ケイト先輩とトキくん


 ガタン、ゴトン。
 いつもの電車の、一番後ろの車両。
 二月に入り、寒さは厳しくなっていた。僕はマフラーで口まで覆い、満員電車に揺られている。
 いつも壁際で守るように立ってくれていた、季はいない。
 バスケ部の応援メンバーとして、朝練・放課後練習に参加していて、以前のように時間が合わなくなっているからだ。

(なんか、最近会えてないな)

 今まではずっと一人で通学していたはずなのに。今は一人で乗る電車は、いつもより寒くて、広く感じてしまう。

 別に気にするほどではないんだけれど。
 ……お互い、何かと忙しいんだし。

 そう思っていたけれど、休み時間や家にいる時に、ついスマホをチェックする回数が増えている。
 以前は「今日何してた?」とか写真付きのメッセージも頻繁に来ていたが、今は簡素で最低限のメッセージを送り合っているだけ。
 部活じゃないけれど、ほぼ部活のような生活なのだろう。
 好きなことやってるんだし、いいことだよね。

(僕だって、コンテストがあるし。お互い様だから仕方ない)

 そう言い聞かせることすら、なんだか寂しく感じてしまう。
 それでも、お互いの挑戦を応援し合って頑張りたいと思う。

 *

 夜の自室で、コンテストに出す作品の制作に取り組み始めた。
 二畳分近くもあるタペストリー。僕の編み物人生の中でも一番の大作だ。
 設計、デザイン、糸の種類、重さ。それと展示方法までを全部自分で計算した。
 今までで一番の作品になるかもしれない。
 編み続けていると、やっぱり指先が痛くなるし、肩が凝りはじめる。
 けれど、没頭することで寂しさや、余計な考えも紛らわせてくれる気がして、ますます熱中した。

(指、痛い。眠い。けどやめられない)

 僕は、制作の休憩がてら、こっそり別のものを編んで発散した。
『T.S』のイニシャルが入った、自分とお揃いのキーホルダーだ。
 あの時、リュックのキーホルダーを見て興味持っていたから……お守り代わりにプレゼントしよう。

(これ渡したら、また驚いてくれるかな)

 *

 数日後の放課後。図書室に寄り、用事を済ませ、スマホを確認する。
 季からのメッセージは来ていない。

 明日の土曜日、久しぶりに会う約束はしている。二人で一緒に出かける予定だ。
 だから、それまで待てばいい。頭ではわかっている。
 けれど、何かが僕を急かしている気がした。

 ――会いたい。
 
 時計を確認し、ポケットから完成した『T.S』のキーホルダーを取り出す。

「そうだ。前に学校まで迎えに来てくれたから、今度は――」

 今度は僕が行って、驚かせちゃおうかな。
 そう呟いて、季の通う高校へ向かった。
 校門の前まで来たけれど、彼のように堂々と正面で待つ勇気は持ち合わせていなかった。
 少し離れた角の電柱の影で、息を潜めて待つことにした。

(連絡していないけど、練習終わりなら会えるはず。……驚くかな)

 陽が傾いて、あたりは夕暮れ。気温も下がり、手袋越しでも指先が冷えてくる。
 ポケットの中のキーホルダーを時々触りながら、そわそわして待っている。
 その時、男女五人ほどのグループが校門から出てきた。
 その中心には季がいる。長めの髪を後ろで結んでいて、きれいな顔がよく見える。
 すごくカッコいい。……そして、すごく遠い。
 僕の前で見せる『甘えた後輩』の顔とは違う、僕の知らない『学校での顔』だ。

「……ぁ、……」

 せっかく季を見つけたけれど、あの中に突っ込んで声をかける度胸は、僕にはなかった。

 派手めな女子の一人が、季の腕にしなだれかかって、腕を組む。

「ねー季くん、今日こそカラオケ行こーよ」
「あー……」

 季は曖昧に返事をしつつも、その組まれた腕を解こうともしない。
 僕は息を呑んだ。自分の日常にはない距離感があまりに衝撃的すぎた。

 声をかけられず、足がすくんでいると、その女子がふと季のコートのポケットの方に目を留めた。

「あ、なんか落ちそうだよ?」

 するりと、青いものが引き抜かれる。
 遠目でもわかった。僕が編んだ、ロイヤルブルーの手袋だ。

「うわ、なにこの色! すっごい青!」
「おい」
「なんか派手じゃない? てか、手編み? ウケる」

 ケラケラと笑う声が、冷たい空気に響く。
 僕が悩んで、彼に似合うと信じた色。
 それが今、「似合わない」「ウケる」と笑われている。
 
 やめて。返して。触らないで――。

 心の中で叫ぶけれど、声が出ない。
 さらに、女子はふざけてその手袋に手を通した。

「ほら見てー。私の制服の方が似合うでしょ」
「あはは、確かに〜! 志水くんには似合わないってー」

 僕が季のために編んだ手袋が、見知らぬ女子の手にはめられている。
 僕は見ていられなかった。
 吐き気がした。
 
(ああ、そっか)
 
 大切だと言ってくれた言葉も、全部嘘だったんじゃないかと思えてくる。
 
(僕の『大切』なんて、あの人たちにとっては『笑い話』なんだなぁ)

 僕は踵を返した。
 駅とは反対方向に、逃げるように立ち去る。
 さっきまで「会いたい」気持ちの結晶だったポケットの中のキーホルダーが、急に火がついたように熱く感じて、痛かった。

 *

 近くに公園を見つけ、そこのベンチに座ると、大きなため息が出た。

 忘れていた。
 彼は自分とは住んでる世界が違うんだった。
 あんなにキラキラした中にいる人に、手編みのキーホルダー?

(……気持ち悪いよね、こんなの。重いよ)

 公園のゴミ箱に捨てようと手を伸ばした。
 ゴミ箱の上で、いま指を離せば、それで終わる。
 
 けれど、指が凍りついたように動かない。
 どうしても、離せない。
 僕はそれをギュッと握りしめて、リュックの一番見えないポケットに押し込んだ。

「……帰ろう」

 涙は出ないけれど、二月のこの冷たい夜風が、胸の奥まで吹いている気がした。

 明日の約束、どうしよう。
 あんな光景を見た後で、どんな顔をして会えばいいのか、僕にはわからなかった。