カウンターテナーと十七絃 ~耳に残った呪いの音色を奏でるまで~

「げんちゃ~~ん! 最高だったぜ~~!」
 鳴り止まない拍手を背に、ステージ脇のテントへ戻ってきた絃一郎を真っ先に出迎えたのは、ご満悦の塚路だった。
 それに水を差すことも構わず、絃一郎は思い切り口を尖らせ、上機嫌な笑顔を睨む。
「塚地さん。俺がジャムステージに出るって、叔父さんたちに言ったでしょう」
「げっ。バレてらぁ」
「気付きますよ、そりゃあ……」
 いじけたように文句を垂れれば、「だははっ!」と豪快な笑いが返ってくる。
「いいじゃねぇか! 蘭太も茉莉さんも、スッゲェ褒めてたぜ!」
「う」
「紬ちゃんは『むぎもお琴やりたい』ってよ」
「えっ、本当ですか? やったぁ……って、そういう問題じゃなくて! こっちにも心の準備があるんです。気付いた時、心臓止まるかと思ったんですからね?!」
「っつーわりに、立派に弾いてたじゃねぇか」
「……はい」
 絃一郎は、その言葉を嚙み締めるようにうなずく。
 演奏を終えた時、一身に浴びた喝采。
 弾いた。弾ききった。絃一郎と十七絃は、確かにステージの主役になれていた。絃一郎を大切に思い、家族になろうとしてくれる叔父たちの前で、最後まで逃げ出すことなくやりきったのだ。……正直、緊張しすぎていて、演奏中の記憶はあやふやだが。
「……きっと、俺だけでは、出来なかった。永海先輩のおかげです」
「あぁ、げんちゃんが伴奏してた、声楽部の?」
「はい。始めは、先輩の歌ってるとこ見たさでやってたんですけどね。でも、一緒に演奏することの楽しさを教えてくれて……俺は筝を弾いてもいいんだっていう勇気をくれて……おかげで今日、胸を張って演奏することが出来ました。本当に、良かったと思ってます」
「そっかそっか。そりゃあ、何よりだ」
 塚路は心底嬉しそうに肩を揺らすと、絃一郎の頭にポンと手のひらを置いた。
「んじゃあ、オレからも礼を言わねぇとなぁ」
「塚路さんが?」
「そうさ。オレぁ、どうしても、げんちゃんの筝を蘭太たちにも聞かせてやりたかったんだ」
「……」
「……前からずっと、どうにかしてやれねぇかって……ずーっと、考えてたんだよ。げんちゃんが、()()なったのは、オレのせいだろ」
「そ、そんなことは!」
「いーや、そうなの。げんちゃんは、そう思ってなくてもな」
 首を横に振り、絃一郎の髪をわしゃわしゃとかき回す塚路。それから「そうなんだよなぁ」と悩ましげにテントの天幕を見上げて。かと思えば、ため息を吐きながらうつむいて。
 やがて、金髪頭が起き上がり、こちらを向く。
 そこに、いつもの人懐っこい笑みは無かった。
 塚路は、どういう訳か、困ったような疲れたような、やりきれない笑顔を浮かべていて。
「だから……ホントにごめんな、げんちゃん」
「え?」
 ひどく震えた、小さな声。
 瞬間、両肩に衝撃が走った。
 肩を思い切り叩かれたのだ、と理解したところで、よろめく体を止められる訳もなく。
 絃一郎は、弾き飛ばされるように後ろ向きに倒れ、尻もちをついた。
「いてて……きゅ、急に何……?」
 顔を上げると、塚路の腕の中に、前のめりに倒れた絃一郎がいた。
「は……?」
 すると「大丈夫か、げんちゃん!」という塚路の悲鳴じみた声がして、周りにいた生徒たちが何事かと駆け寄ってくる。こちらではなく、塚路に抱きかかえられた絃一郎の方に。
 直後、自身の体の中から、にゅっと革靴を履いた足が出てきた。
 有り得ない光景に、口から飛び出る絶叫。視界に入ったのは、また一人、駆け寄っていくベスト姿の背中。背後からきたその足が、自身の体を貫通し、通り抜けていったのだ。
 見れば、それは永海の背中だった。
 咄嗟に伸ばした手は、すり抜けて触れず――その手がうっすらと透けているのに気付いてしまって、また悲鳴を上げる。
 なのに、永海も、塚路も、誰一人としてこちらには見向きもしなかった。
 何にも触れない。
 声すら届かない。
 何だ、これ。こんな、幽体離脱みたいな。まるで、幽霊になってしまったみたいな。
 信じたくない思いで、自身のものであったはずの体に視線を向ける。
 塚路の腕の中で倒れたまま絃一郎もまた、驚いた顔でこちらを見ていた。その目を丸くした表情にひどく見覚えがあって、すぐに思い至る。
 先生だ。
 今、目の前の体の中にいるのは、先生だ。
 絃一郎が体から離れてしまったから、絃一郎の中にいた先生だけが残されたのだ。
 だが、分かったところで何が出来ようか。
 ぐったりと力の抜けた絃一郎の体は、塚路に肩を担がれ、どこか連れて行かれてしまう。集まっていた生徒たちも、気がかりな様子を見せながらも、元居た場所へと散っていく。
 絃一郎はそれを、呆然と見送ることしか出来なかった。我に返った頃には、永海の姿もどこにもなくて。
「……そ、そんな」
 つぶやいた声は、次の演目が始まったジャムステージの盛り上がりにかき消されてしまった。
 ……それから、何曲披露されただろう。
 しばらくして、永海がテントへと戻ってきた。
 キョロキョロと辺りを見渡すその姿に、絃一郎はすがるように叫ぶ。
「せ、先輩……! 永海先輩ッ!!」
 だが、返事はない。聞こえた様子もない。やはり、声は届かないらしい。
「ど、どうしようっ……!」
 絃一郎の右手が、無意識に着物の襟元をぎゅっと握る。その時、突っ張った感覚がして、懐の違和感に気が付く。
 何か入っている。
 手を突っ込んで取り出してみれば、それは黒い巾着袋だった。
「……!」
 絃一郎はすぐさま音叉を取り出すと、先端で肘を叩き、その音が響くよう天へ掲げる。

 ♪――……

 瞬間、ピタリと永海の動きが止まった。
 ゆっくりと、恐る恐るこちらを振り返る永海。その瞳は何かを探すようにせわしなく動いていて、視線が合うことはない。だが確かに、不安げな顔は絃一郎の方を見ていて。
「……寺方くん? そこにいるの?」
 あぁ、届いた!
 絃一郎は目頭に込み上げてくる熱をこらえながら、もう一度音叉を鳴らす。
 すると永海は額に手を当て、かすれた笑い声を上げた。
「はは……まさか、聞こえるのが、こんなに嬉しい日が来るなんて」