「じゃあ、始めていくね」
「……はい。……っ!!」
ビリッビリッと鋭い音が響いた。
まさか包帯を……?
「あ、ほっ、包帯は……」
「ごめん。これがあると上手く止血出来ないんだ」
「では、止血帯も?」
「いや。そっちは必要だから巻いたままでいくよ」
話している間に、包帯を切り裂かれてしまった。
でも――。
「よし。いけそうだな」
止血帯がご自身のシャツで作られたものであることには、気付いていないみたいだ。
もしかしたら、処理が進んで救術を施した記憶そのものが消えたのかも。
……二重の意味で良かったわ。
「っ!」
安心したのも束の間、ヴァレリオ様がぐっと傷を圧迫し始めた。
私はあまりの激痛に、堪らずシーツに顔を埋める。
「……っ……」
いい香りがする。清涼感溢れるサボンの香り。
その奥には……干したての毛布のような甘やかだけど、どこか力強さを感じさせる香りがあった。
これは坊ちゃんのお体の香りだ。
仕事上、何度となく触れてきているはずなのにドキドキして仕方がない。
だって、こんなにも温かくて間近に感じるのは初めてで……。
「あっ! ……~~っ、………」
気を抜いたせいか声を出してしまった。
小さく「申し訳ございません」と謝罪をして、ぎゅっと唇を引き結ぶ。
「いいよ。はぁ……その調子……」
「えっ……?」
「声、出して。息を止めちゃうと、腹圧がかかって心臓に負担が……とにかく、体に良くないんだ。それに、痛みも和らぐだろうから」
「かっ……かしこまりました」
これも迅速な処置のため。これも迅速な処置のため……。
必死に自分に言い聞かせて、震える唇を開く。
「……ぁ、……っ、……はぁ、っ、……ぁ……っ」
「フィオーラ……、いいよ……すごく、いい……。僕も……っ、ふ……はぁ……、……っ……っ、んん~~、ぐ……っ……!」
密室で二人っきり。
ベッドの上で互いの体温が混ざり合うぐらい密着して、喘いでいる。
にもかかわらず、ヴァレリオ様はいつも通り爽やかなままで……私だけが一人戸惑い――揺れている。
目尻が熱くなってきた。
ほんと、厚かましいったらないわね。
「はぁ……はぁ……大丈夫?」
「はっ、はい……」
「そう。じゃあ、血も止まったみたいだし、改めて『固定』をし直し――」
「こっ、固定はしていただかなくて結構です!!!」
全力で止めに入った。
これ以上止血帯を見られるのは避けたいというのもある。
けど、やっぱり一番は……。
未だに胸に残るヴァレリオ様の逞しい手指の感触を思い出して、固く目を閉じる。
「いっ、命を救うためだと言うことは、十二分に理解しています。ですが、その……むっ、胸に触られるのは、やはり抵抗が……」
「??? ……あっ……ああ! あ~……そっか! そうだよね!!」
ヴァレリオ様は『やっちまった~!』と言わんばかりに天を仰いだ。
やっぱり下心なんて微塵もなかった。
それだけ貴方様は、ビアンカちゃん一筋だということですね。
こんなにも想われているなんて……ビアンカちゃんが心底羨ましい。
「ごめんね。分かった。でも、また傷口が開いちゃうといけないから、もう少しだけ押さえさせて」
「ありがとうございます。承知致しました」
ヴァレリオ様はご自身の寝巻の袖をビリッと破くと、私の傷口に押し当てた。
……あれ? 手が震えてる。
見上げると、ヴァレリオ様のお顔が真っ赤になっていて。
「ヴァレリオ様……?」
「その……色々とごめんね」
「いえ! そっ、そんな! こちらこそ、ご迷惑をおかけしてしまい申し訳ございません」
「迷惑だなんて。むしろ、……あ、……いや……」
ヴァレリオ様は首を勢いよく左右に振ると、ゴホンっと大きく咳払いをした。
私もどうにも気まずくて、マネするようにして小さく咳払いをする。
「彼女も嫌だったのかな。武人ではあるけど、やっぱ……女性……だし……」
傷口を押さえ込んでいたヴァレリオ様の手が――緩んだ。
布を退けて、まじまじと傷を観察し始める。
「……どうされました?」
「同じだ」
「えっ?」
「傷の位置も、剣筋も……彼女が負ったものとまったく同じ」
「っ!!!」
「それに何よりこの止血帯。これは僕のシャツで作ったものだ」
記憶が戻り始めた?
いえ。きっとまだ処理が不完全なのね。何とか時間を稼がないと。
「申し訳ございません。このシャツは負傷した際、お洗濯物の中からやむを得ず頂戴致しました。処置はその場に居合わせた剣士様に――」
「違う」
「ヴァレリオ様、いけません。このままでは本当に病を疑われてしまいます」
「違う。……違うよ。……あれは、現実に起きたことだ」
ヴァレリオ様は必死に思い出そうとしているみたいだ。
頬や首元には玉のような汗が滲み、左手で額を強く押さえ込んでいる。
頭痛が……痛みが伴っているんだ。
いけない。早く止めないと。
「落ち着いてください。私は一介のメイドなのですよ。武器を持ったこともなければ、人を殴ったことすらありません。そんな私がヴァレリオ様をお守りするなんて、到底不可能です」
「……っ、……確かに、華奢でか弱い君に、あんな異次元的な動きが出来るとは到底思えない。あれを行うには、相応の筋肉と背丈、それから経験が必要だ」
ほっと息をつく。
良かった。ご納得いただけたみたい――。
「ただ、ははっ……その顔……」
「顔?」
血塗れの大きな手が、私の頬をそっと包み込む。
見上げれば、お顔に汗を滲ませたヴァレリオ様が笑っていて。
「その『ほっとした時の表情』が同じなんだ。ルクレツィアとも……クロエ様とも……」
「えっ……」
「君はね、ほっとした時、ほんの一瞬だけ遠くを見る癖があるんだよ」
知らなかった……。
って、感心している場合じゃない!!
「私には戦う力はないと、そう仰られたではありませんか」
「ん~……それはやっぱり魔法の力で?」
「魔法だなんて、そんなものがあるわけが――」
「みゃお」
「っ! ペンネロ」
いつの間にやら入って来て、ベッドの上に乗っかっていた。
心配して見にきてくれたの?
視界が涙で滲んでいく。だって、あんまりにも嬉しくて。
「ペンネロっていうんだ。可愛い名前だね」
「? 坊ちゃんが名付けたんじゃ?」
「へえ? どうしてそのこと知ってるの?」
満面の笑みで問いかけてくる。
大方、『クロエの姿の時に聞いたんだろ?』と仰りたいのだろう。
そっ、そうはいかない……!
「ビアンカちゃんから聞いたんです」
「本当かな?」
「っ!」
ぐっと顔を寄せてこられた。
それこそヴァレリオ様の鼻先が、私の額を掠めるぐらいに。
「……お戯れを」
「……嫌?」
「ヴァレリオ様には心に決めたお方が」
「誰?」
「……………………ビアンカちゃん」
「はははっ! ヤダな。彼女は僕の助言者だよ」
「えっ……?」
「愛の、ね」
もしかして、ビアンカちゃんが私にやたらとヴァレリオ様を推してきたのは、ファンにするためじゃなくて、男性として意識させるため……?
ヴァレリオ様とお話をされている時、凄く幸せそうで、楽しそうだったのは……ヴァレリオ様と私の未来を夢見てくれていたから……?
『大丈夫だよ! フィオーラなら絶対、ぜーーったい幸せになれるから!』
事故に巻き込まれる前、ビアンカちゃんがかけてくれた言葉を思い出す。
途端に涙が溢れてきた。いけない。
咄嗟に右手で涙を拭うと、そっと掴まれた。ヴァレリオ様だ。
涙で濡れた私の指に顔を寄せて――優しく口付ける。
「君がクロエ様で、ルクレツィアで……本当に嬉しい」
夏の海を思わせるようなサファイアブルーの瞳が、銀色の長い睫毛で覆われていく。
『違います』『お止めください』……お伝えしなければならない言葉は山ほどあるのに、私の瞼も下がっていって――。
「「っ!!!」」
扉がノックされた。
お医者様がいらっしゃったんだろう。
「残念」
「あ……~~っ……」
顔がこれ以上ないくらい熱い。
心臓もバクバクして。
キス、してしまうところだった。本当にあと少しで。
「明日の夕方、お見舞いに行くね」
「っ!」
内緒話をするように、耳元で囁かれた。
悪戯っぽい無邪気な笑顔を添えて。
――ずるい。
ついそんな不満を抱いてしまう。
だけど、明日の夕方ならクロエのこともルクレツィアのことも忘れていて、今の一連のやり取りもなかったことになるのでは?
期待を胸に小声でペンネロに訊ねると――彼はさらりとこう答えた。
真相に辿り着いたこと、それ自体は忘れるかもしれない。
ただ、仮にそうなったとしても、私を手当てした事実は消えない。
手当てをきっかけに『いい雰囲気』になった――というふうに記憶は改ざんされ、『逢瀬』の約束が抹消されることもないだろうと。
……私は一体どうしたらいいのだろう?
「……はい。……っ!!」
ビリッビリッと鋭い音が響いた。
まさか包帯を……?
「あ、ほっ、包帯は……」
「ごめん。これがあると上手く止血出来ないんだ」
「では、止血帯も?」
「いや。そっちは必要だから巻いたままでいくよ」
話している間に、包帯を切り裂かれてしまった。
でも――。
「よし。いけそうだな」
止血帯がご自身のシャツで作られたものであることには、気付いていないみたいだ。
もしかしたら、処理が進んで救術を施した記憶そのものが消えたのかも。
……二重の意味で良かったわ。
「っ!」
安心したのも束の間、ヴァレリオ様がぐっと傷を圧迫し始めた。
私はあまりの激痛に、堪らずシーツに顔を埋める。
「……っ……」
いい香りがする。清涼感溢れるサボンの香り。
その奥には……干したての毛布のような甘やかだけど、どこか力強さを感じさせる香りがあった。
これは坊ちゃんのお体の香りだ。
仕事上、何度となく触れてきているはずなのにドキドキして仕方がない。
だって、こんなにも温かくて間近に感じるのは初めてで……。
「あっ! ……~~っ、………」
気を抜いたせいか声を出してしまった。
小さく「申し訳ございません」と謝罪をして、ぎゅっと唇を引き結ぶ。
「いいよ。はぁ……その調子……」
「えっ……?」
「声、出して。息を止めちゃうと、腹圧がかかって心臓に負担が……とにかく、体に良くないんだ。それに、痛みも和らぐだろうから」
「かっ……かしこまりました」
これも迅速な処置のため。これも迅速な処置のため……。
必死に自分に言い聞かせて、震える唇を開く。
「……ぁ、……っ、……はぁ、っ、……ぁ……っ」
「フィオーラ……、いいよ……すごく、いい……。僕も……っ、ふ……はぁ……、……っ……っ、んん~~、ぐ……っ……!」
密室で二人っきり。
ベッドの上で互いの体温が混ざり合うぐらい密着して、喘いでいる。
にもかかわらず、ヴァレリオ様はいつも通り爽やかなままで……私だけが一人戸惑い――揺れている。
目尻が熱くなってきた。
ほんと、厚かましいったらないわね。
「はぁ……はぁ……大丈夫?」
「はっ、はい……」
「そう。じゃあ、血も止まったみたいだし、改めて『固定』をし直し――」
「こっ、固定はしていただかなくて結構です!!!」
全力で止めに入った。
これ以上止血帯を見られるのは避けたいというのもある。
けど、やっぱり一番は……。
未だに胸に残るヴァレリオ様の逞しい手指の感触を思い出して、固く目を閉じる。
「いっ、命を救うためだと言うことは、十二分に理解しています。ですが、その……むっ、胸に触られるのは、やはり抵抗が……」
「??? ……あっ……ああ! あ~……そっか! そうだよね!!」
ヴァレリオ様は『やっちまった~!』と言わんばかりに天を仰いだ。
やっぱり下心なんて微塵もなかった。
それだけ貴方様は、ビアンカちゃん一筋だということですね。
こんなにも想われているなんて……ビアンカちゃんが心底羨ましい。
「ごめんね。分かった。でも、また傷口が開いちゃうといけないから、もう少しだけ押さえさせて」
「ありがとうございます。承知致しました」
ヴァレリオ様はご自身の寝巻の袖をビリッと破くと、私の傷口に押し当てた。
……あれ? 手が震えてる。
見上げると、ヴァレリオ様のお顔が真っ赤になっていて。
「ヴァレリオ様……?」
「その……色々とごめんね」
「いえ! そっ、そんな! こちらこそ、ご迷惑をおかけしてしまい申し訳ございません」
「迷惑だなんて。むしろ、……あ、……いや……」
ヴァレリオ様は首を勢いよく左右に振ると、ゴホンっと大きく咳払いをした。
私もどうにも気まずくて、マネするようにして小さく咳払いをする。
「彼女も嫌だったのかな。武人ではあるけど、やっぱ……女性……だし……」
傷口を押さえ込んでいたヴァレリオ様の手が――緩んだ。
布を退けて、まじまじと傷を観察し始める。
「……どうされました?」
「同じだ」
「えっ?」
「傷の位置も、剣筋も……彼女が負ったものとまったく同じ」
「っ!!!」
「それに何よりこの止血帯。これは僕のシャツで作ったものだ」
記憶が戻り始めた?
いえ。きっとまだ処理が不完全なのね。何とか時間を稼がないと。
「申し訳ございません。このシャツは負傷した際、お洗濯物の中からやむを得ず頂戴致しました。処置はその場に居合わせた剣士様に――」
「違う」
「ヴァレリオ様、いけません。このままでは本当に病を疑われてしまいます」
「違う。……違うよ。……あれは、現実に起きたことだ」
ヴァレリオ様は必死に思い出そうとしているみたいだ。
頬や首元には玉のような汗が滲み、左手で額を強く押さえ込んでいる。
頭痛が……痛みが伴っているんだ。
いけない。早く止めないと。
「落ち着いてください。私は一介のメイドなのですよ。武器を持ったこともなければ、人を殴ったことすらありません。そんな私がヴァレリオ様をお守りするなんて、到底不可能です」
「……っ、……確かに、華奢でか弱い君に、あんな異次元的な動きが出来るとは到底思えない。あれを行うには、相応の筋肉と背丈、それから経験が必要だ」
ほっと息をつく。
良かった。ご納得いただけたみたい――。
「ただ、ははっ……その顔……」
「顔?」
血塗れの大きな手が、私の頬をそっと包み込む。
見上げれば、お顔に汗を滲ませたヴァレリオ様が笑っていて。
「その『ほっとした時の表情』が同じなんだ。ルクレツィアとも……クロエ様とも……」
「えっ……」
「君はね、ほっとした時、ほんの一瞬だけ遠くを見る癖があるんだよ」
知らなかった……。
って、感心している場合じゃない!!
「私には戦う力はないと、そう仰られたではありませんか」
「ん~……それはやっぱり魔法の力で?」
「魔法だなんて、そんなものがあるわけが――」
「みゃお」
「っ! ペンネロ」
いつの間にやら入って来て、ベッドの上に乗っかっていた。
心配して見にきてくれたの?
視界が涙で滲んでいく。だって、あんまりにも嬉しくて。
「ペンネロっていうんだ。可愛い名前だね」
「? 坊ちゃんが名付けたんじゃ?」
「へえ? どうしてそのこと知ってるの?」
満面の笑みで問いかけてくる。
大方、『クロエの姿の時に聞いたんだろ?』と仰りたいのだろう。
そっ、そうはいかない……!
「ビアンカちゃんから聞いたんです」
「本当かな?」
「っ!」
ぐっと顔を寄せてこられた。
それこそヴァレリオ様の鼻先が、私の額を掠めるぐらいに。
「……お戯れを」
「……嫌?」
「ヴァレリオ様には心に決めたお方が」
「誰?」
「……………………ビアンカちゃん」
「はははっ! ヤダな。彼女は僕の助言者だよ」
「えっ……?」
「愛の、ね」
もしかして、ビアンカちゃんが私にやたらとヴァレリオ様を推してきたのは、ファンにするためじゃなくて、男性として意識させるため……?
ヴァレリオ様とお話をされている時、凄く幸せそうで、楽しそうだったのは……ヴァレリオ様と私の未来を夢見てくれていたから……?
『大丈夫だよ! フィオーラなら絶対、ぜーーったい幸せになれるから!』
事故に巻き込まれる前、ビアンカちゃんがかけてくれた言葉を思い出す。
途端に涙が溢れてきた。いけない。
咄嗟に右手で涙を拭うと、そっと掴まれた。ヴァレリオ様だ。
涙で濡れた私の指に顔を寄せて――優しく口付ける。
「君がクロエ様で、ルクレツィアで……本当に嬉しい」
夏の海を思わせるようなサファイアブルーの瞳が、銀色の長い睫毛で覆われていく。
『違います』『お止めください』……お伝えしなければならない言葉は山ほどあるのに、私の瞼も下がっていって――。
「「っ!!!」」
扉がノックされた。
お医者様がいらっしゃったんだろう。
「残念」
「あ……~~っ……」
顔がこれ以上ないくらい熱い。
心臓もバクバクして。
キス、してしまうところだった。本当にあと少しで。
「明日の夕方、お見舞いに行くね」
「っ!」
内緒話をするように、耳元で囁かれた。
悪戯っぽい無邪気な笑顔を添えて。
――ずるい。
ついそんな不満を抱いてしまう。
だけど、明日の夕方ならクロエのこともルクレツィアのことも忘れていて、今の一連のやり取りもなかったことになるのでは?
期待を胸に小声でペンネロに訊ねると――彼はさらりとこう答えた。
真相に辿り着いたこと、それ自体は忘れるかもしれない。
ただ、仮にそうなったとしても、私を手当てした事実は消えない。
手当てをきっかけに『いい雰囲気』になった――というふうに記憶は改ざんされ、『逢瀬』の約束が抹消されることもないだろうと。
……私は一体どうしたらいいのだろう?

