翌日の早朝。
私はペンネロと一緒に大聖堂を目指していた。
フィオーラは病欠ということになっている。
本来であれば決して許されない。
なぜなら今日は、枢機卿閣下がおいでになる日。
仕事は山積みだからだ。
けど、今回は特別にお許しくださった。
『致し方がありません。ビアンカが転落するところを、目の当たりにしてしまったのですから』
メイド長様はそう言って、私にまで気遣いの言葉を掛けてくださった。
……申し訳ございません、メイド長様。
私は内心で深く謝罪をしつつ、大聖堂の一室に潜り込んだ。
ここは『聖具室』だ。
重厚な木張りの壁には、金糸で刺繍された祭服がいくつも掛けられ、部屋の隅々まで甘く重たい香りが漂っている。
「よし。いいぞ」
ペンネロにしっかりと確認をしてもらってから、私は最後の変身をした。
視野が広がった気がする。ああ、そうか。背が伸びたのか。
160センチ……いや、170センチはあるかもしれない。
姿見に映る自分を――ルクレツィアをまじまじと見つめる。
群青色の髪は、一つに編み込んで後ろに。
瞳の色は濃い紫色だ。
メイド長様と似た色だからか、余計に凛々しく見える。
着ているのは『ガンベゾン』。詰め物入りの布製の鎧だ。
神聖な大聖堂での任務ということもあってか、オリーブ色の外套を羽織って、鎧を隠している。
腰には、銀色のダガーがささっていた。
たぶんこれが『疾風の剣』ね。
私は剣を抜いて、目の高さまで持ち上げてみた。
鍔やグリップの部分に、風を思わせるような流線が刻まれているけど、それ以外は特に変わったところはない。
これで本当に人を吹き飛ばせるの?
何て思っていたら、見知らぬ老人の姿が思い浮かんできた。
捏造された記憶。ルクレツィアの記憶ね。
茶色いローブ姿の老人は、ルクレツィアの師匠であるらしい。
師匠が剣を振ると――目の前にあった五メートル近い大木が、根こそぎ吹き飛んでいった。
①吹き飛ばしたい対象に剣先を向ける or 意識を向ける。
②飛ばしたい方向に向かって剣を振る。
この二点を守れば、相手を好きな方向に飛ばすことが出来る。
必要なのは腕を振る力だけ、とのことだった。
「なるほどね。剣って言うよりは、魔法の杖って感じね」
「地面に向けて振れば、跳躍することも出来るぞ」
「あ……ほんとだ。剣を振り下ろす高さによって、飛ぶ高さを調整出来るのね。浅く振れば、素早く移動することも出来るんだ」
「危険が迫ったら、四の五の言わずにその力を使って逃げろ。いいな、小娘」
「分かってるって。それじゃ、行ってくるね」
「…………」
別れの挨拶をして部屋を後にする。
十メートルほど離れたところで何ともなしに振り返ってみると、ペンネロが廊下まで出て見送ってくれているのが見えた。
私にはそれが、何だか妙にむず痒くて。
「心配し過ぎよ」なんて、憎まれ口を叩いてしまう。
本当に可愛げのない女だ。
集合場所の教会の裏手に向かうと、既に親衛隊の方々の姿があった。
メイドである私とは、ほとんど接点のない方々だ。
正直なところ、あの方達が普段どういった任務に就かれているのかも、よく分かっていなかった。
今はルクレツィアの知識があるから、滅多なことでは悪手を踏むことはないだろうけど……やっぱりどうにも不安に思ってしまう。
「よう、ルル! 遅かったじゃねえか☆」
「っ!」
男性の剣士様が、横に並んだと思ったら――突然、お尻を触られた。
もにゅっもにゅっ……と、感触を味わうように、ゆっくりと揉み込まれて。
「エンツォオオオオォオオオ!!!!!!!!!!!!!!」
「ひああぁああ~~~!!!」
私は自分でも驚くぐらいの早さで、剣を振った。
金髪の男性――エンツォ・デ・ベルレッティは、風の魔法で吹っ飛ばされて、プラタナスの木に引っかかる。
「はっはっは!! エンツォのヤツ、またやってるよ」
「ったく、こりねーな」
他の八人の親衛隊の方々が、呆れながらも愉快そうに笑っている。
ルクレツィアによると、親衛隊はいつもこんな感じの雰囲気であるらしい。
個人的には凄く……物凄~~~~く苦手だ。
陽気だけど、どこか下品というか……。
ルクレツィアの苦労が偲ばれる。
「んの馬鹿もんが!!!!」
「ふえ~っ、許してください隊長~~っ」
二メートル近い屈強な男性が、こちらに向かって歩いてくる。
女性の太腿×二本分ぐらいありそうな首に、エンツォを乗せて。
ルクレツィアのお父上のリッカルド様だ。
愛娘のお尻を穢した罰なのか、しきりにエンツォの両手両足を引っ張っては、腰に強い負荷をかけている。
何ともパワフルなお父様だ。
近くで見ると、その迫力は一層凄まじいものになる。
顔の下半分を覆う立派なお鬚に、鋭い眼光、そして眉間に刻まれた深い皺。
まさに『歴戦の猛者』っといった感じだけど――。
「ルル♡ このバカは、パパがしっかり懲らしめてやったからなぁ♡♡♡」
「……ありがとうございます。お父様」
この通り超が付くほどの『親バカ』なのだそうだ。
幸い、ルクレツィアは常に塩対応であるそうなので、演じる上では支障はなさそうだけど……何だか酷く疲れるというか……。ああ、もう帰りたい……。
「さて。では、始めるとするか」
「ぐはっ……!」
リッカルド様はエンツォを振り落とすと、すっと切り替えてブリーフィングを始められた。
それに伴って他の剣士様も、あのエンツォまでもが表情を引き締めていく。
やっぱり、この人達もプロなんだ。
実感した瞬間、親近感を抱いた。
それと共に湧き上がってくるのは――確信だ。
この人達となら、きっと守り切れる。
坊ちゃん達を……絶対に。
「主の御前に集いし者達よ。今、我らの心を清め、聖なる言葉と祈りをもって、この日を捧げよう――」
ミサが始まった。
サヴィオラのご一族の方々のお席は、聖堂のちょうど中程のあたりだ。
以前皆様がいらっしゃった最前列には――ルンガルディの一族が鎮座している。
部隊の配置は――
ご当主様の隣にエンツォ、後ろにロッコという名の剣士様が。
側廊(身廊の両脇の通路部分)には、私とリッカルド様の二人が控えていた。
あとの四人は、不測の事態に備えて、大聖堂の外で待機している。
現状、身廊(祭壇へと続く通路側)にいらっしゃるヴァレリオ様の警備が、もっとも手薄な状態だ。
ただ、この剣を使えば十分お守りすることは可能だ。
相手を吹き飛ばすか、私が飛んでヴァレリオ様のお側にいけばいい。
そのためにも、暗殺者の陰を絶対に見落とさないようにしないと。
一瞬たりとも気は抜けない。
私は外套の中で静かに剣を抜いて、ヴァレリオ様の周囲に目を配る。
「始まったな」
信者の方々が身廊に出て、一列に並び出した。
『聖体拝領』だ。
信者の方々は一人ずつ司祭様の前に出て、聖体を象徴するパンを受け取り、祈りを捧げていく。
護衛を伴って臨むことは、決して許されない。
狙われるとすれば、おそらくここだ。
私は外套の下にある剣を握り直して、緩く膝を落とす。
「っ! 坊ちゃん……」
席を立たれるなり、背中を丸められた。
足が痛むのだろう。
ヴァレリオ様は「大丈夫ですよ」と笑顔で返しつつ、何とか歩こうとなされているけど、中々思うようにならないみたいだ。
エンツォとロッコ様が歯痒そうにしている。
あの二人は手を貸すことが出来ない。
武装をしているために、身廊に立つことが出来ないのだ。
「お父様……」
「いや、大丈夫だ」
ヴァレリオ様の兄、ドメニコ様が肩を貸してくださった。
一歩一歩、ゆっくりと身廊に向かっていく。
その後、ご当主のジローラモ様を先頭に、次男のアレッシオ様、三男のドメニコ様、四男のヴァレリオ様の順で一列に並ばれた。
ドメニコ様が変わらず肩をお貸ししようとしたところで、修道士様が介助を申し出てくださる。
「ありがとうございます。修道士様」
唇の動きで、ヴァレリオ様が修道士様に感謝されたのが分かった。
ほっとしたように、穏やかに微笑んでいる。
どうやら相当お辛かったみたいだ。
「……まずいな。坊ちゃんの足の具合は、相当悪いらしい」
「ええ。あんな状態で襲われでもしたら――っ!」
その時、修道士様の袖口がギラリと光った。
あれは――刃物だ。
理解したのと同時に、私は地面に向けて剣を振り――バンッと勢いよく跳ね上がった。
私はペンネロと一緒に大聖堂を目指していた。
フィオーラは病欠ということになっている。
本来であれば決して許されない。
なぜなら今日は、枢機卿閣下がおいでになる日。
仕事は山積みだからだ。
けど、今回は特別にお許しくださった。
『致し方がありません。ビアンカが転落するところを、目の当たりにしてしまったのですから』
メイド長様はそう言って、私にまで気遣いの言葉を掛けてくださった。
……申し訳ございません、メイド長様。
私は内心で深く謝罪をしつつ、大聖堂の一室に潜り込んだ。
ここは『聖具室』だ。
重厚な木張りの壁には、金糸で刺繍された祭服がいくつも掛けられ、部屋の隅々まで甘く重たい香りが漂っている。
「よし。いいぞ」
ペンネロにしっかりと確認をしてもらってから、私は最後の変身をした。
視野が広がった気がする。ああ、そうか。背が伸びたのか。
160センチ……いや、170センチはあるかもしれない。
姿見に映る自分を――ルクレツィアをまじまじと見つめる。
群青色の髪は、一つに編み込んで後ろに。
瞳の色は濃い紫色だ。
メイド長様と似た色だからか、余計に凛々しく見える。
着ているのは『ガンベゾン』。詰め物入りの布製の鎧だ。
神聖な大聖堂での任務ということもあってか、オリーブ色の外套を羽織って、鎧を隠している。
腰には、銀色のダガーがささっていた。
たぶんこれが『疾風の剣』ね。
私は剣を抜いて、目の高さまで持ち上げてみた。
鍔やグリップの部分に、風を思わせるような流線が刻まれているけど、それ以外は特に変わったところはない。
これで本当に人を吹き飛ばせるの?
何て思っていたら、見知らぬ老人の姿が思い浮かんできた。
捏造された記憶。ルクレツィアの記憶ね。
茶色いローブ姿の老人は、ルクレツィアの師匠であるらしい。
師匠が剣を振ると――目の前にあった五メートル近い大木が、根こそぎ吹き飛んでいった。
①吹き飛ばしたい対象に剣先を向ける or 意識を向ける。
②飛ばしたい方向に向かって剣を振る。
この二点を守れば、相手を好きな方向に飛ばすことが出来る。
必要なのは腕を振る力だけ、とのことだった。
「なるほどね。剣って言うよりは、魔法の杖って感じね」
「地面に向けて振れば、跳躍することも出来るぞ」
「あ……ほんとだ。剣を振り下ろす高さによって、飛ぶ高さを調整出来るのね。浅く振れば、素早く移動することも出来るんだ」
「危険が迫ったら、四の五の言わずにその力を使って逃げろ。いいな、小娘」
「分かってるって。それじゃ、行ってくるね」
「…………」
別れの挨拶をして部屋を後にする。
十メートルほど離れたところで何ともなしに振り返ってみると、ペンネロが廊下まで出て見送ってくれているのが見えた。
私にはそれが、何だか妙にむず痒くて。
「心配し過ぎよ」なんて、憎まれ口を叩いてしまう。
本当に可愛げのない女だ。
集合場所の教会の裏手に向かうと、既に親衛隊の方々の姿があった。
メイドである私とは、ほとんど接点のない方々だ。
正直なところ、あの方達が普段どういった任務に就かれているのかも、よく分かっていなかった。
今はルクレツィアの知識があるから、滅多なことでは悪手を踏むことはないだろうけど……やっぱりどうにも不安に思ってしまう。
「よう、ルル! 遅かったじゃねえか☆」
「っ!」
男性の剣士様が、横に並んだと思ったら――突然、お尻を触られた。
もにゅっもにゅっ……と、感触を味わうように、ゆっくりと揉み込まれて。
「エンツォオオオオォオオオ!!!!!!!!!!!!!!」
「ひああぁああ~~~!!!」
私は自分でも驚くぐらいの早さで、剣を振った。
金髪の男性――エンツォ・デ・ベルレッティは、風の魔法で吹っ飛ばされて、プラタナスの木に引っかかる。
「はっはっは!! エンツォのヤツ、またやってるよ」
「ったく、こりねーな」
他の八人の親衛隊の方々が、呆れながらも愉快そうに笑っている。
ルクレツィアによると、親衛隊はいつもこんな感じの雰囲気であるらしい。
個人的には凄く……物凄~~~~く苦手だ。
陽気だけど、どこか下品というか……。
ルクレツィアの苦労が偲ばれる。
「んの馬鹿もんが!!!!」
「ふえ~っ、許してください隊長~~っ」
二メートル近い屈強な男性が、こちらに向かって歩いてくる。
女性の太腿×二本分ぐらいありそうな首に、エンツォを乗せて。
ルクレツィアのお父上のリッカルド様だ。
愛娘のお尻を穢した罰なのか、しきりにエンツォの両手両足を引っ張っては、腰に強い負荷をかけている。
何ともパワフルなお父様だ。
近くで見ると、その迫力は一層凄まじいものになる。
顔の下半分を覆う立派なお鬚に、鋭い眼光、そして眉間に刻まれた深い皺。
まさに『歴戦の猛者』っといった感じだけど――。
「ルル♡ このバカは、パパがしっかり懲らしめてやったからなぁ♡♡♡」
「……ありがとうございます。お父様」
この通り超が付くほどの『親バカ』なのだそうだ。
幸い、ルクレツィアは常に塩対応であるそうなので、演じる上では支障はなさそうだけど……何だか酷く疲れるというか……。ああ、もう帰りたい……。
「さて。では、始めるとするか」
「ぐはっ……!」
リッカルド様はエンツォを振り落とすと、すっと切り替えてブリーフィングを始められた。
それに伴って他の剣士様も、あのエンツォまでもが表情を引き締めていく。
やっぱり、この人達もプロなんだ。
実感した瞬間、親近感を抱いた。
それと共に湧き上がってくるのは――確信だ。
この人達となら、きっと守り切れる。
坊ちゃん達を……絶対に。
「主の御前に集いし者達よ。今、我らの心を清め、聖なる言葉と祈りをもって、この日を捧げよう――」
ミサが始まった。
サヴィオラのご一族の方々のお席は、聖堂のちょうど中程のあたりだ。
以前皆様がいらっしゃった最前列には――ルンガルディの一族が鎮座している。
部隊の配置は――
ご当主様の隣にエンツォ、後ろにロッコという名の剣士様が。
側廊(身廊の両脇の通路部分)には、私とリッカルド様の二人が控えていた。
あとの四人は、不測の事態に備えて、大聖堂の外で待機している。
現状、身廊(祭壇へと続く通路側)にいらっしゃるヴァレリオ様の警備が、もっとも手薄な状態だ。
ただ、この剣を使えば十分お守りすることは可能だ。
相手を吹き飛ばすか、私が飛んでヴァレリオ様のお側にいけばいい。
そのためにも、暗殺者の陰を絶対に見落とさないようにしないと。
一瞬たりとも気は抜けない。
私は外套の中で静かに剣を抜いて、ヴァレリオ様の周囲に目を配る。
「始まったな」
信者の方々が身廊に出て、一列に並び出した。
『聖体拝領』だ。
信者の方々は一人ずつ司祭様の前に出て、聖体を象徴するパンを受け取り、祈りを捧げていく。
護衛を伴って臨むことは、決して許されない。
狙われるとすれば、おそらくここだ。
私は外套の下にある剣を握り直して、緩く膝を落とす。
「っ! 坊ちゃん……」
席を立たれるなり、背中を丸められた。
足が痛むのだろう。
ヴァレリオ様は「大丈夫ですよ」と笑顔で返しつつ、何とか歩こうとなされているけど、中々思うようにならないみたいだ。
エンツォとロッコ様が歯痒そうにしている。
あの二人は手を貸すことが出来ない。
武装をしているために、身廊に立つことが出来ないのだ。
「お父様……」
「いや、大丈夫だ」
ヴァレリオ様の兄、ドメニコ様が肩を貸してくださった。
一歩一歩、ゆっくりと身廊に向かっていく。
その後、ご当主のジローラモ様を先頭に、次男のアレッシオ様、三男のドメニコ様、四男のヴァレリオ様の順で一列に並ばれた。
ドメニコ様が変わらず肩をお貸ししようとしたところで、修道士様が介助を申し出てくださる。
「ありがとうございます。修道士様」
唇の動きで、ヴァレリオ様が修道士様に感謝されたのが分かった。
ほっとしたように、穏やかに微笑んでいる。
どうやら相当お辛かったみたいだ。
「……まずいな。坊ちゃんの足の具合は、相当悪いらしい」
「ええ。あんな状態で襲われでもしたら――っ!」
その時、修道士様の袖口がギラリと光った。
あれは――刃物だ。
理解したのと同時に、私は地面に向けて剣を振り――バンッと勢いよく跳ね上がった。

