カウンターテナーと十七絃 ~耳に残った呪いの音色を奏でるまで~

 合掌する島崎に見送られ、絃一郎は廊下に連れ出された。
「急に呼び出しちゃってごめんね。びっくりしたでしょう」
「い、いえ……」
 そこでは、彼女と同じ青いリボンをつけた女子生徒がもう一人、同級生たちの物珍しげな視線を浴びながら待ち構えていた。
 その隣までやってくると、連れ出した女子生徒は明るい声でハキハキと名乗る。
「私は二年E組の小清水(こしみず)(じゅん)。声楽部でソプラノをやってるわ」
 それから、待ち構えていたもう一人の肩にポンと手を乗せると
「こっちは美作(みまさか)貴音(たかね)。この子も声楽部。アルトパートよ」
 と、簡単に紹介した。
 美作と呼ばれた女子生徒は、にこやかな小清水とは対照的に、険しい顔で腕を組んでいた。その目が絃一郎の肩ほどの高さにあるせいか、見上げる視線は突き刺さるように鋭い。
 美作は、小清水をチラッと横目に見てから、小さくうなずくような礼をした。後頭部で揺れる、耳から上の髪で結ばれた小さなお団子。絃一郎も、おずおずと礼を返す。
 それを見届けた小清水は、柔らかな口調で話し始めた。
「永海から、君に伴奏を頼みたいって話を聞いたからさ。どんな子かなって挨拶に来たの」
「は、はぁ……」
「というのは建前で」
「えっ」
 小清水の顔が急に強張ったので、絃一郎は唾を飲む。
「いい? 寺方くん」
「はい」
「私はね、永海に『一緒に歌いたくない』って言われて、伴奏をバッサリ断られたことがあるんだ」
「は……えっ⁈」
「この子なんか、五万回組んで五万回断られてる」
「五万回⁈」
「みじゅ~っ! 言わないでよぉ! てか五万は盛りすぎだし!」
 狼狽える絃一郎など気にもせず、カラカラと笑い飛ばす小清水。その背中を、顔を赤くした美作が何度も叩く。
「まぁ、そういう訳で、『永海は伴奏嫌い』っていうのが声楽部の共通認識なんだ。とにかく誰かと一緒に歌うのが嫌みたいで」
「そう! 絶対に独唱しか歌わないの。ホント意味分かんなぁい! その伴奏だって渋々って感じだし」
 そこで、はたと思い出す。
 昨日、永海が言っていた「そういう人には片っ端から頼んだけど、駄目だったんだよ」という言葉。伴奏を頼むという話だけで、大騒ぎになっていた音楽棟。
「も、もしかして……永海先輩が自分から伴奏を頼むって、とんでもない話なんですか……?」
「今気付いたのぉ~? でなきゃ、わざわざ顔見になんか来ないって!」
「う、うぅ……」
 品定めするかのように顔を覗き込まれ、絃一郎は後退りする。
 とても信じられなかった。
 あの時見た、熱に浮かされた目。幽霊が現れたことも、それが絃一郎には見えていることも、全部「ところで」で済ませて伴奏の返事を求めてきた、何かに突き動かされているような勢い。どう考えたって、誰かと歌うことを嫌っている人の行動だとは思えない。
 ましてや、そんな人が「寺方くんの伴奏で歌いたいから」だなんて。
「その永海が自ら望んで頭を下げたってことは、それだけの理由があるんだと思う」
「……はい」
「だからね、無理なら遠慮なく断りなさい」
「はい?」
 思わず聞き返してしまった。
 今、「だから伴奏を頼まれてほしい」という流れじゃなかったか?
「本っ当不甲斐ない話なんだけど……永海のやつ、余程の理由があるからこそ、なりふり構わず突っ走ってるんじゃないかと思ってて……」
「ほら、りっくんって歌のことになると、周りが見えなくなるっていうか~、他はどうでも良くなるっていうか~……暴走列車みたいになるじゃん?」
「そうなのよ……。本音はそれ。永海が迷惑かけてないか、心配で声をかけたの」
「あぁ、そういう……」
「……さては、もうやらかしてるわね?」
「いっ、いえ! そんなことは!」
 慌てて首を横に振る。いけない。確かに、伴奏を迫ってくる時の勢いは暴走列車だったな、なんて思っていたら、全部顔に出ていたらしい。
「ったくもう、あいつは……。寺方くん、そもそも声楽部の伴奏班って分かる? 永海から説明は?」
「と、特に何も……」
「やっぱり。それもちゃんと話してから……あぁ、それに、他に入りたい部活があるんじゃない? いいのよ、そっち優先して」
「それは、無い……というか……」
 胸の前で手を組み、視線を落とす。
 どう返せばいいのか分からなかった。
 もし筝曲部が存続していれば、迷うことなく「筝曲部に入ります」と答えていただろう。昨日、鍵を貸してくれた先生は「同好会を立ち上げてもいい」と言っていたが、そんな勇気は絃一郎には無い。
 そうして、口を開けたまま何も言えずにいると。
「なんで小清水と貴音もいるの?」
 少しかすれた、それでいて喧騒にかき消されることのない低い声。
「あ! りっく~ん!」
「永海、いいところに」
 廊下の先を見れば、青いネクタイをきっちりと結んだ制服姿の永海がいた。
 彼が歩くだけで、廊下にいる誰もが逃げるように壁へ寄り、自然と道が開けていく。確かに、アイドルよりバケモンの方がしっくりくるな、なんて失礼なことを思う。
「お、おはようございます、永海先輩」
「おはよう」
「寺方くんから聞いたわよ。あなた、ま~た迷惑かけて」
「うん。それは僕も反省した。ちゃんと僕の歌を聞いてもらってから頼むべきだった」
 神妙な面持ちでうなずく永海。が、反省するところがズレているような。そう思って小清水の方をうかがえば、彼女は不本意そうに顔をしかめていた。やっぱり。
「寺方くん。今度、演奏会あるでしょ」
「あぁ、新入生歓迎会ですか?」
「そう」
 永海は持っていたクリアファイルから取り出した紙を一枚、絃一郎へ手渡した。校内の各所にも掲示されている、新入生歓迎会のチラシだ。
 ただ、見慣れたそれとは違い、ある一文にアンダーラインが引かれていて。
「『声楽部』……『我が部が誇る精鋭たちによるアンサンブルとソロを披露』……」
「それ、来てほしい」
「構いませんけど……もしかして、永海先輩がこのソロを歌うんですか?」
「うん。君に、伴奏したいって思わせてみせるから、聞きに来て」
「は……」
 言おうとした返事が、口から息がもれただけに終わった。
 なんだ、それ。
 なんだその、宣戦布告みたいな。
 たまらずチラシから視線を上げると、間近に迫っていた永海と目が合う。
「伴奏の返事はその後でいい。僕の歌を聞いて、君が伴奏してみたいと思ったなら、改めてお願いさせてほしい」
 真っ直ぐにこちらを見つめたまま、決して逸らさない。どこか熱に浮かされた、何かに取り憑かれたような、永海の瞳。
「いい?」
「わ、分かりました……」
 断れるはずがなかった。見えない力に動かされるように、がくん、と絃一郎の首が縦に揺れる。
 直後。
「ちょ~っと待った!」
「!」
「いーい? 伴奏候補ちゃん」
「は、はいっ」
 突然鼻先を指差され、肩が跳ねる。
 二人の間に割って入った美作は、鋭い目線で絃一郎を睨み上げながら、刺々しい声で言った。
「新歓は伴奏もちゃんと見ること! いくらりっくんが惚れ込んでても、アンタみたいな素人には出来っこないんだからね! 覚悟しときなさいよ!」
「こら、貴音~?」
 小清水が咎めるように名前を呼ぶ。だがその時にはもう、美作は振り返りもせずに走り去ってしまっていた。
 やがてその姿が見えなくなったところで、小清水はため息をこぼすと、絃一郎に向かって両手を合わせる。
「ごめんね、嫌なこと言って。後で𠮟っておく」
「……いえ。美作先輩の言うことは、その通りだと思います」
「……」
 本心だった。美作が納得しないのは当然のことだ。『我が部が誇る精鋭』とまで謳われる歌手の伴奏が、ろくにピアノも弾けない素人だなんて、誰だって不相応だと思うだろう。絃一郎自身だってそう思っている。
 だから、こちらをジッと見つめる永海の物言いたげな視線に、絃一郎は気付かない振りをした。