それからというもの、颯介は時折澄乃の部屋を訪ねてくるようになった。
最初は頭痛の薬のためであった。
しかし次第に、薬の話から、澄乃の実家の話へ、母雪江の病気の話へ、薬の効用についての話へと、会話は少しずつ広がっていった。
澄乃はそれが嬉しかった。
孤独に慣れていた分、誰かが自分の言葉に耳を傾けてくれることが、じんわりと温かかった。
颯介は澄乃が思っていたよりも、知識欲のある人間であった。
澄乃が薬の話をすると、興味深そうに聞き、質問をしてくる。
「それはどういう仕組みで効くのか」
「成分は何か」
「西洋医学とはどう違うのか」
——彼の質問は的確で、澄乃はそれに答えるために自分も改めて考える必要があった。
ある日の夜、颯介が言った。
「お前は、この家に来て不満はないか」
突然の問いに、澄乃は少し戸惑った。
「……いきなりでございますね」
「聞きたかった。ずっと」
澄乃はしばらく考えた。
「不満というよりは、戸惑いがありました。最初は」
「今は」
「今も、この家での自分の場所がどこなのかは、まだよくわかりません。でも、居心地が悪いとは思っていません。お庭が美しいし、書物も豊富です。使用人の方々も親切にしてくださっています」
颯介は澄乃を見た。
その目には何かが宿っていた。後悔とも、痛みとも取れる表情。
「すまなかった」
「何がでしょう」
「……色々と」
颯介は短くそう言って、視線を庭の方へ向けた。
澄乃は何も問わなかった。問わなくても、何のことかはわかっていた。
「静花は、ああいう子なのだ。幼い頃から体が弱く、それが不安の元になっていた。私が離れると泣き止まない時期が長くて……ああいう習慣が抜けないままでいる」
「存じております」
「お前には、本当に苦労をかけた」
「旦那様も、ご苦労が多いのだと思います」
颯介はかすかに息を吐くと、苦笑ともため息ともつかない、静かな表情。
「……ありがとう」
そう言った颯介の声は、澄乃がこれまで聞いたことのない、柔らかなものだった。
秋になった。
颯介は以前に比べて、澄乃のいる部屋に来る回数が増えていた。
頭痛の薬だけでなく、話をしに来ることもある。
書斎で書類を広げながら、澄乃に薬の本を持ってきてもらうこともあった。
ある夕暮れ、颯介は庭で澄乃と並んで座っていた。
縁側に二人、茶を飲みながら。
「お前の母上は、今どんな具合だ」
「最近、少し落ち着いているようです。先月、新しい薬を調合して実家に送ったところ、父から良い知らせが届きました」
「そうか。手紙に書いていたな、先日。母上のことを心配していると」
澄乃は少し驚いた。
「お読みになっていたのですか」
「妻の手紙だ、気にもなる」
言ってから、颯介はわずかに視線をそらすと、澄乃も前を向いた。夕空が橙色に染まっていた。
「旦那様は、いつもこのお庭をご覧になりますか」
「昔はよく見ていた。今は忙しくて、なかなか」
「このお庭の梅は、春にとても美しゅうございますね」
「……気に入ってくれたか」
「はい」
颯介はそれを聞いて、また前を向いた。
その横顔は穏やかだった。以前の、近づきがたい硬さはなかった。
「来春は、一緒に見よう」
澄乃は颯介の横顔を見た。
颯介は庭を見たまま、しかしその言葉は確かに澄乃に向けられていた。
「……はい」
声が少し揺れた。
颯介は気づいたかもしれないけど、何も言わなかった。
ただ、二人は並んで夕暮れを見ていた。
最初は頭痛の薬のためであった。
しかし次第に、薬の話から、澄乃の実家の話へ、母雪江の病気の話へ、薬の効用についての話へと、会話は少しずつ広がっていった。
澄乃はそれが嬉しかった。
孤独に慣れていた分、誰かが自分の言葉に耳を傾けてくれることが、じんわりと温かかった。
颯介は澄乃が思っていたよりも、知識欲のある人間であった。
澄乃が薬の話をすると、興味深そうに聞き、質問をしてくる。
「それはどういう仕組みで効くのか」
「成分は何か」
「西洋医学とはどう違うのか」
——彼の質問は的確で、澄乃はそれに答えるために自分も改めて考える必要があった。
ある日の夜、颯介が言った。
「お前は、この家に来て不満はないか」
突然の問いに、澄乃は少し戸惑った。
「……いきなりでございますね」
「聞きたかった。ずっと」
澄乃はしばらく考えた。
「不満というよりは、戸惑いがありました。最初は」
「今は」
「今も、この家での自分の場所がどこなのかは、まだよくわかりません。でも、居心地が悪いとは思っていません。お庭が美しいし、書物も豊富です。使用人の方々も親切にしてくださっています」
颯介は澄乃を見た。
その目には何かが宿っていた。後悔とも、痛みとも取れる表情。
「すまなかった」
「何がでしょう」
「……色々と」
颯介は短くそう言って、視線を庭の方へ向けた。
澄乃は何も問わなかった。問わなくても、何のことかはわかっていた。
「静花は、ああいう子なのだ。幼い頃から体が弱く、それが不安の元になっていた。私が離れると泣き止まない時期が長くて……ああいう習慣が抜けないままでいる」
「存じております」
「お前には、本当に苦労をかけた」
「旦那様も、ご苦労が多いのだと思います」
颯介はかすかに息を吐くと、苦笑ともため息ともつかない、静かな表情。
「……ありがとう」
そう言った颯介の声は、澄乃がこれまで聞いたことのない、柔らかなものだった。
秋になった。
颯介は以前に比べて、澄乃のいる部屋に来る回数が増えていた。
頭痛の薬だけでなく、話をしに来ることもある。
書斎で書類を広げながら、澄乃に薬の本を持ってきてもらうこともあった。
ある夕暮れ、颯介は庭で澄乃と並んで座っていた。
縁側に二人、茶を飲みながら。
「お前の母上は、今どんな具合だ」
「最近、少し落ち着いているようです。先月、新しい薬を調合して実家に送ったところ、父から良い知らせが届きました」
「そうか。手紙に書いていたな、先日。母上のことを心配していると」
澄乃は少し驚いた。
「お読みになっていたのですか」
「妻の手紙だ、気にもなる」
言ってから、颯介はわずかに視線をそらすと、澄乃も前を向いた。夕空が橙色に染まっていた。
「旦那様は、いつもこのお庭をご覧になりますか」
「昔はよく見ていた。今は忙しくて、なかなか」
「このお庭の梅は、春にとても美しゅうございますね」
「……気に入ってくれたか」
「はい」
颯介はそれを聞いて、また前を向いた。
その横顔は穏やかだった。以前の、近づきがたい硬さはなかった。
「来春は、一緒に見よう」
澄乃は颯介の横顔を見た。
颯介は庭を見たまま、しかしその言葉は確かに澄乃に向けられていた。
「……はい」
声が少し揺れた。
颯介は気づいたかもしれないけど、何も言わなかった。
ただ、二人は並んで夕暮れを見ていた。



