二学期の終業式の日。
街はクリスマスの空気で浮き足立っている。
マフラーに顔を埋め、駅のホームに立っていると、背後から声をかけられた。
「圭人センパイ。おはよー」
振り返ると、白い息を吐きながら季が爽やかに笑っていた。相変わらず、無駄にキラキラしたオーラだ。
「あ、季くん。おはよ……わっ!?」
挨拶を返そうとした瞬間、季の手が伸びてきた。
大きな手が、僕の頭にポンと乗せられる。
「……また寝癖ついてますよ。ここ」
「えっ、うそ」
「動かないでください。直してあげるんで」
そう言って、彼は丁寧に僕の髪を撫で始めた。
……長い。
寝癖を直すだけなら一瞬で済むはずなのに、指先が髪を梳くようにゆっくり動く。
(え、まだ? そ、それに近いんだけど。なんでこの人は、こんな恥ずかしいことを平気な顔でできるの?)
「……長いよ、まだ?」
「んー、頑固な寝癖ですね。もうちょい」
絶対嘘だ。もう周りの視線が痛いし、僕の顔も赤くなってる気がする……!
「ちょっと、もういいから」
「……はい、直った。今日も可愛いです」
「からかわないで……!」
彼は満足そうにニッと笑う。
その笑顔はいつもの「爽やかな後輩」なのに、髪に手の感触が残って、胸が落ち着かない。
「センパイ、今日約束の日。覚えてる?」
「あ、うん。もちろん」
「じゃあ、学校終わったら駅で待ち合わせね」
「わかった。どこ行くの?」
「内緒」
*
下校になり、スマホのトーク画面を開けるが、メッセージは来ていない。
季くん、まだ学校終わっていないのかも。先に駅で待ってようかな。
そう思い校門の近くまで来ると、周りが少しざわついていることに気がついた。
見ると、他校の制服にコート姿の男子が一人、校門にもたれて立っている。
あの長身は……、もしかしなくても季だった。
女子たちが「え、あのイケメン誰?」「彼女待ちとか?」などとざわつく中、季が僕を見つけて大きく手を振った。
(えっ! なんでここにいるの!? 目立つ! 恥ずかしい)
僕はテンパったまま、季の方へ小走りで駆け寄る。
「どどどーしたの!? な、なんで!?」
「んー、待ちきれなくて迎えに来ちゃった。……ダメだった?」
季はそう言いながら、子犬のように首を傾げた。
絶対に確信犯でしょ! 何も言えなくなるのは僕だけじゃないはず……。
いや、それよりもここは目立ちすぎて僕のメンタルが削られ続けている!
「とっ、季くん、行こ! とりあえず行こ!」
季の腕を引っ張り、早歩きで学校を後にした。
「はぁ、はぁ……。もーびっくりした……」
駅前に来たところで、ようやく僕は足を止めた。
息が上がって心臓がまだバクバクしている。
「あー面白かった。センパイ、慌てすぎ」
「誰のせいだと思ってるの? 心臓止まるかと思った」
「でも、嬉しかったでしょ?」
「……は?」
季が覗き込むように顔を寄せてくる。
「俺見つけた時、センパイ嬉しそうに笑ったし」
「っ……! それは」
反論できない。確かに、彼を見つけた瞬間、驚きよりも先に喜びのようなものが湧いてしまったのは事実……かもしれない。
「……で、どこ行くの?」
「着いてからのお楽しみ」
電車に乗り、学校から二駅ほど離れた繁華街に着いた。
「え、ここ?」
「ここ。クリスマスマーケットやってるって聞いたんで」
彼が指差した先、大きな公園の広場には、クリスマス仕様のキッチンカーや屋台が並び、きらびやかな装飾が施されていた。
え、なにここ……すごい。
ワクワクした気持ち半分に周りを見渡すと、カップルだらけ。完全にデートスポットだ。
「……男二人で?」
「不満ですか? 俺はセンパイと来たかったんだけど」
「ふ、不満じゃないけどさ」
「ならよし。行こ」
季が当然のように僕の手を掴み、指を絡めてくる。
これは『恋人繋ぎ』だ……!
「ちょっと、季くん! 手!」
「人多いんで。……大人しく捕まっててください」
(え、えー!? 友達ってこんなふうに手繋ぐ? 陽キャの人はこれが普通とか……?)
押し切るような強引さで、真っ赤な顔の僕はマーケットの光の方へ引かれていった。
*
チュロスを食べたり、可愛いクリスマスの雑貨を見たりして楽しんだ後、ベンチに座って一休みしていると、日が暮れてイルミネーションが一斉に点灯した。
わあ、と歓声が上がる。
冬の澄んだ空気に、青や白の光が幻想的に輝いている。
「うわぁ、綺麗……」
「ですね」
季はホットココアを飲み干すと、僕の手を取って自分のコートのポケットに突っ込んだ。
「センパイの手、冷えてる」
「……季くんこそ、寒くないの?」
「平気」
ポケットの中で、大きな手が僕の指を包み込む。
この温かさを、僕はもう知っている。
兄から逃げ出したあの日、僕を救ってくれた温かさ。
「……ね、センパイ」
「ん?」
「クリスマス、空いてますよね?」
不意打ちの問いかけに、僕は瞬きをした。
「えっ、当日は……特に予定ないけど」
「じゃ、俺が予約しました」
「ええっ! まだいいって言ってない!」
「……俺、その日は絶対センパイと過ごしたいから。拒否権ないです」
季の少し茶色がかった瞳が真剣に揺れている。
そんな顔で言われたら、断れるわけがない。
「……わかった。空けとく」
「よし、楽しみにしててくださいね」
嬉しそうに笑う彼の横顔を見ながら、僕も自然と笑顔になっていた。
今年の冬は、きっと今までで一番温かい。
*
クリスマスマーケットに行った日から数日後、約束したクリスマスの日はすぐにやってきた。
僕たちは今、中学生バスケットボールの試合会場にいる。
体育館の熱気。そして耳を突き刺すような歓声。
「俺、中学の時バスケ部のキャプテンやってたから。うちの母校も出るし、センパイに俺の好きなこと知ってもらいたくて」
「そうなんだ。季くん、こんなに背が高いもんね。似合うよ」
僕はバスケなんてルールも知らなければ、観戦することだって初めてだ。
「あいつ、俺の後輩。うまくないですか?」
季がコート上の選手を指差す。
「今のはファウル。あいつちょっと強引なんですよ」「ここでスリー決めたら流れ変わる」
何もわからない僕でも楽しめている。
けれど、歓声が大きく声が聞きづらいのもあり、季がわざと耳元に唇を寄せて話しかけてくるから、くすぐったくて話半分しか入ってこない。
バスケを観る季は、子供みたいに目を輝かせてコートを見つめている。
普段は余裕ぶって僕をからかってくる彼が、バスケのことになるとこんな顔するんだ。
僕は試合の内容よりも、隣にいる彼の横顔に見とれてしまっていた。
ふと、何気なく聞いてみた。
「……ねぇ、そんなに楽しそうなのに、なんで高校ではバスケ部に入らなかったの?」
単純な疑問だった。
けれど、季の表情が一瞬だけ止まった気がした。
彼はすぐにいつもの調子で笑って、肩をすくめた。
「んー……まあ、いろいろ? 今はたまに助っ人に行くくらいがちょうどいいんですよ。気楽だし」
「そっか」
「そ。……あ、ほら見てください! いまのシュート!」
彼はすぐに話題を試合に戻したけれど、一瞬だけ見せた影のようなものが、僕の胸に小さく引っかかった。
やっぱり僕とは違う世界の人だと感じてしまう。
それでも、そんな人が今、僕の隣にいるという不思議な優越感のようなものがある。
(このあと、これ渡すの緊張するな……)
リュックの中に入っているプレゼントの感触を確かめながら、僕は試合終了のブザーを聞いた。
*
帰り道、冬の空はもう薄暗くなっていた。
寒空の下、体育館の近くの大きな公園のベンチに座る。
なんだか、この包みを渡すだけなのにどんどん緊張してきた……。
リュックに手を突っ込んで、なかなか取り出せないでいる。
モジモジしていると、季が覗き込んで笑った。
「センパイ、まさかここで編み物しようとしてんの?」
「いや、ちがっ! その、これ。約束してたやつ……手袋なんだけど」
季にツッコまれ、その勢いで手袋の入った包みを押し付けた。
彼は一瞬、きょとんと目を見開いて、それからこれ以上ないくらい嬉しそうに笑った。
「え、今開けていいですか?」
「う、うん」
ガサガサと包みを開けると、中から出てきたのは、鮮やかなロイヤルブルーの手袋だ。
「……ちょっと待って。うわ、すご。まじで編んでくれたんだ」
季はそう呟いて、すぐにはめた。
大きな手にフィットした。
「すげー、ぴったり」
季がまじまじと自分の手を見つめる。
「俺、手デカいのに、なんでサイズわかったんですか? もしかして測ってた?」
「は、測ってないよ! 目分量!」
「へぇ……。俺のことよく見てくれてるんですね」
なんだか意地悪な顔で笑われて、僕は言葉に詰まる。
……もしかして本当に見てたの、バレた?
恥ずかしくて、視線を逸らした。
でも、やっぱり、あの青色は彼の茶髪によく似合っていた。
「あったかいわこれ。まじで嬉しいです。一生使います」
「……喜んでもらえたなら、よかった。その色も似合ってるし」
「俺、さ。今日センパイと一緒にいられるだけで十分だったのに。……頼んだの俺だけど、クリスマスにこんなの貰ったら、調子に乗っちゃう」
「え? ……調子に乗る?」
意味を飲み込めないでいると、季の手が伸びてきた。
毛糸の感触が、僕の頬に触れる。
手袋越しに伝わる温かさと、少しチクっとするウールの感触。
「センパイ。……来年のクリスマスも一緒にいよう?」
「えっ!?」
想定外の言葉に、声が裏返ってしまった。
頬に添えられた手袋のロイヤルブルーが、視界に広がる。途端に僕の顔に熱が集まった。
「来年!? そ、それはどういう――!?」
「そのまんま。来年のクリスマスも、俺のために空けておいてください」
「え、ええっ!?」
「『うん』以外、受け付けなーい」
僕の戸惑いなど気にも留めずに、彼は満足そうに立ち上がると、僕の手を引いた。
「ほら、帰りますよ」
手袋をした大きな手が、僕の手を包み込む。
手袋越しに繋いだ手は、いつもよりずっと熱かった。


