南沢くんと深瀬くんの交換日記。


​翌朝。
俺は、昨日の出来事が熱で見た「集団幻覚」か何かなんじゃないかと、一縷の望みをかけて家を出た。

だけど、家の門を出た瞬間に、その淡い期待は木っ端微塵に打ち砕かれることになる。

​「……遅いぞ、友」

​電柱に背を預けて立っていたのは、世界で一番会いたくて、世界で一番合わせる顔がない男――深瀬類だった。

あいつは俺の顔を見るなり、昨日、俺を翻弄したあの唇をわずかに緩めて笑った。

​「体調、良くなったみたいだな……顔が赤いのは、風邪のせいか? それとも、俺の顔を見たせいか?」

「っ、うるせー! 後者に決まって……じゃなくて、風邪のせいだ、バカ!」

​類は「ふん」と鼻で笑うと、当たり前のような動作で俺の右手を、自分の大きな左手で包み込んだ。

指と指が絡み合う、いわゆる『恋人繋ぎ』。

​「ちょっ……類! ここ、外だぞ! 誰かに見られたら……!」

「見られたらいいだろ。俺たちはもう、親友を卒業したんだから」

​平然と言ってのける類に、俺はもう反論する言葉も出てこない。

繋がれた手のひらから、類の体温がダイレクトに伝わってくる。昨日の保健室で感じたあの熱さが、夢じゃなかったことを嫌というほど突きつけてきた。

​学校に着いても、類の恋人モードは止まらなかった。

休み時間になれば俺の席に来て、皆が見ている前で髪に触れたり、昼休みには「屋上に行くぞ」と当然のように俺を連れ出したり。

クラスの奴らが「あいつら、最近さらに距離近くね?」とヒソヒソしているが、類はどこ吹く風だ。

​「……なぁ、類。お前、キャラ変わりすぎだろ。もっとこう、氷の王子様的なクールさはどこ行ったんだよ」

​屋上の踊り場。二人きりになった場所で俺が毒づくと、類はカバンからあのノートを取り出した。

​「氷なんて、お前が溶かしたんだろ」

​類はそう言って、ノートの最後の一ページを開いた。
そこには、俺が昨日書いた『責任取れよ』という乱暴な文字が残っている。

​「友。この日記、もう終わりにするか」
「え……?」

​俺が驚いて顔を上げると、類は少しだけ寂しそうに、でも穏やかに笑っていた。

​「この日記は、自分の本音を書くための場所だった。お前と本音で繋がるための唯一の手段だった……でも、今はもう、これに書かなくても、お前の顔を見れば言いたいことがわかるし、俺の気持ちもお前に届いてる」

​類の手が、俺の頬に触れる。
昨日のように強引じゃなく、壊れ物を扱うような優しい感触。

​「これからは、文字じゃなくて、言葉で、声でお前に伝えたい」

​類はペンを手に取ると、最後のページの余白に、迷いのない筆で一行だけ書き加えた。

​『親友終了。ここから先は、俺たちの本当の物語。』

​類はそのままノートをパチンと閉じ、俺の手に預けた。
 
「……友。日記じゃなくて、俺を見て言え」

​逃げ場を塞ぐように、類がじりりと距離を詰めてくる。
俺は心臓が口から飛び出しそうなのを必死に抑え、手の中のノートをぎゅっと握りしめた。
 
嘘つきだった。
日記の中でしか本音が言えなくて、親友という仮面を被って、お互いの気持ちを探り合って。

でも、その「嘘」があったから、俺たちはここまで来られたんだ。

​「……わかってるよ……俺も、日記なんてもういらない」

​俺は類を見上げ、一生分の勇気を振り絞って、言葉を紡いだ。

​「好きだよ、類……昨日よりも、ずっと」

​類は一瞬、目を見開いて。
それから、耐えきれないといった様子で俺を腕の中に閉じ込めた。

耳元で、類の速すぎる鼓動が聞こえる。

ああ、なんだ。余裕ぶってるくせに、こいつも俺と同じくらいテンパってんじゃん。

​屋上の空は、どこまでも青く、澄み渡っている。

「愛してるよ。友」
「……っマジでお前、キャラ変わりすぎ!」

俺たちの交換日記は、ここでおしまい。

​これから先、綴られることのない永遠が、今この瞬間から始まっていく。




Fin.