ルミナス ― 境界の均衡者

第一話:退屈の匂い

―― 諜報機関ルミナス本部 ――

世界のどこにも存在しない中立領域。

巨大なホログラム地図が空間に浮かび、
無数の光点が淡く瞬いている。

それは人口ではない。

ルミナス諜報員の現在地。

その一つが、日本列島の上で弱く揺れた。

「関東圏、低位反応検出」

日本支部オペレーターが淡々と報告する。

「レベルC未満。素人召喚と思われます」

銀髪の男が地図を見つめたまま問う。

「境界値は」

「0.8%低下。誤差範囲を僅かに超えています」

夢希 望は僅かに目を細める。

「現地班は」

「7班が対応中。処理可能範囲です」

空中で寝転んでいた少女が、片目を開けた。

金髪が重力を無視して揺れる。

「応じておらぬな」

望が言う。

「押し出された」

オペレーターが頷く。

「本来、低級悪魔は契約なき召喚に応じません」

リリアが体を起こす。

「退屈じゃ」

望は視線を動かさない。

「7班で十分だ」

「つまらぬ」

「レベルCだ」

「だからこそじゃ」

間。

リリアがふわりと地に降りる。

「望」

「なんだ」

「行くぞ」

オペレーターが一瞬固まる。

「SSが出る必要は――」

望が短く言う。

「座標」

「……転送します」

空間が静かに歪む。

SSが消える。

オペレーターが小さく呟いた。

「……7班、ご愁傷様です」



日本・郊外 廃倉庫

床に雑な魔法陣。

三脚に固定されたカメラ。

赤い録画ランプが灯っている。

若者が震えながら笑う。

「成功したら、あいつらに見せてやる……」

外部通信はない。

ただのローカル録画。

黒煙が揺れる。

低級悪魔が“押し出される”。

関節が不自然に曲がり、目が左右非対称。

7班が既に展開している。

「対象、再生あり!」

「削り切れます!」

その瞬間。

倉庫の壁が音もなく“断たれた”。

銀髪の男が歩いて入る。

水色の瞳が静かに悪魔を捉える。

7班が凍りつく。

「SS……」

リリアが倉庫内を見渡す。

「雑じゃな」

悪魔が望を見る。

動きが止まる。

「……管理側」

望がノクスを抜く。

黒い拳銃。

「本来、応じないはずだ」

悪魔が歪む。

「我は契約していない」

「だろうな」

引き金。

撃ち出されたのは光ではない。

影。

悪魔の上半身が削れる。

再生が始まる前に、ノクスが変形する。

銃身が滑らかに伸び、刃へ。

望が踏み込む。

床が僅かに軋む。

人間の限界を越えた速度。

一閃。

悪魔の存在が縦に裂ける。

崩壊。

再生しない。

数秒の沈黙。

7班の一人が息を吐く。

「……終了」

リリアが言う。

「退屈じゃな」

望がノクスを戻す。

「後処理」

7班が動く。

召喚者は気絶している。

望が器具をこめかみに当てる。

「二日分消す」

「録画データ回収済み。端末初期化します」

「頼む」

リリアが天井を見上げる。

金の瞳が細くなる。

「境界が緩んでおる」

望も視線を上げる。

「0.8%」

「偶然ではない」

「だろうな」

若者の記憶処理が終わる。

何もなかった夜になる。



倉庫の屋上

空間が歪み、二人だけが残る。

夜風が吹く。

リリアが言う。

「腹が減った」

望が横を見る。

「さっき飲んだだろ」

「満たされただけじゃ」

「同じだ」

「違う」

リリアが縁に座る。

「人の食事が食べたい」

「腹は膨れないぞ」

「分かっておる」

「意味がない」

「味がある」

間。

望がため息をつく。

「……何がいい」

リリアが小さく笑う。

「日本に来たのじゃ。
それらしいものを食わせよ」

「わがままだな」

「退屈しのぎに来たのは誰じゃ?」

望が視線を逸らす。

「……行くぞ」

リリアが立ち上がる。

「うむ」

夜景の向こう。

目には見えないが、僅かな歪みが残っている。

境界は確かに、緩み始めていた。

退屈は、終わる。




ーーーーー
◼️東京

金色は目立つ

東京、夜。

湿り気を帯びた夜気が、街灯の下で揺れている。

繁華街から少し離れた路地。
静かな寿司屋の暖簾が、柔らかく揺れた。

夢希 望は足を止める。

「ここだ」

銀髪が光を受ける。
整った顔立ち、無駄のない立ち姿。

隣に立つ少女は、さらに目立っていた。

長い金髪。
澄んだ金色の瞳。
透き通るような肌。

十歳にしか見えない。

だが、ただの子供ではないと本能が告げる何かがある。

リリアが暖簾を見上げる。

「寿司とは、生魚を食う文化じゃな」

「嫌なら変える」

「好きじゃ」

即答。

望が小さく息を吐く。

その瞬間――

「ちょっと、すみません」

背後から声。

振り返ると、制服警官が二人。

一人は年配で落ち着いている。
もう一人は若い。目が忙しなく動いている。

視線は明確に、二人の関係を測っている。

若い方が言う。

「夜も遅いので、確認させてください」

望は穏やかに答える。

「何を」

「その子、保護者の方ですか?」

リリアが口を開きかける。

望が先に言う。

「家族だ」

若い警官の眉が動く。

「……似てませんよね?」

銀髪の男。
金髪の少女。
瞳の色も違う。

国籍も一致しないように見える。

望は淡々と言う。

「血縁と容姿が一致するとは限らない」

警官が食い下がる。

「年齢は?」

望は迷わない。

「十歳だ」

リリアが横目で見る。

わずかに面白がるように。

若い警官がしゃがみ込む。

「お嬢ちゃん、夜遅いけど大丈夫?」

その言い方。

その声色。

明らかな“子供扱い”。

空気が、ほんの一瞬冷えた。

リリアの金色の瞳が、静かに光る。

「誰に向かって話しておる」

声は小さい。

だが響きが違う。

年齢と噛み合わない低さと重み。

若い警官が一瞬たじろぐ。

「え、いや、その……」

年配の警官が間に入る。

「身分証をお願いできますか」

望は財布を出す。

整った書類。

国際リスクマネジメント顧問。

正式登録番号。

どこにも不備はない。

若い警官がなおも言う。

「でも、年齢差ありますよね。親子って感じでもないし……」

リリアがゆっくり立つ。

「望」

警告の響き。

望が低く言う。

「リリア」

それだけで、温度が戻る。

リリアは若い警官を真っ直ぐ見た。

「家の事情というものを知らぬのか」

言葉は子供の口調ではない。

若い警官が言葉に詰まる。

望が続ける。

「国籍が違っても、年齢が離れていても、
家族になることは普通にある」

声は穏やか。

だが一切揺れない。

若い警官がさらに言おうとする。

「いや、でも最近そういう――」

望の視線が向く。

威圧ではない。

だが、明確に線を引く目。

「必要以上の詮索は、職務を越える」

静かな指摘。

若い警官が口を閉じる。

望は内心で呆れていた。

これだから日本の警察はレベルが低い。

確認は必要だ。

だが余計な威圧を出す。

だからSNSで晒される。

そして現場の信用が落ちる。

組織の質は、こういう細部に出る。

年配の警官が身分証を返す。

「失礼しました」

若い方はまだ納得していない顔だが、何も言えない。

二人が去る。

静寂が戻る。

リリアが吐き捨てる。

「無礼者め」

「抑えたな」

「褒めよ」

「褒めてる」

リリアがじっと望を見る。

「子供扱いをされたのは初めてではない」

「慣れろ」

「慣れぬ」

金の瞳がわずかに深くなる。

通行人が無意識に距離を取る。

望が低く言う。

「リリア」

それだけで圧が消える。

リリアが鼻を鳴らす。

「お主がおるから抑えておる」

「助かる」

間。

リリアが暖簾を押す。

「早く食わせよ。
我はまだ機嫌が悪い」

望が続く。

店内の灯りが、二人を包み込む。

外の面倒は一旦、切り離される。

だが、リリアの金色はまだ静かに揺れていた。