ケイト先輩とトキくん


 休日の昼下がり。僕は少し緊張しながら、ショッピングモールの前に立っている。
 季と舞ちゃんと待ち合わせをしている。舞ちゃんの「ぬい服」用の毛糸選びをする約束をしていて、季も付き合ってくれるらしい。

 家族連れやカップルが行き交う中、僕は落ち着かなくてキョロキョロと辺りを見回す。
 すると、人混みの向こうから手を振りながら歩いてくる人影を見つけた。

「圭人センパイ!」

 季だ。
 白のパーカーにキャップを被り、ラフなデニム姿。いつもの制服とは違う、年相応の男の子って感じだ。でも、スタイルが良いからなんだかモデルみたいに目立っている。

(うわ、私服だとやっぱり雰囲気違うな……かっこいいかも)
 
 一瞬ドキッとしてしまい直視できずにいると、駆け寄ってきた彼はなぜか苦笑いをしていた。

「お待たせ。……あーごめん。舞、来られなくなった」
「えっ、そうなの?」
「悪い、急用だって。部活のトラブルらしくて、今呼び出されてった」
「そっか……じゃあ、今日は解散かな」

 舞ちゃんの毛糸を選びに来たんだし、その本人がいないのなら延期だね。
 僕は頭の中でそんなことを呟きながら、少しガッカリした気分になった。
 せっかくの休日、僕は一緒に買い物ができることを、どこかで楽しみにしていたらしい。

 僕が帰ろうと踵を返しかけた時、季が「は?」と声を上げた。

「なんで? 俺もう来ちゃったし。舞から毛糸選び頼まれたからさ。俺じゃわかんないから、センパイいないと困る」
「えっ、二人で?」
「うん」

 季は一歩近づいて、キャップのツバをクイっと持ち上げ、僕の顔を覗き込んだ。

「俺は二人でもいいですけど。……センパイは、俺と二人はイヤ?」
「い、いや、別に……イヤじゃないけど」
「ん、じゃあ決定。行こ」

 季は満足したように笑うと、自然な動作で歩き出した。

「ほら圭人センパイ、置いてくよー」
「あ、待って!」

 気づけば並んで歩いている……まさか二人きりで過ごすだなんて、さっきよりも緊張してきた。
 僕は早鐘を打つ心臓を抑えながら、彼の広い背中を追いかけた。

 *

 まずは二人でハンドメイドショップの店内に入った。
 壁一面に毛糸が並んでいる棚を見て、僕はいつものようにテンションが上がった。さっきまでの緊張なんてどこかへ吹き飛んでしまったようだ。

「舞ちゃんの推しのカラーは緑だったよね? 緑って言ってもこんなにあるんだよ。フォレストグリーンにモスグリーン、定番の緑とグラスグリーン。カーキもピスタチオグリーンも緑の仲間。どれが近いかな?」

 棚の前で毛糸を次々手に取って、季に見せながら説明した。

「んー……この色が近かったかなぁ」
「グラスグリーンだね。ぬいぐるみ専用なら細い糸のほうがいいね。これウールだけど、メリノウールとかだと肌触り全然違うんだよね。でも舞ちゃんならアクリル100%がいいかも。これなら失敗しても解いてやり直しやすいし、発色もいいから初心者用なんだ。そしたらかぎ針五号くらいか――――え?」
 
 話しながら同意を求めようと季の方に視線をやると、彼は目を細め、優しげに微笑みながらじっと僕を見ていた。

 あ。
 僕は、自分が夢中になって陽キャ相手に早口でまくし立てていたことをようやく自覚し、一瞬で耳の裏まで熱くなる。
 うわ、やっちゃった! ……引かれた、よね?
 
 焦る僕とは対照的に、季は一歩踏み込んで顔を覗き込み、目線を合わせてきた。
 
「へえ、詳しいな。やっぱり師匠だわ」
「……うん、ごめん、喋りすぎた」
「なんで? すげー楽しそうじゃん。もっと聞かせてくださいよ」

 季の顔が近くて、棚に囲まれた狭い通路で肩が触れ合った。
 身動きがとれない。
 僕の鼓動がスピードを勝手に上げたせいで、さらに全身が熱くなるのが分かって、なんかやばい、と思った。

(ちっか! え、なに、どういう状況?)

 
 まだ顔の熱が冷めないまま、目当ての毛糸を買い、店を出た。
 そのままモールを歩いていると、「ちょっと寄ってこ」と季に腕を引かれた。
 連れて行かれたのは、賑やかな電子音が響くゲームセンターだった。
 季はクレーンゲームの前で足を止めると、慣れた手つきでコインを投入した。

「これ、一発で行くわ」
 
 僕は隣で見ていただけだったけれど、季は有言実行だった。
 長い指でボタンを押し、狙いを定める。アームが正確に引っ掛けて――コロン、と景品が落ちる音がした。
 本当に一発だ。

 彼は取り出し口から、黒くてモジャモジャした小さなマスコットを掴み出すと、ひょいっと僕の方へ投げた。
 
「わっ」
「これ、毛玉みたいじゃね? あげます、今日の参加賞ってことで」
「いいの? ありがとう! なんかかわいいね、これ」

(参加賞ってなんだろ? でもなんか……嬉しいかも。リュックにつけようかな)

 自分の頬がほんのり熱くなったことは気づかないフリをした。

 *

 その後、本屋に行きたくて、季に付き合ってもらうことにした。

「俺、あっちで雑誌見てますね」
「うん、分かった」
 
 お互いの趣味の棚を見に別れる。
 僕は手芸コーナーで新刊をチェックしてから彼のいる方へ向かった。
 通路の向こうに季が、スポーツ雑誌を立ち読みしている背中を見つけた。
 スラっとした長身は、遠目からでもよく目立つ。表紙に載っているプロ選手にも負けないくらい、季には華があるように見えた。

(やっぱり住む世界が違うなぁ……)

 手の中の「毛玉のマスコット」を握りしめる。
 最近一緒にいるようになって毎日楽しいから、そんな当たり前のことも忘れかけていた。
 偶然、駅で出会って友達になっただけで、本当は遠い存在なんだった。
 彼がいる場所は、僕のいる静かな場所とは違って、もっとキラキラしている世界。
 そう再認識してしまい、少し寂しい気持ちになった。

 声をかけるのを一瞬ためらって、足が止まる。
 そう思った瞬間、季がパッと振り向いた。
 僕と視線がぶつかった。
 季の顔が、パッと明るくなった。

「センパイ、いた!」

 雑誌を棚に戻し、すぐに寄ってきてくれた。

「本あった?」
「あ、うん……」
「よし、じゃあ飯行きましょ。腹減った」

 屈託のない笑顔。
 さっき感じた勝手な寂しさが、急に軽くなった気がした。

 ショッピングモールの中にあるカフェに入り、向かい合って座った。
 お昼時だけれど、ここは雰囲気が落ち着いている店で意外にも静かだ。

「センパイってさ、いつから編んでんの?」
「小学生の頃からかな。……落ち着くんだよね、編んでると」
「ふーん。なんかそういうのっていいな、センパイっぽいですね」
「え?」
「丁寧に一個ずつ作ったりするのとか、似合ってます」

 季の言葉がまっすぐに胸に刺さる。
 ただでさえ、笑わないでいてくれるだけでも嬉しいことなのに。何気なくこうやって肯定してくれることが、どうしようもなく嬉しかった。
 僕が言葉に詰まって俯いていると、季がテーブルに頬杖をついて、下から顔を覗き込んできた。

「……てかさ」
「ん?」
「他のやつの前でも、そんな顔してんの?」
「え、どんな顔?」
「編み物の話する時、すげー楽しそう。……なんか無防備っていうか」
「む、無防備!?」
「編み物の話すんの、俺の前だけにしといたほうがいいですよ。なんか危ない」

(……危ない? まあ編み物の話、することなんてないし)

 『俺の前だけ』という言葉が、なんだか恥ずかしい。変な意味ではないはずなのに。それでも僕の胸は高鳴り、また顔に熱が集まってくるのが分かった。

 *

 店を出て、帰り道につく頃には、外はもう日が沈む時間だった。
 駅までの道を歩く二人の姿が、夕陽に照らされ、影が伸びている。
 
(今日、ちょっと楽しかったな)
 
 帰る時間になったことが、少し寂しい。
 隣を歩く季の歩幅に合わせて歩いていると、不意に彼が足を止めた。

「……ね、圭人センパイ」

 名前を呼ばれ、僕も立ち止まる。
 逆光で彼の表情が見えないけれど、声が少し低い。

「ん? どうしたの?」
「……なんか、舞ばっかりずるいなって」
「えっ、舞ちゃん? 何が?」

 意味がわからず首を傾げると、季が一歩近づいてきた。
 夕暮れの影が重なる。

「舞ばっかり編み方教わったり、作ってもらったりさ」
「? それは、舞ちゃんが頼んでくれたから――」
「だから、俺も」

 季はまっすぐに僕の目を見て、少し拗ねたような、でも真剣な声で言った。

「俺にもなんか作ってよ。……圭人センパイの手編み」

「えっ!!」

 予想外の言葉に、僕は目を丸くした。

「で、でも僕、そんな上手じゃないし……それに、男子が手編みとか、なんか重くない?」
「重くないです。俺が欲しいの」
「でもさ……」
「だめ? 俺には作ってくんないの?」

 そんなふうに、捨てられた子犬みたいな目で見られたら、断れるわけがない。
 心臓が勝手に主張してきた。これは何?
 わかんない、わかんないけど、……こんな風に「編んで」なんて言われることが嬉しいのかも。

「……分かった。何か、編むよ」
「マジ? 約束ですよ!」

 パッと花が咲いたように笑う彼を見て、僕は自分の頬がさらに熱をもつのを自覚した。

(……うわ。僕、チョロすぎない? あんなに警戒してたのに、結局僕はこの笑顔に弱いんだ)
 
 でも、僕の手編みをちゃんと求めてくれる人は、初めてだから。
 この眩しい笑顔が見られるなら、なんだって編める気がした。

 家に帰ったら、なんの毛糸を使おうか考えよう。
 そんな浮き足立った気持ちのまま、「じゃあ、また明日」と季は電車を降り、手を振った。

 まさか、このあと、その幸せな気分がひっくり返ることになるなんて、僕は想像もしていなかった。