地味で堅物なメイドですが、キラキラ侯爵令嬢に変身した私に坊ちゃんが恋をしました【完結】

本邸の裏手――石畳の通路を抜けた先には、私達使用人の寮がある。
石造りの三階建ての建物で、各部屋にはきちんと窓が設けられている。

外壁には蔦が伝っていたり、窓枠はささくれ立っていたりと、本邸にあるような華やかさこそないものの、日当たりも風通しもよく、とても住み心地がいい。

ビアンカちゃんの部屋はここの二階だ。
ベッドの斜め後ろの窓からは、夕暮れ時の柔らかな光が差し込んできている。

窓、シングルのベッド、机、チェスト……。
部屋の狭さも、配置されている家具も、私の部屋のものとほとんど同じなのに、ビアンカちゃんのお部屋は華やかで、それでいて可愛らしい。

ベッドの上には、毛足のちびた緑色のベルベットのクッションが置かれ、窓枠のささくれや、打ち付けられたままの錆びたクギには、鮮やかだけど少しくたびれた絹のリボンが結びつけられている。

あれは全部、ご一族の方々からいただいた『お古』だ。
毛足がちびてしまったから、くたびれてしまったから……。
そんなふうに見限られてしまった品を、ビアンカちゃんは宝物のように扱い、愛でている。
本当に素敵な子だなと思う。

「すみませんでした!!!」

赤髪の小柄なメイドが、ビアンカちゃんに向かって深々と頭を下げた。
ビアンカちゃんは今、ベッドで上体を起こした状態で座っている。

幸いどこも怪我していなかった。でも、心には……。
私は両手を強く握り締めて、目の前にいるメイドの背中を睨みつける。

「ほ~んと、ルチアもアタシに負けず劣らずのおっちょこちょいだよね~」
「めっ、面目ないっす……。無我夢中でつい……」

二人は顔見知りだった。

ルチアは見習いを卒業したばかりの新米のメイド。
正式な指導係とはそりが合わず、ビアンカちゃんを頼りにしていた。

ビアンカちゃんも頼られるのが嬉しくて、妹のように可愛がっていたのだという。
だから、大事(おおごと)にしたくない。
彼女のことを信じたいんだろうと思う。

でも、ごめんね。
私には見過ごすことは出来ない。

――サヴィオラに仕えるメイドとしても。
――ビアンカちゃんの友達としても。

「フィオーラさんも、すみませんっした!!」

私はこくりと頷いて、彼女の背中を見送った。
彼女はこのあと拘束される手筈になっている。

もう二度と、ビアンカちゃんの前に現れることはないだろう。

「それにしてもさ、すっごいよね~、坊ちゃんは! あんな一瞬で人の顔覚えて、似顔絵まで描いちゃうなんてさ!」

黒子の位置や、眉の形なんかの微妙な違いこそあったものの、ヴァレリオ様がお描きになった似顔絵は、驚くほど正確にあのメイドの顔の特徴を捉えていた。

元々ご存知であったのならまだしも、ほぼ初対面だったというのだから、なお驚きだ。
これもまた、坊ちゃんの才能の一つであるのかもしれない。

「さっすが我らが坊ちゃん! 鼻高々だね~!」
「無理に笑わなくていいよ」
「……っ」
「私は何があっても、ビアンカちゃんの味方だから」

ビアンカちゃんのエメラルドグリーンの瞳から、一筋の涙が零れ落ちる。
細い顎がぶるぶると震え出して――(せき)を切ったように涙が溢れ出す。

抱き締めると、ぎゅっと強い力で抱き返してきた。
私はそれに静かに応えながら、胸の奥で一つの決断を下す。
あの魔法のステッキの、最後の使い道を。

.。o○○o。..。o○○o。.

深夜。部屋に戻って髪を梳かしていると、ペンネロがやって来た。
口には一通の封筒を咥えている。

「それは?」
「ヴァレリオがクロエに宛てたものだ」
「まさか……盗んできたの?」
「安心しろ。ステッキの効力により、きちんと届けられたことになっている。誰も責められることはない」
「ならいいけど」
「読んでみろ。……いや、すまん。読めんか」
「大丈夫。読めるよ」

私は小さく「ありがとう」と言って封筒を受け取った。

しっとりと指に吸い付くような、上等なコットン紙で出来ている。
表面には『親愛なるクロエ嬢へ』と記されていた。
迷いのない、けれどどこか優しい筆致が、何とも坊ちゃんらしいなと思った。

「ほう。この国では掃除婦までもが文字を読めるのか」
「いや、私はたまたま……」
「何だそれは?」
「……メイド長様から色々とご指導いただいているの。それでまぁ……ある程度は……」
「なるほどな。ふっ、()()()マグレではなかったということか」

ペンネロが訳知り顔でニヤニヤし出す。
私はどうにも気恥ずかしくて、半ば逃げるようにして手紙へと意識を向ける。

記されていたのは、真摯な謝罪と面会日の変更の相談だった。
二枚目は別の言語で書かれている。これは多分、アルシェール語。

これは間違いなくビアンカちゃんの仕事だ。
こんな私的な手紙を訳してくれるのは、ビアンカちゃん以外にいないだろうから。

便箋を持つ手に力が籠る。
頭を過るのは、重なるようにして倒れるヴァレリオ様とビアンカちゃんの姿だ。

もうこれ以上絶対に、あの二人を傷付けさせたりしない。

「ヴァレリオめ、まったく熱心なことだな」
「ねえ、ペンネロ。あのステッキの力を使えば、『最強の女剣士』にもなれるんだよね?」
「? 可能だが、なぜそんなものになる必要がある?」
「坊ちゃんの命が、狙われているかもしれないの」
「何!?」

私は順を追って、その根拠を伝えていった。

サヴィオラと対立しているルンガルディ家が、教皇様に取り入って、サヴィオラの権力を一つ二つと蚕食(さんしょく)している現状を。

急な枢機卿様の来訪で、サヴィオラ家の男子全員が、警備の手薄なミサへの参列を余儀なくされてしまったことを。

そして今日――最も若く、体力のあるヴァレリオ様が、故意に怪我をさせられてしまったことを。

「……ちと考えすぎではないか? 取り越し苦労だったらどうする」
「それならそれで構わないわ」
「……良いのか? 女剣士になったら、お前はもう二度とクロエにはなれんのだぞ?」

また妙な気を遣って。
私は苦笑しつつ、こくりと頷く。

「ヴァレリオ様は、アレッサンドロ様という素晴らしい師を得たわ。クロエはもう必要ない。それに……」
「……何だ?」
「ヴァレリオ様の恋人は、私の大切な友達でもあるの。だから、あの子のためにも、ヴァレリオ様を絶対に死なせるわけにはいかない」

ペンネロが苦虫を噛み潰したような顔をして、深い……それはもう深い溜息をついた。

「本当に損な性格だな、お前は」
「だから、そんなんじゃないってば」

ペンネロはやれやれと首を左右に振りながらも、最強の女剣士の設定を考えてくれた。
次に私が変身する女性――ルクレツィアの素性をまとめるとこんな感じだ。

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・名前:ルクレツィア・デ・ヴォルぺ
・年齢:18歳
・出身地:アステリア
・身分:サヴィオラ家の親衛隊員 / 親衛隊長リッカルド様の次女
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「出血大サービスで、『疾風の剣』を授けてやる」
「疾風?」
「対象を吹き飛ばすことが出来る剣だ。壁にでも叩きつけてやれば、大抵の者は気絶する」
「っ! 斬らなくていいってこと?」
「……小娘に人殺しの真似などさせられんからな」
「ペンネロ~~!!!」
「ふおぉお!!? やめんか!! 抱き付くな!」
「じゃあ、撫でるのは?」
「……許す」
「ふふっ、はいはい」

ペンネロを膝の上にのせて、頭や顎の下を撫でていく。
不機嫌そうに尻尾をパタパタとさせているけど、大人しくしているあたりこれは間違いなくフリだろう。

「ルクレツィアは強い。だが、決して無敵ではない。一瞬の油断で大怪我をすることも……最悪、死さえもあり得るのだぞ」
「分かってる。ちゃんと用心するから」
「むぅ……」

ペンネロは何か言いかけて口を噤んだ。
言わずもがな、私の気持ちを汲んでくれたんだろう。

ありがとう、ペンネロ。
私は感謝の気持ちを込めて、ペンネロの小さなおでこにキスをした。

正直言うと怖い。だけど、この選択に悔いはない。
坊ちゃんを、ご当主様を、他のご一族の方々を必ずや守り切ってみせる。
――たとえ、この命に代えても。