地味で堅物なメイドですが、キラキラ侯爵令嬢に変身した私に坊ちゃんが恋をしました【完結】

翌日の午後。
私は軽食がのったワゴンを押して、廊下を歩いていた。
数歩前には、ヴァレリオ様の専属執事であるモーリス様の姿がある。

向かう先は、ヴァレリオ様のアトリエ。
ヴァレリオ様は、変わらず美術のパトロンとして多忙な日々を送りながら、合間合間で絵の制作を進められていた。

『坊ちゃんが軽食を所望された。フィオーラ、手伝ってくれ』

執事様からご指名をいただいたあたりから、何となくヴァレリオ様の企みを察している。
でも、今回は大丈夫。

クロエのお陰で調()()は済んでいる。
ヴァレリオ様をガッカリさせるようなことにはならないだろう。

「どっ、どうぞ!」

ヴァレリオ様からのお返事を受けて、アトリエの中へと入っていく。

部屋の中は、さらさらとした無機質な炭の香りと、しっとりとした水の香りで満たされていた。

何か探しものをされたのか、整えておいたはずの棚や机はゴチャゴチャになっている。

勿論、不満に思うことなんてない。
むしろ、嬉しくて仕方がない。それこそ小躍りしてしまいたいぐらい。

「やっ、やあ! 忙しいのに悪いね」

ヴァレリオ様は先日と同じ、白いシャツ&黒いパンツの略装で、私達に向かって背を向けるような恰好で作業をされていた。

これは……見ていいってことだよね……?
私は遠慮がちに覗き込んで――思わず息を呑んだ。

相変わらず、恐ろしいほど精巧な絵をお描きになる。
緩やかに流れる髪のひと房から、細工の凝った髪飾りに至るまで、ほんの僅かな誤魔化しもなく、正確にクロエを写し取っている。

美に対する『誠実さ』と『底知れぬ執念』。
それらが織りなす静かな気迫に、私はただただ圧倒されてしまう。

「あっ、あんま見ないで! まだ、全然途中だから!」

見過ぎてしまったみたいだ。
私は深く腰を折ってお詫びする。

「失礼致しました」
「あっ、いや! 別に謝ることじゃ……あ~~~っ」
「坊ちゃん。お茶のご用意を進めてもよろしいでしょうか?」
「……あっ! うん!! ぜひ!!!」

何とも力強いお返事。
私も同じ思いだ。まさに渡りに船。
執事様には感謝してもしきれない。

私はいつもの調子でお茶出しの補佐を務め、ワゴンと共に壁際に控えた。
ここから、ヴァレリオ様が『下がれ』と命じられるまではずっと待機。
お茶のおかわりのご希望があれば、執事様と共に対応する。

――つまりは、合法的に見学することが叶うというわけだ。

たぶんこれが、ヴァレリオ様なりの『さり気ない感謝』なんだろう。
じんわりと胸が熱くなる。
ありがとうございます、坊ちゃん。

「……っ」

その時、ヴァレリオ様の手が止まった。
どうされたんだろう?

不安に胸をざわつかせながら、その広い背中を見つめていると――ヴァレリオ様がゆっくりと振り返った。

両方の眉を下げて、唇を固く引き結んでいる。
端的に言えば、酷く申し訳なさそうなお顔をされていて。

「ごめん。今日はここまででいいかな?」

やっぱり見られていると、思うように集中出来ないんだろう。
にもかかわらず、こんな素敵な場を設けてくださったのですね。
私は自分の胸が熱くなるのを感じながら、深く頭を下げた。

――もう十分です。ありがとうございました。
言葉に出来ないこの気持ちを、型通りの挨拶にのせて。

「かしこまりました。失礼致します」
「あ……」
「? 何か?」
「へへっ……笑顔、やっと見れた」
「えっ?」

私、笑ってた?
執事様の方に目をやると、我関せずと言わんばかりに目を伏せていらっしゃる。
これは本当に笑ってしまっていたのかもしれない。

「よーし! 頑張るぞ~!」

ヴァレリオ様は言うなり、軽く飛び跳ねるようにしてイーゼルに向き直った。
私は撤回することも、謝罪することも出来ないまま、執事様と共にアトリエを後にする。

ヴァレリオ様が求めるメイドに近付けたのだから、むしろ喜ぶべきなのかも。
でも、やっぱりサヴィオラのメイドとしては……。
――と、一人悶々とする。

そんな中、執事様が声を掛けてこられた。
いつの間にやら、物干し場は抜けている。……本当にいつの間にやらだ。

「これからは月に一度、不在の折に清掃をしてほしいとのことだ」

執事様は勿論、ヴァレリオ様もあの秘密の掃除を知っている。
その事実を改めて実感して、途端に気恥ずかしくなった。

「負担なようなら、他の中級メイドと分担しても構わないとのことだが――」
「いっ、いえ! 引き続き私一人で!」
「…………」
「あっ……」

執事様の瞳が真ん丸になっている。
あまりのはしたなさに、呆れていらっしゃるんだろう。
私はワゴンの取っ手をぎゅっと掴んで、一層深く頭を下げる。

「お気遣い痛み入ります。ですが、お力添えは無用にございます。週に一度の清掃でも、業務にまったく支障がなかったので」
「……知っての通り、メイド長は君に大きな期待を寄せている。指導も年を追うごとに、熱を帯びたものになっていくだろう。くれぐれも、無理せんようにな」

きっと私は誰の手も借りない。
いくら忙殺されようとも、「私がやります」と言って聞かないだろう。

そんな確信めいた予感が、胸の中に漂っている。
何だか、そんな自分が酷く稚拙に思えて。

「承知致しました」

熱くなった頬を隠すように、一層深く頭を下げたのだった。

.。o○○o。..。o○○o。.

翌日の午後。
私はペンネロに呼び出された。
とにかく急ぎの用だというので、メイド長様から許可を得て渋々持ち場を離れる。

指定された場所は、寮にある私の部屋だった。
扉を開けるなり、ペンネロが「遅い!」と文句を垂れる。

「~~っ、仕方ないでしょ。仕事中なんだから!」
「ヴァレリオの純潔が穢される!! 直ちに見張りに行け!!」
「はぁ? 何を藪から棒に……」
「アレッサンドロとかいう『変態』が来ているのだ! 吾輩はつい先ほど、かの者とヴァレリオが、東のサロンに入っていくのを見た!」

――アレッサンドロ様。
ヴァレリオ様が見出された画家だ。

連作『美徳の擬人像』のうち、担当画家の不手際により完成が危ぶまれてしまった『剛毅』。
その穴を埋めるべく、筆を執られたのがアレッサンドロ様だった。

手掛けられたその一作は、ヴァレリオ様や依頼元の『十人委員会』の期待をも遥かに凌駕する傑作となり――アレッサンドロ様は一躍時の人となった。

そんな偉大なるお方に対して、このネコは……。

「失礼にも程があるわ。根拠もなしに変態呼ばわりするなんて」
「根拠ならある! あの者は、前来た時にヴァレリオを脱がせていた!」
「……ヌードのモデルをなさっていたんでしょ」
「それだけではない! ヤツは芸術のためだ、何だなどと言って、ヴァレリオの肌を撫で回し、情欲を煽っておったのだ!」
「えっ……」
「ヤツには間違いなく()()()がある! ヴァレリオを狙っておるのだ!!」

私は思わず想像してしまった。

――陽光の差し込む東の小サロン。
その中央にある深紅のベルベットの長椅子。
そこに横たわるヴァレリオ様に、一人の男性が迫る。

『まっ、待って……』

遮るもののないヴァレリオ様の白い肌に、男性の手が触れる。
――アレッサンドロ様だ。
その指先は、ヴァレリオ様の白く透き通るような太腿を慈しむように、けれど執拗に撫で回していって。

『んっ……』

ヴァレリオ様の薄い唇から、屈辱と、抗いがたい熱をはらんだ吐息が漏れる。
それと同時に、腰を覆う薄い布(ドレーパリー)さえも剥ぎ取られて――。

「いやいやいやいやっ!!! パトロンと画家の関係なのよ! そっ、そんなとち狂ったことするわけが……」
「あのヴァレリオのことだ。『才能への投資』などと言って、ヤツの無礼を許しかねん」
「う゛っ! ……そっ……それは……」
「貴様はヴァレリオの従者であろう? 婚前の主人の貞操を守るのもまた、従者の務めなのではないか?」
「あ~~~!!! もう!!! 分かったわよ!!!」

私は半ばヤケクソで、部屋を飛び出した。
これは何も、ペンネロの妄言を鵜呑みにしたわけじゃない。
万が一……万が一、の時のためよ。

そう何度となく言い聞かせて、お屋敷の中を突き進んでいく。
辿り着いたのは東棟の突き当たり――。
重厚な沈黙を守る、東の小サロンの扉だ。

私はけたたましい心音に悩まされながら、扉をほんの数ミリだけ押し開けた。
そして、ふぅーっと息をついて、恐る恐る中を覗く。