五月に入り、ゴールデンウィークの午前。手には小さな花を持ち、車窓の向こうに広がる緑を眺めながら、電車は郊外へと向かっている。
いつもは一人で、少し重い気持ちで乗っている路線だけれど、今日は一人じゃない。
(変な感じ。……でも隣に誰かがいるだけで、こんなに心強いもんなんだな)
「センパイ、緊張してる?」
「してないよ。……うそ、ちょっとだけ」
「そっか。じゃあ、俺も」
(命日に季くんと墓参りに行くなんて、思ってなかったな)
『ゴールデンウィークどうすんの?』
そう聞かれてお母さんの墓参りに行くと答えた。すると季が「俺も行きたい」と言い出し、一緒に行くことになった。
墓参りなんて楽しいものではない、と心配したけれど、結局ついてきてもらって助かったのは僕の方だった。
「センパイのお母さん厳しい人だったらどうしよ。俺、思いっきり茶髪だしなー。ピアスも開けてるし」
「はは、大丈夫だって。そういうの気にしない人だったから。お兄ちゃんも茶髪にしてたし」
何気ない会話の合間に響く、ガタンゴトンという音さえ、今日は優しく聞こえる。
*
高台にある霊園は、風がよく通る。
桶に水を汲み、墓石を洗う。季も自然に手伝ってくれる。
花を供え、線香に火をつける。立ちのぼる煙の匂いが、懐かしくて胸の奥をくすぐった。
目を閉じ、静かに手を合わせる。
(お母さん、久しぶり。……聞こえてる? 今年は一人じゃないよ。友達……と来たんだ)
いつもなら寂しくなって胸が冷たくなるけれど、今日はぽかぽかと温かい感じがする。
(僕、人とちゃんと繋がれてるよ。寂しくないよ)
目を開けると、一歩後ろにいた季が前へ出た。
手を合わせ真剣な顔で、深々と頭を下げた。
「はじめまして。志水季といいます。圭人先輩と……仲良くさせてもらってます」
季は手を合わせたまま長く沈黙した。そのあと、彼が顔を上げて、墓石に向かって微笑んだ。
「……これからも、よろしくお願いします」
季のその言葉に、少しだけ動揺した。
『これからも』って。……ずっとだったらいいのに。
そう思ったことは、言葉には出さなかった。
墓地を背に坂道を下りながら、大きく深呼吸をした。
なんだか身体がスッと軽くなって、解放感がある感覚だ。
「今日はありがと。……お母さんが編み物教えてくれたんだ。最初はマフラーでさ」
「へぇ、今のセンパイの師匠だね」
「そう。……もし編み物してなかったら、僕、今頃なにしてたんだろうね」
「うーん。だったら俺は駅で毛糸を拾ってないな」
「出会ってなかったね」
そう考えると、すごい確率だ。
お母さんが遺してくれた編み物が、季と出会わせてくれた。
……編み物をしていて、本当によかったな。
電車に乗ると、季がリュックの中でゴソゴソと探し始めた。
何か探しているようだけど、なかなか見つからないらしい。
「……ない。あれ、どこやったっけ」
「なにしてるの?」
「イヤホン。ケース滑るから、いつもどっかいく」
苦戦している彼を見て、僕はふと思いついた。
「そのケース、作ろうか?」
「えっ、イヤホンケース? そんなのも作れんの?」
「うん。このまま寄り道しよ」
僕たちは乗り換え駅で降りて、ハンドメイドショップに立ち寄った。
店内はすっかり春夏仕様になっていて、爽やかな色の糸が並んでいる。
「コットン糸で編めば滑りにくいし、傷もつかないよ。……何色がいい?」
「マジすか! 欲しい、絶対欲しいです。青とか、黒系がいいな」
僕が手に取ったのは、清潔感のある淡い青色、パウダーブルーのコットン糸。
季も「その色、いいですね」と嬉しそうに目を細めた。
頭の中で、必要量をパッと計算する。他にも縁取り用の糸を合わせて、たくさん買い込んだ。
――余分に買って、他にも編もうかな。
「センパイ、買いすぎじゃないですか?」
「あ、えっと……失敗した時用! 予備だよ」
嘘をつくのが下手でドキドキしたけれど、季は「ふーん?」と言いながら、僕の荷物を持ってくれた。
最近、季くんになんでも編んでプレゼントしたくなっちゃうの、なんでだろう。
少し前までは、手編みばっかり貰ったら、重くてウザいと思われちゃうかもって。そう思っていたはずなのに、いつも喜んでくれるから。その喜ぶ顔が見たくてたまらない。
買い物を終えて、駅前のカフェに入った。
窓際の席に向かい合って座る。
注文したアイスティーのグラスが、汗をかき始めていた。
「今日は付き合ってくれてありがとね。……季くんがいてくれて、よかった」
「どーいたしまして。俺も、挨拶できてよかった」
ストローを回しながら、季が優しい目で僕を見る。
その視線に促されるように、僕はぽつりぽつりと話し始めた。
「お母さん、笑いながら編む人だったんだよ」
「え、笑いながら?」
「うん。失敗しても『あらあら』って楽しそうでさ。間違えたところも、魔法みたいに直っちゃうの。……すごかったなぁ」
思い出して、自然と笑みがこぼれる。
悲しい記憶ではなく、温かい記憶として話せている自分に気づいた。
「へぇ。センパイの編み物が優しいのって、お母さん譲りなんですね」
「え? 優しい?」
「センパイ、編んでる時も楽しそうで、すげー優しい顔してる」
そう言いながら、テーブルの上に置いていた僕の手に、季が手を重ねてきた。
ビクッとするが、彼は手を離さずに僕の目をじっと見たまま。
人目があるのに、指を絡められた。
「……今日、来てよかった。誘ってくれてサンキュ」
「う、うん……僕も」
心臓がバクバク鳴って、爆発しそう――。
もし今、口を開いたら、『好き』とか言ってしまいそうで、慌ててアイスティーを飲んで誤魔化した。
*
カフェからの帰り、駅のホームで電車を待っている。
勇気を振り絞り、隣に立つ季の袖をつまんで引っ張った。
「……あ、あのさ。もし時間あったら、今からうち……くる?」
「えっ?」
「作品、完成したから。……一番に見せる約束、だったでしょ?」
顔を真っ赤にしながら誘うと、季がパァァと顔を輝かせ、「行く。絶対行きます!」と食い気味に答えた。
家に着き、玄関を開ける。
「ただいまー」といつものように言うと、奥からドタドタと足音が聞こえてきた。
「おかえりー! 母さんのとこ行ってたんだろ? ずいぶん遅かったじゃん。プリンあるぞー……って、誰!?」
僕の後ろに立つ、長身のイケメンを見て、兄の動きがピタッと止まった。
「はじめまして。後輩の志水です。いつも圭人先輩にお世話になってます」
「お、おう! すげーイケメンだな。えっと俺は、兄の拓人デス……」
爽やかな笑顔で挨拶をする季に、兄も急にかしこまる。
……うわ、季くん、外面よすぎだ……。
「季くん、部屋にあるから行こ」
「はい、お邪魔します」
兄に一礼して、季が僕の部屋へ向かう。
ドアを閉めた瞬間、彼がふぅ、と息を吐き、いつもの顔に戻った。
「……センパイのお兄さん、結構キャラ濃いっすね」
「あー、確かにそう」
苦笑しながら、僕は部屋の床にタペストリーを広げた。
二畳分近くある、僕の最高傑作。
それを見た瞬間、季が息を呑むのがわかった。
「……すご。マジで綺麗」
季は膝をついて、編み込み模様をそっと指でなぞる。
「これ、俺が一番に見たんですか?」
「うん。季くんが応援してくれたから、最初に見せたくて」
「俺が最初……」
そう呟いた瞬間、ぐいっと引かれた。
よろけた僕を、彼が正面から強く抱きしめた。
「わっ、ちょっと、季くん!?」
抱きしめられたまま抗議しようとしたけれど、背中に回された腕の力が強くて、声に全然力が入らない。
首筋に、彼の熱い息がかかる。
「……俺、今日、得しすぎじゃないですか? こんなすげーの見せられて、一番とか言われて」
「くるし、いって……」
「嬉しすぎて無理だよ。……もうちょっとこのまま」
季の甘えるような、独占するような声。
心臓がうるさすぎて、僕は抵抗する力を失ってしまった。
そっと視線を上げると、季も気づいて目を合わせてきた。見つめ合う状態になり、視線を外せない。
そのまま時間が止まったみたいだ。
「……センパイ」
(……も、もう、無理〜!!)
そう心の中で叫んだ瞬間だった。
「おーい、圭人! お茶とプリン持ってきたぞー」
ガチャ。ノックも無しに、ドアが開く。
季がパッと僕から離れ、瞬時にさっきの「後輩」の顔に戻った。
……反射神経良すぎない?
「あ、すみませんお兄さん。すげー作品だったんで、つい見入ってました」
「あ……おー。すげーよなこれ! まあゆっくりしてって」
兄が部屋を出て行った後、タペストリーの前でへなへなと座り込んだ。
「し、心臓が止まるかと思った……」
つい心の声が、漏れていたことに気づき、慌てて口元を押さえた。
「……かわいい、センパイ。ドキドキしたの?」
そう言いながら僕の頭をよしよしと撫でた。
「するに決まってるでしょ!? 今だって――」
「はは、俺もドキドキした」
そんな平気そうな顔して……。またテンパってんの僕だけみたい。
*
その後、玄関先で季は兄と、さっきの完璧な外面で少し話をして「また来ます」と帰っていった。
見送った後、兄がニヤニヤしながら肘で突いてきた。
「おい、圭人。あいつ、お前のこと好きだろ」
「はあ!? な、なんでそうなるの!」
「ついでにお前も、あいつのこと好きだろ」
「なに言ってんの!?」
「顔に出すぎなんだよ……ま、いいやつそうで安心したわ」
兄は笑ってリビングへ戻っていく。
残された僕は、熱くなった頬を両手で包んだ。
兄とも仲直りができて、季にも一番に見せられた。
あとは、コンテストの結果を待つだけ。
そして――。
(……季くんへのプレゼント、編まなきゃ)
彼への「プレゼント」と、僕のす、す、好きっていう気持ちを伝える準備も始めなくちゃ。
五月の生温かい風が、落ち着かない予感を含んで吹き抜けていった。


