地味で堅物なメイドですが、キラキラ侯爵令嬢に変身した私に坊ちゃんが恋をしました【完結】

サロンには、ヴァレリオ様とアレッサンドロ様の姿があった。
使用人は……置いていないみたいだ。

――二人っきり。

あのいかがわしい妄想が過りかけて、慌てて掻き消す。

お二人は扉の近くにある赤いベルベットのソファに、向かい合わせで腰掛けている。
手前がヴァレリオ様、奥がアレッサンドロ様といった具合だ。

服は……着てる! 良かった~。
まずはそのことにほっと息をつく。

「むぅ~。見れば見るほど変態だ」
「どこがよ。とっても素敵な殿方じゃない」

アレッサンドロ様のお顔を拝見するのは、これが初めてのことだった。
端的に言えばそう……とても妖艶なお方だ。

すっきりと通った鼻筋に、どこか情熱をはらんだ薄い唇。
琥珀色の瞳は知的で、それでいてどこかミステリアスな輝きを放っている。

肩まで届く黒髪は、芸術家らしい奔放さで緩やかにウェーブしていて、煩わしげにそれを掻き上げるたびに、芳醇なワインを思わせるような色香が、こちらまで漂ってくるような気がした。

もしかしたら、ペンネロには刺激が強すぎるのかもしれない。
……だからって、変態呼ばわりしていい理由にはならないけど。

「ごめん!」

当然、ヴァレリオ様が深々と頭を下げた。
それを受けてペンネロが、「おぉ! いいぞ! ケツはやれんと、ハッキリと言ってやれ!」などと言って騒ぎ出す。

このままだと、お二人に気付かれかねない。どうしよう……。
悩んだ末に、私は――ペンネロの顎の下に手を伸ばした。

「ほにゃ……はふ……」

こしょこしょすると、ペンネロはぽや~とし始めた。
どうやら効いたみたいだ。
私はほっと息をついて、改めてお部屋の中を覗く。

「教皇庁から依頼されていた、フレスコ画の依頼が……白紙になってしまって――」
「ああ、構わないさ。正直言うと、あまり気乗りしなかったんだ」

何て艶やかな声だろう。
甘いけど、伸びやかで、それでいてほんのりスモーキーでもある。

見た目も、声もあんなに色っぽいのに、性格はあんなにも気さくで寛大で。
ヴァレリオ様が《《気を許す》》……じゃなくて、頼られるのも無理はないのかもしれない。

「男は趣味じゃない。描くならやはり女性がいい」

ペンネロが「何!? アヤツ、その気はないのか!?」なんて言いながら、あわあわし出す。
……そんなことだろうと思った。
私は深く溜息をついて、ペンネロの顔をもみくちゃにした。

「女性の肖像画か、婚礼画の仕事を回してくれないか?」
「ああ、勿論! 君が描く女性は本当に美しく、それでいて生き生きとしていて、実に魅力的だ! 僕としても自信を持って推せる!」
「ふふっ、ありがとう。いい依頼(ヤマ)を期待しているよ、ヴァレ」
「…………」
「…………」

沈黙が訪れる。
話が済んだというよりは、ヴァレリオ様がぶつっと中断させてしまったような感じだ。
アレッサンドロ様も意図が分からずにいるのか、首を傾げている。

「? 何だい?」
「あの……! えっと……その……」
「おやおや? もしや、色恋の相談かな?」
「ちっ、違う! 今日はそうじゃなくて、その……絵の、アドバイスを……」

ヴァレリオ様は、頭を深く沈めて、肩も小さく震わせている。
絵の助言を求める――これはたぶん……いえ、間違いなく、ヴァレリオ様にとって、とても勇気のいることなんだろう。

「私で良ければ喜んで」
「っ! あっ、ありがとう」

アレッサンドロ様は訳も聞かずに、快く引き受けてくださった。
ヴァレリオ様のただならぬご様子から、諸々察してくださったんだろう。
人の心の機微に聡い、鋭くもお優しい方だなと思う。

「これなんだけど」

ヴァレリオ様が、イーゼルにかけていたカバークロスを取った。
だけど、私の位置からはほぼ何も見えない。
部屋の奥に置かれている上に、お二人の背中で隠れてしまっているからだ。

まぁ、見えたところで、私に絵の良し悪しなんて分からないんだけど……
ちょっと……いや、凄く残念に思う。

「驚いた。人体の把握も、空間の把握も完璧じゃないか。短縮法も見事に使いこなしている。芸術の都アステリアと言えど、これほどまでに精巧に描ける画家は、そうはいないだろうね」
「……お世辞はいいよ」

ヴァレリオ様はカバークロスを握り締めたまま、深く顔を俯けている。
称賛されることに、強い抵抗があるご様子だ。

『サヴィオラ家の四男』の作品ではなく、一人の画家の作品として見て欲しい。
そんな切なる願いが伝わってくるようだ。

これまでは、たぶん……ヴァレリオ様のご期待にお応えくださる方は、あまりいらっしゃらなかったのだろうと思う。

だけど、きっとアレッサンドロ様なら。
私は逸る期待を胸に、若き天才の背中を見つめる。

「だが、ふふっ……やっぱり君は真面目というか、初心というか。美に対して、やや(へりくだ)り過ぎているね」
「遜る! なっ、なるほど! 僕の絵に足りないのはそういう……。あ、じゃあ、どうすればいい? 君のように美しく、生き生きとした女性を描くには、一体どうしたら???」
「そりゃ勿論、多くの女性を知ること――」
「それはなしで」
「はいはい」

アレッサンドロ様は苦笑しつつ、再び絵に目を向けた。
首を傾げて「ん~」と小さく唸る。

「そうだね。例えば君は、この女性のどこに性的な魅力を感じる?」
「「なっ!!?」」

つい坊ちゃんとハモってしまった。
何を、何を仰るのですか、アレッサンドロ様~~っ!!?

「ほらみろ! やっぱり変態だった!」と得意になるペンネロを、ぎゅーっと力任せに抱き締めることで、何とかその場に踏み止まる。

何でだろう?
聞きたくない! なんて思っているのに、意地でも踏みとどまろうとしている。

アレッサンドロ様が信頼に足るお方であることは、もう十二分に確認出来た。
この場から引き上げてもいいはずなのに。

「胸か? うなじか? それとも尻か?」
「そっ、それは――」
「そう! それだ! それを描くんだよ、ヴァレ」
「へっ!?」
「今、想像しただろ? 彼女の裸を」
「っ! そんなわけ! ……ある……けどさ」

ペンネロが、「ふんっ、ヴァレリオも所詮は男というわけか」と知ったような口を叩く。
私にはそれがどうにも許せなくて、ペンネロの顎の下を執拗にこしょこしょした。

そうすることで、何とか平静を保つ。何とか……何とか……。

「まぁ、無理に官能性を追求しろとは言わないさ。ただ、肉眼ではなく、『心の目』で見ることにも、意識を向けてみてほしい」
「心の目か……」

ヴァレリオ様は何かを掴んだご様子だ。
晴れやかな表情で「やってみるよ」と力強くお返事をなされた。

それを見届けた私は、そっと扉を閉めた。
ペンネロも何も言わずに、テッテッテと私のあとについてくる。

「ねえ、クロエが消えたらあの絵はどうなるの?」
「絵は残る。だが、あの女が何者なのかは分からなくなる」
「空想上の女性って、思いこむようになるってこと?」
「まぁ、そんなところだな」
「じゃあ、あのアレッサンドロ様のご助言は?」
「あれならまぁ、『空想上の女』でも成立する話だからな。抹消されることはないだろう」
「良かった……!」

ほっと胸を撫でおろす。
何かもう……やり切った感が凄いな。
あとはもう、幕が下りるのを待つだけって感じだ。

「お前、妙に爽やかだな」
「そう?」
「もっとこう……ないのか。惜しむ気持ちとか……その……」

らしくもなく、気遣ってくれているみたいだ。
不器用な優しさが、嬉しい反面どうにもおかしくって。

「笑うにゃ!!」
「十分だよ。もうこれ以上何もいらない」

何だか一生分の運を使い果たしてしまったような気がする。
でも、それでもいい。

坊ちゃんにまた筆を執っていただくことが出来たわけだし、それに……今回の一件で、私が目指すべきメイド像も、朧気(おぼろげ)ながらに見えてきた。

自動人形(アウトーマ)のままでも、ほんの少しだけネジを緩めれば、坊ちゃんにもご満足いただける。
坊ちゃんから信頼いただけるメイドになれるんだって、そう思えたから。

「……バカたれ。聖人にでもなるつもりか」

ペンネロの負け惜しみのような悪態が、また何ともくすぐったかった。