幼馴染から進展するわけ。


 バチンッ!!!!

 瞬間、俺の首が勢いよく左方向を向いた。喉から情けない悲鳴が鳴る。

「秋哉、アタシのこと好きじゃないでしょ」

 彼女のセリフと卒業式に似合わない音が鳴ったせいか、近くにいる人たちの視線が一斉に俺の方に向いた。

(痛って...なんで俺ビンタ喰らってんの)

 ジワジワと痛みが増していく。無意識のうちに右手で頬を覆っていた。視線だけ一年間付き合っていた彼女の方へと向ける。

「...ッ何その顔。...もういいよ...!どうせ__」

 胸ぐらを勢いよく掴まれる。が、ちょうど風が吹き黒い長髪が彼女の言葉を遮った。

「...ぁー...ごめん、なんて言った?」
「分かるでしょ。そんくらい」

 彼女の奥歯がギリ...と音を立て、白くて細い手で俺を突き飛ばした。

(っぶね...、まじで何?もう女子の情緒ムズいって...)

 尻もちを付かないよう足をふらつかせていると、彼女は俺を一瞥してから去って行った。

「えぇ...??」

 一連の流れを見ていた周辺の人々は俺よりも気まずそうな顔を浮かべている。俺より動揺するなよ。

「これからどーすっかなぁ......」

 彼女が女友達の元へと走っていく様を眺めていると、

_ポンッ

 頭に小さい衝撃。

「お、案外良い音鳴った」

 振り向くと、卒業証書の黒い筒を持った幼馴染【楠木 琉生(くすのき るい)】が突っ立っていた。

「...それが今彼女にフラれた幼馴染にすることかい」
「じゃーおれが慰めてやろっか」
「.........」

 全然慰めてくれ無さそうな目線に少し安心する。彼女といちゃラブするよりもこういう雑に話す方が性に合っている。

「...なに。急に黙っちゃって」
「琉生的にはさ、なんで俺フラれたと思う?」

 幼馴染の俺がフラれたというのに「ひひ...っ」と喉を鳴らし笑われた。

「なんそれ。んまぁ、心当たりがあるとすれば〜...『卒業式の後って時間ある?』って彼女さんに聞かれて『ごめ、もう幼馴染と遊ぶことになってっから』ってノンデリ発揮したからじゃね?普通幼馴染より彼女の方取るだろ」

 琉生はわざわざ声色を変えて再現し、背伸びして身長も俺に寄せてきた。そんな身長変わんねぇだろ。

「だってそれはお前の方が早く約束......つか全部聞いてたのかよ!盗聴だ盗聴」
「仕方ないでしょ聞こえたんだから」
「あと!俺はノンデリじゃねぇから!素直って言え素直って」
「あーはいはい。素直で可愛げがありますねー」
「お前マジで......家着いた瞬間ゲームで負かすからな」
「はぁ?ずる。おれゲーム弱いの知ってんじゃん」

 終わらない言い合いに溜息で終止符を打つ。

「でもなー...なんか...いや...なんだろうな......」

 数メートル先の元カノと化した女子に視線を向ける。

(告られたから付き合ってたけど......顔かわいいし...)

 中学で初めて出来た彼女にフラれて特に何とも感じなかった。こういうのって「しんどい。落ち込みすぎて胸が痛い」とか思うんじゃねぇの?胸より右頬の方が痛てぇんだけど。

「なに。彼女にフラれたのにあんまショックじゃ無かったとか?」

 思っていたことを一文で表してきた琉生に向かって指パッチンを鳴らす。案外良い音が鳴った。

「そーれだ!!それそれ。なんでだマジで...」
「おれで充分なんじゃね?」

 黒髪の間から紫の瞳がチラリと覗く。思い返してみると、彼女といるよりコイツといる方が楽しかった。

「あー...確かに?」

 卒業証書の筒をスポスポと開けたり閉めたりしている琉生の手が止まった。

「だと思った」

 数秒後、琉生は満足そうにはにかんだ。そして口元に手を当て笑い声をあげる。

「てか秋哉(しゅうや)ほっぺ赤すぎ...ッ...派手にやられたね」
「そんな赤い?いやー...結構痛かったんだよな」
「すっげぇ音だったよ」
「ホント...あんなフラれ方漫画でしか見ねぇだろ。お前貴重なモン見たぜ?」
「うん。ごめんだけどホントに面白かった」

 また喉を鳴らして笑われた。

(コイツ...なんでこんな楽しそうなんだよ...フラれたんだぞ俺)

 琉生は喉を鳴らすように笑うか、ドツボにハマった時は本当にうるさい笑い声を出す。

「まぁでも良いじゃん。高校は男子校だし」

 こっそり持ってきたのか、琉生はスマホを取りだした。そして「秋哉が別れた記念〜」と早速ネタにされながら内カメを向けてくる。

「確かに。もう当分女子はいいや」
「しばらくはおれで我慢しとくれ」

 画面に入るように琉生の肩に腕を回し適当にピースする。

「うん。当分お前がいいや」

 呟いた瞬間、琉生の肩が少し跳ね上がり、ヒュッ...と喉の音が聞こえた。と同時にシャッター音が鳴る。

「ちょ...耳やめろって」

 不服そうに振り向いた琉生は、男にしては大きい目を更に見開いていた。

「あー、琉生って耳もダメだっけ?こちょこちょはクッソ弱いの知ってたけど」
「......ん...なんかキモかった。一生すんなバカ」

 琉生は右耳を手で覆い眉が力なく垂れていた。本当に弱点らしい。

「じゃあ今度気ぃ食わんことあったらこちょこちょと耳狙うわ」
「うーわ性格わる。そんなんだから彼女にフラれんだよ」
「はぁ?!今それ関係なくね?!いやフラれたてほやほやだけれども!!」
「ちょ...ふっ...声でかぁ......んははっ!」

 笑い声が靴箱で響く。
 いつの間にか周辺の野次馬たちが引いており、卒業生達が続々と帰り始めていた。

「...よし、俺らもそろそろ帰るか」

 身体を琉生の方に向けた瞬間、学ランの裾を引っ張られる。

「待って秋哉、第二ボタン無いじゃん」
「え?」

 見ると、糸が不規則に踊っており無理やり千切られたように無くなっていた。

「マジじゃん。ぇー...?.........」

 思考を巡らし、思い当たる節を見つける。

_「アイツか?」「彼女さんじゃね?」

 同時に節が見つかり顔を見合わせる。

「ひひっ...彼女さん案外強引だねぇ」
「もう勘弁してくれ〜...!別れ切り出しといて未練タラタラじゃねぇか!更に女子の思考分からんくなってきた...」

 眉間を親指と人差し指で揉む。頬の痛みはほとんど消えていた。

「あ〜、まーじで琉生と一緒にいる方が気楽だわ。俺に彼女は早すぎた」

 ふと、ずっと気になっていたことが頭を駆ける。

「あー、そういや琉生はそういうのないん?」
「...えっ?」

 並んで歩いていた琉生に視線を移すと、元々猫背気味な背中が余計丸まって見えた。

「...おい大丈夫か?なんか体調悪い感じ?それか眠いだ_」
「ないよ」

 琉生の顔を覗き込もうとした瞬間、声が重なった。と思ったらまたしても卒業証書の筒で叩かれる。

「おれが彼女居たことないの秋哉が一番知ってんだろ」

 少し不機嫌そうな口調で言われる。瞬きを数回し、俺の口角がだんだん上がっていく。

「へぇ〜...?もしかして琉生くんってば彼女居たことないの気にしてたりすんの?いや〜ごめんね!俺がモテるばっかりに!」

 琉生の肩をポンポンとしながら「まっ、俺が当分側に居てやるから安心しな」と煽る言葉だけがスラスラと連なる。

「......うっざ」

 やっと反論してきたかと顔を覗く。
 だが、饒舌だった舌が止まった。

「あー!なぁんでこんなヤツに彼女出来たんだろうな。おれの方が優良物件だし」
「.........ぃーや、お前の顔は[男友達]で留まる顔面だ」
「はぁ??なんそれ...っふは...っ意味わかんね」

(...琉生...なんかいつもと違...?)

 一瞬、苦しそうな顔をしているように見えたが、

(......気のせいか...)

 心配しようとしていた思考回路が琉生の笑い声で掻き消されていく。
 
____

「お邪魔しまーす」
「あいよー」

 ガラガラ...という引き戸特有の音と間延びした声が重なる。
 俺の家は自宅兼駄菓子屋を営んでいる。ちょうど地元の小学生たちがポッケから小銭を取り出し会計をしていた。

「一...二...三、ちょうど四十円いただくよ」
「うん!おばちゃんありがと!」

 少ししゃがれたばーちゃんの声が聞こえる。
 「帰ったよー」と手を振ると、小学生たちがわらわらと足元に集まってきた。

「シューヤ!...と!ルイくんも居んじゃん!」
「おー、元気してたか?」
「うん!元気!てかさぁ今日さー_...」

 一斉に五人程の小学生に囲まれ、五人同時に何か喋り出す。

(どー...しよ。全ッ然聞き取れねぇ)

 チラッと琉生の方を見ると、大人しそうな小学生とスーパーボールで遊んでいた。

「あーあーお前ら一気に喋んなよ〜流石に頭の良いシューヤさんでも無理だぜ?」

 言いながら少し屈んで頭をわしゃわしゃと撫でる。
 小学生たちは「別にシューヤは頭良くねぇだろ!」と生意気ながらも満更でもない顔で撫でられ続けている。

(...俺一応学年で結構頭良いんだけどな...なんでバカ認識で通ってんだ?琉生の方がバカだぞ)

 満足したのか、小学生たちは「おばちゃんたちじゃあな!」と手を振りながら帰って行った。
 元気な足音が遠ざかり、ばーちゃんに目線を移す。

「ばーちゃん、ただいま」
「おばあちゃん、今日おじゃまします」

 ばーちゃんはニコッと微笑み、歳の割にしっかりとした足取りで俺たちに近づく。そして、「卒業おめでとうねぇ」という言葉と共に、

「...ばーちゃん?なんか...あんま卒業と関係ねぇモン持ってない?」

 透明の筒に入ったスルメを差し出された。タレたっぷりの。

「...スルメ?」
「そうだよ。アンタら確か15歳くらいだろう?だから、歳の数のスルメ。ほれ、琉生くんも」

 グイっと差し出され、つい受け取ってしまう。両手が卒業証書の黒い筒とスルメの筒で埋まってしまった。

(なんだこのアンマッチングな光景は)

 交互に眺めていると、隣から我慢できなかったような笑い声が聞こえてきた。

「...っあは!ん...っふふ!ぁー無理...なんでスルメなのおばあちゃぁん」
「駄菓子屋らしくて良いだろう?それに、花は食えないくせにすぐ枯れるからねぇ」
「確かにおばあちゃんから卒業祝いの花束とか貰っても解釈違いかも。良かった〜スルメで」
「ははっ!なんだいそりゃ!」

 ガハガハと大きい笑い声が小さい店内に響く。

(いや俺くらい仲良くなってんじゃん)

 俺の親は基本家にいることは少ない。というのも、仲が悪いという訳ではなく単純に両親が多忙+旅行好きでばーちゃんと留守番。という形だ。

「ばーちゃん、ほんとに今日一人で大丈夫?」
「あぁ。今日は棚整理はしないからねぇ。力仕事がなかったらこっちのもんだよ」

 ばーちゃんは顔のシワを一層深くして笑う。いつもは俺がレジやら品出しをしているので多少心配だったが、案外大丈夫そうだ。

「ほれ。今日はめでたい日なんだから店番はわしに任せて上で青春トークでもしてきな」

 背中をバシッと叩かれ、二階に続く階段へと誘導される。

「あんがと、ばーちゃん。ばーちゃんも混ざりたかったら来てよ」

 シワシワの手でグッドポーズを綺麗にキメる。パタリと、俺の後ろを歩いていた琉生の足音が止んだ。

「あ!そういや卒業式の写真撮ったから後であげるね」
「おぉ本当かい?そりゃ嬉しいねぇ」
「おいその写真......_」

(...俺が彼女と別れた記念のやつじゃね?)

 と首を突っ込める内容でもないため口を噤む。
 無駄に段差が高い階段を登り切り、二階に着いた。またしてもガラガラガラ...と音を立てながら自室に入る。

「ね、さっきの写真おばあちゃんに見せて良いの?」
「お前半笑いで聞くなよ。...まぁ、なんかそんなショックじゃなかったしあの写真はフリー素材で良いぞ」
「ふっ...確かに写ってんのおれと秋哉だけだし関係ないか」
「まぁな。...って...あー」

 下にお茶を忘れてしまった。一階へ戻ろうと琉生に背を向け階段に足をかける。

「...秋哉はさ、彼女さんのこと諦めきれたの?」

 チラリと琉生の方を見ると、俺の学ランをハンガーに掛けてくれていた。

「諦めたっつーか...元から好きじゃなかったっぽい」

 率直な感想を呟き、階段を下る。

◇◆◇◆◇

「てか秋哉が男子校選ぶなんて思わんかったわ」

 今日は高校の入学式だ。
 聞き慣れた声が隣からするのは、新しい環境に飛び込む身としては少し安心する。

「そうかぁ?まぁ、いっちゃん近いとこだし」
「ひひっ...理由そんだけ?」

 琉生のコロコロとした笑い声が桜と共に空へ舞う。

「高校選びなんてそんなもんだろ。つか琉生だって別に理由とかねぇだ_」

 言い終わる前に、並んで歩いていた琉生がトンッと一歩先へ飛び出た。

「遅刻、最初っからはやばいって」

 中学では持ち込みが出来なかったスマホをユラユラと顔の前で揺らされる。
 7:55。確か電車に乗る時間は8:00ジャストだった気がする。

「んー...?うわマジじゃん!意地でも電車乗り込むぞ」
「うん」

 二人して走り、無事駅のホームに辿り着いた。出来るだけ人が少ない列に並ぶ。

「うわー...俺電車通学とか憧れあったんだよなー」
「あーちょっと分かるかも」
「ほら、今まで電車なんてろくに乗ってこなかっただろ?満員電車とか体験してみたくないかい?」
「それは分かんないけど」
「ええ??」

 朝のせいかあまり回っていない頭でお互い会話する。息切れが治ってきた頃、電車が来るらしいアナウンスが流れた。

___

 無事学校に着き、入学式を終え、教材を貰い帰路に着く。

「案外すぐ終わったな」
「な。もっと校長の話とか長いと思ってた」
「あれじゃね?男子校だしろくに聞くヤツ居ねぇからとか」
「ひひっ...センセー可哀想」

 一年一組。琉生と俺は同じクラスになった。しかも【北丹 秋哉(きたに しゅうや)】と【楠木 琉生(くすのき るい)】の並びで席も前後だ。

(割とラッキーだな...)

「ラッキーだね、同じクラス。しかもいっちゃんトイレ近い教室だし」

 思っていたことをそのまま言われる。最後のトイレはどうでもいいが。

「だなー。危うくボッチ生活だったぜ」
「秋哉はコミュ力あるからすぐ友達できるじゃん」
「......そうでもないぞ?中学だって大体俺ら二人で動いてたじゃねぇか」
「確かに...」

 目の前の信号が赤になる。初めてのネクタイに違和感があるのか、色白の指がネクタイを触りだした。

「秋哉って女子の友達多かったよね」
「ええ?そう?」

 ピコン♪ピコン♪という音が聞こえて横断歩道を渡る。

「うん。秋哉可愛いのとか好きじゃん?だから女子と話し_」
「琉生くん...」
「なに」

 一拍置いて琉生の肩をポンっと叩く。

「嫉妬は見苦しいぞ〜?」

 琉生の口が半開きになっていき、目と口が同時に大きく見開かれた。

「はっ?!別にそんなんじゃ」
「分かる。仲良い男友達が女子に囲まれてたらなんだとも思いますわな。いや〜なんかごめんな!隣にそういう【モテる男】がいて!」
「...ぁぁ、そっちか」

 琉生は小さく溜息を漏らし、早歩きになる。なんだ今の間は。

「そっちこそ!【たかが一人にモテただけの男】ってだけなのにそんな誇らしげに語ってて見苦しいけど!」

 俺の前を歩いていた琉生がイタズラな笑みを浮かべ振り返る。割と確信をつかれて喉からグッ...という音が鳴った。

「は、はぁ?!琉生はゼロだろゼロ!イチとゼロはデッケェ壁があるだろぉ!」

 あと数メートルで家に着くところでいつもの事ながら無謀な争いが生まれてしまった。

「...っふは!...あーもうマジでしょうもねぇ...っひひッ」
「いやマージで...ッふは...!お前もう高校生だぜ?ちょっとは大人になれよなー」
「それは秋哉もじゃん!...おれらガキすぎ...っ」

 前傾姿勢で笑っていた琉生が俺の肩に寄りかかる。

「はーーー笑った笑った......疲れるからやめろよバーカ」

 細い髪が頬を撫でる。そのうち古めかしい自宅が視界に入った。

(...そういやいつの間にかコイツの身長越したな)

 琉生は小学生の頃に俺の家の隣の隣に引っ越してきた。その時は俺の方がチビだった記憶がある。

(あん時は琉生の家が有り得んデカくてビビってたっけか)

 学校帰りに初めて楠木家にお邪魔した時、門から玄関の道が長すぎて文句を言った気がする。我ながら失礼なガキだった。


「あれ?秋哉くんと琉生くんだ!」


 ぼんやりと昔のことを思い出していると、ほんわかした声が耳に入った。見ると、【春日 透花(かすが とうか)】が俺らに手を振っていた。
 透花さんは俺らの家の間に住んでいる大学生のお兄さんだ。琉生と出会う前から良くしてもらっていて本当に兄みたく接してくれる。

「透花さん!」
「お久です」

 最近は課題があるとかで会えていなかった。久々の兄肌を摂取したく二人して小走りで透花さんに近づく。

「いやー久しぶりだねぇ。元気してたッ...ぁ?!」

 穏やかに近づいてきた透花さんは、デカめの石を踏んづけて足首を捻った。おそらく子供が石を蹴りながら帰ったのだろう。変なところに石が佇んでいた。

「...大丈夫すか?」
「相変わらずツイてないですね...」

 小走りだった足取りが憐れむように減速する。

「あぁ...だいじょぶだいじょぶ...君らが踏まなくて良かったよ」

 昔から透花さんは不運体質だ。これが性格の悪い人だったらざまぁみろとでも何とでも思えるのだが、 透花さんは性格が良い。とてつもなく。

(いい加減報われて欲しい...)

 切実に願っていると、何も無かったかのように会話が再開される。

「ところで、君たち同じ学校にしたんだね」

 俺らの制服を交互に見ながらニコニコしている。兄というより親みたいな顔つきだ。

「ふふっ...よく頑張ったね」

 透花さんはニコ〜と笑みを零しながら琉生の頭を撫でる。琉生も眉を下げて受け入れている。

(なんだ...なんだこのマイナスイオン過多な空間は)

 俺までマイナスイオンと化してしまいそうな脳内に疑問が浮かんだ。

「...え?いやいやいや俺は?!俺も頑張ったんすけど!」

 せっかくのマイナスイオンが俺で消え去る。小賢しく頭を少し下げて撫でやすい体勢に変えた。

「んー?秋哉は昔撫で回しまくってただろー?」

 揶揄いつつも頭を撫でてくれる。「...それよりさ、」と、透花さんが続ける。

「秋哉くんも琉生くんの頭撫でてみてよ」

「...へ?」
「え?なんでっすか」

 琉生の頭がバッ!と上がる。そんな嫌がらなくても良くないかい?

「琉生くんの頭、撫で心地良いんだよね」

 純粋な笑顔に充てられ、数秒もしないうちに「じゃあ...」と手を伸ばす。

「...」

 俺らにしては珍しく静かな空間になる。細い髪が指の間を通り抜ける。少しわしゃっと撫でると、頭の形が分かって新鮮だ。

「確かに気持ちいな」

 思ったよりも撫で心地が良く何往復もしてしまった。琉生を見ると、ウロウロしていた瞳孔が静まっており気持ちよさそうに目を細めている。

「.........ちょっ、...いい加減撫ですぎだって...」
「あ、ごめ」

 ぎこちなく手首が掴まれる。崩れた前髪の隙間から紫色の瞳に睨まれた。

(...なんかコイツの顔赤くね...?)

 いつもより血色の良い肌をまじまじと見つめる。パチッと目が合い、お互い瞬きを数回繰り返す。

「...なに」
「えっ?ぁ、あぁ...」

__ゴーン。
 五時のチャイムが近くの公園から鳴り響いた。

「もう夕方だね」

 透花さんは眩しそうに目の前で手のひらをかざす。

(夕方...そっか、夕日か)

 琉生の肌と夕日を眺める。未だ髪の毛の感触が残っている手に視線を落とす。

「じゃあ俺らはそろそろ帰るか」
「...うん、じゃあ透花さんまた__」

「あー待って待って」

 一歩踏み出したところで、隣に立っていた琉生が透花さんに引き止められる。

「琉生くん、新しいホラー映画入手したんだけど見てかない?」

 透花さんと琉生はホラー映画が好きで、よく二人で鑑賞会をしているらしい。俺はホラー耐性がないので参加拒否をしている。

「...!ホントですか!見たいです!」
「うん、じゃあおいで?」

 琉生は言われるがまま透花さんに手を引かれていく。

「俺はホラー無理なんで大人しく帰ります」 
「...うん、秋哉くんともいつか一緒に見たいなぁ」
「透花さん、秋哉は無理ですよ。前一緒に予告見ただけでうるさかったんで」
「おい!本当のことを言うんじゃない!」
「ひひっ...だってホントーじゃん」

 透花さん家のドアがガチャリと開く。

「ほらほら、二人の会話は一生続くんだから夜になっちゃうよ?」

 琉生はケラケラと笑いながら家に入っていく。「じゃあまたね」と透花さんに手を振られドアが閉まる。俺はその隣の家へ帰宅した。

 _ガラガラガラ...ガラガラガラ...
 自室に入り、自分の右手をボーッと眺める。ふわふわの髪の毛。丸っこい頭の形。前髪でよく見えなかった顔。

「......アイツ頭撫でただけであんな大人しくなんの?」

 壁に背をもたれてついさっきの光景をフラッシュバックさせる。窓から差し込む夕日の暑さのせいか、頭が変な感覚になり軽く振る。

 一つ息をつき、畳に寝転がった。

◇◆◇◆◇

「あれ、琉生じゃん」

 朝。家を出ると琉生が突っ立っていた。

「おは。学校行こ」
「...うん。んん?」
「なに」

 中学の頃は、別に一緒に行こうと決めていなかった。しかも琉生は朝に弱くて遅刻ギリギリだったし。偶然出会ったら一緒に行くくらいの頻度だ。

「待ってんの珍しくね?つか琉生って朝起きれたんだ」
「あー...高校電車じゃん?おれまだ慣れてないしどうせ道一緒だし。朝は...目覚まし時計増やしたし...」

 ぴょこっと寝癖が着いている髪に触れる。多分急いだんだろうなーとまだ活動モードではない脳で考える。

「確かになー。んじゃあ高校は一緒行くか」

 髪に触れた流れで無意識に軽く頭を撫でていた。小さい頷きと「うん」という声が聞こえる。

「つか映画どうだった?いっつも事細かく語ってくんじゃん」
「え?あー...良かったよ、めっちゃ」

 思っていたより曖昧な答えが帰ってきた。いつもだったらあらすじどころかロウソクを持って怪談話する勢いで喋り倒してくるのに。

「あ、っそ」

 俺もホラーは苦手なので語られるよりはまぁいいか。と話を流す。

(でも結構おもろいんだよな〜。聞く分には)

 透花さん曰く、俺ほどでは無いが琉生もビビりらしい。だがホラー好きらしい。なんだ?Mなのか?何が良いんだ?
 一歩歩く度に疑問が生まれはどうでも良くなって萎んでいく。

「なぁ今日の昼飯どーする?俺売店行ってみたいんだけど」

 クラスメイトがどんな風にご飯を食べるのか分からないので一旦様子見したい。

「あり寄りのあり。でも今日多そうじゃん?初日だし」
「漫画とかでよく見るパン争奪戦とか出来るかも」
「...やりたいの?」
「そりゃもう。だって若いうちしか出来なくない?」
「えぇ...なんかジジくさ。おれは人混み嫌だからパス」

 目覚めてきたのか、琉生の歯切れの悪さが直っていた。結局、今日は朝にコンビニに寄り適当に買うことにした。

___

 _キーンコーンカーンコーン♪

 中学のチャイムよりもスピードが上がったリズムにテンションが上がる。

 午前は先生とクラスメイトの自己紹介で終わった。それと教室の場所案内。
 昼休みに入ると、中学校が一緒だったらしいグループが売店に行ったり、近くの席の人達同士で食べたりと各々動いている。俺は椅子に跨るように後ろを向き、琉生の机に昼飯を置いた。

「男子校って案外ふざけるヤツ居ないんだな」

 フルーツサンドを片手にクラスを見回す。それに釣られて両手でチョコチップ入り菓子パンを頬張っている琉生の目線も動いた。
 学校が始まってすぐだからか、教室内はあまりうるさくない。

「たしかに。もっと自己紹介でふざけたりすんのかと思った」
「あと今んとこ下ネタもないよな」

 パンを食べようとした琉生の口が閉じて再び開く。

「...あー、確かに?でもみんなまだ出してないだけでしょ。男子だけでこんな清楚なわけない」
「これから本領発揮すんのかね」

 口の中にオレンジやら桃やらの風味が広がる。ふと琉生に目線を投げ顎に手を当てる。そういえば、俺と琉生はあまりそういう話題にならない。俺に彼女が出来た時も特に変わったことはなかった。琉生がいない時は他の友達と喋ったりはしていたが。

「...琉生ってそういうのあんま喋んないよな」
「下ネタ?」
「うん」
「だって言う機会もなくない?興味無いし」

 俺は「あらっ」とわざとらしく口を両手で覆う。

「健全な男子高校生がシモイことに興味ないっつった?!琉生くんってば嘘はダメだぞ!!」

 クレッションドのように声量を上げ、琉生の頬をツンとつつく。自分でもかなりウザイ自信ありだ。チョコチップパンを持っていた手は「うるさ」とでも言いたそうに片耳を塞いだ。

「あー...っもう声デカぁ...ひひっ...デカい声シンプルおもろいからやめろって」

 口に手を当てケラケラと笑い出す。
 その様子を眺めながら俺らの中学生の会話を掘り出す。ハマった漫画にアニメ。琉生は小説読むの嫌って言ってたけど俺が勧めたら読んでたな。あとは...ちょろっと俺の彼女事情と...しょうもないことずっと言ってたっけ。
 流石に生粋の健全な男子中学生すぎないか?

「つっても俺は他の奴らとちょくちょく言ってたじゃん?そん時は琉生も笑ってたよな」

 琉生は「あー...」と思い出すように目線を漂わせ、肌に仄かな赤が差した。え?コイツって思ってたよりウブなのかい??
 目をパチパチしていると、気づいたのかあからさまに目線を逸らされた。

「......別に自分からは言わないだけだし」

 いつもよりボソボソ喋る琉生が可笑しくてついニヤニヤしてしまう。

「っおいおいウブるなよ〜!」
「っは?別にそんなんじゃないし」
「んなこと言って琉生くん...いっつも死んだような肌が!今日は血色良いじゃないすかっ!!」

 うざいセールスマンのような跳ねた語尾にすると不機嫌だった顔がくしゃっと崩れる。

「っひひ......待って、うーっわ...顔うざぁ...っ...」

 食べかけのサンドウィッチを口に押し込まれる。机に突っ伏すように笑っていた頭を上げは再びツボりを繰り返す。

(ほんっとゲラだな...)

 琉生を眺めながら口いっぱいのサンドウィッチをもぐもぐと頬張り、喉を上下させる。自販機で買った紙パックのココアをズズズ...と飲み干した。

「......琉生って俺の顔好きなのかい」

 琉生がツボから開放されたところで問う。俺は表情筋が柔いらしい。俺の顔を見て琉生に笑われるなんてことは日常茶飯事だ。

「はぁ?なに急に」

 目尻に溜まった涙を親指で拭い半笑いで問い返される。

「いや、琉生って俺の顔見てよく笑うだろ?」

 はぁーっと笑い声の余韻が聞こえる。少し湿ったまつ毛がゆっくりと上がり目線が俺を捉えた。しばらくじーっと見つめられ首をコテンと傾けた。

「だって秋哉の顔って表情筋発達しすぎておもろいじゃん?」
「...うわ...この人かなり失礼なこと言ってる」

 愉快そうに笑う声に満更でもないように笑ってしまう。中身が空のはずの紙パックをズズ...と吸った。

「まぁ、好きだよ?」

 やけに芯のある言い草に言葉が詰まる。加えていたストローを意味もなく噛んだ。いつもみたいにペラペラと言葉が続かない。思わず目線を逸らした瞬間、

_チリン♪

 背後から涼しげな音と複数の足音が聞こえてきた。

「なぁお二人さん、良かったらワシらと一緒に飯食わね?」

 振り向くと、三人組のクラスメイトが売店のパン片手に立っていた。甘いメロンパンの香りが満たした腹に隙間を作ってくる。

「おう、いいぜ」

 反射で了承する。俺がグッドポーズをすると話しかけてきた人もニコ〜と返してくれた。多分良い奴だ。

「んじゃお邪魔するわな〜♪直人とりっくんもほら」

 その人の茶髪の髪が揺れ、あっという間に俺らの机の周りに椅子が三脚追加されていく。

「あー、急にごめんな?」
「...ども」

 直人。りっくん。と呼ばれていた人達がいそいそと椅子に座る。

(派手な髪だな...)

 第一印象はそれだった。三人のうち一人しか黒髪がいない。あとの二人は茶髪と金髪で明るい色に染めている。

「全然いいけど。...ごめん、名前なんだっけ?」

 琉生が机の上を整理しながら聞く。一応午前中に自己紹介はしたが俺も誰が誰だか覚えていない。
 全員座り終えると茶髪の人がニコッと微笑み、「んじゃワシからな?」と自身を指差す。

「ワシは【戌井 風雅(いぬい ふうが)】。好きに呼んでや?」

 首を傾け愛想良く笑う。その動作と共に風鈴モチーフのピアスがチリン♪と音を立てた。

(ワシ...??)

「...一人称おじいちゃん過ぎないか」

 純粋に気になったことがポロッと口に出た。中々高校生という年齢でその一人称はイメージがなかった。こういうのって直で聞いちゃ失礼か?
 チラリと風雅の方にぎこちなく目線を投げる。が、その心配はしなくて大丈夫だった。

「ッだは!それよう言われるわ〜!じいちゃんと住んでっから多分移っちゃったんだよなぁ。ワシ実家寺だし」

 風雅は豪快に笑い、肩をパシパシと叩かれた。

(...風雅のテンション感やりやすいな)

 初対面の人とは自分から話を振れず会話が続かないことが多い。なので、こういうボディタッチ増し増しのお喋りな人がいると助かる。それで言うと琉生は案外誰とでも喋れるっけ。

 「じゃあ次直人いっとく?」と風雅は黒髪の片目が少し隠れた人に目線を移した。
 その人は「ん」と頬張っていた焼きそばパンを机に置く。

「僕ん名前が【東 直人(ひがし なおと)】。覚えやすいだろ?」

 ニッと笑う顔が幼く、ハキハキ喋るのが聞いていて心地良い。

「なんかあれだね。みんな声でかいんだ」

 デカイ声に耳が慣れたせいか琉生の声がいつもより小さく聞こえる。

「あー...言われてみればそうかも?僕らの中だったらりっくんが一番小さいよね」

 直人が金髪の人に目線を投げかけると、「お前らがデカすぎるだけだろ」と反応する。そして目線をユラユラさせながら話し出した。

「......【卯月 李久(うづき りく)】。終わり」

 口数が少なく、ぶっきらぼうな口調。一向に目が合わない。もしかして初っ端から嫌われてる?
 何か喋ろうと口を開いた瞬間、二隻の助け舟が出航してくれた。

「りっくん人見知り発動中だ〜」
「こんなんだけどりっくん良い子だから」

 揶揄うような口調で風雅と直人が可笑しそうに笑う。言われた本人は「ちっ...」と下手な舌打ちを鳴らして拗ねたように口を噤んだ。

「ひひっ...じゃあおれもりっくんって呼ぼっかな。言いやすいし」
「...んじゃ俺も」

 琉生に便乗して片手を上げる。

「お前ら...」

 りっくんと初めて目が合う。ファーストコンタクトが睨みなことなんてそうそうないな。
 りっくんはため息を一つ吐き、「...わぁったから。お前らの名前も教えろよ」と琉生と俺を交互に見る。それに合わせて俺も琉生の方に目線を投げた。

「ん、おれからか。名前【楠木 琉生】ね」
「んで、俺が【北丹 秋哉】な。琉生とは小学校から一緒」

 三人は俺らの名前を復唱した後に、「あ〜...」と風雅が納得したような声を出した。

「だーからあんな和気あいあいだったのか!」
「確かに廊下まで琉生の笑い声聞こえてたね」
「あと秋哉のクソデカボイスも」

 そんなにうるさかったのか...と苦笑いが零れる。と同時に、横から苦笑いではない「ひひっ」という声が聞こえた。

「秋哉ぁ、もしかして今キンチョーしてる?」
「え?...そうか?」
「だっていつもより声が清楚。あと常識人みてぇなツラしてるじゃん」

 琉生は笑いながらツンっと俺の顔に触れてくる。自覚はあまり無いが人見知りなのかもしれない。

(でも初っ端から琉生にするようなイジリしたら嫌われるだろ)

 冷静な脳みそがあって良かったと心の底から思う。流石に最初からヤバいやつだとは思われたくないし。

「おれが笑ってたの、秋哉の顔でツボってたんだよ」

 琉生は目を細めイタズラな笑みを向けてくる。そんなこと言ったらそこの三人__いや、主に風雅がどう言うのか分かるだろ。

「何それ!見たい見たい!」

 そうだよな?そうなるよな?こうなるんだよ。目線を漂わせ、片手で自分の顔を触れる。

「...あー、俺表情筋柔いんだよ。なんかそれで顔面が有り得ん動くらしい...んだよな?」

 自分で面白さが分かってない分、曖昧な言い回しになる。確認するように目線を琉生に移すとコクコクと頷いていた。

「へぇ...どんだけ柔いん?」

 風雅が俺の頬に手を伸ばそうとした瞬間、ペシっと軽く叩いたような音が鳴った。触らせる気満々だった俺は頭にはてなマークだけが浮かぶ。

「だめ」

 少し拗ねたような声。だが、すぐに聞き馴染みのある笑い声がした。

「まだ秋哉のおもろさはおれだけのモンだからダメ」

 目開けると、琉生はゆらりと身体を揺らしながら目線を漂わせている。
 腕をチョップで落としたであろう琉生の手が机に横たわる。と同時に、キョトン...としていた風雅が琉生の肩に腕を回す。意外と大きい手が薄い肩を引き寄せた。

「幼馴染の特権ってやつだ〜」

 琉生の重心がガタッと崩れ、慌てたような目線で風雅を見る。

「...ぅ、わっ!急に体重乗せるなよ」
「ワシが重いってことかぁ?!最近気にしてんだから!シー!」
「...、...っひひ...なんそれぇっ...」

 琉生は呆気にとられた顔から段々警戒心が溶けていっている。
 薄い肩をポンポンと叩きながら「でも分かる。分かるぜ〜?」と風雅は首をコクコクとさせる。

「ワシとりっくんも小学校から一緒でさ、直人とは中学から一緒だったんだけど...りっくんが直人に懐いてくのは見てて複雑だったよ〜?なんか...親離れされた気持ちになってさ〜」

 風雅は雑に泣く演技を見せつけながら「この泥棒猫ッ!」と直人を指差す。

「なぁそれいっつも聞いてるって。はいはーい僕が悪かったって」

 直人は両手を上げ、風雅のフリに慣れたように捌いていく。りっくんもりっくんで「別に懐いてねぇし」と小さく反論していた。

 頬杖をついてその光景を見ていると、琉生と視線がぶつかった。と思いきや、露骨に目線を外される。

(...は?え?どういう感情?)

 手のひらから頬がずり落ち視界が揺れる。挙動不審な琉生に違和感があったが瞬きを二、三回し、まぁいいか...と考えるのを止めた。どうせそんな大したことじゃないだろ。
 欠伸をしようとすると、肩をチョンっとつつかれた。

「秋哉、おれゴミ捨ててくる。それちょーだい?」

 風雅から開放された琉生は、コテンと首を傾けながら手の差し出してくる。

「...いいのか?サンキュ。..._あ、」

 袋にクリームついてっから気ぃつけろよ。と言う前に琉生の手に渡ってしまった。

「ん、クリームついちゃった。...秋哉」
「すまん言うの遅かっ」
「取って?」

 目の前にクリームの付いた親指が差し出される。

「はぁ?そんくらい自分で取れよ」

 口では悪態が出るものの、カバンの中に手を突っ込んで手探りでティッシュを探す。手に目当てのものが見つかったと同時に、

「遅い」

 俺の悪態を超える悪態が飛び出た。「はっ?」と短く漏らし、琉生の方に目線を移す。
 赤い舌で白いクリームが舐め取られていく。最初からそうしろよ。と開く予定だった口が自然と閉じていった。

(...なんで不機嫌そうなんだよコイツ)

 不機嫌という表現が正しいか分からないが、ムスッと顔を顰めていた。髪の間から見えた耳に仄かに朱が差している。余計に頭の中がハテナで埋め尽くされていった。

「琉生、それ売店んとこのゴミ箱行きだからな」

 どうやら、教室のゴミ箱には食べ物が入っていた容器や袋を捨ててはいけないらしい。そういうゴミは売店のゴミ箱に捨てろ。と午前中先生にくどく言われた。

「...分かってるって」

 教室のゴミ箱に捨てようと曲がった腰が伸び、クルッと爪先が廊下の方へ向く。そのままガラガラっと教室を出ていった。

(最近いつにも増して気分屋になったよな...)

 遠ざかっていく琉生の背中を目で追う。見えなくなったところで身体の向きを三人が喋っている方向へと向け直す。

_チリン。無意識に目が動く。
 風雅は廊下を歩く琉生の方を見つめながら問うてきた。

「なぁ、琉生ってモテる?」

◇◆◇◆◇◆

 売店までトボトボと向かう。さっき自分で舐めた部分が風にあたりひんやりと乾く。

(絶ッッ対変に思われた...!)

 歩きながら熱い溜め息が漏れ、すれ違った先輩たちに二度見される。

(なんでこんなことになったかなぁ...)

 おれは秋哉のことが好きだ。と最近気づいた。更に言えば、秋哉に彼女ができたタイミングで自覚した。

(元はと言えばあいつが悪いし)

 彼女ができて以来、おれと秋哉は本当に何も変わらなかった。普通彼女ができたら男二人で過ごす時間なんて無くなるとも思っていた。たかが幼馴染ってだけだし。

 だが、数日。数週間。数ヶ月と経ってもいつも通りすぎた。むしろ彼女よりおれと遊ぶ方が楽しいとかほざいて、彼女とろくに過ごしていなかった。
 そこで、突拍子も無い結論に辿り着いたのだ。

(秋哉っておれのこと好きすぎじゃね?)

 既に満杯になっているゴミ箱に無理やりゴミを押し込む。

(_って思ってたのになー...)

 それから変に意識してしまい、秋哉の仕草や言動や顔をまじまじと観察したのが悪かった。不思議なことにいつの間にかおれが秋哉のことを目で追うようになっていた。

(だって......おれと一緒にいるの好きって言ってたし...)

 どうせ彼女さんにも適当に好きとか言ってんだろうなと惨めになる。男が女に勝てるわけないだろ。
 秋哉にとってはなんて事ない会話でも胸が高なった。同時にそれを表に出さないように頑張った。

(透花さんには助けてもらいっぱなしだし...)

 今まで人を、ましてや男を恋愛観点で好きになったことが無かったので時々透花さんに相談させてもらっている。

_『じゃあ逆に琉生くんが秋哉くんに仕掛けてみるってのはどうかな』

 透花さんのアドバイス通り、試しに秋哉に意識させようと恥ずかしい思いを我慢して色々頑張ってきた。
 そもそも同じ高校選んだのだっておれの意地だし。

 教室に戻る途中でトイレに寄り指を洗う。

「ぁ"ー...おれキモいなぁ...」

 排水溝へと流れる水を眺める。細く息を吐き、今更トイレに誰もいないか見渡す。誰も居ないと確認し、長い溜め息が漏れた。

(まぁ...付き合うとかは想像できないし...)

 長年【幼馴染】という肩書きがあったせいか、秋哉がおれに恋人として接する様子が本当に想像できない。彼女に対してもドライだったし。

(...ずっと横に居れたらいいや)

 秋哉がおれに気が無いことなんて見え透いている。
 蛇口をキュッ...と閉め、鏡の自分と目が合う。「あー...」と小さく声を出し喉仏に手を当てる。

「ひひっ...めっちゃ男だな...」

 項垂れ、トイレのタイルの模様をぼーっと見つめる。廊下から聞こえてくる足音で意識が戻された。

(やば。誰か来る)

 トイレを出て教室に近づくにつれ、話し声が鮮明に聞こえてくる。チラリと覗いた瞬間、


「はぁ?琉生に好きな人?...、...いや居ねぇだろ、そんな話聞いたことねぇし」

 秋哉の声が聞こえた。

(おれの話...?)

 会話内容が少し気になり、ドア付近の壁にもたれかかる。ちょうど秋哉の横顔が見え、おれの瞳孔が一段階大きくなる。

「...っ、?」

 おれと接している時みたいな顔だ。気の抜けた何も考えて無さそうな自然体の秋哉。その光景を見た瞬間、不純物だらけの感情がグチャッと心臓に落ちる。眼球が左右をユラユラと行き来し、行き場の失った手がネクタイをくるくると弄った。

◇◆◇◆◇

「まぁ...モテると思うぜ?実際女子とめっちゃ喋ってたし」
「うわー!やっぱそうなんや!」

 風雅はパチパチパチと高速で手を叩く。こういうサルがシンバル持ったおもちゃ無かったっけ。
 今度は身を乗り出し得意げに鼻を鳴らした。

「ワシの経験上あーゆー男はモテるんだよ!」
「お前経験とかねぇだろ」
「ちょっ...!りっくんシー!ステイ!まだ秋哉はワシのこと知らないんだからそういうていで行かせてよ!」

 りっくんの額にデコピンをお見舞いし、メガネをかけていないのにカチャっとメガネをあげる仕草をする。

「琉生のやつ、多分甘え上手だろ?しかも顔面も可愛いときた!女子は結局可愛い男が好きなんだよ」

 甘え上手と言うかワガママと言うか...。まぁ確かに俺と琉生だったら絶対に琉生の方が可愛い系かと納得する。

(...でもモテたとて彼女は居なかったんだよな)

 琉生は自分からは話しかけないが、女子たちの方から寄ってきていた。何の会話かまでは聞き取れなかったが。
 これが中学一、二年の頃。

 問題は中学三年の頃だ。クラスの女子に琉生に連絡先を渡してくれと頼まれた時があった。それはもう顔を赤くして。俺に彼女が出来たタイミングだったから食いつくと思ったが...

(あの紙、受け取りもしなかったんだよな)

 可愛い子だったぜ?とも言ったが「おれはいいから」の一点張りだった。

_「秋哉はおれに彼女ができて欲しいの?」

 ふと琉生に言われたことが頭を過ぎる。ぶっちゃけどうでも良い。ただ、琉生に彼女ができていちゃラブしている様子は想像はできなかった。

「...確かに俺の経験上でも琉生はモテてたな」

 りっくんとワチャワチャと言い合っていた風雅と目が合う。

「ほ〜れ見てみろりっくん!ワシの言う通りだろ?」
「たまたまだろカス」

 言い返せなかった風雅は、何か思いついたように「じゃあさ!」と興味津々な瞳で見つめてきた。

「琉生に好きな人とかいんの?」
「はぁ?琉生に好きな人?...、...いや居ねぇだろ、そんな話聞いたことねぇし」
「やっぱそうか〜...モテ男への道教えてもらおうと思ったのにな」
「確かに風雅、女子の距離の詰め方強引そう」
「な?!......ぇ?りっくん達バラした?ワシが中学ん頃_」

「何話してんの?」

 教室のドアがガラガラと開き琉生が戻ってくる。

「今モテ男への道を尋ねてたとこ」

 琉生にとっては突拍子のない話題だろ。と思いつつ、少し考えた後俺に目線を向けてきた。

「それなら秋哉が一番知ってるでしょ。彼女いたじゃん」

 若干教室内が静かになった気がする。
 風雅たちを見やると、口をパクパクと開閉し、叩く勢いで手を握ってきた。

「急になん_」
「秋哉彼女いんのぉ?!?!ワシら仲間だと思ってたのに!!裏切り者!!」
「先に言えよそういうこと。風雅が惨めだったぞ」
「確かに風雅と違ってモテそうだね」
「はぁ?!直人までひどい!」

「...いや、もう別れたぜ?」

 再び静かになり、へな...っと手を離された。

「秋哉に彼女がいたの、容易に想像できたの悔しすぎる...」
「なんだそれ」
「.........可愛かった?」
「まぁ、うん」

 しばらく唸った後、両手をピチっと揃えて手のひらを差し出された。

「彼女ちゃんの写真、見たいです」

 面白いくらいか細い声で笑ってしまう。あまり写真は撮ってなかったが一枚くらいはあるだろう。
 追い打ちで「野郎しかいない空間だから女の子補給したいです」とかいう大分危ない言い回しで懇願された。

「んー...まぁいっか。ちょ待って」

 もう元カノと関わることもないかと思い了承する。
 写真フォルダをスクロールし探す。普段写真は取らないのですぐに見つかった。

「この子」

 スマホを差し出すと、みんな一斉に画面に集まった。
 男だけの声で「はぁ?めっちゃ可愛いじゃん腹立つわ」やら「目ぇデカ」やら「おっぱ......胸結構ある...」とボソボソ呟くだけの空間が出来上がってしまった。中々にキツい光景じゃないか?

「はい終わり終わり。俺どういう気持ちで見たら良いか分かんねぇから」

 別れた彼女を見つめるとか俺にそういう趣味はねぇ。スマホ画面を消そうとした手を止められたが無理やり消した。

「なぁんで別れちゃったのさ。可愛いじゃん」
「いや、この子から急にビンタされて別れたんだよ」

 な?と琉生の方を見る。パチッと目が合い、「うん、そうだね」と笑われた。

「え、じゃあどっちから告ったんだよ」
「あっちからだな。俺も彼女いたことなかったし顔可愛かったから良いよって」
「で、あっちからビンタされたん?」

 頷くと、女子って分かんねぇな。という共感の言葉が降ってくると思ったが、

「お前何したんだよ」
「それは秋哉に原因ありだろ」
「そんな心境の変化あるって...なにしたん?」

 思っていたのとは違った。それが話し始めて数分の相手に浴びせる言葉かい?
 三人の目線は俺ではなく俺の対面に座っている琉生に向いていた。

「みんな秋哉に直接聞かないんだ」
「だって自覚してない顔だぜ?これ」

 やばい何も言えねぇ。別れたのって俺原因?そういえば琉生にノンデリだかなんだか言われたっけ。

「......」

 琉生は一回口を結び、イタズラな笑みを向けてきた。

「だって...秋哉は彼女さんよりおれの方が...、ぃっしょに居るの楽しいんだもんね?」

 一瞬目が泳いだ気がする。だがすぐにいつも通り俺を揶揄う口調に戻った。
 実際、テンション感が楽なのは断然琉生だ。それ以前に彼女に対してそんなに興味が無かったのだが。

「そうだな。琉生とはずっと一緒に居るし過ごしやすい」
「ひひっ...彼女さんに勝っちゃった」

 満足気な顔だ。そんなに嬉しいかい、俺に好かれて。そりゃ見ず知らずの女子より幼馴染の方が一緒にいるの楽しいに決まっている。

「てかさ、」

 直人が顎に手を当て俺のスマホを指差す。

「秋哉の彼女、琉生に顔に似てなかった?」
「.........へ?」

 そうか...?と考え込んでいると琉生の間抜けな声が聞こえてきた。

「ふはっ!琉生の声気ぃ抜けすぎだろっ...久々に聞いた」
「......ゃ、全然そんなこと気にしてなくてビックリしただけだし」

 伸びた前髪で目を隠すように手でといている。

(ふっ...めっちゃ目ぇ動いてんな)

 だんだん俯いていく琉生を見ていると、横から「確かに!」「目とか顔の造形似てたな」と聞こえてくる。それに呼応するようにキーンコーンカーンコーンとチャイムが鳴った。

「んじゃ、二人とも急にありがとな!またワシらに話聞かせろよ〜?」

 俺のスマホをトントンっと軽くつつきニヤッとされた。別に話すようなことないけど...。
 適当に返事をして身体の向きを変えようとした瞬間、クイっと控えめに袖を掴まれた。

「...おれも聞きたい」
「え?...琉生こういうの興味ないんかと思ったわ」
「良いじゃん別に」
「じゃあ今日俺の家来る?」
「行く...!てか...おばあちゃんの手伝い無いの?」
「最近身体の調子良いらしくてさ、動ける時に動きたいんだってよ」
「ひひっ...おばあちゃんらしいな」

 嬉しそうにはにかむ。そう言えば琉生って笑ったら笑窪見えるよなとぼんやり見つめる。

(......顔が似てるか...)

 机の下でこっそりスマホをいじり、写真フォルダをゆっくりとスクロールする。
 元カノの写真より遥かに琉生の写真の方が多い。性別こそ違うが確かに似ている。似ているのだが、

(じゃあ俺...琉生の顔可愛いって思ってんの?)

 スクロールしていた指がピタっと止まる。ナチュラルに否定する方向へと頭が働く。

(いやいやいや...別に否定するこたねぇか。風雅だって可愛い系って_)

 なんで必死になってんだ...と整理しきれず脳内が重くなる。一つ息を吐き、ちょうど教室に入ってきた先生に目線が逃げる。

 午後の授業は委員会決めだった。

___

「秋哉、帰ろ」

 早々に帰り支度を終えた琉生が俺の机に腰掛ける。早起きしたせいか、眠たそうに欠伸をしている。

「じゃあ行くか」 

 琉生の背中をポンっと押す。教室を出て階段を降り、外靴に履き替え門を潜る。
 ちょうど来た電車に乗り込み、俺の家へ向かう。

「おぉ!おかえり」

 ガラガラガラ...と相変わらず騒音を立てる古びた扉を開け、それよりデカいばーちゃんの声が聞こえる。

「んー、ただいま」
「おばあちゃんやっほ。今日もお邪魔して良い?」

 俺の後ろに居たせいで気づかなかったのか、琉生を視認するとばーちゃんはいつも通り歓迎した。

「も〜ちろんだよ琉生くん!それと二人とも入学式お疲れ様」

 背中をバシッ!と叩かれ、ぐえっと声が出る。ばーちゃんは豪快に笑い俺の手首を掴んだ。

「なに?ばーちゃん...って」
「入学記念にチョコあげるよ。卒業んときゃスルメだったからねぇ」

 手のひらに銀紙に包まれたチョコをどっさりと置かれた。

「ぉわっ!ちょ零れるって!おい琉生半分頼んだ」
「えっ?」

 振り返り、ぼーっとしていた琉生にチョコを託したかった。コツコツッと床に落ちる音と、ばーちゃんが愉快そうに笑っている声が駄菓子屋に響く。

「ッわ!まじでごめっ...!ぼーっとしてた...」
「はははっ!良いんだよ、むしろこうなるって思ってたよ」
「おいばーちゃんあんま琉生のこと虐めんなよな」
「失礼な子だねぇ。可愛がってんだよ」

 俺がここに誰か招いたら決まって楽しそうに笑う。いや、タガが外れる。普段より賑わうのが嬉しいのだろう。 
 奥の部屋から漂う線香の香りが鼻を掠めた。

「ね、これで全部拾えてそう?」

 足元から声が聞こえ目線を落とす。どうやらチョコを拾っていた琉生が伸びた髪を邪魔そうに耳にかけながら膝を着いて尋ねてくる。
 周りを一周見渡し、首を縦に振った。

「おう、大丈夫大丈夫」
「良かったぁ銀紙ついてて」
「まぁ銀紙無くても三秒ルールってやつ適応されっから」
「はぁ?流石に汚いでしょ」

 ふぅ...と息を吐きながら腰を伸ばし目線が大体同じになる。ばーちゃんに礼を言って早速階段を登る。

 自室の背の低い机にチョコを置き、敷きっぱなしの布団に座る。
 琉生は俺がUFOキャッチャーでゲットしたクッションをいつも通り抱えた。他にも三個くらいクッションやらぬいぐるみが散らばっている。

「...」

 家に近づくにつれ口数が減っていった琉生に目線を送る。

(とうとう黙っちゃったよ)

 俺らの間で滅多にない沈黙が流れる。チョコの包みを剥がす音すらもうるさく感じた。

「琉生」
「...なに?...、?!っん」

 小さい口に無理やりチョコを突っ込む。見開いた目がだんだん細くなり、じとっ...とした視線に変わった。
 噛んでいるせいでしばらく喋れないらしい。何か言いたげに見つめてくる。

「ふはっ!喋れてねぇって」

 ゴクンと喉仏が下がったのが見えた瞬間、クッションで殴られた。

「急に押し込むことないじゃん!バカだろ!」

 いつも通りキャンキャン吠え出した。何だったんだよさっきの沈黙は。俺もチョコを食べながら琉生を宥める。

「で、俺は何を根掘り葉掘り聞かれるんだい?」

 クッションを抱え直し、一向に目が合わない琉生の顔を覗き込む。

「やっと興味が出てきた感じ?ついに琉生くんもマセちまったのか〜!?」

 ボフッと布団に倒れ込みながら適当に言葉を並べていく。いつもなら「うぜ」やら「黙れ」やら食いついてくるのだが、今日はいつにも増して大人しい。

(まぁ入学式って疲れるよなぁ。眠そうだったし)

 しばらく天井の木目を見つめる。

「秋哉」

 琉生が少し俯き、日焼けしてないうなじがチラリと見える。

「おれに全部教えて?」

 ほとんどクッションに声を吸われて聞こえなかった。腹筋に力を入れ起き上がる。

「別に元カノ事情なんて面白くねぇと思_」
「どこが良かったんだよ」

 少し語気が強い言い方に眉間に皺が寄る。

「顔が可愛かったからって昼言っただろ」
「他には...何かあるでしょ」
「だぁからそれだけだって」

 言いながら考える。告られたから付き合った。これで良いだろ。

「...そういう...適当なとこ嫌い」
「は?」

 一瞬息が詰まった。初めて琉生の口から「嫌い」と言われた気がする。

「はっ...何それ。勝手に嫌えば良いだろ」
「...ぁ」
「で?それで質問は最後か?」

 無意識に不機嫌な声色になってしまう。

(...なんでこんなイラついてるみてぇな感じになってんだ...?)

 感情と言動がマッチしていないせいで気持ち悪くなってきた。いつもみたいに適当に喋ればいいだけだろ。なんで。

「...デ、デートは?どこ行ったの」

 グラグラした不安定な声。
 質問に答えようと思い出す。だが、デートらしいデートをした記憶はなかった。元カノから誘われれば着いて行く。自分から誘ったことは無い。

「放課後に何か食い行くくらいだな」
「休日に遊ぶとか無いの?」
「あー、無かったな。ほぼお前と会ってたし」
「そ...っか」

 会話が一段落つく。未だザワザワしている胸が気持ち悪い。気を紛らわそうとチョコを口内に放り込んだ。

「......じゃあ...キスは?」

 歯を立てたチョコの風味が口に広がる。一息漏らし、琉生のクッションを奪う。

「どうだろうな」
「ちょっ...いきなり取るなよ」
「どうだと思う?」

 いつも通り普通に答えれば良いだろ。俺こんな試すような真似するタチじゃねぇって。
 グルグルと思考回路が行き来しているが、目線だけは冷静に見せるため琉生の横顔を見る。

「......してる、と思う」

(してねぇんだなこれが)

 されそうになったことはあった。が、何か違ったのだ。俺だってキスやら何やら人並みに興味はある。だが何故か受け付けなかったのだ。優しくしたいだとかまだ早くね?だとか適当に理由をつけていた。

「じゃあ...秘密ってことで」
「...なんで、」
「そんな知りたい?」
「......」

 琉生は顔を顰め口を結んだ。鼻から息が抜け、前髪が目にかかる。

「あは。俺のこういうとこ嫌いなんだっけ?適当にはぐらかすとことか」
「...はっ?ゃ、違...!」
「ははっ。じょーだんじょーだん。そんな必死になんなって」
「......うざ」

 小さく呟き、急に立ち上がった。チョコを一つ口の中に入れスタスタと扉の方へと向かう。

「...え?琉生?」
「帰る。今日はごめん」

 俯き気味に部屋を出て行く。チラリと見えた顔は朱が差し今にも泣きそうだった。

「琉生...?」

 追おうと立ち上がったが、それよりも早く下の階からガラガラガラ...とドアが閉まる音が聞こえた。

 カーテンを開け、俺の家から出ていく琉生を目で追う。しばらくぼーっと眺めていたが、明確に瞳孔が開く感覚がした。

(透花さん...?)

 琉生と透花さんがバッタリ出くわしている。ちょうど大学が終わったのだろう。重たそうなリュックを背負っている。

「あ?」

 喉仏から直接声が出たかのような低音が零れた。
 透花さんに会った瞬間、琉生が駆け出したのだ。それも縋るような顔で。

(...んだよその顔)

 琉生が透花さんの袖をギュッと掴んだところで衝動的ににカーテンを閉めていた。

◇◆◇◆◇

「透花さん...!」

 前方から歩いてくる透花さんに小走りで近づく。

「んー、琉生くんだ。どうしたの?」

 ダボッとしたパーカーをギュッと掴み、透花さんの色素の薄い瞳を見つめる。上手く言葉が出てこない。
 結局何も言えず唸ることしかできなかった。

「んー...とりあえず僕ん家入ろっか」

 いつもこの優しさに漬け込んでしまう。袖を離せないままトボトボと透花さんの家にお邪魔した。
 玄関には変な形のサボテンが置いてあり、オシャレな家らしく観葉植物が壁に飾ってある。

(また頼っちゃった...)

 細身の身体からでは想像できないくらい頼りがいのある背中だ。

「ここで待ってて?お茶持ってくるね」
「...ありがとうございます」

 いつも映画鑑賞している部屋に招かれた。目の前には巨大なスクリーン。壁には絵画が飾られている。

(...これからどういう顔すれば良いんだ...)

 しばらくボーッと立ち尽くし、力尽きたように大きいソファに腰掛ける。瞬間、長い溜め息が漏れた。

「ふふっ...すごい溜め息だ」
「透花さん...?!わ...ごめ、すみません...気が抜けちゃって...」
「全然良いよ。てか今更じゃん?」

 無駄にソファの上でジタバタしてしまった。背の低いテーブルに有名な絵画がデザインされたマグカップが二つ置かれた。

「秋哉と何あったの?」

 お茶が波打っている様子を眺めていると、全部見透かされているような笑顔を向けられた。

「...ぇっ...と」

 先程の光景が脳内に映し出される。制服のポケットに捩じ込んだチョコの銀紙にクシャっと触れた。

「...嫌いって言っちゃった...」

 何も知らない透花さんには支離滅裂だ。急いで情報を付け足そうと思考を巡らすがストッパーがかかったように言葉が出ない。

「秋哉くん、どんな反応だった?」

 酷く優しい声色で目頭が勝手に熱くなる。泣かないよう我慢した分、鼻腔に水が溜まる。

「不機嫌そうだった...秋哉にあんな...嫌いとか言ったことない......。勝手に嫌えば?って言われ...」

 自分でも言うつもりはなかった。言ったとしても秋哉のことだしいつも通り流されると思っていた。

「そ...っかぁ...好きな子からそれはしんどいね」

 肩に腕が回され、クイッと透花さんの方へ引き寄せられる。おれが顔を見られるのが苦手なことを覚えていて時々こうしてくれる。
 透花さんの肩に頭を預けると、ふわりと甘い花の香りが鼻を掠めた。

「なんでそういう流れになっちゃったか言える?」
「...学校で、...秋哉の彼女さんの話になって_」

 花の香りに絆されるようにポツポツと言葉が紡がれ始めた。
 秋哉が高校の友達と喋ってるのが気に食わなくて。ずっと突っ込めなかった彼女さんのことをこの際全部聞き出したくて。秋哉の家に行って...。

(どこが良かったの。なんて普通聞かれたくないでしょ...)

 多分そこから空気感が変わった。最悪な質問だったと今更後悔する。

 今日の出来事をザックリと透花さんに話した。他人の恋愛事情なんてつまらないだろう。しかも発展させる気がない恋愛なら尚更だ。
 透花さんは体勢を崩さず聞いてくれた。時々頭上から降ってくる優しい相槌が心地良い。

「うーん...」

 一通り話し終わった後、おれの頭を撫でながらゆっくりと向き合う体勢になる。
 そして人差し指をビシッと立て、

「ズバリ、嫉妬だね」
「嫉...妬?」

 無意識に目を背けていた感情が鼓膜を揺らす。

「話聞いた感じ...秋哉くんその三人組とすーぐ仲良くなったらしいじゃん?それ、嫌だった...?」
「嫌...じゃ、ないで欲しい...です......」

 風雅、りっくん、直人を嫌いたくないのは本音だ。むしろ好きだ。だが、嫉妬という言葉が妙にしっくり当てはまってしまい曖昧な言い方になってしまう。

(えぇ...おれ思ったより性格終わってる...)

 三人の純粋な笑顔が脳内に映し出される。と同時に秋哉の気の抜けた笑顔が横切る。

(おれにしか見せなかったじゃん...あんな顔)

 中学の頃は小学校からそのまま上がってきた人達が多く、最初からグループが固まっていた。交流関係は広く浅かったので秋哉もモロに自我を出していなかったらしい。

 だんだん表情筋が引き攣っていく。首がガクッと俯いた瞬間、頬を両手で優しく包まれた。そして透花さんと目が合う。

「琉生くんは優しいね」
「へ...?なん...嘘でしょ......」

 おれとは正反対の意見が透花さんの口から飛び出た。細い眉が垂れ、柔らかく笑った。

「僕だったら嫌だけどな。め〜っちゃ嫉妬するよ?」

 この部屋に閉じ込めちゃうかも。と冗談めかした口調で言う。やりかねなさそうな笑顔で背筋が自然と伸びた。

 マグカップを手に取り喉を潤す。透花さんは天を仰ぎ瞳孔だけでおれを捉える。

「んじゃあさ...琉生くんと秋哉くんって今かなり気まずい状況?」
「はい...おれが飛び出してきたから...」
「うーん...まずいねぇ、だって土日挟んじゃうよ?余計気まずくなるって」
「た...しかに」

 コクリとぎこちなく頷くと、ギュッと手を握られた。

「秋哉くんに電話しよう!今日中に!」
「えっ...ぁ、明日とかじゃ_」
「だ〜め」

 口の前でバッテンを作られてしまった。 透花さんはこういう時の思い切りが凄い。そのおかげもあって毎回助かっているのだが。

「が...頑張ります...!」
「えらい!これだから琉生くんのこと応援したくなっちゃうんだよね〜」

 ポンポンと頭を撫でられ目を細める。さっきより遥かに気持ちが楽になっている。

「じゃあ今日はもう帰る?来た時より大分顔色良くなってるよ」
「ひひっ...そうですか?」
「うん、秋哉くんに見せてあげたいくらい」
「それは...今は、無理...」
「ふふっ、まぁまた相談しに来な?」

 ゆっくりとソファから腰を上げ、透花さんに着いて行く。

「ありがとうございました!...ほんと助かります」 
「うん、いつでも頼ってね?」
「...っはい!」

 慣れた手つきで鍵を開け外に出る。ついさっきまで朱色だった空が暗く染まっている。
 ドアを半分くらい閉じたところで、透花さんに呼び止められた。

「あと、他人の肩に易々頭預けちゃダメだよ?...色んな人に勘違いされちゃうからね〜」
「...分、かりました...?」

 言葉の意味を探らず、煮え切らない返答をする。
 ヒラヒラと手を振られ、カチャリとドアが閉まる音が鳴る。

(...電話かぁ)

 ネクタイをギュッと掴み、自宅へと足を進めた。

◇◆◇◆◇

ブーブー...

「あ?電話...?」

 スマホ画面を見ると【るい】と表示されていた。家が近いせいか電話は滅多に寄越さない筈だ。

(めずらしー...)

 放課後のこともあって指が[応答]ボタンに触れることを拒否している。親指が画面前でフラフラと彷徨う。あわよくば諦めてくれないか。

(いや全ッ然切らねぇじゃんコイツ)

 何コールか続いた後、粘り強さに負け布団に寝転がり[応答]を押した。

...、...。

 無言の時間が続く。ボタン押したよな?と耳に当てていたスマホを離した瞬間、琉生の声が聞こえた。

「...も、もしもし?」
「おう。何だよ急に掛けてきて」

 できるだけいつも通りのテンションで返答する。家を飛び出した時よりかは元気そうな声だ。

「......」
「......え、琉生ー?聞こえてるか?」

 すぐにまた黙りこくってしまった。電話の音量を上げると何か言い出しそうな呼吸音だけが聞こえてくる。
 一際大きく息を吸ったかと思えば、

「月曜!!秋哉ん家の前で待ってるからっ!!!」

 音割れしたデカい声が鼓膜を豪快に揺らされた。思わずスマホを落とし慌てて拾い上げると、通話終了と表示されている。

「っアイツ声やっば...!!デカすぎんだろ」

 言われた内容より声量の方が気になり改めて頭の中で思い出す。

「待ってる...って」

 自然と口元が緩み、小さく笑い声が零れた。騒音を鳴らしながら立て付けの悪い窓を開ける。窓の縁に腰掛け琉生の家の方向に視線をやる。

(そういや喧嘩した時はいっつも琉生から謝ってきてたな...)

 スマホに電源を付け、
[お前声デカすぎ。チビるかと思った]
 送信する。

「ふっ...何事かと思ったらあんなことかよ」

 今更さっきの通話を脳内再生し気が抜ける。久々に琉生と言い合いというかギスギスした気がする。

 葉が擦れ合う音が耳を撫でる。スマホ画面を眺めているとすぐに返信が来た。

[先学校行くなよ]
[この面食いが]

 付け足されたように面食い扱いされた。

[お前こそ寝坊すんなよー]

 ポンッとオッケースタンプが目に入る。まだひんやりとした外の空気を体内に取り込んだ。
 スマホを布団に向かって軽く放り投げ、腕がだらりと垂れる。

「...つか、わざわざ電話してくるって...」

 腹の奥が熱くなり、得体の知れない熱が波紋のように臓器を蝕んでいく。

◇◆◇◆◇

 桜の花弁がコンクリートを覆い、あっという間に五月になった。

「ということで、今日からテスト週間だ」

 朝のホームルーム。ただでさえ月曜の朝で萎えている中、更に萎えることを宣言された。

「お前ら頼むから俺の授業のやつは赤点回避してくれ。もう追試プリント作んの嫌なんだ」

 週明けの一言目が先生から生徒への懇願なことがあるかね。
 雨の音を掻き消すブーイングの嵐が教室を包む。

「テスト週間って一週間前とかじゃねぇの?!二週間前とか何すんだよ」
「せんせー俺ら初めてだから優しくしてくださーい」
「めっちゃ優しい問題出してよ、お願いセンセ♡」

「お前らもっと可愛いねだり方してくれー...あともう一人の地理の先生はこわ...えー...厳しいので、まぁ...頑張ってくれ」

 ブーイングが再来する。いつの間にか四月の静けさは消え去っていた。

____

 放課後。

「で!なんで!俺の家なんだ!!」

 狭い部屋に俺の声が響き渡る。
 小さい机に五人分のノートやプリントが散らばっている。いつもよりも部屋にあるクッション達が所狭そうだ。

「うわびっくりした〜」
「急にデケェ声出すなよ」
「あー、ダメだった...?」
「秋哉うるさい」

 一斉に反論された。いや、唯一直人だけが困り顔で俺を見てくれる。

 元はテスト勉強の面倒を見るのは琉生だけの予定だったが、風雅たちにも教えてくれとせがませた。

「つってもこんな大人数で俺ん家来るなんて思わねぇだろ」

「だはは〜来ちゃった♡」
「来んな」

「オレは風雅に着いてきただけだ」
「自我持てバカ」

「おれはいっつも入り浸りまくりじゃん」
「もうヒタヒタです。畳もシナシナです」

「こんな狭いと思ってなくて...」
「直人、それギリ悪口な?」

 一人一人に突っ込む度に首が項垂れていく。

(テスト勉強見てくれって言われてもなぁ...俺人に教えるとかしたこと...)

 琉生の方をチラリと見やり、そういえばコイツにはいつも教えてたな...と中学生の頃を思い出す。

(いやいやいや...あれは一対一だから成立したのであって流石に四人まとめては無理じゃないかい?)

 目線だけで四人を見渡す。
 先程勢いで買っていた単語帳。付箋。五色入りマーカーがカバンから続々と登場する。

(...まぁやる気あるだけ偉いか)

 グッと伸びをし、「赤点は回避しろよ?」とペンを持つ。

______

「よし、今日は一旦ここまでだな」

 夕日が街を包み込み、カーテンの隙間から陽が差し込んでいる。

(暗記のやり方も何個か教えたし...問題集は割かし進んでくれたしなにより、)

「だーっ!疲れた......でも見てワシの顔。一皮剥けたくね?めっちゃ頭良い顔してね?!」
「...いや何も変わってねぇって」
「でも分かるかも。僕も頭良くなった気分」
「でしょ?秋哉教えんの上手いんだよ」

(すっげぇポジティブなの助かる...)

 風雅、りっくん、直人に関しては所謂不良がわんさかいる中学だったらしい。勉強が嫌いなのはひしひし伝わってくるが前向きに聞いてくれる。
 琉生に至ってはもう苦手な問題は把握しているので教えるのに苦労は少ない。

「ふっ...思ったよりバカじゃねぇんだな」

 揶揄うように帰り支度をしている三人の頭をポンポンと撫でる。素直に褒めても良かったがそれで満足しそうなのでやめた。あと風雅はすぐ調子乗るし。

 まだ残るらしい琉生は二階に居座り、俺は三人を玄関まで見送る。

「お邪魔しやした〜!」
「今日はありがと。良かったらまた面倒見て欲しいな」
「...あざした」

 ガラガラ...とドアが開き、外に出たところで風雅が踵を返した。

「ちょもっかい褒めてくんね?ワシ褒めて伸ばすタイプだから!」
「はぁ?自分で撫でとけよ」

 俺より身長の高い風雅は頭をこっちに傾けてきた。適当に茶髪の頭を撫でると満足気に二人の元へ戻って行った。

___

「ん、おかえり」
「うぃー」

 端に追いやられていたクッションが琉生の膝に移動している。
 机の上には英語の教科書が広がったままだ。

「今回は良い点取れそうかい」
「んー...勘が当たれば」
「...そういや中学ん頃テストの紙にあみだくじ書いてたよな」
「あ〜、先生に勘でやるのは良いけどせめて形跡は消してくれ!って言われたやつ」

 冷えてきた風を塞ぐため窓を閉める。琉生のコロコロとした笑い声がより鮮明に鼓膜を揺らした。

「つか何時まで残る?」
「んー...このページ終わったら帰ろっかな」

 ペンをクルクルと回し何も分かっていない顔をしながら問題集を眺めている。教えやすいよう隣に腰を下ろした。さっきまで対面に座っていたがここが一番文字が見やすい。

「え!思ったより進んでますやん。あの琉生くんが」
「なんだその言い方。おれだって初っ端から追試とかしたくないし」

 問題集の横に堂々と広げている回答を見ながら口を尖らした。

(今回は教科書から丸々出るやつもあるっつってたし文法とかぶっちゃけどうでもいっか)

 机に肘をつき、琉生が理解出来そうな文法だけを教える。一気に頭に入れると次の日には全て忘れるらしい。
 ふいに先程帰っていった三人の顔が浮かぶ。

(アイツら忘れてねぇと良いけど...)

 窓の外を見ると、ポツポツと雨が降り出していた。夕日に照らされ雨がキラリと瞬く。

「うわっ雨降ってんじゃん」
「えー...帰んのダルいな...」
「じゃあ泊まってくかい?」

 だんだんと雨音が強くなる。空が雲で覆われ室内が暗くなった。

「...男二人でこの部屋は狭いでしょ」
「はー?さっきまで五人いただろ。つか、お前昔はここ家出先にしてたし布団なら二個ある...って」

(そういや最後に泊まりきたのっていつだっけか...)

 畳を指でなぞっている琉生に目をやる。俺の記憶が正しければ高校二年くらいまでは時々泊まりに来ていた。小学校の時は親と上手くいってなかったらしくよく家出先にされていた。

 琉生はカチッとボールペンの芯をしまい、問題集をリュックに詰める。

「てかもう母さんご飯作ってると思うから。今日は帰る」
「...おう。また来いよ」

 自分のリュックの中に入っていた折り畳み傘を琉生に差し出す。

「...?別に濡れて帰れる距離だけど」

 珍しく寝癖がついている毛先に手を伸ばす。紫色の瞳が俺の手を追い、髪に触れた瞬間瞼が降りた。

「お前最近ボーッとしてること多いだろ。これ以上しょげられたら困る」

 直そうとしてもすぐにピョンッと毛先が丸まる。

「それ、明日返せよな」

 紺色の折りたたみ傘を琉生の胸元に押し当て、早く受け取れと目線で訴える。

「...ん。じゃまた明日」
「んー。気ぃつけろよー」
「気ぃつけろって...家隣の隣じゃん」

 可笑しそうに笑いながら両手で受け取る。二人で階段を下りドアの前で琉生が立ち止まった。

「っうわ、急に止まんなよ」

 ぶつかりそうになった背中がクルリと回り、琉生の顔が近づいてくる。

「...え、なに_」

 慣れていない手付きで頭を撫でられた。琉生の手のひらの温度が伝わってくる。
 崩れた前髪に視界を奪われる。だが、すぐに親指で髪を避けられ真っ直ぐに見つめられた。

「だって...今日秋哉が一番疲れたでしょ。おれが褒めなきゃ誰が秋哉のこと褒めんの」

 琉生は瞳孔を彷徨わせ俺の頭からパッと手を離した。

「...傘、ありがと」

 ガラガラ...とドアを開け逃げるように雨音に紛れていった。
 崩れた髪を更にクシャっとかきあげる。

 「ふはっ...たしかに、褒められんなら琉生が良いかもな」

 雨音のせいで骨伝導で伝わる声が曖昧にぼやける。
 普段ああいうことをされないせいか不規則に心臓が跳ねた。

◇◆◇◆◇

 翌日。朝。まだ働いてない頭で学校に行く準備をする。

「...ん?」

 ネクタイを身につけようとした手が止まった。首に当てたネクタイを一度離す。

「......あー、やっぱ琉生のか」

 どうやら、昨日俺のネクタイと取り違えて帰ったらしい。先の方にクルリと跡が付いている。

(どうせ琉生も気づいてるよな)

 連絡を入れようとスマホを手に取ったがそのまま机に置き直した。

___

「おはよ」
「んー」
「...あれ、ネクタイ付けてないじゃん。今日そんな暑くないでしょ」

 早速ネクタイを手渡そうとした手が止まる。全く気づいていなかったらしい。

(...まぁ柄も一緒だし普通気づかねぇよな)

 琉生の目の前まで近づく。クルリと跡が付いているネクタイを琉生の胸元に押し当てた。

「お前昨日俺のネクタイ間違って持って帰ってたぞ」

 そのまま琉生の首に巻かれている俺のネクタイに手をかけ解いていく。

「はっ?ちょ...自分で出来るって」
「ついでに付けてやろっか?百円でいいぜ」
「うわ、金取んのこっす」

 じとっとした目線を浴びながらシュルシュルと解き終わり、自分に素早く身に付ける。

「うしっ...んじゃ行_」
「着けてくんないの?」

 歩き出そうと前に出た足が引っ込む。ズルリと肩から落ちたリュックを元のポジションに直す。

「...琉生くんってば手のかかる子だねぇ」
「ひひっ...だって秋哉やってくれるじゃん」

 着けさせる気満々な顔が近づいてくる。ん。と着けやすいように顎を上に向けてきた。

「...っはぁー、しゃーないから今回だけ特別でタダでやってや_」
「ッあ...?!」

 親指が耳を掠った瞬間、琉生から情けない声が聞こえてきた。ネクタイを巻こうと首に回した手が固まる。

(そういや耳ダメだっけか)

 いつだったか、前にもこんな感じの流れがあった気がする。琉生の顔を覗き込もうと屈むが、喉仏を晒していた首がギュインと物凄いスピードで下を向いた。

「......」
「琉生ー顔上げてくんねぇと巻けねぇんだけど」
「じ、自分で巻く...から、も...いい」

 耳を赤くし、へにょへにょと弱っていく琉生が珍しく、口角が上がる。

「いやいやこんくらい巻きますよっ!遠慮なさら...ず」

 耳を包み込むように琉生の頬に手を当て、そのままグイッと顔を上げる。

「...待っ!今やば...ぃ...」

 半開きになった口から生暖かい息が漏れている。眉が情けなく垂れている。抵抗しきれていない困惑したような瞳がユラリと漂う。

(う、わ)

 頬に当てていた自身の手のひらがぎこちなく琉生から離れる。「ごめん」と意味もなく口から零れた。

「...や、秋哉が謝ることないでしょ。おれが、その...」

 耳を隠すように手のひらで覆い口ごもった。琉生の目線が俺に向かないうちに咳払いをしてわざとらしく笑う。

「感度が良すぎて声出ちゃったってか」
「............はぁ?言い方キショ...」

 半開きだった口がキュッと閉じていき、見慣れた琉生の顔に戻る。肘で横腹をつつかれ、ぐえっと声が出た。中々に遠慮がない。
 未だに朱が差している頬を見つめながら短く息を吸い、肺の中で悶々と空気を巡らす。

(......?)

 ネクタイを整えるフリをして心臓付近に手を当てた。

(なんでこんな...)

 いつもより鼓動が早い。肺を循環した空気を音を立てないようゆっくりと吐き出した。雨上がりの空気にじっとりと溶け込んでいく。

___

「あ、楠木と北丹!今週から委員会当番だから。よろしくな」

 帰りのホームルームが終わった瞬間、出席簿で指を差される。どうやら今週は俺らが当番らしい。
 適当に返事を返し、リュックに荷物を詰める。

「飼育委員って何やんの?」

 ガタガタと帰る準備をする騒音の中、琉生の机に腰掛ける。

「あの子の世話」

 白い指が教室の後ろを指差す。目で追うと水が少し入った水槽があり、カメがのそのそと動いていた。

「あー、あのカメか。...名前なんだっけ」
「カメ吉...だったと思う」
「えぇ?あまりにも安直すぎないか?」
「ひひっ...確かに。まぁでも覚えやすくて良いじゃん」
「それもそうだな。お前人の名前覚えられねぇし」
「...別に覚えられるけど」
「んじゃクラスの人の名前全員言えるんですかー?」
「そ、れは......無理じゃん...」

 ここまでは出てるし。と喉あたりで手をワチャワチャしている。

 適当に雑談をしていると、いつの間にか教室内に俺らの声だけが響いていた。

「ん、そろそろやるかー」
「...」

 伸びをしながらカメ吉の水槽へと足を運ぶ。だが、後ろから聞こえるはずの琉生の足音が一向に聞こえない。

「琉生?」

 振り返ったと同時に、ずいっと琉生が視界に入り込んだ。

「っは?」

 思わず体勢が崩れ、ガタッと机と床が擦れる音が鼓膜を刺激する。ひんやりとしたコンクリートの温度が伝わってきた。

「...っぶね」

 琉生も一緒にバランスを崩したらしく、俺が押し倒されているような体勢になっている。いつもの調子で「あぶねぇだろ」と突っ込もうと口角を上げた瞬間、息が詰まった。

(...は?なんで)

 俺の肩を支えに体勢を保っている琉生の手が少し震えていた。不規則に繰り返されている息が首筋を撫でる。

「...琉生?大丈夫か?」

 小さく震えている手に自分の手を重ねる。それが合図のように、まつ毛で隠れていた瞳がゆっくりと開かれパチリと目が合った。それがやけに熱っぽく、脳天から焦がれていく感覚に襲われる。
 しばらく見つめられ、思わず目を逸らした。

「秋哉」

 こっちを見ろと言わんばかりに俺の名前を何度も呼ばれる。その声はだんだんと近づき、乱暴にネクタイを引っ張られた。

「っ...なに_」
「まだ気づかない...?」

 今までに聞いた事のないくらいか細く、縋るような声。

(......気づく...?気づくって何に...)

 ポカンと瞬きを繰り返していると、俺を見つめていた瞳がぎこちなく彷徨い、密着していた身体が離れていく。
 無意識に琉生の袖を掴もうとした手が脱力して垂直に落ちた。

「おれ、秋哉のこと好きだから」
「.........はっ?」

 脳がぐらりと揺れる。
 想定の範囲外どころではない言葉が幼馴染の口から発せられた。
 無意識に瞳孔が開き、口から意味の無い感嘆詞しか発せない。
 彷徨いまくった焦点をなんとか琉生に当て直す。それに気づいた琉生は、ひひっ。と小悪魔的な笑みを浮かべた。

「じゃ」

 挙動不審な動きを繰り返す俺を他所に何事も無かったかのように帰ろうとする琉生の背中を我武者羅に追いかける。

「は...?は?ちょ!!待っ...ぇ???いやいやいや帰す訳なくないか?!」
「いや帰るけど。てか声デカイ」

 目の前でドアがバタンッ!と閉められ、伸ばした腕が力なく項垂れた。

「マジで...なに...」

 心臓が耳に付いていると錯覚するくらい、ドクドクと血管を揺らしている。

_「秋哉のこと好きだから」

 脳内に琉生の声がへばりついている。聞き慣れたはずの声と聞き馴染みが全くないセリフを反芻する度にクラっと視界が揺れた。

_「まだ気づかない...?」

 映画のフィルムを戻すように先程の光景が頭を駆け巡る。

(まだ...?)

 ガタッと掃除用具入れのロッカーにもたれ掛かる。「まだ」という言葉が脳内をじわりと熱くした。

「...じゃあずっとじゃん...ずっと俺のこと好きって..._」

ドアに手をかけ勢いよく開ける。もういるはずのない琉生の姿を意味もなく求めた。

(いや...もういる訳ねぇだろ...)

 琉生どころか他の生徒も既に帰宅しきっていた。静まり返った廊下に自分のため息が嫌に響く。
 足元をふらつかせながら印からズレた机や椅子を定位置へと戻す。

(やば...全然頭整理できねぇ...)

 頭の回転を引き換えに身体はいつもより俊敏に動く。いつの間にかカメ吉の水槽の前まで歩き、エサを手に取っていた。

(いや...なんで俺は真面目に受け入れてんだ?そもそも琉生のイタズラ_)

 エサをチマチマと水槽に入れていた手が止まる。エサが粉々になってしまうくらいに袋をギュッと掴んだ。

「な訳ねぇ顔だったろ」

 正直、あんな必死そうな琉生の顔は初めて見た。

 イタズラな顔で俺を真っ直ぐに見る視線。改めて脳裏にあの笑顔が映し出され、息が漏れる。

「好きってなんだよ...」

 ちゃぷ。と水槽から鳴る音が教室に響く。
 チラリとグラウンドを見れば、部活動をしている大人数の中に帰宅する琉生が目に入った。

◇◆◇◆◇

 次の日。家の前に琉生はいなかった。

(流石に気まづいってか)

 一つ息をつき、リュックの中に仕舞っていた有線イヤホンを取り出す。

(イヤホンつけながらとか...久々すぎる)

 毎日琉生と登校していたのでイヤホンをつける機会なんて家でしか無かった。オススメ欄に流れていた音楽を適当にタップする。

___

「おは〜!...あれ、今日琉生と一緒じゃねぇの?」
「ん。...おぉ。まぁいっつも一緒な訳でもねぇし」

 教室に入るや否や風雅たちの視線が一斉に集まる。リュックを肩から下ろしながら教室内をグルリと見回した。

(......いねぇな...)

 先に学校に着いているかと思ったが、まだ来ていないみたいだ。一人で席につき、ホームルームまでスマホをいじりやり過ごす。休憩が長いと思ったのは男子校に入学して初めてだった。

 やっとホームルームの時間になる。気だるげに先生が教卓に立ち、出席簿に目を通す。ぼーっとその光景を眺めていると、パチっと先生と目が合った。

「楠木は今日休みらしい。北丹、プリントとかなんか諸々頼むぞ」
「...ぇ、俺すか?」
「おう。お前ら家近いだろ。仲良いし」
「はぁ。分...かりました」

 曖昧な返答に先生は瞬きを繰り返したが、すぐに「じゃ、ホームルーム終わりまーす」といつも通りの声色で教室を出ていこうとする。

「ぁ、」

 俺は衝動的に席を立ち上がり、教室を出ていった先生の背を追う。

「...せんせ!」
「んー?おぉ北丹か。なんだ?」
「ぁー...っと、......琉生、なんか言ってました?」

 完全に質問を間違えた。と声を発した瞬間に自覚する。先生に聞くなら楠木って何で休んでるんですか。とかで良かっただろ。
 先生は目をぱちくりとしながら顎に手を当てる。

「...お前なら知ってると思ったんだが...。風邪引いたらしいぞ」
「風邪、ですか」
「あぁ。まぁ五月病とか聞くしな。疲れ溜まってたんじゃないのか?」
「そ...っすか」

 昨日の琉生を思い出す。確かに、昨日は挙動が不自然だった。話しかけても反応がいつもよりワンテンポ遅かった。そして、

(あれって俺と付き合いたいってこと...だよな...?)

 またもイタズラな顔が脳裏を横切り、先生の前で大胆にため息を漏らしてしまった。

「...おいおい。お前まで元気ないじゃないか」
「ぃゃ、元気ではあります......。どうせ先生に言ってもですよ」
「なんだその言い方はー。...ま、若いやつの考えてることなんて分かんねぇもんだな」

 職員室いるからいつでも来いよー。と手をヒラヒラさせながら去っていく。フラフラとする目線で先生が角を曲がるまで追ってしまっていた。

(ぁー...やば。まじで頭ん中にずっと琉生がいる...)

 大人しく教室内に戻り、一限目の準備をする。

「友達と恋人って...距離感変わんねぇけどな......」

 机に突っ伏し、誰にも聞こえないようボソッと呟く。
 放課後に遊びに行って。家行って。泊まりだって最近はしてないけど前は頻繁に俺の家に来ていた。
 明らかに友達同士ではしないことを考え続け、やっと思考が止まる。

(...え?つまり一緒に寝たいってことか?普通男二人で一緒に寝ねぇよな。...寝るってことは...そういうコトもご所望というこ_)

_キーンコーンカーンコーン♪

 だんだんヒートアップする思考を遮るようにチャイムが鳴り響いた。
 先生が教室に入ってくる音が耳に届き、突っ伏していた頭を上げる。

(んな訳ねぇか)

 今まで連ねてきた最悪なマジカルバナナを中断させ、集中しきれない脳で授業を受けた。

◇◆◇◆◇

 三日後の朝。ガラガラガラ...と派手に音を鳴らす家のドアを開ける。と同時に、

「.........は?」
「あ、おはよ」

 俺に告白しといて平然な顔をした幼馴染が突っ立っていた。思わずズカズカと近づく。

「ぇ?は?いやいやいや何普通に話してんの?は?怖なにお前」
「うわ。朝から元気だね」
「元気だねじゃなくてっ!いや元気だけれども!!」
「ひひっ...あ、ちなみにおれは風邪引いてた」
「いーや知ってるけども!!」
「知ってたんだ」

 キョトンとした顔に呆気を取られ、一度深呼吸する。

「先生から聞いたんだよ」
「...わざわざ?」
「お前何も連絡寄越さねぇし」
「秋哉からおれに聞けば良いじゃん」
「...それは」

 確かに。という言葉を飲み込む。口の開閉を繰り返す俺をまじまじと観察され、挙句の果てには可笑しそうに笑われた。

「秋哉が困ってんのレアだなぁ」
「俺だって困るだろ」

 いつもの調子を崩さないように会話のラリーを続ける。愉快に笑っていた琉生は、ネクタイをくるくると手で遊ばせ、一呼吸置き俺と視線を交わらせた。

「意識してくれた...?」

 心臓にズシリと質量が増す。前髪から覗く紫の瞳がゆらりと不安気に揺れている。

(いしき......意識...)

 呪文のように脳内で琉生の声が再生される。脳を甘い針で刺されていく感覚がする。

「...それって、俺のこと好きってやつ?」
「ぅん...」
「いつから」
「それ聞く...?」

 無言で返答を待てば、弱ったように笑った。

「秋哉に彼女さんができてから」
「...え?」
「引いた?」
「ゃ、引くとか別にねぇけど...」

 会話のラリーが途絶え、今までにないくらい重い空気が身体を纏う。何か話そうと息を吸った瞬間、鼻にかかった小さい声が鼓膜を揺らした。

「元はと言えば...秋哉が...」
「...俺...?」

 予想外の会話の切り出しに声が裏返ってしまった。

「秋哉がおれのこと好きだと思ってた...」
「ぇ?俺が...?」
「だって...っ!!...ッん"?!」

 琉生が声を張り上げた瞬間、慌てて口を塞いだ。

「待て待て待て。ここ通学路な?小学生も通るから...」

 通りかかった小学生に下手な愛想笑いを向け、琉生の方へと視線を戻す。
 眉が垂れ下がり、驚いたような表情をする琉生にしばらく見入ってしまった。瞳孔が行くあてもなく彷徨い、がっしりと塞いだせいか苦しそうに首を左右に振っている。

(...ぁ、やば)

 パッと手を離し、痰が絡まったような呼吸をする琉生の背中に手を当てる。

「っごめ。大丈夫か...?」
「だい、じょぶだから...。おれもごめん......」

 少し屈み、琉生の顔を無理やり見る。酸素が足りないせいか焦点が合っていない。

「俺ん家来い」

 琉生の手首を掴み、ゆっくりと抱き寄せる。小さく驚いた声を上げたが、すぐに大人しく項垂れた。

「...好きって言われた男によくこんなことするね」

 返答の代わりに立て付けの悪いドアをガラガラ...と開ける。レジ前に座っていたばーちゃんに不思議そうに見つめられた。

「ありゃ。琉生くんまでいるじゃないかい。今日学校だろう?」
「おばあちゃん、ごめ......お邪魔して良い...?」

 俺より先に口を開いた琉生は、誰とも目を合わせずに力なく笑う。ばーちゃんは静かに琉生の頭を撫で、机の下から[閉店]と書かれた木の板を取り出した。

「好きなだけ居れば良いさ」

 よっこらせ。と腰を上げたばーちゃんは「ゴミでも捨ててくるかな」と言い残して家を出ていった。

「...琉生」
「ん」
「二階上がるから。足元ちゃんと見ろよ」

 無意識に掴んでいた琉生の腕をそっと離す。階段が軋む音が鮮明に聞こえる。

 自室に着いた瞬間、琉生の方へと身体を向けた。

「俺が琉生のこと好きって思ってたんだよな?」
「そ...うだけど...」
「なんでそう思った」
「...へ?」

 戸惑っている様子が視界に入り、無意識に指先がピクリと動く。

(うわ...言い方他にあったろ...)

 どこから来たかも分からない焦燥感に駆られ、問い詰めるような言い草になってしまった。訂正しようと口を開きかける。だが、「秋哉が」と名前を呼ばれ喉が鳴る。

「...彼女さんと同じ扱いしてくるから...」

「なんなら...っ!彼女さんよりおれのこと優先してたし」

「おれといる方が楽しそうだったし...!!」

 一歩一歩俺に近づきながら拗ねるような口調で言い放たれた。そして、ネクタイをキュッ...と掴まれ視線がぶつかる。

「そんなん勘違いするに決まってんだろ...」

 念押しに「ばか」と少し肩を押される。畳み掛けるような琉生の本音と俺の事実が突き付けられた。

(確かに全部当てはまってる...)

 恋人と友達の境目が分からず同じ扱いをしていた。
 琉生のことを優先したのは先に約束してたからだが、普通は彼女を優先するらしい。
 そして、今まで出会ってきた人間の中で琉生といる時が一番楽しい。

「...じゃあ」

 身体の奥底に溜まっていた疑問が喉に絡まる。それを勢いよく吐き出した。

「恋人ってなにすんの。何が変わんの?友達と」

 琉生の表情が歪み、反論しようとする口に手を伸ばす。先程の光景が染み付いているのか、喉がカヒュッと音を立てた。

(俺こんな性格悪かったっけ...)

 何も言えなくなった琉生に対して追い打ちをかける。

「友達のままじゃダ__」
「ダメだったんだよ!!」

 苦しそうな我武者羅な声が重ねられた。鼻を啜る音が鼓膜を揺らし、我に返る。

「...ごめ。俺が喋りすぎた。琉生の言いたいこと教えて...?」

 首を傾ければ、俺の胸元にポスッ...と琉生の頭が乗っかる。

「......しんどかったんだよ...おれだって秋哉と居れたらいいって思ってたけどさぁ...っ」

 俺のセーターを掴んでいた手にギュッと力が入ったのが分かる。喉を絞められているかのような細い唸り声が聞こえた後、

「取られちゃうじゃん...」

 弱々しくゆっくりと顔を上げ、真っ直ぐ見つめられた。口がキュッ...と結ばれ、ぱくぱくと不定期に息が漏れている。

「友達の...っ友達のままだったら...いつか取られちゃう...」

 紫の瞳孔が縋るように揺らめく。恥ずかしさからなのか、目にキラリと湿り気が帯び、耳の頭が赤く染まっている。

(......かわい...)

 ストン_と、腑に落ちた音がした。
 今まで琉生に対してこんな感情を抱いたことはなかった。幼馴染で。普通の男友達で。ふざけ合って。可愛くて。
 心臓の位置が明確に分かるくらいに心拍数が上がっていく。息が短く漏れた。

「......おれが秋哉の一番が良い...」

 ドクン。心臓が一段と波打った。
 少し掠れた湿り気のある声。瞬きをしたら涙がこぼれそうな瞳。赤く染まった耳と頬。ギュっと俺のセーターを掴んでいる白い手。いつもより近い距離のせいか柑橘系の匂いが琉生の髪の毛からふわりと鼻腔を擽る。五感から琉生を浴びているような感覚。

(これ...やば......)

 味わったことの無い感情に目を逸らしてしまいたいが、一秒でも琉生を離したくないと思ってしまう。

「...琉生」
「...な、に...?」

 自分の声ではないような甘い声が零れた。
 ぎこちなく琉生の頬に手を添え、そのまま耳の後ろに指を滑らした。動揺したようにゴクン。と喉仏が上下したのが見える。

(ちゃんと男だ...)

 当たり前のことを考えながら、もう片方の手は琉生の後頭部を支えた。
 そのままグイっと引き寄せる。

「...んッ?!」

 上擦った声と共に、ちゅっ_と可愛らしい音が鳴った。後頭部に添えていた手を腰に回し、再び‪キスをする。

(...やっば...キスってこんな感じなんだ...。琉生困ってんな...その顔初めて見る...もっと_)

 スリ...と耳の後ろを指でなぞると、小さく喉が鳴った。
 大きく見開かれた瞳は徐々に細くなっていき、ツー...と涙が溢れた。
 それにお構いなく三度目のキスをしようと琉生の身体を引き寄せる。...が、

「待っ!...て...!!」

 息切れした声がそれを拒んだ。

(ぁれ...なんで、俺......)

 はぁはぁと息を整えている琉生に視線をやる。半開きになった唇から唾液が覗いている。

「......ご、めん」

 やっと出てきた言葉がそれだった。何に対しての謝罪なのか自分で分からない。
 自身の唇を親指で触れ、本当に琉生とキスをしたのだと自覚する。思考停止した俺の肩をガっと掴まれた。そしてユラユラと揺すられる。

「ごめんじゃなくて...!!な、な...んで...?」
「ぃや...俺も分かんね...」
「なんっ...なにそれ......意味わかんな......」

 可哀想なくらいに眉が情けなく下がっている琉生を見つめる。肩に乗せられた手を俺の手で覆う。指が分かりやすくビクリと震えた。その一挙手一投足に胸が高鳴る。


「...俺も琉生のこと好きだ」


 ずっと思っていたことが音として実態を持つ。瞬間、ぶわっと身体中が熱くなる感覚がした。耳の頭からじわじわと顔全体に熱が循環していく。
 顔を覆い隠したかったが、琉生から目が離せなかった。わなわなと震えていた口が不器用に弧を描き、安心したように熱い息を吐いた。

「ぅ...うれしぃ......うわ...頭おかしくなりそ......」
「っおい...今ヤバいって__」

 力が抜けたのか、琉生がふにゃりと俺の胸に倒れ込んでくる。大袈裟なくらいに高なっている心臓を隠そうと避けようとしたが遅かった。

「秋哉...、めっちゃ心臓鳴ってる...?」
「......だぁからヤバいって言ったんだけど...」
「...ふっ...ひひっ......一緒だぁ」

 手首を絡めるように掴まれ、そのまま琉生の心臓付近に誘導される。温もりと共にドクンドクンと血流まで分かるくらいに脈打っていた。

___

 今頃、一限目が始まっている頃だろう。この時間に、平日に、琉生と自室でいることに優越感を覚える。

「透花さんに言わなきゃ」
「は?なんで今透花さんなんだよ」
「...色々話聞いてくれてたから」
「ほーん...そうですか」

 肩に頭を乗っけていた琉生は素早くスマホを取り出し、嬉しそうにメッセージを打ち込んでいる。

(めぇっちゃ嬉しそうですやん...)

 自分が思っていたより心が狭いのか、そんなスマホより俺のことを見て欲しいと思ってしまう。

「俺がいるのに他の男の名前出すのかい」
「っひひ...秋哉って案外好きな子に嫉妬するタイプなんだ」

 「好きな子」と強調してにやにやと口角を上げている。未だ連絡画面を開いている琉生を横目に頬杖をついた。

「...そうらしいな」
「へっ?」
「元カノ相手には嫉妬とか無かったんだけど今気づいたわ」
「...待っ、待って待って...!ぇ、キャラ変やばぁ。秋哉そんなんだっけ」

 琉生の視線がスマホから俺へと移る。

「嫌いになった?」
「いやっ好...!好きだし...ふざけんなバカ」

 近くに転がっていたクッションを投げられ、顔面に命中した。わざとらしく痛がれば、可笑しそうにコロコロとした笑い声が木霊する。

「いやー...でも風雅たちに嫉妬してたとはなぁ〜?」

 薄い肩がギクリと跳ね、気まずそうに俯いた。

「嫌だった?勉強会」
「...っ嫌じゃない!楽しいし楓雅たちも好きだし!ただ...」
「ん?」

 まくし立てるような口調がだんだん減速して口ごもる。 

「思ったより仲良くなってて...勝手に焦っただけだから...」

(俺のせいで焦ってたんだ...)

 プスっと血管に直接幸せホルモンが打たれたように口角が上がる。

「んー...じゃあ今度は俺が焦るかもな」
「...え?」
「だって琉生くんのことが好きになったので〜」
「...はっ。セリフくさすぎ」

 恥っず。と顔をクッションに埋めている。普段は髪で隠れている白い首が晒け出た。

(...ん、そこホクロあったんだ)

 ポコッと骨が出ている付近。無意識に手が伸び、触れる。

「っわ"」

 色気もクソもない声が出て来て思わず吹き出してしまった。

「っはは!んな声初めて聞いたんだけど...っ」
「急に触んなよばか!そこダメだって前言ったじゃん!!」
「言ってたっけか〜?......つかお前全部ダメじゃねぇか。首も。耳も。こちょこちょも弱いし」

 言いながら、順番に触っていく。最初はでかい声で抵抗してきたが、徐々に跳ねるような息遣いになっていった。
 挙句の果てには口をパクパクと開閉するだけになってしまった。

(...流石にやりすぎたか)

 大人しくなっていく琉生が面白く、つい調子に乗ってしまう。琉生の肩をポンポンと叩きながら名前を呼ぶ。

「おいー?琉生ー?生きてるかーい」

 床に横たわった身体をコロリと回転する。ちょうど顔が見えるポジションになった瞬間、汗がじわりと滲んだ。

「は...っ?!な、お前泣いて...いやマジでごめ_」

 手で顔を覆い隠し、ズビッという鼻を啜る音だけが空気を揺らす。

(ほんとにダメとは思わな......いや言い訳すぎるな。うわどうしよ...)

 内心焦りまくっていると、顔を覆っていた手が畳へパタリと項垂れた。瞬間、ふにゃりとした笑顔が視界に入る。

「ゃば...好きな人に触られんのめっちゃ嬉しい...っ」

 心臓が大きく跳ねた。
 琉生の手が宙を舞い、俺の頬にピタリと添う。

「もう...好きな人って言って良いんだ...」

 心底嬉しそうに目を細めた。スリ。と頬を撫でられる。熱い息が口の隙間から漏れ、緩みきった笑い声が耳を撫でる。

「...はぁ」
「何のため息?」
「いや、もっと早く気づきたかったなー...って」
「何に?」

 頬を覆っている手に自分の手を重ねる。そして、琉生の背中に手を回して身体を起き上がらせた。

「幼馴染がこんなに可愛いって」
「......おれって可愛いの...?」
「...え?は?お前無自覚かい、今までのあざと行動達は」
「えぇ...何それ...」
「マジじゃん。天然物のあざとじゃん」

 正面に向き合い、琉生の肩にポンッと手を乗せる。

「いいか?よく聞け?琉生は、行動が、可愛いですっ」 

 顔も可愛いけど!と言い足す。当の本人はと言うと、視線を漂わせ、コテンと首を傾けた。それだよそれ。

「...狙ってやってたのもあるんだけど...それじゃないの」
「は?、!なに、どれ?!」

 ここに来て初耳だ。狙ってやった...?狙って???
 今までにないくらい頭を回転させ、記憶を辿る。

(くっそ...そん時好きだとか考えたこと無かったせいで何ッも思い出せねぇ...!)

 過去の自分を恨み、勿体ないと心底思う。俺の汚い唸り声を浄化するように琉生の声が聞こえた。

「ゃ、秋哉おれのこと好きだと思ってたからさ...中学の終わりとか...色々距離詰めてたんだけど...」
「はぁー?待ってガチで思い出したい。つかそれもっかいやってくんね?」
「絶対嫌だし!あんな恥ッずいの一生やんないから!!」

 全力で拒否された。何をされたんだ俺は...。
 項垂れ、ため息が口から漏れ出る。それを不服に思ったのか、弱々しいデコピンをお見舞された。目線だけ琉生の方へ向ける。

「...もうやる必要もないでしょ」
「えー...やってくんねぇの?」
「やだよ...もうあんな試すようなことしたくないし」
「じゃあシンプルに可愛いことしてよ」
「はぁ?なんで」
「俺が嬉しいから」
「秋哉ぶりっ子好きじゃないじゃん」
「琉生がやるから嬉しいんだけど」

 紫の瞳が見開かれ、クシャッと恥ずかしそうに笑われた。

「へっ...ひひっ...秋哉って根っからの人たらしだよねぇ」
「...それはお互い様じゃないかい?」

「......だからおれのこと好きになったの?」

 パチッと目が合い、反射的に首ごと目を逸らしてしまう。

(え、やば。今実行してる??早速狙ってらっしゃる?)

 破壊力の高い小悪魔フェイスを浴びて思った以上に動揺してしまった。

「ねぇ今狙ったんだけどさ...どう?嬉し?」

 そりゃあもう!!!と口に出す代わりに顔を見せないままグッドポーズをプルプルと繰り出す。
 琉生を視界に入れない画角を保っていたが、ひょこっと四つん這いで視界に入ってきた。瞬間、肩をガッと掴まれる。

「...え?え!秋哉顔あっかぁ...待っ!見して見して!」

 面白そうに這い寄ってくる琉生の目を咄嗟に塞ぐ。

「言っとくがお前の方が何倍も恥ずいセリフだからな!」
「はー?それを要望したのは秋哉じゃん!俺の意思じゃないし!!」
「あーあーうるさいですぅ。勝手に披露したのは琉生ですぅ」
「じゃあもう一生しないから。今後おれから誘うことは無いだろうな!」

 ふいに沈黙が訪れ、目を塞いでいた手を離す。ぐえっと言う声を上げて琉生が胸元に倒れ込んできた。

「っ急に離すなよ」
「なぁ誘うってなに」

 ゆっくりと体勢を整える琉生に問いかける。パチクリと瞼を瞬かせ、ゆらりと視線が漂う。

「そりゃ......恋人っぽいことでしょ...」
「...ほ〜ん?」

 投げやりに言う琉生が面白く、ニヤニヤとした語気になる。

「じゃあ俺からしよっかな」
「ぇ、してくれんの?」
「まぁ...するだろ」

 そんな予想外だったのか、口が半開きになっている。ふいと目線を逸らされ、それに釣られて窓の外へ視線を移した。

「あれ」

 家の前。人影が見えて窓際に近寄る。身を乗り出すと、透花さんが家の前で忙しなくウロウロしていた。。

「透花さん来てんだけど...さっきの連絡で何か言ってたか?」
「ぇ...?......ちょっと待って」

 床に転がっていたスマホを拾い上げ、トーク画面を開いている。

「それ俺も見ていいやつ?」
「うん」

 スマホ画面を明るくして差し出してくれた。
 そこには、勢いで送ったせいで誤字りまくりの琉生のメッセージとギャル並みにおめでとうスタンプを連投している透花さんの履歴があった。
 トークの最後に「そっち行っても良い?」と表示されている。

「もう来てんじゃねぇか」
「我慢できなかったんかな」

 二人して窓から身を乗り出し透花さんを視界に入れる。

「あー...そういや今日学校行くか?」
「...んー、一応?」
「んじゃリュックも持って降りるか」
「うん」

 腰を上げ、階段を降りる。俺たちを目視した透花さんは目を大きく開け、手をブンブンと振った。

 ガラガラガラ...と相変わらず悲鳴をあげるドアを開けた瞬間、ガバっ!と俺と琉生を包み込むように抱きしめられた。数秒間そのままの体勢で、しばらくすると柔らかい笑い声が聞こえた。

「......ふふ、凄い嬉しいねぇ...」

 ふわりとした口調が優しく耳を撫でた。ゆっくり身体が離れる。

「よく頑張ったね」

 透花さんの手が琉生に伸び、頭を撫でた。琉生は心地良さそうに目を細める。

(ずいぶんと嬉しそうな顔で...)

 なんとも言えない感情が流れ込み、口を結んでしまう。パチッと紫の瞳と目が合った瞬間、ひひっ。と揶揄うような笑い声が聞こえた。

「とーかさん、秋哉のやつ嫉妬深いんで気をつけた方が良いですよ」
「は?!いやんな事ねぇし...」

 だんだん小声になっていき、嫉妬深くて面倒臭いヤツだと嫌でも自覚する。
 
「じゃあもう琉生くんのこと撫でれないのか〜」

 名残惜しそうに琉生の頭から手が遠のく。反面、やけに嬉しそうに...いや、揶揄う口調だった。

(コイツら...)

 俺も俺で吹っ切れたのか、投げやりに琉生の身体を自分の方に引き寄せていた。完全に無意識だったせいで何か言うでもなくギュッと手に力を入れるしかできない。

「...ね、力強いって。ちょっと揶揄っただけじゃん、怖いって」

 気まずくならないようにだろう。琉生が笑いながら見上げてくる。
 抱き寄せていた手をパッと離す。

「いやマジでごめん。思ったより俺キモイかも...」
「ひひっ...そんなん昔から知ってるし」
「はっ?いやいやいやそこは否定するとこだろ。何受け入れてんだバカ」
「キモイ秋哉も好きだけどな〜」

 イタズラに笑われ、長いため息を吐く。

(俺この顔にめっちゃ弱いじゃん...)

 今更自覚した。あの顔をされると途端に言葉が詰まってしまう。
 誤魔化すように琉生の背中をバシッと叩き、「学校」とだけ言い放つ。

「もう遅刻確定だしゆっくり行こーよ」

 腕を引かれ、一歩踏み出す。

「透花さん、また映画見ましょうね」
「ふふっ...でも、嫉妬されちゃうよ?」
「それはホラー見れない秋哉が悪いです」

 その通りすぎて何も言えない。そのまま腕を引かれ、透花さんの横を通り過ぎようとした時、

「ありがと」

 と、俺にしか聞こえないよう囁かれた。

___

「...やばい」

 数日後。
 カメ吉にポトポトとエサを与えていた琉生が魂を抜かれたような声色で呟いた。

「なにが」
「何がって......テストに決まってんだろぉ...!」

 秋哉は頭が良くて良いな!!と指を指される。

「でも教えたじゃん」
「おれがあれだけじゃ足りないって知ってるでしょ...」
「まぁそうだな」

 肯定したら下手な舌打ちが飛んできた。しばらく睨まれ、ため息を吐き始める。

「初っ端から追試ってやばいかなぁ...」
「ふっ...もう赤点取る気じゃん」
「英語はホントに無理だから...」

 カメ吉がエサを食べる様子を眺めながら途方に暮れている。

(確かにどんくらいの難易度かも分かんねぇしな...)

 とうとう唸り声しか発しなくなった琉生に近寄る。のそりとカメ吉と琉生の視線が同時に俺に向いた。

「やるか?勉強会」

___

 飼育委員の仕事が終わり、放課後の教室に居座る。

「覚えりゃいいとこに線引くから」

 ちょっと待て。と言う代わりにイヤホンを差し出す。

「これオススメの曲」
「じゃあおれも好きじゃん」

 昔から音楽の趣味はすごく合う。嬉しそうにイヤホンを耳に付ける。

(...楽しそうだな)

 ユラユラと身体を揺らしながらリズムをとっている琉生を横目に見る。
 一息つき、ペンを握り直す。先生が出しそうな問題に丸を付けたりマーカーを引いたりしているうちに十五分程かかっていた。

「うしっ...」

 息を細く吐き、琉生に視線を向ける。

「...琉生?」

 スマホを両手で持ち、瞳孔がユラユラと揺れている。その上、耳の頭がほんのり赤く染まっていた。顔を覗き込むと、息遣いがいつもより早い。

「琉生」

 名前を呼ぶと同時にイヤホンを耳から外した。

「...っ!」

 カヒュッと喉を鳴り、瞳孔が勢いよく俺を捉えた。

「大丈夫か?体調悪い?」
「...ゃ、全然元気...」
「どこがだよ」
「まじで...ホントに大丈夫だから」

 明らかに元気ではない声色だ。よそよそしく言葉を続ける琉生からスマホを受け取ろうとした。が、

「待っ...!」

 何故か俺からスマホを取り返そうとした白い手が宙を切った。違和感しかない琉生の行動に戸惑う。
 なんとなくスマホ画面を消そうとした手が止まった。

ASMR。

 再生されていた動画タイトルの見出しを目で一文字一文字追う。

「...その...勝手に再生されて......びっくりしたって言うか...」

 琉生を見ると、耳をぎこちなく触っていた。どうやら、俺が勉強中に聞く再生リストを聞かせていたらしい。一個目の動画は音楽。その次に再生された動画がASMRだった。

「...めっちゃ耳ぞわぞわする...」

 ASMRと言っても、石鹸を切ったりスライムを触ったりする動画だ。

「こういうの集中できない?俺結構集中力上がるんだけど」
「むり...あーもうマジで耳強くなりたい...」
「ふはっ...何それ」

 未だヘナヘナと項垂れている琉生の頬へと手を伸ばす。ビクリと肩を跳ねる様子が何だか可哀想だ。

「ね...今触んのやめろって...」
「んー?なんで」
「変なんだって...」

 切羽詰まった声が余計にいじめたくなってしまう。カーテンを括っていた紐を解く。ふわりと風に乗ったカーテンの端を掴み、外から見えないよう俺たちを隠した。

(俺こんな性格終わってたっけな〜...)

 グイッと琉生の顔を上げ、引き寄せる。
 唇を合わせるだけのキスを落とした。ギュッと目を瞑った琉生で視界が覆われる。ふわりとした柔らかい髪の毛が肌を擽る。

(やっぱ好きだな)

 五感から琉生を感じる。そっと身体を離し、頭を撫でる。シワができるまで目を瞑っていた琉生はゆっくりと目を開けた。少し声を漏らし、心地良さそうに目を細める。
 その動作一つ一つに釘付けになり、瞬きを忘れてしまう。

「...見すぎ」

 片手で腕をズラされ、パチッと目が合う。瞬きをする度に目頭に溜まった涙が押し出され、まつ毛をキラリと濡らした。

「そりゃ見るでしょうよ」
「あと...急すぎだから」

 弱々しく肩を殴られる。

「ダメだった?」
「...別に許可とかいらないし」
「じゃあ今後とも勝手にしまーす」

 ふざけた口調にすると琉生の表情も柔らかくなる。ペンをくるりと回し、教科書を琉生の方へと向ける。

「テストさ、琉生が良い点とったら俺が何でも言う事聞くってのはどう?」

 突拍子もない提案に困惑した声が小さく漏れている。

「なんでも...?」
「その方がやる気出るくないかい」
「んー...そりゃそうだけど」

 教科書を眺め、ブランコのようにフラフラとしていた琉生の足が俺の足をつつく。

「秋哉は、何も無くて良いの?」
「え?」

 思えば、こういうのは両方にメリットがあってこそだよな...。と固まってしまった。

「おれも何でもするけど...」

 純粋無垢な瞳に見つめられ、喉から空気を飲み込む音が響いた。

「はぁ...琉生くん、そういうこと他人に言っちゃダメだぞー」
「今初めて言ったよ?」

(あー...無自覚こわ...)

「おれが言うこと聞いて貰えるんだったら秋哉のも聞くでしょ普通」
「はー...そうですか。...んじゃあ平均点より上取ったらとか?」

 言っている途中に不服そうな顔をされた。首を傾け言いたいことを促す。

「秋哉いっつも平均よりかは上じゃん。おれの条件と見合ってない」
「じゃあなんだったら良いんだよ」
「んー......何かの教科で学年一位?とか」

 人差し指を上へ向け、一位と言い放つ。簡単に言うが、学年一位なんてそう簡単に取れる訳ない。

「ま、琉生の赤点回避の確率といい勝負か」
「......え、今おれ悪口言われてる?」
「はいはい、その条件でおっけーだから。ペン持とうな〜」
「ちょ、ぇ、絶対貶されたじゃん」

 無理やりシャーペンを持たせ、問題集を広げる。
 その日は門が閉まるギリギリまで教室に残り、鍵を閉めに来た先生に驚かれた。この高校で自主勉する生徒がいたなんて。と一言一句発していた。

◇◆◇◆◇

 テスト実施から三日後。
 採点が終わったらしく、次々とテストが返される。

(んー...やっぱ一位は無理だな)

 上位には入るものの、一位には届いていない。テスト用紙をまとめていると、後ろから袖を引っ張られる。

「秋哉...!見てこれ」
「ん?」

 身体ごと後ろを向き、点数が書かれた部分を見る。

「ぅえ?!琉生お前すげぇじゃん!」
「な!こんな点初めてなんだけど」

 50。の赤文字を二人して指差す。琉生の経歴から見て英語で半分取るのは今世紀初だ。いつも30取れるかどうかだったのに。

「文法覚えたのか?」
「んーや、問題集暗記した」

 ラッキ〜。と自慢げにテスト用紙をヒラヒラとしている。

「そういや秋哉は?」
「俺はダメだったな。一位は流石にだったわ」
「んー...?ぃやいやいや順位全部一桁台じゃん...やばぁ...」

 物珍しそうに俺のテスト用紙を手に取り、「右脳か左脳どっちか交換してほしー...」と独特な羨まし方をされた。

 ザワザワとした教室内は静まることはなく、先生も注意するのを諦めている。
 少し離れた席から風雅たちに名前を呼ばれた。

「これ見て!わし英語と数学、赤点だった!」

 誰よりも元気に発表され、釣られて笑ってしまう。

「それ誇ることじゃねぇぞ」
「おれ赤点なかったよ」
「うっそ、琉生は仲間だと思ってたのに!」

 琉生は煽るようにピースをする。残念そうな顔をする風雅は、赤点仲間を引き続き探していた。

___

「で、何でも言うこと聞くってやつ決まったか?」
「...一応」

 やけに歯切れ悪く返答された。俺が言うこと聞く側なんだけど。
 目の前の信号が赤になる。足音も無くなり、静寂が訪れた。

「デート、したい」

 トンっ...と肩に身体を預けられ、小さく呟かれた。

「でー、と?」
「ぅん。そういうのまだじゃん?...付き合ってから」

 ごにょごにょと一所懸命喋ってくれる琉生が可愛くてつい笑ってしまう。

「っちょ、笑うことないじゃん...!」
「や、違う違う...っふは!めっちゃ恥ずそうに言うから」
「そりゃ...!......そりゃあ恥ずいでしょ...男同士だしそんなん変って思われるかもしんないじゃん...」

 そんなこと気にしてたのか。と不安げに揺れている瞳孔を見つめる。

「んなこと思うわけねぇだろ」
「じゃあデートしてくれんの...?」
「あぁ。何でもするっていう約束だからな」
「......嫌じゃないの」

 自信なさげに聞いてくる琉生に心臓あたりがザワつく。

(俺そんな琉生のこと好きじゃないって思われてんの...?)

 信号が青になり、肩から伝っていた体温が離れていく。

「...なぁ、俺琉生のこと好きだから」
「っは?!何急に」
「いや、なんか...琉生だけが俺のこと好きだと思い込んでてそうで。癪に触った」

 自信なさげな瞳孔が揺れ、やっと目が合う。

「だって告ったのだっておれからだし...秋哉って告られたら誰でも付き合いそうだし」

 文末になるにつれてムスッとした言い草になっていく。思ったより心外な事を言われてしまった。

「おいおい俺が好きでもねぇヤツも付き合うと思..._」
「付き合ってたじゃん」

 元カノとの数少ない思い出たちが脳裏を過ぎり、細く息を呑んだ。

「あれ、は......ぃや、はい...付き合ってましたすみません」
「ひひっ...潔すぎ」

 可笑しそうに笑う琉生に目を奪われる。パチリと一回瞬きをして目を逸らす。

「つか最近気づいたんだけど...俺、多分ずっと琉生のこと好きだった説あって、」
「...な、にそれ。なん...はぁ?」

 急な話題の転換に脳が追いついていないのか、コロコロと表情が変わる。

「んやー...元カノさ、顔が可愛かったから付き合ってたんだけど...ほら、風雅たちに写真見せたことあったろ?」
「...うん」
「そん時、琉生と顔が似てるって言われて「あー確かに」って思った訳だよ」

 写真フォルダに居座っていた元カノの写真を削除したてホヤホヤのスマホをクルクルと回す。

「それって、元々琉生の顔が好きってことじゃね?って」
「......なんか...絶妙に嬉しくないんだけど」
「...要は、俺の方が片思い歴長いんじゃない?って話ね」

 バッと琉生の目線が身体ごと俺を見た。

「人生で出会ってきた人の中で、琉生が一番好きなんだけど」
「...いちばん...?」
「ん。気ぃ会うし、楽しそうに笑うし、ちょっと世話焼けるとことか...」

 言っていくうちにどんどん言語化してこなかった部分が顕になっていく。こんなに好きな部分が多いと思っていなかった。

「多分、琉生が女子だったら俺から告ってる」
「...女子、の方が良かった...?」

 聞いた事のないくらい苦しそうな声が聞こえ、慌てて手を振って訂正する。

「違うって!...あー、言い方悪かったな...」

 少し考え、言葉として紡ぐ。

「俺の思考に男と付き合うっていう考えがなかっただけで...一人の人間として、琉生のことが好きっていうか...」

 一呼吸おき、未だ不安げな琉生の手を握る。

「琉生とはずっと一緒に居たいって、前から思ってる」

 瞼が上がり、太陽光が瞳を反射して輝く。

「それ、ほんと...?」
「言うつもり無かったんだけど......ほんとだから」

 本音を言うのは苦手だと改めて思う。顔が無意識に熱くなっていた。

「ふっ...ひひ...秋哉ぁ、おれ今めっちゃ嬉しいわ」

 ふにゃっと気の抜けた笑顔を向けられる。俺とは違って素直に言ってくれるのも好きだ。

「琉生、デートいつにする」
「じゃあ...今週の土曜日は?」
「おっけ。...つか、琉生のことだし明日とか言うと思ったわ」

 足音がワンテンポずれ、言葉を詰まらせた。振り返ると、耳まで赤くした琉生が不安気にネクタイをくるくると指に絡めた。

「一日中、一緒にいれる...から」

 気づいた時には身体が動き、抱きしめていた。耳元で困惑した声が鼓膜を揺らす。高なった心臓を落ち着かせるため、一度息を吐きゆっくりと身体を離す。

「絶対、土曜が良い。一日中デートしよ」

 紫の瞳が大きく見開かれ、嬉しそうに細められた。

「あとさ...その日、家に親いないから家来てよ」
「えっ」

 あまりの誘い文句にキモイ速度で言葉が漏れてしまった。

「いっつも秋哉の家行かせてもらってるじゃん?だから来て欲しいって思ったんだけど...」
「いや、お前言い方なんとかしろって...俺ら付き合ってんだぞ」

 じと...っと琉生に目線を向ける。やっと意味が分かったのか、面白いくらいに口をパクパクとさせた。

「は、ぁ?!おれそんな意味で言ってないし!!」
「いやいや琉生くん、今のは君が悪いです。俺は純粋な高校生の反応をしたまでです」
「......ぅざ」
「まぁキス程度で顔を赤くしちゃう琉生くんにはちょっとばかし意地悪だったかなっつって!」
「別に!キス以上だってできますけど...!!」
「え?ほんとかい?」

 変な意地を見せてきた琉生の顔を覗き込む。揶揄うように笑えば、いつも通り何処かしら殴られ_

「っ...?」

 途端、ネクタイを引っ張られた。体勢を崩して琉生の方へと倒れ込む。近くの電柱に手を付き、なんとかバランスを保った。

(キス...されてる)

 目を開ければ、呼吸がままならない琉生が至近距離にいた。いつもより長い。
 呼吸の仕方がまだ掴めていないのか、不規則に喉が鳴っている。ギュッと掴まれていたネクタイは、とうに自由になっていた。
 薄らと琉生が目を開ける。そして、目が合った。最中に目が合うのは初めてかもしれない。瞬間、涙の膜が張った瞳が大きく見開かれた。右肩をドンッと押され、一歩後ずさる。

「っずっと...目ぇ、開けてた...?」

 息切れしながら有り得ない。と言いたげな顔で見つめられる。

「そりゃ開けるでしょうよ」
「普通開けるもん...?」
「俺が見たいから開けてるだけ」

 言葉に詰まった琉生は口をキュッと結んだ。どっちのかも分からない唾液を口に付着させている。

「秋哉の度肝抜かそうと思ったのに...最悪...」
「琉生にはまだ早かったかなー」 
「...肺活量鍛えとくから」
「......キスの善し悪しって肺活量の問題かい...?」

 やがて自宅に着き、琉生と別れる。

「んじゃ、また明日な」
「ん。また」

◇◆◇◆◇

 デート当日。
 枕元に置いてある三つの目覚まし時計が鳴り響く。手が宙を泳ぎ、やっと音が止まった。

「でーと...」

 一つ呟き、転がるようにベッドから這い出る。スマホの電源を入れると、秋哉から連絡が入っていた。[起きてるか?]というメッセージが目に入る。

「ばっちり...っと」

 おっけースタンプを送り、壁にもたれかかる。自室から見える秋哉の家を見つめる。

「やば...デートじゃん...」

 心臓が痛いほど高鳴る。まさか恋人になれると思っていなかった。なんなら拒絶される勢いで告ったのに。

(ちゃんと意識してくれたんだ...)

 好きだと告げた日のことを時々思い返す。あの時が人生の中で一番頑張ったかもしれない。 

 着々と準備を進め家を出る。今日は両親が海外旅行で家を空けているので自宅が広く感じた。

「秋哉が家来るの久しぶりだな...」

___

「おはよ」
「はよ」

 いつも通りの、学校行く日の日常の挨拶にも胸が高なってしまう。

(デートって言っても...好きに遊ぼうぜとしか決まってないしな...)

 なんとなく駅の方向へと足を運ばせる。

「琉生」

 急に名前を呼ばれ、大袈裟に体が反応してしまった。

「お前緊張してるだろ。足取りぎこちなさすぎ...っ」
「...別に緊張とかしてないし。そんな乙女じゃないですけど」
「えー?俺はしてるけどな」
「へ、?してんの?」
「そりゃ。初デートですから...?」

 サラッと意外すぎることを言われた。確かに、今日一度も目が合わない。秋哉は本音を言う時はだいたい目を合わせてくれない。珍しい光景に口元が緩む。

「ひひっ...秋哉って緊張とかするんだ」
「お前...俺をなんだと思ってんだよ」

 呆れたような目線を投げられる。ここで初めて目が合い、いちいち心臓が高なった。

「あ、それと」

 急に耳元まで近づいてきて小声で囁かれる。息がかかるだけで声が出そうになるのを我慢して息を止めた。

「このデート中、一回はキスするから」

 息を止めていたせいか思考力が停止した頭と、秋哉の声で耳の細胞が揺らされ、変な声が漏れた。

「な"っ?!はぁ?!なに...言って...」
「いやだから_」

 視界の端に通行人が目に入り、慌てて秋哉の口を塞ごうとする。

「ふはっ...聞こえてたんだ」
「......そんな難聴じゃないし」

 揶揄うような口調に舌打ちをして、未だぞわぞわする耳を手のひらで覆う。

___

 
 午後六時。
 最初に学校付近のずっと気になっていたゲーセンに行き、猫カフェで癒され、喫茶店でのんびり駄弁り...。今。自宅の門の前だ。

(え?何もしてこなくない?この人。あんなキスしますみたいな雰囲気何度かあったのに?)

 チラチラと横目で秋哉を見れば、何も考えていないような顔で「なに?」と首をかしげられた。

「ゃ、何でもない」

 ぱっと目を逸らしガチャっと門を開ける。

「うわ、やっぱ門と玄関の距離遠いって」
「ふっ...それはおれも思う」
「体力カスな琉生くんにとってこれはしんどいだろうよ」
「どんだけ体力ないと思ってんの...」

 玄関にたどり着き、ガチャっと無駄に重厚感のある音を立てて扉が開く。

「どうぞ〜」
「お邪魔しまーす」

 先に秋哉を家に招き、一応鍵を閉める。振り返った途端、肩と背中に衝撃が走った。

「っわ"...なに_」
「琉生」

 熱い息が耳にかかり、我慢しきれなかった声が漏れた。

(ゃば...聞かれた...)

 咄嗟に口元を抑えようとした手を強引に掴まれ、壁に押さえつけられた。ズルッとそのままおれの頭上に持っていかれ、身動きが取れなくなる。

「待っ、秋哉...!」

 ズイッと距離を詰めてきた秋哉に反射でストップをかけてしまった。
 電気をつけていない薄暗い玄関で顔がはっきり見えない。真っ直ぐに見つめられる視線を避けるように首を横に向ける。

「ぃ、今ぁ...?」
「ふはっ...今日ずっと意識してたよな」
「ッそれはそうじゃん...!てか家でするとは思ってなかったし!キスする距離感だった時いくらでもあったじゃん!」

 普段家に無い匂いが鼻腔を擽り、頭がふわふわする。だんだんと思考回路が機能しなくなり、目頭が熱くなってくる。鼓動が身体中に響き、血管が揺らされる。

「今、キスできる距離感じゃね?」

 自分の家のはずなのに秋哉の匂いしかしない。おれの少し色素の薄い髪の毛とツヤ感のある黒い髪が混ざり合う。

「...だめ?」

 視界がどんどん秋哉で埋まっていく。強引に掴まれているはずの手首がぴくぴくと震える。喉から出た熱い息を短く吐き出し、ユラユラと彷徨っていた瞳孔をパチッと秋哉に合わせた。

「許可いらない、って言ったじゃん」
「ふっ...男前だ」

 笑った鼻息が肌を撫で、反射的にギュッと目を瞑る。
 ふわっと秋哉の匂いに包まれ、静かな玄関にリップ音が響いた。
 それが合図のように、以前秋哉に言われたことがふと脳裏を過ぎる。

_「俺が見たいから開けてるだけ」

(ぁ、おれも秋哉のこと見たい...)

 必死に鼻で息をして薄らと目を開ける。いつも通り、秋哉は目を開けていた。
 少し茶色がかった瞳が一瞬見開かれ、嬉しそうに細めた。瞬間、足の力が抜け、もたれかかっていた壁からズルっ...と崩れ落ちてしまった。

「っは、ぁ"...待っ...力入んなくなっ...」

 少し震えている自身の足を両手で押さえつける。知らない感覚が身体中を蝕み、視界がグラグラと揺れている。

「琉生...!ごめ、やりすぎ_」
「やりすぎてないから...!おれがビビっただけ...」

 被せるように口を開き、秋哉を見るために顔を上げる。キスのせいか、少し濡れている唇に背徳感を覚える。

「...ひひっ...相変わらず心配性だなぁ...」

 可笑しそうに笑うと、安心したようにいつもの顔になる。

「そりゃ...急に尻もち着いて息切れして...ってなったら誰でも心配するって」
「それはさぁ...おれの体力の無さを鑑みてよ」

 息を整える度に肩が上下に動く。時々咳払いをするとまた心配したように手が伸びてくる。
 数分か経った頃、秋哉の手が目の前に差し伸びてきた。

「...ん。ごめ、も大丈夫...ありがと」
「ぃや、そうじゃなくて...その...そろそろ体勢的にやばいと言いますか視界的に目に毒と言いますか...」
「...何、急に」

 秋哉が早口になって瞳孔をうろつかせている。ふと見上げると、秋哉の服の中が見えることに気がついた。健康そうに引き締まった腹筋がチラリと覗く。

(目に毒はこっちのセリフでしょ...)

 無言で目を逸らし、差し出された手を掴む。おれの身体を軽々と引き上げ、肩に腕が回った。

「ふっ...ねぇおれそんな貧弱じゃないって」
「誰が貧弱じゃないだ。さっきまでへばってた人はどこのどいつですかー」
「それはっ......どこのどいつだよホント」
「いやお前お前」
「っ...ツッコミはやぁ」

 肩に回された腕に手を添え、離れるな。と無言で訴える。

「おれの部屋の場所覚えてる?」
「そりゃもちろん」

___

「いやー!久々すぎるマジで」

 早速二人してベッドに座りくつろぐ。ふと秋哉の動きが止まり、ベッドの頭付近を指差した。

「待ってお前目覚まし時計三台置き?」
「そ。高校入ってから」
「じゃあめっちゃうるさいじゃん」
「流石に起きれるようになったんだよね」

 自慢げに言うと、ゆっくりと振り向き、ニヤニヤした声色で問われる。

「もしかしてさぁ...俺と一緒に行きたいがために起きるようにしたとか?」
「...ぇ?」

 その通りすぎて喉から空気のような声が漏れた。

「高校も、俺と一緒んとこ選んだとか?」

 図星すぎる。動揺を悟られないように振る舞いたかったが、そんなのは無理だった。

「...そうだよ」
「え?」

 喋りだしたら次々と言葉が思い浮かび、喉を通過する。

「秋哉が、男子校行くって知ってから勉強するようになったし...秋哉と一緒に行きたいから目覚まし時計だって買ったんだよ...?」

 恥ずかしさを紛らわすために秋哉の服の裾をキュッと掴む。顔を見せないために秋哉にもたれ掛かり、挙句に膝に顔を埋めた。
 数秒か経った頃、頭上から声が降る。

「...可愛すぎ...」

 秋哉の声とは思えないほど甘く、耳に残る声。思わず秋哉の顔を見上げる。口元を手で覆い隠し、髪の隙間から見える耳は赤く染まっていた。

(かわいい...って...秋哉もじゃん...)

 おれだけに見せてくれる反応と表情に胸が高鳴る。
 細く息を吐いた秋哉は、真剣な顔でおれを見下ろした。

「琉生、これは俺の戯言兼提案なんだけどさ」

 最後まで言うのを躊躇っているのか、中々口が開かない。

「...何でも言ってよ」

 秋哉の頬に手を伸ばす。おれの目を真っ直ぐに見つめられ、重たそうな口が開いた。

「大学とか、就職とか決まったらさ...一緒に住まないか...?」

 自分で目が見開く感覚が鮮明に分かる。まさか秋哉から言ってくれるとは思っていなかった。
 思わず身体を勢いよく起き上がらせ、秋哉の肩をガっと掴んだ。

「そんなん...!そんなん良いに決まってんじゃん!!」

 呆然とする秋哉の肩をユラユラと揺らす。

「...良いのか?この家の方が絶対贅沢できるぞ」
「秋哉といれたら何でも良いしっ!」

 テンションが上がって本音を包み隠す余裕もなく全部出てしまう。
 力が抜けたのか、だらりと首が俯き表情筋が緩みきった顔で笑った。

「案外すんなり受け入れるんだな」
「ひひっ...そりゃそうでしょ。あー、めっちゃ嬉し......頭おかしくなりそ」
「それこっちのセリフなんだけど」

 二人してボフっとベッドに倒れ込む。

「数年後も一緒にいれる約束しちゃった」

 相手から向けられる愛情がこんなにも心地良いものなのだと実感する。思わず声が震えてしまった。

 お互いの声がすぐ近くに存在する。ただそれだけで満たされ続いていく。