合掌する島崎に見送られ、絃一郎は廊下に連れ出された。
「急に呼び出しちゃってごめんね。びっくりしたでしょう」
「い、いえ……」
そこでは、彼女と同じ青いリボンをつけた女子生徒がもう一人、同級生達の物珍しげな視線を浴びながら待ち構えていた。
その隣までやってくると、連れ出した女子生徒は明るい声でハキハキと名乗る。
「私は二年E組の小清水純。声楽部でソプラノを、それと学年リーダーをやってるわ」
それから、待ち構えていたもう一人の肩にポンと手を乗せると
「こっちは美作貴音。この子も声楽部。アルトパートの子よ」
と、簡単に紹介した。
美作と呼ばれた女子生徒は、にこやかな小清水とは対照的に、眉を寄せて腕を組んでいた。その目が絃一郎の肩ほどの高さにあるせいか、こちらを見上げる視線は突き刺さるように鋭い。
美作は、小清水をチラッと横目に見てから、小さくうなずくような礼をした。後頭部で揺れる、耳から上の髪で結ばれた小さなお団子。そんな美作に、絃一郎もおずおずと礼を返す。
それを見届けた小清水は、柔らかな口調で話し始めた。
「永海から、君に伴奏を頼みたいって話を聞いたからさ。どんな子かなって挨拶に来たの」
「は、はぁ……」
「というのは建前で」
「えっ」
小清水の顔が急に強張ったので、絃一郎は唾を飲む。
「いい? 寺方くん」
「はい」
「私はね、永海に『一緒に歌いたくない』って言われて、伴奏をバッサリ断られたことがあるんだ」
「は……えっ⁈」
「この子なんか、五万回組んで五万回断られてる」
「五万回⁈」
「みじゅ~っ! 言わないでよぉ! てか五万は盛りすぎだし!」
狼狽える絃一郎など気にもせず、カラカラと笑い飛ばす小清水。その背中を、顔を赤くした美作が何度も叩く。
「まぁ、そういう訳で、『永海は伴奏嫌い』っていうのが声楽部の共通認識なんだ。とにかく誰かと一緒に歌うのが嫌みたいで」
「そう! 絶対に独唱しか歌わないの。ホント意味分かんなぁい! その伴奏だって渋々って感じだし」
そこで、はたと思い出す。
昨日、永海が言っていた「そういう人には片っ端から頼んだけど、駄目だったんだよ」という言葉。伴奏を頼むという話だけで、大騒ぎになっていた音楽棟。
「も、もしかして……永海先輩が自分から伴奏を頼むって、とんでもない話なんですか……?」
「今気付いたのぉ~? でなきゃ、わざわざ顔見になんか来ないって!」
「う、うぅ……」
品定めするかのように顔を覗き込まれ、絃一郎は後ずさりする。
そうは言われても、とても信じられなかった。
あの時見た、熱に浮かされた目。幽霊が現れたことも、それが絃一郎には見えていることも、全部「ところで」で済ませて伴奏の返事を求めてきた、何かに突き動かされているような勢い。どう考えたって、誰かと歌うことを嫌っている人の行動だとは思えない。
ましてや、そんな人が「寺方くんの伴奏で歌いたいから」だなんて。
「その永海が自ら望んで頭を下げたってことは、それだけの理由があるんだと思う」
「……はい」
「だからね、無理なら遠慮なく断りなさい」
「はい?」
思わず聞き返してしまった。
今、「だから伴奏を頼まれてほしい」っていう流れじゃなかったか?
「本っ当不甲斐ない話なんだけど……永海のやつ、余程の理由があるからこそ、なりふり構わず突っ走ってるんじゃないかと思ってて……」
「ほら、りっくんって歌のことになると、周りが見えなくなるっていうか~、他はどうでも良くなるっていうか~……暴走列車みたいになるじゃん?」
「そうなのよ……。本音はそれ。永海が君に迷惑かけてないか、心配で声をかけたの」
「あぁ、そういう……」
「……さては、もうやらかしてるわね?」
「いっ、いえ! そんなことは!」
慌てて首を横に振る。いけない。確かに、伴奏を迫ってくる時の勢いは暴走列車だったな、なんて思っていたら、全部顔に出ていたらしい。
そんな絃一郎を見て、小清水は苦笑いしつつ「ったくもう、あいつは……」とため息をつく。苦労がにじみ出ている声色に、普段の永海の様子を垣間見たような気がした。きっと、声楽部でもあんな調子なのだろう。
「寺方くん、そもそも声楽部の伴奏班って分かる? 永海から説明は?」
「と、特に何も……」
「やっぱり。それもちゃんと話してから……あぁ、それに、他に入りたい部活があるんじゃない? いいのよ、そっち優先して」
「…………それは、無い……というか……」
胸の前で手を組み、視線を落とす。
どう返せばいいのか分からなかった。
もし筝曲部が存続していれば、迷うことなく「筝曲部に入ります」と答えていただろう。昨日、鍵を貸してくれた先生は「同好会を立ち上げてもいい」と言っていたが、もう一度オバケがいたお座敷棟に立ち入る勇気など、絃一郎には無い。
そうして、口を開けたまま何も言えずにいると。
「なんで小清水と貴音もいるの?」
少しかすれた、それでいて喧騒にかき消されることのない低い声。
「あ! りっく~ん!」
「永海、いいところに」
廊下の先を見れば、青いネクタイをきっちりと結んだ制服姿の永海がいた。
彼が歩くだけで、廊下にいる誰もが逃げるように壁へ寄り、自然と道が開けていく。その様子に、確かにアイドルよりバケモンの方がしっくりくるな、なんて失礼なことを思う。
「お、おはようございます、永海先輩」
「おはよう」
「寺方くんから聞いたわよ。あなた、ま~た迷惑かけて」
「うん。それは僕も反省した。ちゃんと僕の歌を聞いてもらってから頼むべきだった」
神妙な面持ちでうなずく永海。が、反省するところがズレているような。そう思って小清水の方をうかがえば、彼女は不本意そうに腕を組んでいた。やっぱり。
「寺方くん。今度、演奏会あるでしょ」
「あぁ、新入生歓迎会ですか? 明後日の」
「そう」
言いながら、永海は持っていたクリアファイルから取り出した紙を一枚、絃一郎へ手渡した。「部活選びに迷っているあなたへ!」というポップな文字。校内の各所にも掲示されている、新入生歓迎会のチラシだ。
ただ、見慣れたそれとは違い、ある一文にアンダーラインが引かれていて。
「『声楽部』……『我が部が誇る精鋭たちによるアンサンブルとソロを披露』……」
「それ、来てほしい」
「構いませんけど……もしかして、永海先輩がこのソロを歌うんですか?」
「うん。君に、伴奏したいって思わせてみせるから、聞きに来て」
「は……――」
言おうとした返事が、口から息がもれただけに終わった。
なんだ、それ。
なんだその、宣戦布告みたいな、熱烈な告白みたいな。
たまらずチラシから視線を上げると、間近に迫っていた永海と目が合う。
「伴奏の返事はその後でいい。僕の歌を聞いて、君が伴奏してみたいと思ったなら、改めてお願いさせてほしい」
真っ直ぐにこちらを見つめたまま、決して逸らさない。どこか熱に浮かされた――何かに取り憑かれたような、永海の瞳。
「いい?」
「わ、分かりました……」
断れるはずがなかった。あんな誘い文句を言われたら。あんな目で見つめられたら。
見えない力に動かされるように、がくん、と絃一郎の首が縦に揺れる。
直後。
「ちょっと! りっくん!」
「ぉわっ⁈」
ドンッ、と胸を押されてよろめく。
絃一郎をぞんざいに押し退けたのは、美作の細い腕だった。大きく足を広げて間に割って入った美作が、今度は永海を肩を叩く。
「今の、マジで言ってる? この子のためだけに歌うって言ってるように聞こえたんだけど?」
「そう言ったんだよ」
「はぁ~? 新歓だよ? 新入生の子たちみんなのために歌うべきでしょ」
「そうだね。でも、寺方くんだって新入生だよ。僕は彼の勧誘がしたい」
「この子の何がそんなにいいの⁈ 声楽のことなぁんにも知らないし、ピアノだってほとんどやったこと無いのに!」
「またそれ? それは伴奏を頼まない理由にはならない。何度も言わせないで」
「なるでしょ! だから何度も言ってるの! も~っ、意味分かんなぁい!」
「いいよ、分かんなくて」
やり場のない感情を抑えるように、握った拳でこめかみをグリグリと押さえる美作。眉一つ動かさずに答える永海。
そんな二人のやりとりに圧倒されていると、美作が「ふん!」と鼻を鳴らし、こちらを振り返った。
「いーい? 伴奏候補ちゃん」
「!」
鼻先を指差され、肩が跳ねる。
美作は、鋭い目線で睨み上げながら、刺々しい声で言った。
「新歓は伴奏もちゃんと見ること! いくらりっくんが惚れ込んでても、アンタみたいな素人には出来っこないんだからね! 覚悟しときなさいよ!」
「こら、貴音~?」
小清水が咎めるように名前を呼ぶ。だがその時にはもう、美作は振り返りもせずに走り去ってしまっていた。
遠ざかっていくお団子頭の後ろ姿。背負われた鞄で揺れる、蛍光ピンクのモコモコとした人形。絃一郎はそれを、黙って見送ることしか出来なかった。
やがてその姿が見えなくなったところで、小清水は小さなため息をこぼすと、絃一郎に向かって両手を合わせる。
「ごめんね寺方くん、嫌なこと言って。後で𠮟っておく」
「……いえ。美作先輩の言うことは、その通りだと思います」
「……」
本心だった。美作が納得しないのは当然のことだ。『我が部が誇る精鋭』とまで謳われる歌手の伴奏が、ろくにピアノも弾けない素人だなんて、誰だって不相応だと思うだろう。絃一郎自身だってそう思っている。
だから、こちらをジッと見つめる永海の物言いたげな視線に、絃一郎は気付かない振りをした。
――キーンコーンカーンコーン……。
そこで、チャイムが鳴り響いた。ホームルーム五分前の予鈴だ。
小清水とともに自分の教室へ戻っていった永海は、結局、その胸のうちを言葉にしなかった。
「急に呼び出しちゃってごめんね。びっくりしたでしょう」
「い、いえ……」
そこでは、彼女と同じ青いリボンをつけた女子生徒がもう一人、同級生達の物珍しげな視線を浴びながら待ち構えていた。
その隣までやってくると、連れ出した女子生徒は明るい声でハキハキと名乗る。
「私は二年E組の小清水純。声楽部でソプラノを、それと学年リーダーをやってるわ」
それから、待ち構えていたもう一人の肩にポンと手を乗せると
「こっちは美作貴音。この子も声楽部。アルトパートの子よ」
と、簡単に紹介した。
美作と呼ばれた女子生徒は、にこやかな小清水とは対照的に、眉を寄せて腕を組んでいた。その目が絃一郎の肩ほどの高さにあるせいか、こちらを見上げる視線は突き刺さるように鋭い。
美作は、小清水をチラッと横目に見てから、小さくうなずくような礼をした。後頭部で揺れる、耳から上の髪で結ばれた小さなお団子。そんな美作に、絃一郎もおずおずと礼を返す。
それを見届けた小清水は、柔らかな口調で話し始めた。
「永海から、君に伴奏を頼みたいって話を聞いたからさ。どんな子かなって挨拶に来たの」
「は、はぁ……」
「というのは建前で」
「えっ」
小清水の顔が急に強張ったので、絃一郎は唾を飲む。
「いい? 寺方くん」
「はい」
「私はね、永海に『一緒に歌いたくない』って言われて、伴奏をバッサリ断られたことがあるんだ」
「は……えっ⁈」
「この子なんか、五万回組んで五万回断られてる」
「五万回⁈」
「みじゅ~っ! 言わないでよぉ! てか五万は盛りすぎだし!」
狼狽える絃一郎など気にもせず、カラカラと笑い飛ばす小清水。その背中を、顔を赤くした美作が何度も叩く。
「まぁ、そういう訳で、『永海は伴奏嫌い』っていうのが声楽部の共通認識なんだ。とにかく誰かと一緒に歌うのが嫌みたいで」
「そう! 絶対に独唱しか歌わないの。ホント意味分かんなぁい! その伴奏だって渋々って感じだし」
そこで、はたと思い出す。
昨日、永海が言っていた「そういう人には片っ端から頼んだけど、駄目だったんだよ」という言葉。伴奏を頼むという話だけで、大騒ぎになっていた音楽棟。
「も、もしかして……永海先輩が自分から伴奏を頼むって、とんでもない話なんですか……?」
「今気付いたのぉ~? でなきゃ、わざわざ顔見になんか来ないって!」
「う、うぅ……」
品定めするかのように顔を覗き込まれ、絃一郎は後ずさりする。
そうは言われても、とても信じられなかった。
あの時見た、熱に浮かされた目。幽霊が現れたことも、それが絃一郎には見えていることも、全部「ところで」で済ませて伴奏の返事を求めてきた、何かに突き動かされているような勢い。どう考えたって、誰かと歌うことを嫌っている人の行動だとは思えない。
ましてや、そんな人が「寺方くんの伴奏で歌いたいから」だなんて。
「その永海が自ら望んで頭を下げたってことは、それだけの理由があるんだと思う」
「……はい」
「だからね、無理なら遠慮なく断りなさい」
「はい?」
思わず聞き返してしまった。
今、「だから伴奏を頼まれてほしい」っていう流れじゃなかったか?
「本っ当不甲斐ない話なんだけど……永海のやつ、余程の理由があるからこそ、なりふり構わず突っ走ってるんじゃないかと思ってて……」
「ほら、りっくんって歌のことになると、周りが見えなくなるっていうか~、他はどうでも良くなるっていうか~……暴走列車みたいになるじゃん?」
「そうなのよ……。本音はそれ。永海が君に迷惑かけてないか、心配で声をかけたの」
「あぁ、そういう……」
「……さては、もうやらかしてるわね?」
「いっ、いえ! そんなことは!」
慌てて首を横に振る。いけない。確かに、伴奏を迫ってくる時の勢いは暴走列車だったな、なんて思っていたら、全部顔に出ていたらしい。
そんな絃一郎を見て、小清水は苦笑いしつつ「ったくもう、あいつは……」とため息をつく。苦労がにじみ出ている声色に、普段の永海の様子を垣間見たような気がした。きっと、声楽部でもあんな調子なのだろう。
「寺方くん、そもそも声楽部の伴奏班って分かる? 永海から説明は?」
「と、特に何も……」
「やっぱり。それもちゃんと話してから……あぁ、それに、他に入りたい部活があるんじゃない? いいのよ、そっち優先して」
「…………それは、無い……というか……」
胸の前で手を組み、視線を落とす。
どう返せばいいのか分からなかった。
もし筝曲部が存続していれば、迷うことなく「筝曲部に入ります」と答えていただろう。昨日、鍵を貸してくれた先生は「同好会を立ち上げてもいい」と言っていたが、もう一度オバケがいたお座敷棟に立ち入る勇気など、絃一郎には無い。
そうして、口を開けたまま何も言えずにいると。
「なんで小清水と貴音もいるの?」
少しかすれた、それでいて喧騒にかき消されることのない低い声。
「あ! りっく~ん!」
「永海、いいところに」
廊下の先を見れば、青いネクタイをきっちりと結んだ制服姿の永海がいた。
彼が歩くだけで、廊下にいる誰もが逃げるように壁へ寄り、自然と道が開けていく。その様子に、確かにアイドルよりバケモンの方がしっくりくるな、なんて失礼なことを思う。
「お、おはようございます、永海先輩」
「おはよう」
「寺方くんから聞いたわよ。あなた、ま~た迷惑かけて」
「うん。それは僕も反省した。ちゃんと僕の歌を聞いてもらってから頼むべきだった」
神妙な面持ちでうなずく永海。が、反省するところがズレているような。そう思って小清水の方をうかがえば、彼女は不本意そうに腕を組んでいた。やっぱり。
「寺方くん。今度、演奏会あるでしょ」
「あぁ、新入生歓迎会ですか? 明後日の」
「そう」
言いながら、永海は持っていたクリアファイルから取り出した紙を一枚、絃一郎へ手渡した。「部活選びに迷っているあなたへ!」というポップな文字。校内の各所にも掲示されている、新入生歓迎会のチラシだ。
ただ、見慣れたそれとは違い、ある一文にアンダーラインが引かれていて。
「『声楽部』……『我が部が誇る精鋭たちによるアンサンブルとソロを披露』……」
「それ、来てほしい」
「構いませんけど……もしかして、永海先輩がこのソロを歌うんですか?」
「うん。君に、伴奏したいって思わせてみせるから、聞きに来て」
「は……――」
言おうとした返事が、口から息がもれただけに終わった。
なんだ、それ。
なんだその、宣戦布告みたいな、熱烈な告白みたいな。
たまらずチラシから視線を上げると、間近に迫っていた永海と目が合う。
「伴奏の返事はその後でいい。僕の歌を聞いて、君が伴奏してみたいと思ったなら、改めてお願いさせてほしい」
真っ直ぐにこちらを見つめたまま、決して逸らさない。どこか熱に浮かされた――何かに取り憑かれたような、永海の瞳。
「いい?」
「わ、分かりました……」
断れるはずがなかった。あんな誘い文句を言われたら。あんな目で見つめられたら。
見えない力に動かされるように、がくん、と絃一郎の首が縦に揺れる。
直後。
「ちょっと! りっくん!」
「ぉわっ⁈」
ドンッ、と胸を押されてよろめく。
絃一郎をぞんざいに押し退けたのは、美作の細い腕だった。大きく足を広げて間に割って入った美作が、今度は永海を肩を叩く。
「今の、マジで言ってる? この子のためだけに歌うって言ってるように聞こえたんだけど?」
「そう言ったんだよ」
「はぁ~? 新歓だよ? 新入生の子たちみんなのために歌うべきでしょ」
「そうだね。でも、寺方くんだって新入生だよ。僕は彼の勧誘がしたい」
「この子の何がそんなにいいの⁈ 声楽のことなぁんにも知らないし、ピアノだってほとんどやったこと無いのに!」
「またそれ? それは伴奏を頼まない理由にはならない。何度も言わせないで」
「なるでしょ! だから何度も言ってるの! も~っ、意味分かんなぁい!」
「いいよ、分かんなくて」
やり場のない感情を抑えるように、握った拳でこめかみをグリグリと押さえる美作。眉一つ動かさずに答える永海。
そんな二人のやりとりに圧倒されていると、美作が「ふん!」と鼻を鳴らし、こちらを振り返った。
「いーい? 伴奏候補ちゃん」
「!」
鼻先を指差され、肩が跳ねる。
美作は、鋭い目線で睨み上げながら、刺々しい声で言った。
「新歓は伴奏もちゃんと見ること! いくらりっくんが惚れ込んでても、アンタみたいな素人には出来っこないんだからね! 覚悟しときなさいよ!」
「こら、貴音~?」
小清水が咎めるように名前を呼ぶ。だがその時にはもう、美作は振り返りもせずに走り去ってしまっていた。
遠ざかっていくお団子頭の後ろ姿。背負われた鞄で揺れる、蛍光ピンクのモコモコとした人形。絃一郎はそれを、黙って見送ることしか出来なかった。
やがてその姿が見えなくなったところで、小清水は小さなため息をこぼすと、絃一郎に向かって両手を合わせる。
「ごめんね寺方くん、嫌なこと言って。後で𠮟っておく」
「……いえ。美作先輩の言うことは、その通りだと思います」
「……」
本心だった。美作が納得しないのは当然のことだ。『我が部が誇る精鋭』とまで謳われる歌手の伴奏が、ろくにピアノも弾けない素人だなんて、誰だって不相応だと思うだろう。絃一郎自身だってそう思っている。
だから、こちらをジッと見つめる永海の物言いたげな視線に、絃一郎は気付かない振りをした。
――キーンコーンカーンコーン……。
そこで、チャイムが鳴り響いた。ホームルーム五分前の予鈴だ。
小清水とともに自分の教室へ戻っていった永海は、結局、その胸のうちを言葉にしなかった。
