カウンターテナーと十七絃 ~耳に残った呪いの音色を奏でるまで~

 唐突に聞こえた声に、絃一郎は肩を跳ねさせながら振り返った。
 校舎の影から現れた、元気良く跳ねた金髪。白い歯を見せてはいるものの、困ったように眉を寄せた笑顔。
 すぐさま、永海が身構えるように立ち上がる。
「……貴方が塚路さんですね」
「おうよ」
 塚路は二人の元へ歩み寄ってくると、手のひらをヒラリと上げてみせる。その瞬間、確かに視線がぶつかった。
 どうやら塚路には、絃一郎の姿が見えているらしい。
「げんちゃんから話は聞いてるぜ~、永海律くん。晴れ舞台に立てたのは、キミのおかげだってな。オレからも礼を」
「寺方くんに何をした?」
「おっと」
 鋭い声に遮られ、塚路の顔から笑みが消えた。
「何、っていうのは……どこからだ?」
「最初から全部。寺方くんの中に鈴鳴様を閉じ込めたのは貴方か、と聞いているんです」
「あぁ、やっぱ、そこからか……」
 敵意を隠そうともしない、刺々しい声で永海がたずねる。
 塚路はどこか遠くを見上げると、片手で金髪頭を無造作にかき回した。
「……オレな、実は、本業は『おまじない屋さん』なのよ。お祓いの真似事をしたり、ネットで『おまじない人形』売ったり。まぁ、心霊とかオカルト専門の便利屋みたいなもんだな」
「……」
「で……七年前だ。『鈴鳴様』が欲しいから神社から連れ出してこい、っつう無茶な依頼が入ったのは。寺方邦楽教室の門下生なら、コネもあるだろって。オレぁ、んなことがしたくて筝を習ってたんじゃねぇのによぉ……」
 最後、地面に吐き捨てられた小さな声だけは、恨み言のようだった。
「まぁ、仕事自体は順調に進んだよ。奉納演奏の時に筝をすり替えて、ご神体とかいう、呪われた筝を持ち出すだけだったしな。ただ一つ……その筝を、げんちゃんが弾いちまったこと以外は」
「そ、そんな……っ」
「……故意ではなかった、と?」
「んなワケねぇだろ。誰が、鈴鳴様が出てきて筝を弾かせるなんて、想像出来るかってんだ。やっちまったなぁ~、って思った……っつーか、それは今でも思ってんだが。あの筝の言い伝え、知ってるか? 一度弾いたら弾き続けないと呪われるし、音色を聞いたヤツも呪われるとかいう、ヤベェ代物なんだよ。はは、どんな呪いかけてんだ、鈴鳴様はよぉ……」
「そ、それであの時、筝を……」
「そうだぜ、げんちゃん。あのまま家に帰ったら、間違いなく、げんちゃんは呪われて死んでた。だから筝ごと家に帰したんだ。だが、なぁ……そしたら今度は、げんちゃんの母ちゃんが死にかけた。しかも、筝を壊されて行き場を失った鈴鳴様が、げんちゃんの中に入っちまった。もう最悪だ……。……まぁ、一番最悪なのは、『鈴鳴様』が欲しいっつってた馬鹿野郎が、げんちゃん連れてこいって言い出したことだが」
「ふざけるな! 寺方くんを何だと思ってる……!」
「当たり前だっ、出来るワケねぇだろ、んなこと!」
 今にも掴みかかりそうな剣幕で叫ぶ永海。怒声を真っ向から浴びた塚路もまた、歯を剝き出しにする。
「だから、待ってもらうことにした。げんちゃんの中から鈴鳴様を引き離して、封じて渡すから、それだけは勘弁してくれって」
「……つまり今、寺方くんが見えなくなってるのは、そのために?」
「そうだ」
 うなずくと、塚路はパンッと両手を合わせて頭を下げた。
「なぁ、頼む。協力してくれ、げんちゃん、律くん。体の方にいる鈴鳴様を封じたら、げんちゃんは体に戻す。だから、それまでは」
「本当ですか?」
「……あ?」
 永海は、懇願する塚路を睨みつけたまま、一切相好を崩さなかった。そうして、容赦のない声で畳みかける。
「体の外にいる寺方くんは、本当にこのまま無事でいられますか? 鈴鳴様を引き離して封じるなんて、そんなことして体はどうなる? 絶対、確実に、寺方くんは体に戻れると約束出来ますか?」
「約束……や、約束はっ……」
「……」
 息も絶え絶えに言った塚路の顔が、ぐしゃぐしゃに歪んだ。
 嘘でもいいから、出来ると言ってほしかった。
 だが、絃一郎はよく知っている。塚路には、そんな器用なことは出来ないのだと。
「……それが出来ないのであれば」
 不意に、永海の言葉が途切れる。
 突然、静かな特別教室棟の裏に響き渡った、聞き馴染みのあるメッセージアプリの通話の呼び出し音。永海のスラックスのポケットからだ。
 永海は、口を閉じただけで見向きもしながった。が、塚路に「どーぞ」と促されて、渋々といった様子でポケットからスマートフォンを取り出す。
『りっくん! 今どこ~ぉ?! みんなもう集まってるよ!』
 スピーカーから聞こえたのは、側にいる絃一郎にも聞こえるほどの焦った声。美作の声だ。
「……ごめん、ちょっと遅れる。寺方くんを元に戻したら、すぐ行くから」
『え? てらちゃん? それ、どういう――』
 それだけ言うと、永海は通話を切ってしまった。
 まずい、もうそんな時間か。
 そう思った絃一郎は、日の傾き具合を確かめるようと空を見上げ――次の瞬間、視界の端から永海が消えた。
 塚路に向かって、猛然と走り出したのだ。
「な、永海先輩?!」
 まばたき一瞬で距離を詰めた永海は、ほとんど殴りかかる勢いで手にしたスマートフォンを振りかぶった。
「ふっ……!」
「はぁ?! な、なにっ」
 咄嗟に顔を手で覆う塚路。
 狙いは、恐らく、その手だった。
 永海の手には、いつの間に取り出したのか、音叉があった。それを塚路の手に無理矢理握らせると、先端めがけてスマートフォンを振り下ろす。

  ♪――!

 たちまち、永海が耳を押さえ、膝から崩れ落ちた。
「う゛、ぉぇ、っぐぅ……!」
「先輩っ!」
「! そうか、お前、『鈴鳴様の祟り』の……!」
 触れないと分かっていても、絃一郎の体が駆け寄ろうと手を伸ばす。
 だがそれよりも早く、永海は立ち上がった。塚路がたじろいで動きを止めた隙に、ふらついたままの足が駆け出す。
「っは、はぁ……寺方くん! 行くよ!」
「はいっ!」
 塚路に背を向け、一目散に走っていく永海。
 背後から呼び止める声が聞こえた。だが、絃一郎は前を行く永海の背中だけを追いかける。
「寺方くんの体があるのは、お座敷棟だ。筝曲部の部室。そこで、鈴鳴様を引き離して、封じる儀式みたいなことをしてる。詳しいところまでは聞けなかったけど……とにかく、君が体に戻れば、阻止出来るはずだ」
「わ、分かりました!」
 校舎の合間を抜け、賑わう中庭を通り過ぎて。やがて、背後の声も人だかりの喧騒も聞こえない敷地の隅まで来たところで、永海は走る速度を緩めずに言う。
「塚路は……どうしても、君から鈴鳴様を引き離したいらしい。そうすれば、君を自由にしてやれるって、君を救うことになるって信じて……不確かな儀式だったとしても、その可能性に賭けたんだ」
 絃一郎は、塚路ならそうするだろうな、と当然のように思った。
『……前からずっと、どうにかしてやれねぇかって……ずーっと、考えてたんだよ』
 きっと塚路は、必死に考えた末に、不確かな可能性に賭けることを選んだのだ。ひとえに、絃一郎のためを思って。
「でも、僕は、僕はっ……!」
 ひどくかすれた、上擦った声。むずがる子供のようにかぶりを振って、永海が叫ぶ。
「君の苦しみをなくしてあげられるとしても、君を助けられる可能性があったとしても……君がいなくなってしまうかもしれない儀式だなんて、絶対に嫌だ!」
「……!」
「君の中に鈴鳴様がいてもいい、君が何だっていい……ただ、そばにいてほしい……! あぁ、けど、君にとってどっちがいいか、僕には分からない……!」
 ――思えば、ずっと苦しかった。
 筝なんか弾けたって、何にもならなかった。良いことなんか一つも無くて、怖くて恐ろしくて、みじめで嫌なことばかりだった。耳に残って離れない美しい筝の音を、ずっと呪いの音色だと思っていた。
 今日までは。
 十七絃の音だけが響く、熱を帯びたステージ。絃一郎だけに贈られた、歓声と喝采。思い出すだけで鳥肌が立つ。
 あの夏からずっと、筝を止めずにいて良かった。筝が愛しくてたまらない思いに身を焼かれたままでいいと、初めてそう思えた。
 今更、その炎を消してあげるなんて言われても。
「……そんなの、決まってるじゃないですか!」
 絃一郎は、有りっ丈の思いを込めて、音叉を鳴らした。

 お座敷棟の玄関の引き戸を開け放つ。薄暗い廊下を進んでいけば、突き当りに「筝曲同好会」と書かれた札が見えてくる。
 その前まで来た瞬間、絃一郎は、襖の奥へと引き込まれる感覚に襲われた。
「っ……?」
 目を開ければ、横倒しになった視界へ畳が映る。
 ここは、床の間のない八畳の和室。目指していた部室の中だ。
 ……元に戻れたのだろうか?
 起き上がろうとして、体が動かないことに気が付いた。全身がひどく重い。このまま畳の中へ沈み込んでしまいそうな……。
 ぼんやりと視線だけを動かし、寝転がった自身の体を見て。
「っひ……?!」
 喉が引きつって、潰れた悲鳴を上げた。
 ふくらはぎを、太ももを、腰を、背中を、肩を……全身を這いまわる、生気のない白い手。
 絃一郎の体は、畳と畳の間のごくわずかな隙間から生えた、何本もの白い腕に抑えつけられていた。
 直感的に分かった。
 この手は、絃一郎を畳の下へ引きずり込もうとしている。……この下に、何があるのかは分からないが。
 つぅ、と、うなじを撫でる冷たい感触。触られたそばから体温が消え、感覚すらも奪われていく。自分の輪郭がぼやけていくような得体の知れない恐怖に、浅い息とともに呻きがもれる。
「うっ……あ゛、あぁっ……!」
『! 寺方くん、中にいるの?! ……ッくそ、どうして開かないんだ!』
 永海の声がする。襖の向こうからだ。
 切羽詰まった声とともに響く衝撃音。永海が襖を叩いているのだと、一拍遅れて気が付く。襖が開かず、入ってこられないらしい。
 前にもあったな、こんなこと。そう現実逃避のように考えて、はたと思い至る。
 そうか、そうだったのか。最初から。塚路は、校外講師だったから。筝曲部で起きたという幽霊騒ぎも、そのせいで廃部になったのも、きっと……全部、この仕掛けのために。
 うなじに触れていた手に、みし、と力が込められる。喉が潰れて、意識が揺らぐ。
 今にも閉じそうなまぶたに、全身に力を込めて抗えば、指先が動いた。愛しい声が聞こえる方へ手を伸ばし、叫ぶ。
「ッな、……! な……な、ぁ゛み……せん、っぱ……!」
『寺方くん!! 寺方く――』
 必死に名前を呼ぶ声を最後に、絃一郎の意識は途切れた。