君だけが知っている、僕の「大丈夫」の居場所

授業がすべて終わった放課後、今日はクラス委員としてみんなのプリントを回収することを頼まれている。

「プリント回収するよー、みんな提出してから帰ってね」
 
 黒板の前に立ち、みんなに声をかけると、「はーい」と何人か返事をしてくれた。

 よかった、届いた。
 聞こえなかったふりをされるのが、一番苦手だ。 
 授業が終わった途端に、忙しなく動き出す教室に僕の言葉もちゃんと拾われたみたい。

「透、お願い。また明日なー」
 中学からの友達である大樹は、バタバタと部活に向かうようだ。
「うん、大丈夫だよ。また明日」
 いつも通りの返事と、いつも通りのまた明日。
 大樹は僕の肩をドンと叩いてから、教室を後にした。
 野球部の遠慮のない挨拶に、これもいつも通りだなと笑ってしまった。
 続けて、いつも一緒にいる芹沢と中野もやってきて、
「よろしく〜」「また明日〜」とふたり順番に僕の頭をわしゃわしゃとして、部活に行った。
 賑やかなふたりだな。
 なんで頭を?と疑問に思いつつも、ふたりの笑う顔につられて僕も笑う。
 ふたりは僕のことを犬だと思っているのだろうか。
 しっぽがあったら、たぶん振っている。
 代わりに、手を大きく振った。
 
 いつもこの4人で行動することが多い。いつメンってやつだ。
 芹沢とは2年から同じクラスで3年になって、大樹と中野が合流した形だ。
 元々仲の良かった僕と大樹、芹沢と部活が同じ中野という接点があって、上手く意気投合した。
 
 廊下側の一番前が僕の席。
 プリントが集まるまで、先に自分の荷物をまとめて帰る支度をする。

 黒板前の教卓にプリントを出して、そのまま帰る人たちを僕は自分の席から見送っていく。
 「また明日」「よろしくね」「ありがとう」など、クラス委員の僕に声をかけて教室を出ていく。
 みんなににこやかに返事をしながら、別れの挨拶をした。
 今日も平穏だなぁ。

 教室も静かになり、集めたプリントの束から、ほとんどの人が提出を終えたと思った。
 
 振り返ると教室の窓側、一番後ろの席でまだプリントを書いてる生徒がいる。
 たしか、名前は黒澤律《くろさわりつ》だ。
 ほとんど話したことはない。
 3年になって、初めて同じクラスになった。
 凛とした雰囲気に、少し話しかけづらいなと思いつつ、恐る恐る声をかけてみる。

「えーと、……まだ?」
 ばちっと目が合う。
 思っていたより、まっすぐな目だった。
 逸らしたい気持ちを押さえて、彼の言葉を待った。

「あ、ごめん、急いでる?」
 低く落ち着きのある声が返ってきた。
 その声に、少し肩の力が抜けた。
 思ったより優しいのかもしれない。
「ううん、大丈夫」
 反射みたいに出た言葉だった。
 
「もう少し、待ってて」
 黒澤律は書く手を動かしながら、言った。
「わかった」と返事をして、僕は自分の席で教科書をペラペラと眺める。
 ページをめくる紙の音と、紙の上を滑るシャーペンの音だけが聞こえている。
 静かな教室も悪くないなと思った。
 誰の反応も確認しなくて済む。
 ふぅーっとため息が出そうになり、思わず口を押さえた。
 今、音を、声を出してはいけないような気がした。
 
 これ以上の沈黙が我慢できず、席を立って、黒澤くんの席の方へ歩く。
 
「…黒澤、くん?」

 思ったより真剣な表情で、プリントと向き合っていた横顔を見て、声をかけたことを後悔した。
 同時に、シャーペンの芯を机にトンと叩くようにしまって、黒澤くんはこちらを見た。
 
「ごめん、おまたせしました」
 落ち着きのある声に、終わった安堵をにじませた顔だった。
 申し訳なさそうに頭を少し下げて、プリントを手渡された。

「うん、大丈夫だよ」
 何かのセリフのように、するっと出てきた言葉だった。  
 でも、僕の言葉に被せるように、黒澤律は言った。
 
「その大丈夫って、口癖?」
 
「えっ……?」
 思わぬ指摘に、頭が真っ白になった。
 手に力が入り、持っていたプリントから乾いた音が漏れた。
 きょとんとして、何も言い訳しない僕に、黒澤律はまっすぐこちらを見て言った。

「白藤の大丈夫、大丈夫だよって、よく聞こえてくるから」
 僕は思わず、口を押さえた。
 無意識だった。
 僕はそんなに大丈夫って言ってるのか? 
「そう、かな……」
 やっと出た言葉は、隠したかった動揺を含んでいた。

「そんなに無理するなよ。」
  
 僕は、言葉を飲み込んだ。
 ……どうして、黒澤律はそんなことを言うんだろう。