ゼンマイ仕掛けのメイドですが、侯爵令嬢に変身した私に坊ちゃんが恋をしています

昼下がりの陽射しに照らされて、金糸の壁布が眩く光を返す。
高窓から差し込む光はレースの隙間をすり抜け、大理石の床に格子模様の影を落としていた。

ここはサヴィオラ家の廊下だ。

私達三人――同僚のビアンカちゃん、私、そしてメイド長様は、入室予定の扉の前に一列に並んでいる。

二人の間に立つ私の手には、磨き上げられた銀のワゴンが。
上段には白磁に金彩のティーセットが整然と並び、湯気を立てるポットからは紅茶の香りがふんわりと立ちのぼっている。

「もぉ~! 坊ちゃんったら、何やってんのよぉ~!」

堪りかねた様子でビアンカちゃんがぼやく。

彼女は私と同じ黒のワンピースドレスに、白いエプロン姿だ。
美しい紅色の髪はシニヨンにしてまとめている。

ひときわ目を引くのは、アステリアでは珍しいエメラルドグリーンの瞳だ。
彼女は西方の国アルシェール出身のお父様を持つ所謂『ハーフ』。
語学にも堪能であることから、メイド長様は勿論のこと、執事の方々やご当主様からも一目置かれている。

「静かになさい」

お叱りを飛ばされたのはメイド長様だ。
ご年齢は確か40歳ぐらい。
薄い金髪に、瞳はアメシストを思わせるような澄んだ紫色。
服装は私達『中級メイド』のものよりも、もう一段上等な感じで、胸元にはサヴィオラの家紋入りのブローチを付けていらっしゃる。

まさにこの屋敷の顔とも言えるお方に、ビアンカちゃんは「だって~」と子供のように口答えをする。

使用人としては不適切だと思う。
礼を欠くし、場を乱すこともある。

それでも私は、彼女のこの真っ直ぐなところが羨ましくて仕方がない。

完璧なメイドになろうと励めば励むほど、私は自分に自信が持てなくなっていった。
今ではもう、歯車(お作法)に従って動くことしか出来ない。

「ヴァレリオ殿は、まだいらっしゃらぬのか!」
「申し訳ございません。もう間もなくいらっしゃるかと思うのですが」

扉の向こうから、耳をつんざくような怒鳴り声が聞こえてくる。

本日いらしているのは、私達の国――アステリアの最高意思決定機関『十人委員会』の一席を占めるお方だ。
本来なら、お待たせするなど絶対にあってはならないことだけど……。

「うおおぉおぉおお!!!」

豪華絢爛なサヴィオラ家の廊下を、暴れ馬のような勢いで駆けてくる男性が一人。
あれは――ヴァレリオ様だ。

兵士や石工を思わせるような逞しい体。
肩まで伸びていた銀髪は短く切り揃え、爽やかな夏の海を思わせるようなサファイアブルーの瞳を――キラキラと輝かせている。

かつての老人のようだったお姿は、もうすっかり過去のものとなっていた。

「あ~♡ 今日もス・テ・キ♡」

ビアンカちゃんだけでなく、メイド長様までもがぽや~っと見惚れてしまっている。

これは何もお二人に限ったことじゃない。
ヴァレリオ様は今や、アステリア中の女性達の憧れの的なのだ。

画家をされていた頃は髪も髭も伸び放題で、その美貌に気づく者はほとんどいなかった。

けれど、パトロンに転じてからは装いも一新。
眠っていた天性の色香が眩いばかりの光彩を放ち、たちまち世の女性を虜にしてしまった……というわけだ。

「ごめ、んね。ゲホッ……はぁ……嫌な思いをさせちゃって……」
「とんでもございません」

メイド長様が一礼する。私もそれに倣って一礼した。
レベッカちゃんもそれに続くけど、興奮を抑えきれないようで、小さく「やば~い♡」と呟いている。
うん。ほんと恐れ多いことだよね。私もそう思う。

「あ、モーリス……」

騒ぎを聞きつけて、執事様が廊下に出て来られた。
モノクルの奥に静かな光を宿す、老齢の紳士だ。
その落ち着いた面持ちが、ヴァレリオ様のお姿を目にした瞬間――驚愕の色に染まる。

「何ですか、その格好は!」
「へ? 何か変?」
「服装が乱れております。一体何をされていたのですか」
「っ!!? ちっ、違う! 僕はモデルをしていたんだ! 断じてその……女性と淫らな……っ、とっ、とにかく、そういうのじゃないからね!!」

ヴァレリオ様は執事様ではなく、私達に向かってご説明をなされた。
良からぬ噂が広まるのを恐れてのことだろう。

「心得ております」と礼をするメイド長様に、私も続いて礼をする。

()()、モデルをされていたのですね。それもヌードの」
「!!?」

執事様がじと~っと呆れを煮詰めたような目で、ヴァレリオ様をご覧になる。
ヴァレリオ様のお顔はみるみるうちに青くなって。

「兄上様にきちんとご報告をさせていただきます」
「そっ、それだけは……!」
「貴方様はサヴィオラ家の四男にして、アレッシオ様と並び、このアステリアの文化を担うお方。どうか、そのお立場を夢夢お忘れなきよう」
「……うび~」

YESともNOとも取れない、何とも曖昧なお返事をなさる。
十中八九、納得がいっていないのだろう。

ヴァレリオ様もまた『作り手』だった。
だからこそ、彼らの情熱に応えたいと、そうお思いなのだろう。

「まったく……」

ヴァレリオ様の乱れた衣服を、執事様が整えていく。
深い藍色の上着に、同系色のベストとパンツを合わせた、控えめながらも上質な装い。
シャツの高い襟元には、淡いグレーのクラバットが丁寧に結ばれ、その結び目には、サヴィオラ家の紋章を象った小さなピンが光っていた。

「整えましてございます――」
「素敵です!」

すかさずビアンカちゃんが絶賛する。
ヴァレリオ様は「ありがとう」と微笑みつつ、私の方にも目を向けられた。

私にも感想を求めていらっしゃるんだ。
ビアンカちゃんと同じように「素敵です」とお答えしようとした。
だけど、口が思うように動かなくて――ただ頭を下げることしか出来なかった。

原因は考えるまでもない。
私の作法書(マナーブック)には、主人に感想を求められたときの、正しい振る舞い方なんて……どこにも書かれていなかったからだ。

「ははっ……ごめん! 困らせちゃったね」
「参りますよ、坊ちゃん。いいですか、まずはきちんと謝罪を――」
「はいはい。分かってるよ」

「しっかり頼みますよ」と、執事様は再度念押しをされた後で、ノックをして開扉の合図をなされた――。