ルミナス ― 境界の均衡者

ホテル最上階。

夜は深い。

リリアがグラスを傾けたその時、
望の端末が静かに振動する。

着信表示――ルミナス本部。

望は即座に出る。

「俺だ」

オペレーターの声は冷静だが、硬い。

「SS、案件発生。異界ではありません」

望の視線が僅かに鋭くなる。

「続けろ」

「医療機関裏案件。人体実験の疑い」

リリアが面白くなさそうに眉を寄せる。

「場所は東京。資金の流れが異常です」

望は立ち上がる。

「規模は」

「表向きは先端医療研究施設。しかし裏資金が複数経路で流入。帳簿に不自然な修正が確認されています」

画面にデータが投影される。

複雑に絡んだ資金の流れ。

ペーパーカンパニー。

海外口座。

「建設マップも確認しました」

オペレーターが続ける。

「公式図面に存在しない地下フロアがあります」

沈黙。

リリアがグラスを置く。

「ほう」

「設計図と実測値が一致しません。地下二階の下に空間があります」

望の目が細くなる。

「何をしている」

「不明。ただし被験体らしき行方不明者のデータが複数」

リリアが小さく鼻を鳴らす。

「悪魔より退屈じゃな」

望は短く言う。

「人間だ」

「だから退屈じゃ」

リリアはソファに深く腰を沈める。

「我は行かぬ」

即答。

望は視線を向ける。

「危険はないとは限らん」

「興味もない」

リリアは腕を組む。

「人間同士で勝手にやっておる闇など、我の領分ではない」

金色の瞳が望を見る。

「お主一人で十分じゃ」

オペレーターが静かに言う。

「SS単独で処理可能と判断しています」

望は数秒考える。

異界ではない。

人間の闇。

だが資金規模は大きい。

「監視網は」

「すでに展開済み。内部に二名潜入しています」

「映像は」

「地下フロアのみ不明。電波遮断」

リリアが言う。

「退屈な穴掘りじゃな」

「……」

「我はここで飲んでおる」

望が低く言う。

「外に出るな」

「約束は守る」

「騒ぐな」

「騒がぬ」

リリアが笑う。

「お主が戻るまで、良い子にしておるわ」

望は信用していない顔をする。

「本当にだ」

「酒は」

「減らぬ程度にする」

ため息。

望はコートを取る。

「位置を送れ」

オペレーターが即答する。

「送信しました」

画面に施設名が表示される。

都内、再開発エリア。

最先端医療研究センター。

だがその地下に、存在しない階層。

望は端末を閉じる。

リリアが言う。

「望」

「なんだ」

「人間は、悪魔より面倒じゃ」

「知ってる」

「楽しんでこい」

「仕事だ」

リリアが小さく笑う。

「お主は仕事の顔の方が、生き生きしておる」

望は何も答えない。

扉が閉まる。

夜景が広がる部屋に、真祖だけが残る。

琥珀色の液体が揺れる。

一方、東京の地下には――

存在しない階層が口を開けていた。



◼️都内・再開発エリア。

巨大な医療研究施設。

表向きは再生医療と先端神経研究。

望は夜の裏口から侵入していた。

警備の死角を縫う。

監視カメラは一瞬だけ“瞬断”。

内部へ。

本部の音声が耳に入る。

「SS、状況更新」

「言え」

階段を下りながら答える。

「日本側で独自に調査を進めていた民間コンサルがいます」

望の足が一瞬止まる。

「民間?」

「はい。資金の流れの不自然さに気づき、帳簿の整合性を追っていました」

◼️地下二階。

だが床の厚みが不自然。

「……どこまで」

「建設図面と実測値の誤差を特定。地下フロアの存在を掴んだ模様です」

望が小さく舌打ちする。

「名前は」

一瞬の間。

「神代 和春。二十七歳。コンサルタント」

望の眉が僅かに動く。

「単独か」

「女性秘書が同行。名前、天城愛華」

オレンジ髪の男。

銀髪のメイド。

寿司屋の光景が一瞬よぎる。

「……有能か」

「非常に。帳簿の誤魔化しを三系統同時に発見。資金洗浄経路を逆算しています」

望が低く言う。

「厄介だな」

「問題が発生しました」

空気が変わる。

「地下フロア侵入を確認」

望は走り出す。

「現在位置」

「地下三階相当、存在しない階層」

階段を駆け下りる。

壁の継ぎ目。

隠されたパネル。

押す。

重い音。

隠し通路が開く。

「続けろ」

「被験体と思われる複数名と研究資料を発見」

数秒の沈黙。

「出口を封鎖されています」

望の瞳が冷える。

「武装は」

「施設側、拳銃確認」

銃声。

通信越しに乾いた音。

「対象、至近距離」

望が地下通路を駆け抜ける。

鉄と薬品の匂い。

白い光。

角を曲がる。

――地下フロア。

無機質な実験室。

ガラス越しに横たわる被験体。

拘束椅子。

薬剤。

そして。

オレンジの髪の男。

緑の瞳。

冷静な顔。

片手には研究資料。

もう片方は空。

その前に立つ警備員。

拳銃が額に向けられている。

隣に、銀髪ロングのメイド。

赤い瞳。

彼女も冷静だ。

だが出口は塞がれている。

「動くな」

警備員が言う。

「余計な詮索は命取りだ」

神代和春が淡々と言う。

「帳簿と合わない。資金の流れが三年前から歪んでる」

銃口が押し付けられる。

「黙れ」

和春は怯えない。

「地下フロアは建設マップにない。外部資金は医療補助金を偽装してる」

望が背後に立つ。

音もなく。

ノクスが静かに銃形態へ。

一発。

警備員の拳銃が弾き飛ぶ。

次の瞬間、望が踏み込む。

腕を取る。

関節を外す。

沈黙。

警備員が崩れる。

静寂。

和春がゆっくり振り向く。

緑の瞳が、望を見る。

ほんの一瞬。

空気が揺れる。

混ざり者。

海の匂い。

リリアの言葉がよぎる。

和春が言う。

「……助かった。礼は言う」

声は穏やか。

威圧がない。

だが、異様に落ち着いている。

隣の銀髪のメイドが一歩前に出る。

赤い瞳が望を測る。

「あなたは?」

望は短く答える。

「通りすがりだ」

和春がわずかに笑う。

「便利な通りすがりだな」

一瞬の沈黙。

遠くで警報が鳴り始める。

地下施設が騒ぎ出す。

望が言う。

「ここは潰す」

和春が資料を持ち上げる。

「なら、これは渡そう」

赤い瞳のメイドが出口を確認する。

「包囲されています」

望の目が鋭くなる。

初めての交差。

退屈は、完全に終わった。