地味で堅物なメイドですが、キラキラ侯爵令嬢に変身した私に坊ちゃんが恋をしました【完結】

「あっ! ……~~っ、……」

ヴァレリオ様が全体重をかけるようにして、肩の傷を圧迫していく。
体が軋む。大きな掌にせき止められた血が、傷の奥でドクドクと激しく拍動しているのが分かった。

「ルク……レツィア……はぁ……頑張れ……、頑張るんだ!」

痛くて、苦しくて仕方がないのに、頭の中は坊ちゃんでいっぱいだ。

布越しに感じる手の感触、うなじや頬にかかる熱い吐息、冷涼なハーブの香りに混じった汗の香り……。

坊ちゃんの『何か』を感じ取るたびに、宝物を得たような心地になっていく。

ダメ。ダメだよ。
ヴァレリオ様にはビアンカちゃんがいる。
心に決めた人がいるんだから。

「良かった。血、止まったね。それじゃあ、『固定』に入ろうか」
「承知致しました。おい、レオナルド――」

リッカルド様が隊員の一人を呼び出そうとした時、ビリリリッと鋭い音が響いた。
ヴァレリオ様だ。上半身裸になって、シャツの胴体部分をらせん状に破いている。

「リッカルド、膝を貸してくれないか?」
「ああ……はい! ただいま!」
「?」

私が首を傾げている間に、上体が持ち上がった。
膝って、膝枕のこと――っ!!?

リッカルド様の膝が私の溝内に潜り込む。
一般男性の二倍以上はありそうな屈強な膝に、私のささやかな胸のふくらみが丸呑みにされてしまった。

なっ、何これ!!?
どうしてこんなことをするの!!?

「やっ……」

堪らず上体を揺らすと、リッカルド様が「すまない、ルルよ。堪えてくれ」と小声で謝ってこられた。

なっ、なるほど。これもまた、命を救うために必要なこと……なのですね。
私はぎゅっと唇を噛み締めて、こくりと頷く。

「~♪ 絶景☆」
「~~っ、このっ……!!」
「エンツォ、君はルクレツィアの右袖を破いてくれないか」
「御意!!」

これまたどうして!? なんて思っていたら、これから行われる処置の内容が、頭に流れ込んできた。

あまりにも衝撃的な内容に言葉を失う。
これを坊ちゃんが? それも私に……?
だっ、ダメ!! ダメダメ!!!
そんなことされたら……、私……!!!

戸惑っている間に袖は切り落とされて、ヴァレリオ様がまた私の傍までやってきてしまう。

「さぁ、ルクレツィア。もうひと踏ん張りだ」

ヴァレリオ様は私を元気づけるように爽やかに微笑むと、右袖からナイフを刺し込んで、じょきっじょきっ……と、ある物を切り始めた。

切っているもの、それは――さらしだ。

止血帯を固定するのに邪魔だから、除去する必要があるのだそうだ。
とはいえ、胸を見られることはないだろう。
この通り、リッカルド様に余すことなく押し潰されているから。

けど、()()()()()()()()()()()()、そっちの方がマシだったのかもしれない。

「よし。切れた」

ヴァレリオ様はさらしを抜き取ると――剥き出しになった胸の付け根に、躊躇なく肘をあてた。

「……っ」
「痛いよね。ごめんね」

耳元でそっと囁かれた。
ヴァレリオ様は今、私に覆い被さるような体勢になっている。
止血帯の始点となる箇所を、肘で固定させるために。

この距離だと声も、体の動きも全部筒抜けになってしまう。
どうしよう……どうしよう……だって……だって……この後は――。

「っ!!!」

ヴァレリオ様は左手で傷口から左肩まで帯を通すと、更にぐっと体を密着させて、前へと腕を伸ばした。
始点は肘から手首での固定に変わる。

重い、なんて思っている余裕はない。
大きくて硬い指が、右の胸に差し込まれる。
指の腹でやわらかな乳肉をたぷたぷと揺らしながら、奥へ奥へと進んでいく。
リッカルド様の太腿と、私の胸の間に隙間を作るためだ。

そうして出来た隙間に止血帯を通す。
そう。これも立派な救術だ。救術……なのよ。

「……やっ……!」

指が右胸の端までたどり着いたところで、ぐっと鷲掴みにされた。
胸の下の方から、ぐにゅっと力任せに押し上げていく。

物凄く痛い。
なのに、()()()……って、違う違う違う!!!

「……よし。はぁ……通った! あと少しだ。あと少しだからな、ルクレツィア!」

坊ちゃんは至って真剣だ。
必死に手を動かしながら、私のことを励まし続けてくれている。

……ああ、何だか涙が出てきた。

「……うぐっ……」
「隊長、こりゃしゃーない。命優先っすから」
「……そうだな」
「てなわけで、俺も()()()いいっすか――ぐわはっ!!!?」

リッカルド様がエンツォを殴り飛ばしてくださった。
ありがとうございます、リッカルド様。

「坊ちゃん、『締め上げ』は私の方で。代わりに、娘に胸をお貸しいただけますかな?」
「分かった」
「エンツォ! お前は支柱をやれ!」
「うぇ~、は~い……」

リッカルド様は私の体を慎重に動かして、主柱の傍へ。
主柱を背にして、エンツォ、ヴァレリオ様、私の順に並んで座った。
リッカルド様は止血帯を引っ張るために、起立したままだ。

「申し訳ございません。血が……」
「気にすることないって」

ヴァレリオ様の剥き出しの白い肌には、私の血がべっとりとこびりついていた。
罪悪感に苛まれていると、正面からぎゅっと抱き締められる。

「爪、立ててくれていいから」
「いけません。そんな……」
「僕とエンツォでは支え切れないかもしれない。だから、ね」

私は逡巡した末に頷いて、ヴァレリオ様の首に腕を回した。

「見せつけてくれるね~」
「っ!」

目の前にはエンツォの下卑た顔があった。
~~っ、本当にこの男は。
私はギリッとエンツォを睨みつけつつ、ヴァレリオ様の首の付け根に顔を埋めた。

「しっかり頼むよ、エンツォ」
「はいはい。()()()()()()()()()()、ご容赦くださいね、坊ちゃん」

エンツォはヴァレリオ様を羽交い絞めにすると、脚を使って私の腰までしっかりと拘束させた。
……脚長すぎない? なんかちょっとムカつく。

「行くぞ、ルル。……耐えるのだぞ」
「はい……あ゛っ!!! ああぁああああ!!!!!」

リッカルド様が患部を締め上げていく。
痛い。体が引き裂かれてしまいそう。
~~っ、止めて!! 止めてください!!!
心の中で何度となく叫んだ。
目からはボロボロと涙が溢れ出して。

「ルクレツィア、気をしっかり持つんだ」
「坊、ちゃん、……っ、坊ちゃん……」
「うん。僕はここにいるよ」

坊ちゃんが優しく囁き掛けてくれる。
そのたびに、やわらかな唇が耳に触れて、まるでキスをされているみたいで……。

――この痛みに耐えるために。
私はそう言い訳をして、甘い夢に浸ってしまった。

「くっ……」

坊ちゃんの肩や首に爪を立てていく。
何度も、何度も。

この罪は一生をかけて償います。
すべてを賭して、ヴァレリオ様とビアンカちゃんの仲を取り持つ。
もう二度と、こんな愚かな夢は見たりしない。

――それから数時間後。
私はお医者様を待つ間に、ペンネロに誘導してもらって、こっそりとリッカルド様のお屋敷を抜け出した。

「……本当に掃除婦でも、医者に診て貰えるんだろうな?」
「当たり前でしょ。私はメイド長様に目をかけていただいている、特別なメイドなんだから」

――そう嘘をついて。

「はぁ……はぁ……はぁ……」

サヴィオラの庭師の物置小屋で変身を解いた。
今この瞬間から、忘却の処理が始まったはずだ。

完了すれば、もう誰もクロエのこともルクレツィアのことも思い出せなくなる。
坊ちゃんは、私=ルクレツィアと気付いたご様子だったけど、たぶんそれも含めて忘れることになるだろう。

「一件落着」
「んなわけあるか」
「へへっ……だね……」

灰青色の質素なコルセットドレスの下には、止血帯が巻かれたままになっている。
言わずもがな、ルクレツィアのものではないからだろう。

お陰で血は止まったままだけど、縫合していない以上いつ傷が開くとも限らない。
出来る限り安静にしないと。

「医者のところに行くぞ」
「行けるわけないでしょ」
「なっ……お前は先ほど、掃除婦でも医者に診て貰えると――」
「どうやって説明する気よ。一介のメイドが負うような傷じゃないでしょ」
「ならばなぜ、ルクレツィアでいる間に治療を受けなかったのだ!?」
「縫合なんてされたら、それこそ動けなくなっちゃうわ。抜け出すのには、もうあのタイミングしかなかったよ」
「この……っ」
「お願い。少しだけ……休ませて……」

私は目を閉じて深く息をついた。
痛みから目を逸らすように、この二週間のことを振り返っていく。
大変で、色々と申し訳なかったけど……でも、やっぱり楽しかったな。

そうして、心穏やかに意識を手放していく。

――だけど、この時の私はまだ気づいていなかった。
長年積み上げてきた、『大切なもの』を失いつつあることを。