ゼンマイ仕掛けのメイドですが、侯爵令嬢に変身した私に坊ちゃんが恋をしています

「むにゃ~~♡ これにゃ!! この香りにゃ~~♡♡」
「かっ、返して!!」

猫が巾着袋を抱いて、ゴロゴロと喉を鳴らしている。
絵を破かれたりしたら大変だ。
私は力任せに猫の前足を引っ張る。

「やかましい。壊したりなどせんわ」
「ほっ、ほんと?」
「ああ。後でちゃんと返す」

それなら……と、ほっと息をついて猫から手を離す。
でも、一体何をしているんだろう?
顔料の香りが好きなのかな?

「ヴァレリオと言ったか? その者の絵はどこにある?」

3年前のあの日の光景がフラッシュバックする。
ズタズタに破かれたキャンバス――夢の残骸の中で一人佇む、ヴァレリオ様のお姿が――。

「おい、掃除婦。聞いておるのか?」
「……もうそれしか残ってないわ」
「にゃにっ!? なぜだ!?」
「画家は廃業されたの。その時に、全部ご自分で処分されて……」
「なら、なぜお前はここにいる?」
「えっ……?」

顔を上げると、猫と目が合った。
ニタニタと厭らしい目をしている。

この方は神様か、妖精か……。
とにかく、本来ならそれ相応の敬意を払うべきなんだろうけど、……ダメだ。無性に腹が立つ。

「ふっふっふ、どうやら吾輩達は同志であるらしい」
「……どういうこと?」
「吾輩はヴァレリオの絵を欲しておる。そしてお前は、ヴァレリオの画家としての再起を望んでいる。そうであろう?」

私は直ぐに首を左右に振った。
嘘なんかじゃない。これは本心だ。

「無理強いをしたいわけじゃない。私は、坊ちゃんがお望みでないのなら、ずっとこのまま――」
「嘘つけ」
「だって、あれだけ絵を描くのがお好きだった方が、自らの手で筆を折られたのよ。何か……それ相応の理由があったはず」
「はっ、『お望み()()()()()()』だの、『それ相応の理由があった()()』だの……。お前、な~んも知らんのだな」
「……うるさいな」
「このままでは吾輩も納得がいかん。調べてこい」
「無茶言わないで。私は使用人――っ!」

突然、眩い光に包まれた。
一体何? もしかして威嚇?

「取れ。貴様にくれてやる」
「?」

見れば目の前に何かが浮かんでいる。
これは……絵筆? いや、普通の絵筆より一回り以上短い。
持ち手の部分は桃色で、穂先の部分は真っ白。
少なくとも、ヴァレリオ様のアトリエにはないタイプの筆だ。

「名を冠するなら『なりたい自分になれるステッキ』と言ったところか」
「……は?」
「そのステッキを使えば、絶世の美女にも、最強の女騎士にもなれる」
「? だから、何?」
「使用人だから確かめられぬのであろう? ならば、対等かそれ以上の立場になればいい」

暴論にも程がある。
やっぱりこの精霊? には、この世界の常識が通じないらしい。
納得してもらえそうにはないけど、一応話してみるか。

「あのね、仮にそれらしい見た目になれたとしても、どこの馬の骨ともしれない人間が、相手にされるわけ――」
「吾輩はそれを『なりたい自分になれるステッキ』と言ったはずだ」
「そっ、そうだけど……それが何?」
「例えばお前が異国の令嬢に変身した場合、関わった人間はお前をそれと思い込む」
「一種の催眠状態ってこと?」
「左様。加えて、お前自身の能力もそれに見合ったものになる。異国の言葉を母国語のように操るばかりではなく、その振る舞いもまたその国の令嬢にふさわしいものとなるのだ」
「すっ、凄い……」
「はっはっは! そうであろう、そうであろう!」

っ! しまった。思わず感心してしまった。
私はぶんぶんと首を左右に振って切り替える。
冷静になりなさい、フィオーラ。
このステッキ、下手したらとんでもない危険物よ。

「その催眠状態はいつまで続くの? まさか一生なんてことは――」
「案ずるな。二週間の間だけだ。期日を過ぎれば、関わりが薄かった者から順にその美女の記憶は薄れ、()()()()()()()()()()()()()()
「誰の記憶にも残らない……」

確かにそれなら、ヴァレリオ様もビアンカちゃんも傷付けることなく、真相を聞き出すことが出来るかもしれない。

「お前にとってもプラスになるはずだ。このまま何も知らぬまま、ただ一人ここでの掃除を続ける気か?」
「…………」

ヴァレリオ様の真意が分かれば、このアトリエをお守りすることが、迷惑なのか、それとも多少なりともお役に立つことなのか判断がつく。

迷惑であるのなら、直ちにやめるべきだ。
それを思えば、この誘いに乗る価値は十分にあると思えた。

「分かった。手伝うよ」

そう言って私はステッキを手に取る。
私の手に収まると、パァッと七色に輝いて――すっと静かになった。

「よくぞ申した! 期限は今日から2週間。1回につき7時間有効で、計3回まで使える。娘よ、くれぐれもしくじるでないぞ!」
「えぇ……」
「なっ、何だ?」
「その……意外とケチなのね」
「ふぬぉおおおぉお!!? 小娘の分際で吾輩を愚弄するのか!!?」

猫は立ち上がるなり、子供みたいに地団駄を踏み始めた。
威厳もへったくれもない。
こんな調子だし、もう敬う必要はないかな。
感謝はしようとは思うけど。

「ごめんごめん。凄い凄い」
「ぐぅ~~、この~~っ」
「で、私は何に変身すればいいの?」

猫さんは立ったままの状態で、顎に手を当てて考え始めた。
何だかシュールだけど、これはこれで可愛いかも。

「……うむ。よし! では、まず手始めに『ヤツの理想の令嬢』になれ」

変身したら、ヴァレリオ様の理想のタイプが分かるってことか。
何だか物凄い罪悪感。まるで日記帳を盗み見るような。
しかも、その理想の中身が私って……。物凄く居た堪れない。

「それと……そうだな、その令嬢は異国人がいい。いくら催眠の効果があるとはいえ、ボロが出過ぎるのも良くないからな」
「なっ、なるほど」
「細かな素性は、吾輩の方で考えておく。お前はその異国の令嬢が潜り込めそうな催しを探しておけ」
「分かった」

こうして私は猫の姿をした精霊さん? と共に、ヴァレリオ様が筆を折った理由を探ることになった。

真相を知った後、この猫さんが何を仕掛けるのか――それはまだ分からない。
けど、何よりも優先すべきなのはヴァレリオ様のお心だ。

ヴァレリオ様には……坊ちゃんにはもう二度と、あんな悲しい顔、させたくないから。