
 授業の疲れもなかったように、島津先生の声に合わせて元気に返事をしてみた。
 
「また何か頼まれてるの?」
 お弁当を持って、中野がやってきた。
「うん、これはただ確認するだけだよ」
「そっかぁ、白藤はすごいなぁ。俺にはできないよ」
  
 芹沢もやってきて、
「なんか、今日忙しくない?」と聞いてきた。
「そうかなぁ、テスト期間だしね」と応える。
 
「まぁ、透なら大丈夫か?」
 大樹がわざわざ廊下を通って入り口から入ってきた。
 そのまま僕の両肩をガシッと掴む。
「透仕事早いよなー。できるやつって羨ましいよ」
 うんうんと、大樹は自分で言って自分で納得していた。
 褒めてるんだか、褒めてないんだか。
 
「何か手伝うことあったら言えよ」
 芹沢がさらっと気遣う言葉をかけてくれる。 
「ありがとう、大丈夫だよー」
 声に合わせて笑いたかったのに、少し遅れて笑った。
 その後は何気ない会話が飛び交い、笑ったり食べたり、穏やかな昼休みが過ぎていった。
 それなのに僕は、お弁当を食べるのに、いつもより時間がかかってしまった。

 放課後、ひとり教室に残っていた。
 騒がしかった教室も、1日の終わりを告げるように静かだ。
 今日はなんだかいっぱい動いた気がする。
 部活やってないから、いい運動だと思おう。
 今日最後の仕事は、回収したノートを先生のところまで持って行く。
 ノートは集まっているから、あとは運ぶだけ。
 それなのに……。
 ぼーっとしたまま身体が動かない。

「……はー、めんどくさい」
 心の中で呟いた。
 こんな言葉、口には出せないなと机に突っ伏した。
 ノートを職員室に届けて、家に帰って、勉強して……
 とこれからすることを頭の中で整える。 
 
 すると、後ろから足音とガタンという音がした。
 振り返ると律がいた。
「あ、律……?」
「……おう。ごめん、寝てた?」
 律は申し訳なさそうに、顔を僕に合わせて傾けた。
 心臓は急にうるさくなった。

「ううん、流石に寝てないよ。どうしたの?」
 笑って誤魔化す。
 でもなんで律がいるんだろう?
 帰ったんじゃなかったのかな。 
「うーん? まだ何か用事あるの?」
「あと、このノート出したら終わりだよ」
 そうだ、ノートを出して帰るんだった。
 早く帰ろう。
 帰ってやることがまだあるんだ。
 
「そう。今日の頼まれ事、何個目?」

 何個目……?
 そんなこと数えないよ。
 律のその問いは、僕が必死で数えないようにしていた「我慢の数」を数えろと言っているのと同じようだった。
 蓋をしていた疲れが、律の真っ直ぐな言葉にこじ開けられそうになる。
 それが怖くて、情けなくて……。

「……別に、律に関係ないよ」
 
 イラついてしまった。
 そんなこというつもりはなかったのに。
 
「一緒に持っていくよ」
 律の落ち着いた声が心臓に響いた。
 やめて、今優しくしないで。
「ううん、大丈夫。律勉強あるだろ」
 声を振り絞って言葉にする。
 律の顔すら怖くて見れなかった。

 逃げるように自分の荷物と集めたノートを持って、教室を出た。
 僕の大丈夫はどこかに行こうとしているのかな。
 廊下の窓から空を見上げると雲が広がっていた。
 また雨がやってくるようだ。