ルミナス ― 境界の均衡者

◼️研究施設の裏手。

非常階段を抜け、夜の路地へ出る。

サイレンはまだ鳴っていない。

地下の混乱は内部で処理されている。

三人は無言で歩き、少し離れた倉庫街へ。

人気はない。

望が立ち止まる。

「資料を渡せ」

短い命令。

和春は迷わず差し出す。

紙束とデータ端末。

「コピーは取ってない」

「賢明だ」

望が受け取る。

その時、街灯の下で血が見える。

和春の頬。

銃弾がかすめ、浅く裂けている。

血が細く流れる。

愛華が即座にハンカチを取り出す。

銀髪が揺れる。

赤い瞳が揺れている。

だが声は出さない。

静かに、丁寧に、血を拭う。

手が、わずかに震えている。

目の前で数人が撃ち殺された。

銃口を向けられた。

自分も死ぬ寸前だった。

当然だ。

和春は気づいている。

震え。

呼吸の乱れ。

だが視線を向けない。

愛華の手を止めさせないために。

今ここで気遣えば、彼女は崩れる。

だからあえて話を進める。

望はそれを見ている。

震えるメイド。

それに触れない男。

守るために、今は触れない。

(……)

望の中で判断が変わる。

この男は、使える。

頭だけではない。

感情の扱い方を知っている。

望が銃を抜く。

現実の銃。

和春の額へ向ける。

愛華が一歩出る。

和春が腕で制す。

「待て」

望が言う。

「選べ」

静かな声。

「ここで死ぬか」

引き金に指がかかる。

「裏の仕事を手伝うか」

沈黙。

夜風が吹く。

愛華の震えがわずかに強くなる。

和春は瞬きをしない。

緑の瞳が、望を見ている。

「理由は?」

「外に置いておく方が面倒だ」

率直。

「今日の件、資金の流れ、地下構造」

望は続ける。

「お前は必ずどこかでまた掘る」

否定しない。

「それは危険だ」

「知ってる」

和春の声は穏やかだ。

「でも放置はできない」

望の瞳が僅かに細まる。

「だから誘ってる」

沈黙。

愛華が小さく言う。

「……和春」

震えた声。

和春が答える。

「大丈夫だ」


望が言う。

「断れば撃つ」

今度は本気だ。

呼吸が変わる。

視線が固定されない。

引き金にかかる圧が、わずかに深い。

和春は理解する。

これは本物だ。

「条件がある」

望の眉が動く。

「言え」

「愛華は巻き込まない」

即答。

愛華が顔を上げる。

「私は――」

和春が遮る。

「俺だけでいい」

望は数秒考える。

「却下だ」

静かに言う。

「片方だけは効率が悪い」

合理。

「二人で協力させる」

沈黙。

和春は目を閉じない。

逃げない。

「……裏の仕事の内容は?」

「知識面が主だ」

望は言う。

「たまに協力させる」

「命の保証は?」

「ない」

即答。


愛華が和春を見る。

震えはまだ止まらない。

だが、立っている。

和春が言う。

「わかった、やる」

夜が静まる。

望が銃を下ろす。

「後悔するな」

「普通だ」

即答。

望は内心で思う。

(……こいつは面倒だ)

だが同時に。

(使える)

地下の闇は、これで一段深くなった。