『俺にもなんか作ってよ』
夜、ベッドの上で編み物をしながら、今日の楽しかった一日を思い出す。
今はバザーに出す予定のバッグを編んでいる。
季くんに何を作ろうかな。寒い時期だから、色々レパートリーはあるけれど。
……使い勝手がいいもののほうが重くないよね?
その時、突然玄関の方からバタン、とドアが開く音がした。
「ただいまー! 圭人、いんのー?」
ビクッと肩が跳ねた。聞き覚えのある、遠慮のない大きなこの声は、兄の「拓人」だ。
慌てて編みかけの毛糸と道具をベッドの下の奥の方へ隠す。
隠した瞬間、部屋のドアがノックもなく開いた。
「お、いたいた。元気か? 相変わらず暗い部屋だなー」
「……お兄ちゃん、なんで? 急に」
「ん? 冬休みに入ったからに決まってんだろ。一月いっぱいまでこっちにいるわ。飯とか適当でいいから」
兄は僕の頭をわしゃわしゃと撫でながら続けた。
「お前、まだ友達とかいねーの? ちゃんと高校行ってんの?」
「……行ってるよ」
兄は悪気のないような顔で、まだ頭をガシガシと痛いくらいに撫で回し続ける。
その手の重さと、遠慮のない大きな笑い声。
――嫌な記憶が、脳裏をよぎった。
あれは僕が中学一年の頃だった。
リビングで編み物をしていた僕を見て、兄が連れてきた友人が言った。
『うわ、弟くん編み物? まじで?』と嘲笑うように。
『こいつ変わってんだよ、昔から』
『女子力高すぎ〜』
兄も一緒になってバカにしたように笑った。
その時の恥ずかしさと恐怖が蘇り、あれから兄のことは少し苦手だ。
今もあまり目を合わせて話すことができない。
それ以来、編み物をしていることは、外でも隠すようになった。
それでも、あの日電車の中で季に編み物を否定されなかったことは、僕にとっては奇跡のように感じた出来事だった。
*
兄が帰ってきてから、落ち着かない日々が続いている。
昼間は短期のバイト、夜は地元の友達と飲み歩いて留守がちだ。けれど、いつ帰ってくるかわからないし、友達を連れてくるかもしれないという緊張感が続いて、胃が痛い。そろそろ穴が開きそう……。
学校へ行く朝の電車、いつもの場所に、季がいた。
けれど、僕の心は曇ったままだ。
「……センパイ、顔色悪くない?」
至近距離で顔を覗き込まれ、ドキッとする。
季の目は、心配そうに細められている。
「あ、ううん。ちょっと寝不足なだけ」
「ふーん」
誤魔化そうとして視線を逸らすと、不意に季の手が伸びてきた。
大きな手が、僕の頬に添えられる。
「っ!? な、なに」
「熱はないか。……目の下にクマできてますよ」
「う、うるさいな……」
「無理しないでくださいよ。センパイが元気ないと、俺つまんないんで」
ポン、と頭を軽く撫でられる。
彼の言葉や仕草は優しいけれど、本当のことなんて言えない。
この時間が終わって家に帰ればまた、あの緊張感が待っていると思うと、気が重かった。
*
案の定、家にいても気が休まらない。
ある夜、部屋で縮こまっていると、ドンドンドン! とドアを叩かれた。
「圭人ー! 起きとるー?」
慌てて鍵へと手を伸ばす。けれど間に合わなかった。
ドアがかちゃりと開く。
「うわっ、暗っ! お前また一人で何してんの?」
「……別に。本読んでただけ」
慌てて机の上の編み物の本を伏せる。兄はズカズカと部屋に入り込み、あたりを見まわした。
「リビング来いよ。俺のツレが『弟くんも呼べよ』っていうからさ。ゲームしよーぜ」
「いい。僕、そういうの苦手だし」
「あー、またそれ? お前なー、そんなんだから友達も彼女もできねーんだぞ?」
その言葉が、胸に刺さった。
兄はニヤニヤと笑い、僕の肩を叩く。
「もっと明るくしろって。俺の弟なんだから顔は悪くないはずだぞ? なんなら今度、可愛い子紹介してやろっか?」
「……い、いらない!!」
思わず強い口調で返してしまい、兄がキョトンとする。
「……なんだよ、せっかく誘ってやってんのに。ノリ悪いなー」
バタン、とドアが閉まる。
悪気がないのはわかってる。多分、お兄ちゃんなりの優しさなんだっていうのもわかる。
でも今の僕には、それが心を踏まれているようにしんどかった。
それからも実際に、夜中に兄の友人たちの笑い声が聞こえる日もあり、僕は部屋に鍵をかけ、毛布にくるまって息を潜めた。
編み物が手につかない。指が震えるというか、気持ちが乗らない。
作りかけの季へのプレゼント――青い毛糸を見るたびに、申し訳なくなる。
(ごめんね。今は編めそうにないや)
毛糸を奥にしまい込んで、僕は耳を塞ぐように布団をかぶった。
*
週末、叔母と以前から約束をしていた「バザー」に来た。バザー自体も楽しみだったけれど、家から脱出できることにホッとしていた。
僕たちのブースに自分の作品のストールや小物を綺麗に並べる。隣には叔母の刺繍の作品も並べられている。
そのとき、知らない年配のお客さんがストールを手に取り、僕の目を見て聞いてきた。
「あら、素敵な組み合わせね。これ、あなたが編んだの?」
「あ、はい。試着してもいいですよ」
そう答えたとき、隣からも声がした。若い女性だ。
「この編み方変わっててかわいい! 既製品より全然あったかそう」
そんな風に言ってもらえるのを見ていた叔母が微笑んだ。
「ほら、圭人の作品は丁寧だから人気なのよ」
それを聞いてじんわり胸が温かくなった。
兄には「変だ」と言われたことも、ここでは「素敵」と言ってもらえる。
僕の手で作り上げたものが、誰かの役に立ち、喜ばれているんだ。
そう思ったら萎縮していた心が、少しずつ解れていくのがわかった。
(季くんにも、見せたかったな……)
ふと、そんな思いが頭をよぎった。
彼ならきっと、「すげーじゃん、やっぱ似合ってる」って笑ってくれる気がして。
バザーからの帰り道は、日も傾いてもう暗くなりかけていた。
作品がほとんど売れた……!
叔母さんにも褒められたし、今日バザーに行って本当に良かったな。
ふとスマホを見る。季からのメッセージは来ていない。
街灯が灯る街を見ながら、すれ違う人の姿を何気なく目で追う。
背の高い人を見るたび、無意識に季の姿を探している自分に気づいてハッとした。
(……あーあ、お兄ちゃんのいる家には帰りたくないな)
思い出すのは、
編み物を肯定してくれた季。
僕を優しい笑顔で見てくれた季。
「……季くん、会いたいなぁ」
ポツリとこぼれた本音が、風に溶けていった。
*
「圭人ー! 降りてこいよー!」
ドン、とリビングのテーブルを叩く音が、天井越しに響いた。
兄が友人を連れてきて、リビングで飲み会を始めたらしい。
何人かの騒がしい声は、僕の部屋まで届いて「弟くんいるんでしょ?」という声も聞こえる。
……無理! 怖すぎる。ここにいたくない。
財布とスマホだけを持って、逃げるように家を飛び出した。
行くあてなんかない。とりあえず近所の公園まで歩いた。
十二月の夜風が頬を打って、顔も手も凍えるように痛い。
「はあ……何やってんだろ、僕」
夜の公園はもちろん誰もいなくて、余計に寂しさと心細さが増す。
スマホを開けると、自然と季とのトーク画面を開いていた。
メッセージを送る勇気なんてないけれど……そう思いながら指が迷っているタイミングで、季からの着信が来て思わずスマホを落としそうになった。
『もしもし? センパイ、今何してんですか? 暇なら通話しましょーよ』
季くんの声だ……!
いつもの明るい声を聞いて、張り詰めていた糸が切れたように僕は力が抜けた。
「……季くん」
『ん? どうしたの? 声元気ないけど』
「ううん。なんか季くんの声、聞きたかった……ホッとした」
『……は?』
電話の向こうでガタッ! と何かが倒れるような物音がして、季が低い声で聞いてきた。
『……今、どこですか?』
「え? 公園だけど……。うちの近所のクジラ公園」
『動かないでください。すぐ行きます』
「えっ! ええっ!?」
通話はブチっと切れた。
それから15分もしないうちに、息を切らせた季が自転車に乗って現れた。
「バカなんですか! こんな寒いのに薄着で!」
「なんで……ここまできてくれたの?」
「センパイの声が変だったから」
季は少し怒ったような顔で、自分のマフラーを外して僕の首にぐるぐると巻いた。
「え? いいよ、季くんが冷えちゃう――」
「……手、冷たっ」
僕の言葉は無視して、冷え切った僕の手を、自分のコートのポケットに無理やり突っ込ませた。
ポケットの中は、二人分の手が入ると狭くて、季の指が僕の指に絡まった。
「え? あ、温かいけど、なんか恥ずかしい!」
「あったまるまで、このまま。倒れたら困るから、離しちゃダメ」
公園の前にあるコンビニで温かいココアを買ってくれて、ベンチに二人で並んで座る。
その間、季のポケットの中では、僕と手を繋いだままだった。伝わる体温と手の密着に、外の気温は寒いはずなのに、僕の顔はずっと火照ったまま。
(……これ、この近さ普通なの?)
「なんかあったんですか?」
「あ……お兄ちゃんが友達連れてきてて……今日は、その、居場所がなくて」
「……ふーん」
季は少し考えるようにして僕の顔を覗き込んだ。
「じゃあ、俺んち来ます?」
「えっ!? な、なんでそんな」
「今日親いないんで。……ベッド半分こ、します?」
季は悪戯っぽく笑った。
いや、冗談でもこの距離感わかんないな。
けれど、その目はなんだか本気に見えて、ドキドキがうるさくなった。
冗談でもそのやりとりが、今の僕の胸に沁みる。
結局、断ったが、季は僕の家の前まで送ってくれた。
「ありがとう、遠くまで来てくれて。……帰り、気をつけてね」
「また辛くなったらすぐ呼んでください。どこでも行くんで」
まっすぐな瞳で言われたその言葉は、じんわりと胸に響いた。
その言葉をお守りにして、僕は玄関のドアを開けた。
家の中は騒がしいままだったけれど、今の僕は少しだけ怖くなかった。
手に残った季の温もりを感じていたから。


