「ここにいたのか! ミルドレッド・カーマイン公爵令嬢」
威勢のいい声が聞こえて振り向くと、端正な顔をした赤毛の男が、こちらに向かって指を差していた。さらに私が首を傾げると、睨みつけていた青い瞳が鋭くなる。
「誰……ですか?」
「惚けるな!」
「いや、本当に誰?」
出会って早々、怒鳴るような男に敬語など不要。しかも私の質問に答えない。ならば私だって、ちゃんと向き合わなくったっていいよね。
「まず、見ず知らずの人間に指を差され。且つ、怒鳴られるいわれもないんだけど?」
腕組みまでして言ってやると、先ほどまでの威勢はどうしたのか。少しだけ怯んだ顔をした。けれど赤毛の男の傍らにいる、金髪の少女が「ブルーノ様、怖いっ」と言ったからだろう。良いところを見せたいのか、再び私を睨みつけてきた。
けれど私には、金髪少女の言葉が気になった。
「ブルーノ?」
聞き覚えのある名前に、頭を巡らす。だが、その前にブルーノと呼ばれた赤毛の男が口を開いた。
「ようやく思い出したか、ミルドレッド。この国の王子である、ブルーノ・ブルーブナーの名を」
「あぁ、そうだった。忘れていたよ。それで、ブルーノ王子様は私になんのご用で?」
相手の正体が分かったというのに、敬意も払わない私の態度に腹を立てたのだろう。ブルーノは顔を真っ赤にして言い放った。
「なんの用も何も、これからお前に、婚約破棄を告げに来たのだ!」
「婚約、破棄? これまで存在自体を忘れていた人間と、私が婚約していた、とでもいうの?」
「あ、当たり前だ。確かに、婚約してからそれらしい行動はしていなかった、かもしれないが」
おやおや、自ら墓穴を掘るとは。ここをどこだと思っているのやら。
私は辺りを見渡した。そう、ここは貴族の令息令嬢が通う学園の食堂である。今はちょうどお昼時ということで、ギャラリーが多い。そこで婚約破棄を告げに来たのはいいものの、その婚約者を蔑ろにしていたことを口走るとは……この国、大丈夫か?
ずっと忘れていたが、確かブルーノは、次期王太子となる身分。そして今の私は、ブルーノの婚約者、ミルドレッド・カーマイン公爵令嬢なのだ。
いやだね。年を取ると忘れっぽくなってしまう。
けれどそのお陰で、ギャラリーが面白い憶測をしてくれていた。
「やだ。ブルーノ王子、ミルドレッド様を蔑ろにしていながら、婚約破棄ですって」
「どの口が言っているのかしら」
令嬢たちが擁護してくれている傍ら、令息たちは別の憶測をし始めていた。
「だが、ミルドレッド様もミルドレッド様もだ。ブルーノ王子を忘れるほど関心がない、というのは……いくらなんでも」
「そうだな。だから婚約破棄を告げに来られても仕方がない」
すると、令嬢たちの言葉で沈んでいたブルーノが一変。ドヤ顔をこちらに向けてくる。
「聞いたか、ミルドレッド。お前だって努力をしていなかったのだから、俺を非難できまい」
「そもそも非難していたのは、私ではなく、そこの令嬢たち。間違えないでほしい。そして私は婚約破棄を受け入れる。これでいいだろう?」
「り、理由を聞かないのか」
「聞かなくても状況が物語っている。おおかた、ブルーノ王子様の腕を、豊満な胸に埋めている令嬢と恋仲で。婚約者である私が邪魔になったのだろう。それで? 私がやってもいない罪を上げにでも来たのか? 先ほどまで、婚約者の存在自体知らなかった私に対して、胸の大きなその令嬢に嫌がらせをしたと。本気で信じているのだとしたら滑稽だな」
「なっ! いくらなんでも不敬だぞ!」
「そうだろう、そうだろう」
わざと言ったのだから。いくら頭の軽いブルーノでも分かってくれて嬉しいよ。
けれどまだ頭が追いついていないのか、傍らの令嬢も困惑している。だからトドメを刺すことにした。
「私は婚約破棄を受け入れるし、このまま学園を去る。だが、面倒な手続きはそっちで勝手にやってくれ。尚、カーマイン公爵は、この件を素直に受け入れるだろう」
私がそのようにしたのだから。
困惑するブルーノを含め、食堂にいた者たちを置き去りにし、私は学園の門へと向かっていった。午後も授業はあるが、「去る」と言った以上、ここにいる意味はない。時間の無駄だ。
私がミルドレッド・カーマイン公爵令嬢でいる意味がなくなったのだから。
***
ウキウキした気分で学園を出て、街中を歩く。もう自由だ。私は、いやボクは元の自分に戻る。
髪の色も銀髪から黒に戻し、青に変えていた瞳の色も紫色に。黒いフードを被れば、誰もボクをミルドレッド・カーマイン公爵令嬢だとは思わないだろう。腰まであった髪も短くなり、肩までしかないのだから。
けれど目の前に立つピンク色の髪の少女は、平気でボクを見破った。
「やぁ、久しぶりだね、ミルドレッド。いや、エリアル」
「今はカシルと名乗っているから、そっちで呼んで」
「分かった。それならボクも――……」
「勿論、ユニティと呼ばせてもらうわ。その恰好でミルドレッドと呼びたくないもの」
「確かに」
カシルからユニティと呼ばれ、懐かしさのあまり頬が緩んだ。それほどまでに、ボクはミルドレッドを演じていたのが嫌だったのか。それとも、本来の自分に戻ったことに安堵したのか。
ボク自身がそれに驚いていた。
けれどカシルは、別の意味に捉えたようだった。
「……そろそろ王子から、婚約破棄を言い渡される時期だと思って来たんだけど、案の定、運命は変わらなかった、ということなのね」
「ここは乙女ゲーム『贄姫になっても恋はしたい』の世界だからね。ボクが介入しても、何も変わらなかったよ」
そう、魔女のボクが乙女ゲームの悪役令嬢、ミルドレッド・カーマインとヒロインであるエリアル・アルク男爵令嬢を取り換えても、変わらなかった。
ボクが前世の記憶を取り戻したのは、十八年前。カーマイン公爵家を訪れた人のことだ。ようやく生まれた娘を祝福してほしいとカーマイン公爵に頼まれて行くと、そこには、未来の悪役令嬢、ミルドレッドの愛らしい姿があった。
銀髪に、丸い大きな青い瞳で、興味津々にボクを眺めるミルドレッド。どうやらフードを被った姿が珍しかったらしい。カーマイン公爵家でそのような姿をしているものはいなかったからだ。
祝福を与えても、悪役令嬢である限り、ミルドレッドの未来は明るくない。
どうしたらいいのだろう。必死に考えた。折角、乙女ゲームの世界だと知ったんだ。この愛らしいミルドレッドを救いたい。
ボクの姿は少女となんら変わらなかったが、これでも百歳を超えている魔女。年数を重ねていても、ボクは祝福を与える赤ん坊の未来を救えないのか。
その時だった。悪役令嬢と乙女ゲームのヒロインを取り換えようと思ったのは。ここはヒロインが主人公の世界。悪役令嬢と入れ替わったとしても、彼女の未来は変わらない。幸せになれるだろう。
乱暴だとは思ったが、ミルドレッドの未来を変えるのに必死だったボクは、まずカーマイン公爵に相談した。そもそもミルドレッドが、ブルーノと婚約しなければいいだけだと思ったからだ。
けれどミルドレッドとブルーノの婚約は、彼女たちが生まれる前からの決まりで避けられないものだという。であるならば、ブルーノと結ばれるヒロインとミルドレッドを取り換えても問題ない。魔女ゆえか、ボクは平気で残酷な提案をカーマイン公爵に打診した。
だけど、カーマイン公爵はあっさりとボクの提案を受け入れた。ミルドレッドを乳母の実家に預け、ヒロインであるエリアルを探し出して引き取ったのだ。
これで大丈夫だろうと、思った矢先、予想外の出来事が起きた。様子を見にカーマイン公爵家を訪れると、成長したエリアルに脅されたのだ。
『あんたが魔女ユニティね。私をミルドレッドと入れ替えるなんて、そんな芸当ができるのは転生者しかいない。ねぇ、そうなんでしょう』
そう、エリアルも転生者だったのだ。しかも彼女はブルーノと結婚したくない、という。なぜなら彼女も乙女ゲーム『贄姫になっても恋はしたい』をプレイしていて、推しはブルーノではなかったのだ。
『悪役令嬢の未来を変えたんだから、私の未来も変えなさい』
エリアルの望みは、推しである攻略対象者の騎士と結ばれること。けれどその騎士は平民で、公爵令嬢の立場では難しい。本来のエリアルの身分である男爵令嬢だったのならば可能なのに、ボクが余計なことをした、と憤慨していたのだ。
だからボクは、再びカーマイン公爵に相談をして、エリアルを信頼できる友人に託した。そこで問題なのが、ミルドレッドだ。
乙女ゲームが始まってもいないのに、悪役令嬢が空位になってしまった。ブルーノとの婚約は継続中。
ボクは同じ転生者であるエリアルの元を訪ね、相談した。『どうしたらいい』と。すると彼女はあっけらかんとした声で言い放った。
『責任を取って、ユニティがミルドレッドになればいいのよ。魔女なんだから、自分で姿を変えられるでしょう? 私をミルドレッドの容姿にしたように』
魔女にとって、人間の人生など一瞬だ。淡々とした人生に、少しだけ刺激を与えてみてもいいか、とそんな感覚でミルドレッドとなることを引き受けた。
それが良くなかったのか。魔女としての気質なのか、学園に入学してから、何も努力をしなかったせいで、ブルーノから婚約破棄を言い渡されてしまった。
「だけど、あのまま婚約破棄のイベントが起こらなかったら、ボクはブルーノ王子と結婚させられていたってことだよ? それはそれで嫌だったから、結果オーライじゃないかな」
「確かに。替え玉だけじゃなくて、ユニティの正体もバレたら大変だからね」
大変なんてものじゃない。これが他の魔女にバレたら大目玉を食らってしまう。
「それはそうと、エリアルじゃなかった、カシルはどうなのさ。今は幸せ?」
「勿論! 貴族の時と違って、生活はそりゃ大変だけど、それは前世と同じだから」
「確かに。色々、心配しなくて済むのはいいけど、ボクも貴族の生活は窮屈で嫌だったよ」
「でも、晴れてお役御免になったのだから、私も安心したわ。いくらユニティが仕出かしたこととはいえ、私の我が儘でミルドレッドになっていたわけだから、なんというか……」
「なるほど。ボクを心配して、様子を見に来てくれたんだ」
「っ!」
図星をつかれたのか、息を呑むカシル。同じ転生者だけど、ヒロインに転生するだけはある。
「優しいんだね。ありがとう」
「ほら、バレたら大変だし、だから……お礼を言われる筋合いはないんだから」
照れながら言っても説得力ないよ、と言おうとしたけどやめた。カシルが今、幸せなら、それでいいし、愚痴を言われる立場なのも本当のことだからだ。
***
だけど、本当に幸せなのかどうか、やはり確かめずにはいられなかった。あの時はボクの罪悪感を減らすために言ったことかもしれなかったからだ。
「カシルはほらっ、ツンデレだから」
誰に言うわけでもなく、そう呟きながら、ボクはカシルの住んでいる家までやってきた。
元カーマイン公爵令嬢ということもあり、首都の郊外に住んでいるカシル。実の娘でなくても、ミルドレッドの未来のために養女にしたからか、カシルが家を出た後も、公爵は何かと世話を焼いていたらしい。
カシルもカシルで、首都を離れられなかったのは、公爵が理由なのか。はたまたボクの様子がきになったのか、までは分からない。
「この間の様子からすると、両方かもね」
姿を消す魔法を使い、さらに家に近づいた。
「あぁ、どうしよう。今日に限って、寝癖がなかなか直らない~」
思わず窓から様子を窺うと、あらぬ方向にピンク色の髪が伸びていた。一度濡らして、乾かせばいいと思うけれど、焦るカシルの声から、そんな時間はないのだろう。
「この世界にドライヤーもないしね」
仕方がない、とボクは窓に向かって手を伸ばした。疑われないように、カシルが髪を抑えた瞬間を狙って寝癖を直す。
「あ、あれ?」
その様子にカシルは戸惑っていたが、どうやら急いでいるらしい。気にすることなく、化粧をして、身嗜みのチェックも済ませる。
まさに恋する少女の風景だ。
「ボクには縁のない世界……」
キラキラと輝いている。もしかして、デートなのかな。
慌ただしく出かけていくカシルを見送り、ボクはその場を後にした。さすがにデートを盗み見る趣味はない。
***
次にボクが様子を見に行ったのは、あの日、ブルーノの傍らにいた少女だ。
どうやらブルーノは、ボク……いや、ミルドレッドに婚約破棄を言い渡した後、国王に報告したらしい。
確かにボクは「面倒な手続きはそっちで勝手にやってくれ」と言ったし、当のミルドレッドはいない。婚約破棄の手続きをしなければ、あの金髪の少女と結婚どころか、婚約さえできないのだ。
だから仕方がないのだが……やはり怒られたらしい。
「カシルではないが、ボクが原因だからね。一応、見に行くか」
そう言って、魔女らしく箒に乗って王城へ近づいた。結界が張られているため、許可証を見せる。ミルドレッドの時もそうだが、魔女はこの国で悪とは思われていない。生まれた子どもに祝福を与える存在であるため、あまり規制されていなかった。
今日も、「王に会わせてほしい」と頼むと、謁見の許可が取れず、代わりに宰相が相手をしてくれた。
「珍しいですね。魔女様が訪ねに来てくださるとは」
「そう、嫌味を言わないでくれ。カーマイン公爵から聞いているんだろう?」
「えぇ、勿論。だから嫌味を言いたくなったのです。このようなことをするのならば、始めから我々に言ってくださればよかったものを。ブルーノ王子もこんなことにはならなかったのですよ」
「実は……ブルーノ王子様も含め、かの少女がどうなったのか、知りたくてやって来たんだ」
すると宰相は、口にするのが面倒だと思ったのか、書類をテーブルの上に置いた。
まぁ、態度からして歓迎されていないのは分かっていたけど。
チラッと宰相の方を見た後、ボクは書類を手に取った。
どうやらブルーノの身分はそのまま、ということになったらしい。婚約者ではない女性との交際や、学園で婚約者を蔑ろにしていたが、そもそもその婚約者の正体が婚約者ではなかったのだ。
そこについては、カーマイン公爵が弁明してくれたらしい。事前にボクから乙女ゲームの詳細を聞いて、実の娘であるミルドレッドを避難させていたのだから、当然だろう。こちらがブルーノ及び王族を騙していたのだ。
共に非があったわけだから、ブルーノの処分もあってないようなもの。ただ王族としての自覚が足らない、という国王からのお達しで、謹慎処分を食らったらしい。
「なんだ。謹慎処分くらいで済んだのか。良かったじゃないか」
「何を言っているのですか。処分としては軽いですが、評判はガタ落ちです。お陰で、次の婚約者も決まらない状況でして。誰もブルーノ王子と婚約したがらないのですよ」
「あの金髪をした少女はどうしたんだよ。同じ女としても羨ましくなるほどの豊満なボディ――……」
思わず手振り身振りをしたら、宰相が咳払いをした。
いいじゃないか。宰相はボクが百歳以上の魔女だってことは、知っているんだから。これくらい。
「ともかく、件の令嬢とは婚約させられないのです」
「どうして」
「彼女が子爵令嬢だからです」
「あっ……」
乙女ゲームのヒロインであるエリアルは男爵令嬢だった。だから子爵令嬢、というわけか。盲点だったな。さらにいうと、エリアルというヒロインが実在しているため、臨時の浮気相手となった金髪の少女が贄姫になれる可能性もない、というわけか。
「困ったな」
「何が、ですか? 困ったのはこちらですよ」
「……その子爵令嬢を高位貴族の養女にもできないのか?」
「ブルーノ王子の評判を落とした令嬢ですよ。誰もしたがりません」
なるほど。そこもエリアルと違うのか。贄姫ではない令嬢には手を差し伸べない。乙女ゲームの世界だから、ヒロインに選ばれなかった、というだけで、攻略対象者の末路も違ってしまうらしい。
「カーマイン公爵も、王族を騙していたわけですが、件の令嬢を庇うことはしませんでした」
「そりゃ、できないだろうね」
実の娘ではなくても、ミルドレッドを陥れた存在なのだから。けれど、私にとっては救いの存在だ。ブルーノと結婚しなくてもいいからだ。
「今、彼女はどこに? この書類での処分は、ブルーノ王子と同じ、謹慎処分となっているけど。子爵令嬢という立場で、そのまま学園にいるのはキツいんじゃないか?」
「えぇ。ですから、彼女は自主退学しましたよ。今後、社交界に出るのも難しいと思います」
孤立無援。乙女ゲームのシステムは、どうやら金髪の少女を悪役令嬢と同じポジションとして扱ったわけか。
「そうなると、首都のタウンハウス。いや、子爵家だから領地に今、いるのかもしれないな」
「だと思います」
よし。行先は決まった。
***
宰相から現在の地図を見せてもらい、子爵令嬢の元へ向かう。転移魔法陣を使えばすぐだが、領地のどこにいるのかも分からない。それに、ボクは箒に乗るのが好きだ。
だけど人目につかないように、と姿を消して、金髪の少女を探した。
髪の色が特殊ではないが、やはりあの体型は探しやすいようだ。領主館の近くを飛び回っただけで、すぐに見つけることができた。
「大丈夫。噂なんて一時よ。それに学園に通えなくても、優秀な家庭教師をつければ……」
「その家庭教師がここまで来てくれるっていうの? こんな田舎に。それも子爵家に!」
母親と思われる女性に向かって、物を投げる。日常茶飯事なのか、それが女性に当たることはなかったが、見ていていいものではない。
「のほほんとした王子の婚約者も、のほほんとしていたから、いけると思ったのに。まさか偽者で、王子本人も知らなかったなんて。そんな茶番に付き合わされていたのよ」
確かに、授業とか交流なんて、魔女のボクには関係なかったから、のほほんとしているように見えたんだろうね。でもこれって、別にブルーノを愛していたわけじゃないって感じかな。
悪いことをした、と思っていたけど、同情する余地はなさそう。そもそもエリアルに代わるほどのヒロインの器ではなかったって感じだし。
なるほどね。だから乙女ゲームのシステムは、彼女を見限ったわけか。
「自業自得なら、ボクが心配する必要はない」
どうやらボクに対しても、本気で敵意を向けてきそうだし、会わない方がいいだろう。だが、この街には興味が湧いた。
ずっと公爵令嬢なんてしていたものだから、街歩きは久々なのだ。ボクは早速、魔法を解いて散策することにした。
その気の緩みがいけなかったのだろう。知り合いもいないことをいいことに、ボクはフードを被らずに街を歩いていた。そんな時だった。
「見つけたぞ」
聞いたことがある。いや、少し前に見た人物が、目の前に立っていた。
「ブルーノ、王子様? なんでここに……」
驚きの眼差しを向けると、ブルーノはボクに近づいてきた。咄嗟に後退るが間に合わず、腕を掴まれた。さらに脇道に連れ込む、という王子にあるまじき行為をしたのだ。
「何をする。ボクに腹いせでもしたいのか!? いや、そもそも貴殿は謹慎処分を食らっていたはずだが? どうしてここにいる」
「王城で宰相と話していただろう。俺には筒抜けなんだよ」
「っ!」
思わず身を引くと、背中が壁に当たった。
「あの令嬢に用があったわけじゃないってことか」
「そうだ。まさか本当に魔女だったとはな。いきなり姿を現した時は驚いた」
つまり、そんなところから付けられていた、というのか。しかも気づかずにいたとは……。
「でも、魔女だと脅すことはできないよ。ボクはまた雲隠れする。人間と魔女は、同じ時間が流れているわけじゃないんだからね」
「知っているさ。だから俺も一緒に雲隠れさせてくれ」
「はぁ?」
「宰相から聞いて知っているだろうが、俺の立場は今、危うい。ならば、弟に王位を――……」
「待て待て、早まるな!」
一応、攻略対象者の一人だろう。何、現実逃避しているんだよ!
「早まっていないし、そもそもこれは頼みではない」
「では、なんだというの?」
「責任だ。王族を騙した償いだ。カーマイン公爵はすでにしたのに、魔女であるお前がしないのは不公平だろう?」
「それは……そう、なのか?」
ミルドレッド、エリアル、金髪の少女。それだけでなく、ブルーノの運命も変えてしまった。ボクの一時の感情で。
だからブルーノの言うことも一理ある。
「そうだ。分かったのなら、森でもなんでも俺を連れて行け」
「嫌だね。それに責任は王族として果たすものだろう? 逃げることではないはずだ」
これでようやく乙女ゲームの世界から離れられるというのに、なんでブルーノを引き取らなければならないんだ。冗談じゃない。
だからボクはさらに言い放った。
「ボクは人の運命を弄んだ魔女だ。でも、貴殿は自分の運命から逃げようとしているだけだ」
そんな人間の責任まで取れるか!
ボクはブルーノを突き放し、転移魔法陣を展開した。
「待て……!」
嫌だね。そしてこれで本当にさようならだ。かつて婚約者だったブルーノ王子。
威勢のいい声が聞こえて振り向くと、端正な顔をした赤毛の男が、こちらに向かって指を差していた。さらに私が首を傾げると、睨みつけていた青い瞳が鋭くなる。
「誰……ですか?」
「惚けるな!」
「いや、本当に誰?」
出会って早々、怒鳴るような男に敬語など不要。しかも私の質問に答えない。ならば私だって、ちゃんと向き合わなくったっていいよね。
「まず、見ず知らずの人間に指を差され。且つ、怒鳴られるいわれもないんだけど?」
腕組みまでして言ってやると、先ほどまでの威勢はどうしたのか。少しだけ怯んだ顔をした。けれど赤毛の男の傍らにいる、金髪の少女が「ブルーノ様、怖いっ」と言ったからだろう。良いところを見せたいのか、再び私を睨みつけてきた。
けれど私には、金髪少女の言葉が気になった。
「ブルーノ?」
聞き覚えのある名前に、頭を巡らす。だが、その前にブルーノと呼ばれた赤毛の男が口を開いた。
「ようやく思い出したか、ミルドレッド。この国の王子である、ブルーノ・ブルーブナーの名を」
「あぁ、そうだった。忘れていたよ。それで、ブルーノ王子様は私になんのご用で?」
相手の正体が分かったというのに、敬意も払わない私の態度に腹を立てたのだろう。ブルーノは顔を真っ赤にして言い放った。
「なんの用も何も、これからお前に、婚約破棄を告げに来たのだ!」
「婚約、破棄? これまで存在自体を忘れていた人間と、私が婚約していた、とでもいうの?」
「あ、当たり前だ。確かに、婚約してからそれらしい行動はしていなかった、かもしれないが」
おやおや、自ら墓穴を掘るとは。ここをどこだと思っているのやら。
私は辺りを見渡した。そう、ここは貴族の令息令嬢が通う学園の食堂である。今はちょうどお昼時ということで、ギャラリーが多い。そこで婚約破棄を告げに来たのはいいものの、その婚約者を蔑ろにしていたことを口走るとは……この国、大丈夫か?
ずっと忘れていたが、確かブルーノは、次期王太子となる身分。そして今の私は、ブルーノの婚約者、ミルドレッド・カーマイン公爵令嬢なのだ。
いやだね。年を取ると忘れっぽくなってしまう。
けれどそのお陰で、ギャラリーが面白い憶測をしてくれていた。
「やだ。ブルーノ王子、ミルドレッド様を蔑ろにしていながら、婚約破棄ですって」
「どの口が言っているのかしら」
令嬢たちが擁護してくれている傍ら、令息たちは別の憶測をし始めていた。
「だが、ミルドレッド様もミルドレッド様もだ。ブルーノ王子を忘れるほど関心がない、というのは……いくらなんでも」
「そうだな。だから婚約破棄を告げに来られても仕方がない」
すると、令嬢たちの言葉で沈んでいたブルーノが一変。ドヤ顔をこちらに向けてくる。
「聞いたか、ミルドレッド。お前だって努力をしていなかったのだから、俺を非難できまい」
「そもそも非難していたのは、私ではなく、そこの令嬢たち。間違えないでほしい。そして私は婚約破棄を受け入れる。これでいいだろう?」
「り、理由を聞かないのか」
「聞かなくても状況が物語っている。おおかた、ブルーノ王子様の腕を、豊満な胸に埋めている令嬢と恋仲で。婚約者である私が邪魔になったのだろう。それで? 私がやってもいない罪を上げにでも来たのか? 先ほどまで、婚約者の存在自体知らなかった私に対して、胸の大きなその令嬢に嫌がらせをしたと。本気で信じているのだとしたら滑稽だな」
「なっ! いくらなんでも不敬だぞ!」
「そうだろう、そうだろう」
わざと言ったのだから。いくら頭の軽いブルーノでも分かってくれて嬉しいよ。
けれどまだ頭が追いついていないのか、傍らの令嬢も困惑している。だからトドメを刺すことにした。
「私は婚約破棄を受け入れるし、このまま学園を去る。だが、面倒な手続きはそっちで勝手にやってくれ。尚、カーマイン公爵は、この件を素直に受け入れるだろう」
私がそのようにしたのだから。
困惑するブルーノを含め、食堂にいた者たちを置き去りにし、私は学園の門へと向かっていった。午後も授業はあるが、「去る」と言った以上、ここにいる意味はない。時間の無駄だ。
私がミルドレッド・カーマイン公爵令嬢でいる意味がなくなったのだから。
***
ウキウキした気分で学園を出て、街中を歩く。もう自由だ。私は、いやボクは元の自分に戻る。
髪の色も銀髪から黒に戻し、青に変えていた瞳の色も紫色に。黒いフードを被れば、誰もボクをミルドレッド・カーマイン公爵令嬢だとは思わないだろう。腰まであった髪も短くなり、肩までしかないのだから。
けれど目の前に立つピンク色の髪の少女は、平気でボクを見破った。
「やぁ、久しぶりだね、ミルドレッド。いや、エリアル」
「今はカシルと名乗っているから、そっちで呼んで」
「分かった。それならボクも――……」
「勿論、ユニティと呼ばせてもらうわ。その恰好でミルドレッドと呼びたくないもの」
「確かに」
カシルからユニティと呼ばれ、懐かしさのあまり頬が緩んだ。それほどまでに、ボクはミルドレッドを演じていたのが嫌だったのか。それとも、本来の自分に戻ったことに安堵したのか。
ボク自身がそれに驚いていた。
けれどカシルは、別の意味に捉えたようだった。
「……そろそろ王子から、婚約破棄を言い渡される時期だと思って来たんだけど、案の定、運命は変わらなかった、ということなのね」
「ここは乙女ゲーム『贄姫になっても恋はしたい』の世界だからね。ボクが介入しても、何も変わらなかったよ」
そう、魔女のボクが乙女ゲームの悪役令嬢、ミルドレッド・カーマインとヒロインであるエリアル・アルク男爵令嬢を取り換えても、変わらなかった。
ボクが前世の記憶を取り戻したのは、十八年前。カーマイン公爵家を訪れた人のことだ。ようやく生まれた娘を祝福してほしいとカーマイン公爵に頼まれて行くと、そこには、未来の悪役令嬢、ミルドレッドの愛らしい姿があった。
銀髪に、丸い大きな青い瞳で、興味津々にボクを眺めるミルドレッド。どうやらフードを被った姿が珍しかったらしい。カーマイン公爵家でそのような姿をしているものはいなかったからだ。
祝福を与えても、悪役令嬢である限り、ミルドレッドの未来は明るくない。
どうしたらいいのだろう。必死に考えた。折角、乙女ゲームの世界だと知ったんだ。この愛らしいミルドレッドを救いたい。
ボクの姿は少女となんら変わらなかったが、これでも百歳を超えている魔女。年数を重ねていても、ボクは祝福を与える赤ん坊の未来を救えないのか。
その時だった。悪役令嬢と乙女ゲームのヒロインを取り換えようと思ったのは。ここはヒロインが主人公の世界。悪役令嬢と入れ替わったとしても、彼女の未来は変わらない。幸せになれるだろう。
乱暴だとは思ったが、ミルドレッドの未来を変えるのに必死だったボクは、まずカーマイン公爵に相談した。そもそもミルドレッドが、ブルーノと婚約しなければいいだけだと思ったからだ。
けれどミルドレッドとブルーノの婚約は、彼女たちが生まれる前からの決まりで避けられないものだという。であるならば、ブルーノと結ばれるヒロインとミルドレッドを取り換えても問題ない。魔女ゆえか、ボクは平気で残酷な提案をカーマイン公爵に打診した。
だけど、カーマイン公爵はあっさりとボクの提案を受け入れた。ミルドレッドを乳母の実家に預け、ヒロインであるエリアルを探し出して引き取ったのだ。
これで大丈夫だろうと、思った矢先、予想外の出来事が起きた。様子を見にカーマイン公爵家を訪れると、成長したエリアルに脅されたのだ。
『あんたが魔女ユニティね。私をミルドレッドと入れ替えるなんて、そんな芸当ができるのは転生者しかいない。ねぇ、そうなんでしょう』
そう、エリアルも転生者だったのだ。しかも彼女はブルーノと結婚したくない、という。なぜなら彼女も乙女ゲーム『贄姫になっても恋はしたい』をプレイしていて、推しはブルーノではなかったのだ。
『悪役令嬢の未来を変えたんだから、私の未来も変えなさい』
エリアルの望みは、推しである攻略対象者の騎士と結ばれること。けれどその騎士は平民で、公爵令嬢の立場では難しい。本来のエリアルの身分である男爵令嬢だったのならば可能なのに、ボクが余計なことをした、と憤慨していたのだ。
だからボクは、再びカーマイン公爵に相談をして、エリアルを信頼できる友人に託した。そこで問題なのが、ミルドレッドだ。
乙女ゲームが始まってもいないのに、悪役令嬢が空位になってしまった。ブルーノとの婚約は継続中。
ボクは同じ転生者であるエリアルの元を訪ね、相談した。『どうしたらいい』と。すると彼女はあっけらかんとした声で言い放った。
『責任を取って、ユニティがミルドレッドになればいいのよ。魔女なんだから、自分で姿を変えられるでしょう? 私をミルドレッドの容姿にしたように』
魔女にとって、人間の人生など一瞬だ。淡々とした人生に、少しだけ刺激を与えてみてもいいか、とそんな感覚でミルドレッドとなることを引き受けた。
それが良くなかったのか。魔女としての気質なのか、学園に入学してから、何も努力をしなかったせいで、ブルーノから婚約破棄を言い渡されてしまった。
「だけど、あのまま婚約破棄のイベントが起こらなかったら、ボクはブルーノ王子と結婚させられていたってことだよ? それはそれで嫌だったから、結果オーライじゃないかな」
「確かに。替え玉だけじゃなくて、ユニティの正体もバレたら大変だからね」
大変なんてものじゃない。これが他の魔女にバレたら大目玉を食らってしまう。
「それはそうと、エリアルじゃなかった、カシルはどうなのさ。今は幸せ?」
「勿論! 貴族の時と違って、生活はそりゃ大変だけど、それは前世と同じだから」
「確かに。色々、心配しなくて済むのはいいけど、ボクも貴族の生活は窮屈で嫌だったよ」
「でも、晴れてお役御免になったのだから、私も安心したわ。いくらユニティが仕出かしたこととはいえ、私の我が儘でミルドレッドになっていたわけだから、なんというか……」
「なるほど。ボクを心配して、様子を見に来てくれたんだ」
「っ!」
図星をつかれたのか、息を呑むカシル。同じ転生者だけど、ヒロインに転生するだけはある。
「優しいんだね。ありがとう」
「ほら、バレたら大変だし、だから……お礼を言われる筋合いはないんだから」
照れながら言っても説得力ないよ、と言おうとしたけどやめた。カシルが今、幸せなら、それでいいし、愚痴を言われる立場なのも本当のことだからだ。
***
だけど、本当に幸せなのかどうか、やはり確かめずにはいられなかった。あの時はボクの罪悪感を減らすために言ったことかもしれなかったからだ。
「カシルはほらっ、ツンデレだから」
誰に言うわけでもなく、そう呟きながら、ボクはカシルの住んでいる家までやってきた。
元カーマイン公爵令嬢ということもあり、首都の郊外に住んでいるカシル。実の娘でなくても、ミルドレッドの未来のために養女にしたからか、カシルが家を出た後も、公爵は何かと世話を焼いていたらしい。
カシルもカシルで、首都を離れられなかったのは、公爵が理由なのか。はたまたボクの様子がきになったのか、までは分からない。
「この間の様子からすると、両方かもね」
姿を消す魔法を使い、さらに家に近づいた。
「あぁ、どうしよう。今日に限って、寝癖がなかなか直らない~」
思わず窓から様子を窺うと、あらぬ方向にピンク色の髪が伸びていた。一度濡らして、乾かせばいいと思うけれど、焦るカシルの声から、そんな時間はないのだろう。
「この世界にドライヤーもないしね」
仕方がない、とボクは窓に向かって手を伸ばした。疑われないように、カシルが髪を抑えた瞬間を狙って寝癖を直す。
「あ、あれ?」
その様子にカシルは戸惑っていたが、どうやら急いでいるらしい。気にすることなく、化粧をして、身嗜みのチェックも済ませる。
まさに恋する少女の風景だ。
「ボクには縁のない世界……」
キラキラと輝いている。もしかして、デートなのかな。
慌ただしく出かけていくカシルを見送り、ボクはその場を後にした。さすがにデートを盗み見る趣味はない。
***
次にボクが様子を見に行ったのは、あの日、ブルーノの傍らにいた少女だ。
どうやらブルーノは、ボク……いや、ミルドレッドに婚約破棄を言い渡した後、国王に報告したらしい。
確かにボクは「面倒な手続きはそっちで勝手にやってくれ」と言ったし、当のミルドレッドはいない。婚約破棄の手続きをしなければ、あの金髪の少女と結婚どころか、婚約さえできないのだ。
だから仕方がないのだが……やはり怒られたらしい。
「カシルではないが、ボクが原因だからね。一応、見に行くか」
そう言って、魔女らしく箒に乗って王城へ近づいた。結界が張られているため、許可証を見せる。ミルドレッドの時もそうだが、魔女はこの国で悪とは思われていない。生まれた子どもに祝福を与える存在であるため、あまり規制されていなかった。
今日も、「王に会わせてほしい」と頼むと、謁見の許可が取れず、代わりに宰相が相手をしてくれた。
「珍しいですね。魔女様が訪ねに来てくださるとは」
「そう、嫌味を言わないでくれ。カーマイン公爵から聞いているんだろう?」
「えぇ、勿論。だから嫌味を言いたくなったのです。このようなことをするのならば、始めから我々に言ってくださればよかったものを。ブルーノ王子もこんなことにはならなかったのですよ」
「実は……ブルーノ王子様も含め、かの少女がどうなったのか、知りたくてやって来たんだ」
すると宰相は、口にするのが面倒だと思ったのか、書類をテーブルの上に置いた。
まぁ、態度からして歓迎されていないのは分かっていたけど。
チラッと宰相の方を見た後、ボクは書類を手に取った。
どうやらブルーノの身分はそのまま、ということになったらしい。婚約者ではない女性との交際や、学園で婚約者を蔑ろにしていたが、そもそもその婚約者の正体が婚約者ではなかったのだ。
そこについては、カーマイン公爵が弁明してくれたらしい。事前にボクから乙女ゲームの詳細を聞いて、実の娘であるミルドレッドを避難させていたのだから、当然だろう。こちらがブルーノ及び王族を騙していたのだ。
共に非があったわけだから、ブルーノの処分もあってないようなもの。ただ王族としての自覚が足らない、という国王からのお達しで、謹慎処分を食らったらしい。
「なんだ。謹慎処分くらいで済んだのか。良かったじゃないか」
「何を言っているのですか。処分としては軽いですが、評判はガタ落ちです。お陰で、次の婚約者も決まらない状況でして。誰もブルーノ王子と婚約したがらないのですよ」
「あの金髪をした少女はどうしたんだよ。同じ女としても羨ましくなるほどの豊満なボディ――……」
思わず手振り身振りをしたら、宰相が咳払いをした。
いいじゃないか。宰相はボクが百歳以上の魔女だってことは、知っているんだから。これくらい。
「ともかく、件の令嬢とは婚約させられないのです」
「どうして」
「彼女が子爵令嬢だからです」
「あっ……」
乙女ゲームのヒロインであるエリアルは男爵令嬢だった。だから子爵令嬢、というわけか。盲点だったな。さらにいうと、エリアルというヒロインが実在しているため、臨時の浮気相手となった金髪の少女が贄姫になれる可能性もない、というわけか。
「困ったな」
「何が、ですか? 困ったのはこちらですよ」
「……その子爵令嬢を高位貴族の養女にもできないのか?」
「ブルーノ王子の評判を落とした令嬢ですよ。誰もしたがりません」
なるほど。そこもエリアルと違うのか。贄姫ではない令嬢には手を差し伸べない。乙女ゲームの世界だから、ヒロインに選ばれなかった、というだけで、攻略対象者の末路も違ってしまうらしい。
「カーマイン公爵も、王族を騙していたわけですが、件の令嬢を庇うことはしませんでした」
「そりゃ、できないだろうね」
実の娘ではなくても、ミルドレッドを陥れた存在なのだから。けれど、私にとっては救いの存在だ。ブルーノと結婚しなくてもいいからだ。
「今、彼女はどこに? この書類での処分は、ブルーノ王子と同じ、謹慎処分となっているけど。子爵令嬢という立場で、そのまま学園にいるのはキツいんじゃないか?」
「えぇ。ですから、彼女は自主退学しましたよ。今後、社交界に出るのも難しいと思います」
孤立無援。乙女ゲームのシステムは、どうやら金髪の少女を悪役令嬢と同じポジションとして扱ったわけか。
「そうなると、首都のタウンハウス。いや、子爵家だから領地に今、いるのかもしれないな」
「だと思います」
よし。行先は決まった。
***
宰相から現在の地図を見せてもらい、子爵令嬢の元へ向かう。転移魔法陣を使えばすぐだが、領地のどこにいるのかも分からない。それに、ボクは箒に乗るのが好きだ。
だけど人目につかないように、と姿を消して、金髪の少女を探した。
髪の色が特殊ではないが、やはりあの体型は探しやすいようだ。領主館の近くを飛び回っただけで、すぐに見つけることができた。
「大丈夫。噂なんて一時よ。それに学園に通えなくても、優秀な家庭教師をつければ……」
「その家庭教師がここまで来てくれるっていうの? こんな田舎に。それも子爵家に!」
母親と思われる女性に向かって、物を投げる。日常茶飯事なのか、それが女性に当たることはなかったが、見ていていいものではない。
「のほほんとした王子の婚約者も、のほほんとしていたから、いけると思ったのに。まさか偽者で、王子本人も知らなかったなんて。そんな茶番に付き合わされていたのよ」
確かに、授業とか交流なんて、魔女のボクには関係なかったから、のほほんとしているように見えたんだろうね。でもこれって、別にブルーノを愛していたわけじゃないって感じかな。
悪いことをした、と思っていたけど、同情する余地はなさそう。そもそもエリアルに代わるほどのヒロインの器ではなかったって感じだし。
なるほどね。だから乙女ゲームのシステムは、彼女を見限ったわけか。
「自業自得なら、ボクが心配する必要はない」
どうやらボクに対しても、本気で敵意を向けてきそうだし、会わない方がいいだろう。だが、この街には興味が湧いた。
ずっと公爵令嬢なんてしていたものだから、街歩きは久々なのだ。ボクは早速、魔法を解いて散策することにした。
その気の緩みがいけなかったのだろう。知り合いもいないことをいいことに、ボクはフードを被らずに街を歩いていた。そんな時だった。
「見つけたぞ」
聞いたことがある。いや、少し前に見た人物が、目の前に立っていた。
「ブルーノ、王子様? なんでここに……」
驚きの眼差しを向けると、ブルーノはボクに近づいてきた。咄嗟に後退るが間に合わず、腕を掴まれた。さらに脇道に連れ込む、という王子にあるまじき行為をしたのだ。
「何をする。ボクに腹いせでもしたいのか!? いや、そもそも貴殿は謹慎処分を食らっていたはずだが? どうしてここにいる」
「王城で宰相と話していただろう。俺には筒抜けなんだよ」
「っ!」
思わず身を引くと、背中が壁に当たった。
「あの令嬢に用があったわけじゃないってことか」
「そうだ。まさか本当に魔女だったとはな。いきなり姿を現した時は驚いた」
つまり、そんなところから付けられていた、というのか。しかも気づかずにいたとは……。
「でも、魔女だと脅すことはできないよ。ボクはまた雲隠れする。人間と魔女は、同じ時間が流れているわけじゃないんだからね」
「知っているさ。だから俺も一緒に雲隠れさせてくれ」
「はぁ?」
「宰相から聞いて知っているだろうが、俺の立場は今、危うい。ならば、弟に王位を――……」
「待て待て、早まるな!」
一応、攻略対象者の一人だろう。何、現実逃避しているんだよ!
「早まっていないし、そもそもこれは頼みではない」
「では、なんだというの?」
「責任だ。王族を騙した償いだ。カーマイン公爵はすでにしたのに、魔女であるお前がしないのは不公平だろう?」
「それは……そう、なのか?」
ミルドレッド、エリアル、金髪の少女。それだけでなく、ブルーノの運命も変えてしまった。ボクの一時の感情で。
だからブルーノの言うことも一理ある。
「そうだ。分かったのなら、森でもなんでも俺を連れて行け」
「嫌だね。それに責任は王族として果たすものだろう? 逃げることではないはずだ」
これでようやく乙女ゲームの世界から離れられるというのに、なんでブルーノを引き取らなければならないんだ。冗談じゃない。
だからボクはさらに言い放った。
「ボクは人の運命を弄んだ魔女だ。でも、貴殿は自分の運命から逃げようとしているだけだ」
そんな人間の責任まで取れるか!
ボクはブルーノを突き放し、転移魔法陣を展開した。
「待て……!」
嫌だね。そしてこれで本当にさようならだ。かつて婚約者だったブルーノ王子。



