ケイト先輩とトキくん


(季side)


「季くん! お菓子あるよ、食べない?」
「志水、今日のバスケの助っ人頼むわ!」

 昼休みの教室は、今日も無駄に騒がしい。男子も女子も、何かといえば俺の名前を呼ぶ。
 笑って、頷いて、適当に受け流す。そういう「立ち回り」には慣れている。

 ――別に、嫌じゃないけど。どうでもいいんだよな、全部。

 その時、隣に座っている中学からの友達・中谷がスマホを見ながら声をかけてきた。

「そういやお前さー、最近彼女つくんないの? こないだ別れた子、まだ志水のこと好きらしいけど?」
「あー……パス。そういうのいいわ」
「なにそれ、枯れてんの?」
「枯れてねーし。……なんか、飽きた」
「うわー出た。お前のその『飽きた』、何回目だよ」

 中谷が呆れたように笑う。
 実際、否定はできない。今までいた彼女たちとは、いつも告白されて、なんとなく付き合ってきた。でも長続きしたことなんて一度もない。
 
『季くん、優しいけど、なに考えてるかわかんない』
『私に興味ないでしょ』
 
 そんな風に言われて振られるのがいつものオチだ。
 来るもの拒まずだけど、去るものも追わない。それで困ったことはなかった。これでいい。
 ずっと、そう思ってた。――あの日までは。

(どいつもこいつも、俺の顔色ばっか見てつまんねーんだよ)

 頬杖をついて、気怠げに窓の外を見る。
 見えるはずがないのに、圭人センパイの学校の校舎を探してしまう自分がいる。
 机の下でスマホを見るけれど、センパイからの返信はない。

 ……あーあ。早く放課後になんねーかな。
(会いてー)

 *

 あれは、まだ圭人センパイと初めて話す前。夏休み明けのことだ。
 乗り換え駅のホームは、その日も帰宅ラッシュで人の波でいっぱいだった。
 人混みにうんざりしながら歩いていた俺の目の前で、サラリーマンが財布を落とした。
 拾ってやろうかと俺が一歩踏み出した、そのとき。
 脇からサッと、小さな影が動いて財布を拾い上げた。
 他校の制服を着た、背の低い男子だった。
 小動物みたいに震えながら、彼はサラリーマンに声をかけた。

『あ、あ、あの! お、落としましたよ』

 財布を渡し、お辞儀をして逃げるように去っていく。

「……なんだあいつ。すげービビってんのに、偉いな」

 最初はただの「面白い小動物」だと思った。
 それだけの印象だったはずなのに、翌日、同じ車両にその『小動物』が乗っていることに気がついた。無意識に目で追うようになったのはその日からだ。
 
 彼はいつも同じ時間の同じ車両に乗っている。毎日なんとなく観察していて――俺はあることに気がついた。
 重めの前髪で隠れているけれど、その隙間から見える目は大きくて、鼻筋も通っている。
 よく見れば整った顔立ちなのに、本人は全く自覚がないらしく、猫背で気配を消している。

(もったいな。……ま、俺以外気づいてねーなら、それでいいけど)
 
 誰にも見つからないでほしい。自然とそんな気持ちが芽生え始めていた。
 いつも、じっと見ているのに、鈍感な彼は俺の視線には全く気づかないらしい。

(こっち見ねーかな。正面から顔を見てみたい)

 そんなことを考えながら、彼――圭人センパイの観察は毎朝の習慣になった。
 あくびをして眠そうにしていたり、満員電車で本を読んでいたり。
 リュックには『K.I』の編み物のキーホルダーがついている。

(イニシャルか? 手作りっぽいな)

 ある日、座席に座ってリュックの中で手を動かしていることに気がついた。
 モゾモゾと動く、白くて細長い指先。
 そして、リュックの隙間から毛糸が少し見えた。

(まさか、編み物してんのか? 男子高校生が? 電車で?)

 そのギャップにも驚いたけれど、それを必死に隠す姿がたまらなく『かわいい』と思ってしまった。
 その綺麗な指に、触れてみたいと思った。

 そしてある日。帰りのホームのベンチで、またリュックの中でこっそり編み物をしている彼を見つけた。
 いつものように少し離れた場所から見ていると、そのリュックの中から毛糸玉が飛び出して転がった。
 
 コロコロと転がる毛糸を追いかけながら、俺は内心チャンスだ、と思った。
 ――逃すかよ。
 
 小さい彼に話しかけてみたら、反応が面白すぎる。真っ赤になって慌てる顔を見て、俺はますます興味を持った。
 少し迷惑そうな顔をしている……それも悪くない。
 もっと見たい。
 もっと構いたい。

 同じ電車に乗り込み、わざと逃げ場をなくすように距離を詰めた。
 キーホルダーを指差して、名前を聞き出した。
 電車を降りてから、俺はやっと近づけたことに歓喜して、拳を握りしめた。

「ケイトくん……いや先輩かよ。見えねー」

 そう独り言を呟きながら、顔がニヤけていたのは『気のせいだ』ということにした。

 *

 妹・舞に付き合わされて、ショッピングモールへ行ったあの日。
 フードコートで、ちょこんと座って編み物をしている小さな姿を見つけた時、俺は心の中で小さく拳を握った。

 偶然、圭人センパイと出会うなんて、……これ、運命以外あんの?
 
 舞にこんなに感謝することなんて、初めてかも知れない。
 そう思って上機嫌で家に帰ったけれど、舞は遠慮なく核心を突いてきた。

「お兄ちゃんさ、圭人くんの前だと顔緩みすぎ。キモい」
「は? 緩んでねーし」
「いや、デレすぎだったよ。犬が尻尾振ってるみたいで引いたわ」
 
 俺は図星を突かれ、「うるせーよ」としか返せなかった。
 自分でも分かっている。あんなふうに、誰かと話すだけで楽しいと思ったことなんてない。

 *
 
 その数日後。また三人でショッピングモールへ行く予定だったけれど、舞が急遽来られなくなった。
 悪いな、と思いつつ、俺は心底「ラッキー」と思っていた。
 だって二人きりだ。もっとセンパイのことを知るチャンスだ。
 
 手芸屋に行くと、センパイの様子が変わった。
 いつもは俺の顔色を窺うようにオドオドしているくせに、毛糸を前にすると、その瞳がキラキラと輝きだす。
 楽しそうに、熱っぽく編み物について語るセンパイ。

「この糸だと、ふんわり仕上がるんだよ」

 俺にはただの紐にしか見えないそれを、センパイは宝物みたいに扱う。
 その横顔を見て気づいてしまった。

 今までの彼女たちは、いつも、「俺」ばかり見ていた。俺の機嫌、俺の予定、俺の顔。
 でもこの人は違う。
 俺の知らない世界を持っている。
 何かに夢中になれるその姿が、空っぽな俺にはどうしようもなく眩しく見えた。

(……この顔)

 胸がぎゅっと音を立てて締め付けられる。

(この顔、俺だけのものになんねーかな)

 他のやつには見せたくない。俺だけに向いてほしい。
 
 今までは、自分から近づいたことなんてなかった。
 人にそんな気持ちを抱くなんて、初めてだった。
 帰り道、夕日に照らされたセンパイの隣を歩きながら、俺は抑えきれない衝動を口にした。

「俺にもなんか作ってよ」

 困らせたいわけじゃない。
 でも、俺のために時間を使って、俺のことを考えて編んでほしい。
 ただ、その「特別な世界」の中に、俺も入れてほしかっただけ。


(……あー、俺、完全に落ちてんじゃね?)

 今までの恋愛とは全然違う、熱いものが胸にあることに気づいてしまった。

(早く明日になれ。一番後ろの車両で、また会いたい)